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第十七話:未知の現場も遠足気分で

そんなに大きくない(実際小さいw)音響会社を営むPAエンジニアおじさんの、ほぼ実話を元にした小説です。フェスや様々なイベントに出かけられることがあると思いますが、そのフェスやイベントの運営には、実際に数多くの人たちが関わっています。その中で、ステージなどで必ず必要とされる音響という仕事に関する小説です。

 その日上条は倉庫にいた。DASエイジェンシーの田渕から急にお頼まれたPA仕事の積み込みをしている。仕事内容の規模が小さいので、上条は一人で現場に向かうことにしていた。


 リハーサルの入り時間は13時。それに間に合うように9時頃から倉庫で機材の積み込みを開始する。


 機材のオーダーは、ワイヤレスマイク3本、ワイヤードマイク2本、ミキサー卓、卓上マイクスタンド5本と、シンプルなものだった。


 しかし、急に頼まれた仕事で詳細が伝えられていないため、上条は念のため通常のマイクスタンド、CDプレイヤー、モニタスピーカーも積み込むことにする。


 積み込みを始めてしばらくすると、倉庫の扉が開き、清水美奈がやってきた。


 「おはようございます!」


 「お、おはよう。って、今日は仕事の予定はないんだが」


 「はい、勉強のためにご一緒させてください。アルバイト賃は要りません!」


 「アルバイト賃なしで連れて行くわけにはいかないんだよ。それに、今日の現場は登録された人間しか入れないんだ」


 「そうなんですか……」


 泣きそうな顔をしている清水を見て、上条は積み込みの手を止めて田渕に電話を入れる。


 「田渕さん、おはようございます。今日の日野電気工業さんの現場ですが、うちの見習いを連れて行っても良いですか?………はい。……そうですか!……名前は……清水……美奈です。……よろしくお願いします」


 「来ても良いってよ。先方に連絡入れとくって」


 泣きそうになっていた清水の顔がパーっと明るくなる。


 「ありがとうございます!」


 「連れて行く以上、アルバイト代はちゃんと出す。その代わり、仕事をしろ」


 「かしこまりました!」


 シトロエンXmの後部座席を畳み、リアハッチを開ける。持ち込むモニタスピーカーはアンプ内蔵のパワードスピーカーであるBEHRINGERのF1320D。アンプを持ち込まずに済むので、小さい車で運ぶ際には便利なスピーカーだ。


 「なんでダンボールごと運ぶんですか?積み込むスペースがもったいないじゃないですかー」


 「まあ、そう言うな。プラ段で専用ケースを作れば良いんだが、そんな時間がなくてな。裸で持って行くと傷付きそうだろ?」


 「そりゃまあ、そうですね。」


 モニタスピーカーはオーダーには入っていないが、現場に入ってから後悔するよりは、余計なものを積んでしまったと後悔する方が良いと上条は考えている。


 機材を積み込む際には、大きいものから積むのが常套手段。今回はミキサー卓もMG12XUというYAMAHA製の小型アナログミキサーだ。軽くて良い。普段は現場で24chや32chしか見たことのない清水は、12チャンネルミキサーを見て思わず言った。


 「小さくて可愛い!」


 「今日みたいな現場にはちょうど良いんだよ。送り系統も使わないしな」


 ワイヤレスとレシーバー、CDデッキはあらかじめマウントしてある。


 次に、小物類をまとめてあるプラスティック製の収納コンテナを積む。


 清水は中身が少ないコンテナを見つけ、そのコンテナを持ち上げようとする。


 「軽そうなこれを積み込もうっと………って、重い!!なんでこんなに重いんですか!?」


 「ああ、それは卓上マイクスタンドの台座の部分だよ。軽い台座だと、ブームで伸ばした時にスタンドが倒れちゃうだろ?だから台座は鉄の塊なんだ」


 「重…くて…運べ……ません。ふう。」


 そう言うと清水はコンテナを地面に置いてハアハア言っている。


 「はい、台車」


 「あ、ありがとうございます」


 「ケーブル類や小物類も同じコンテナに入ってるから、台車にまとめて乗せて運んでくれ」


 「了解です!」


 最後に、マイクスタンドが4本入っているケースを2つ、清水が重くて運べなかった卓上マイクスタンドの台座に取り付けるブームの部分が入っているケース、スピーカースタンドを2本積み込んだ。


 「最後、念の為これもな」


 と言って、上条は清水に電源リールを渡す。


 「多分、要らないとは思うけどね」


 「なんでも持って行くんですね」


 「現場についてから後悔するのは嫌だからな」


 そう言って上条は笑った。


 清水が手伝ってくれたおかげで、予定よりも早く出発することになった。


 普段は現場へ向かう途中、マクドナルドのドライブスルーやコンビニでおにぎりやサンドイッチを買って簡単に食事を済ますことが多い上条だったが、この日は時間があったのでデニーズのモーニングサービスに清水を誘った。


 「こんな贅沢な朝ごはん、嬉しいです!」と清水ははしゃいでいた。


 食事の後、コーヒーをお代わりしながら、上条は今日の現場の説明を始めた。


 「今日は割と大きめの会社の会議だ。社長と取締役数名が全社員に向けて新しい運営方針を発表する訓示がある。本社の社屋と工場には社内放送の設備があるから、それを使う。それ以外の事業所や営業所には、Zoomで配信して、それぞれの場所で大型モニターに映すんだ。」


 「へぇー、そんなことまでやるんですね!」


 「映像とPCの設定は社内の技術の人間がやるそうだ。演壇のマイク、司会者のマイク、質問に回るマイクの音を収録するのが我々の仕事だ。」


 直接の依頼主はDASの田渕だが、DASに仕事を依頼したのは日野電気工業と契約している代理店だ。間に複数の業者が入ることはよくあることだが、今回のように細かい仕様が降りてこないこともよくある話だ。


 田渕も急に受けた話だったため、細かい状況は現場で対応するように言われていた。そのため、上条は予備の機材を多めに積み込んでいた。


 「Zoomでの遠隔地からの音声を現場に流すのかどうかの連絡がまだないんだ。それが問題だな」


 演壇のPCからの音声があるのかどうかも不明だ。本来であれば、すべての音声をPAで集約すればトラブルはなくなるが、話を聞いた限りだと、クライアントの日野電気工業の担当者も、初めての試みでそこまでは頭が回っていないようだ。


 「映像さんがその辺りを考えてくれているはずなんだけど、こういう現場は往々にして当日になって『やっぱり音も出したい』とか無茶振りが来るもんだよ」


 「こういう仕事もあるんですね! PAってライブやコンサートだけじゃないんだ…」


 上条がこの手のZoomなどを使った配信の現場に入るときは、通常は制作会社と映像会社が入り、音響の一切を取り仕切るのが上条の仕事だった。しかし、今回は細かい内容が把握できていない状況での現場入りとなった。


 「そろそろ時間だな"


 上条はそう呟き、会計を済ませると清水とともに車へ向かった。」


 上条は若干の不安を抱えつつも、助手席に清水を乗せて現場に向かった。


 「上条さん、ごちそうさまでした!」


 シトロエンXmでよく晴れた東八道路を進む。時間帯が良いためか、今日は全く渋滞もない。


 「なんだか、遠足みたいですね」


 清水が助手席で、窓の外を眺めながらそう言って笑う。


 それを聞いた上条も苦笑する。確かに、普段の仕事と違って、今日は何が起こるかわからないという意味では、ちょっとした冒険かもしれない。


 (面白いやつだな)


 上条は事前に内容がわからないという状況に一抹の不安を感じていたが、清水の一言でとても心が軽くなっていくのを感じていた。

実際に筆者が体験した出来事を題材にしていますが、物語に登場する企業名やイベント名は、全て架空のものです。登場人物もモデルは全て実在の人物がいますが、あくまでもフィクションとしてお読みください。


〜登場人物紹介〜


上条一郎かみじょういちろう:58歳。大学生の息子がいるが、遠方にいるため作品には滅多に登場しない。妻とは離婚していて、現在は独身。車好きで中古のCitroen Xmのブレーク(ステーションワゴン)に乗っている。小さめのイベントにはこのステーションワゴンに音響機材を積んで現場に入り、大きめのイベントの場合にはワンボックス車や2T〜4Tのアルミパネル車をレンタルしている。


清水美奈しみずみな:同じく大学の後輩。21歳。経済学部に通う大学3年生。アルバイト先の仕事で音響に携わることがあり、現場で知り合った上条が大学の先輩だと知り、押しかけアルバイトをしている。


田渕貴之たぶちたかゆき:イベント運営会社・DASエイジェンシーの代表取締役社長。56歳。主なイベントでは上条に音響を発注している。普段は厳しい眼差しながら、気心がわかるとよく笑う人情厚い人。小難しいクライアントからの仕様を切り盛りする。


〜用語解説〜


PA:Pablic Addressの略。電気的な音響拡声装置やそれに携わる人たちのの総称。


ミキサー卓:単にミキサーというと料理器具と混同されるため、ミキサー卓と呼ぶことが多い。省略してミキ卓、あるいは卓ともいう。


モニタースピーカー:ステージ上に置かれ、出演者に対して音を伝えるスピーカー。ミキサー側で設定することにより、好みのバランスで音を聞くことができる。


BEHRINGERベリンガー:1989年にドイツで起業した比較的新しい音響機器メーカーであるが、オーナー社長は持ち株会社を設立し、傘下にMidasマイダスTurbosoundターボサウンド、TC ElectronicティーシーエレクトロニックTannoyタンノイなどの有名ブランドを要する。


F1320D:BEHRINGERベリンガー製のパワードスピーカー。中規模ステージフロントの転がしモニターやスタンドに乗せての小規模イベントのメインスピーカーなど、幅広い用途に使える。軽量でコンパクト、そして比較的安価である。


プラ段:プラスティック段ボール。紙製の段ボールと同じ構造を持つ素材。紙と違い、水に濡れても強度が変わらない。取手や角を補強するパーツなど、さまざまな部品があるため、音響機材や照明機材のケースに使われることが多い。


MG12XU:YAMAHA製の小型ミキサー。小さな現場であればこれで十分。マイク端子(XLR)は6個あるが、5個目と6個目は本来はステレオ入力となっている。そのため、マイクを6本使うと残りのはステレオLINE入力が2系統(合計で4ch)となってしまう。マルチエフェクターSPXを内蔵しているため、ちょっとしたライブには便利だが、エフェクト送りとAUX2が共用になっているため、内蔵エフェクトを使うと、実質的なAUX送りチャンネルは1つになってしまう。


レシーバー:上条は主にSONY製のワイヤレスマイクを使うため、ラックにMB-X6というチューナーベースユニットを使用している。生産終了品のため、現在では入手困難である。そのため、上条は内包するチューナーユニットともに複数台を所有している。


Zoom:ウェビナーやミーティングをライブ配信したり、オンデマンド配信したりするシステム。他にはGoogle MeetやMicrosoft Teamsなどがある。その中でも最もポピュラーに使われているシステム。PCだけで使う場合は簡易だが、そこにPAが絡むと、ちょっとした知識がないと、ハウリングに悩まされることも多い。


シトロエンXm:上条の愛車。フランスのシトロエンと言うメーカーの車。20年以上前に生産を終了しており、もしもどこかが壊れても、その交換パーツを入手するのはかなり難しい。だが、乗り心地は抜群であり、上条としては機材を積んでも車高が下がらない上、優れたサスペンションで機材が傷まないと言う点でこの車を乗り続けている。本文中にもある通り、リアシートを折りたたむと、トランクルームとつながる広大な積載エリアが出現するのである。そのため、小規模PAの現場であれば、この車1台で事足りるのである。

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