第十六話:金がないなら知恵を出せ!
そんなに大きくない(実際小さいw)音響会社を営むPAエンジニアおじさんの、ほぼ実話を元にした小説です。フェスや様々なイベントに出かけられることがあると思いますが、そのフェスやイベントの運営には、実際に数多くの人たちが関わっています。その中で、ステージなどで必ず必要とされる音響という仕事に関する小説です。
この話では、上条がPAのいうものを知っていく学生時代の話を書いていきます。
倉庫での機材チェックは順調に進んでいた。ケーブルの巻き直しはほぼ終わり、マイクの日常的なメンテナンスも完了。ミキサーやアンプラック類のメンテナンスもあらかた終わっている。
「上条さん、さっきの続きの話を聞かせてくださいよー」
「続き?」
「追いコンの話は聞きましたけど、それってまだPAに興味を持ち始めたって話じゃないですか。今の私と大して変わらないじゃないですか。」
「おいおい、それは自信過剰ってもんじゃないか?」
「他の先輩に聞いたんですけど、今の大学祭とか七夕祭のイベントを作ったのも上条さんだって言うじゃないですか。その辺の話を聞かせてください」
「大学祭や七夕祭を俺が作ったってのはちょっと話が違うんだが……そんな風に伝わってるのか?」
「そうですよ。伝説の人になっています。」
「フォーク研も軽音もロック研も世民研も上条さんが作ったって言われてます」
上条はコーヒーを吹き出しそうになりながら否定した。
「いくら何でもそれは美奈の作り話だろ?」
「ちゃんと話してくれないと、勝手に妄想しちゃいますよ」
「弱ったな……じゃあ、順番に話してやるか。ソファに座るからコーヒーを淹れ直してくれるか?」
「はい、ちょっと待ってくださいね」
しばらくして新しいコーヒーを美奈がテーブルに運んできた。上条はコーヒーを一口飲んで語り始めた。
……
1988年の春。上条は予定通り留年し、大学二年生にとどまった。単位は足りていたのだが、サボりまくった体育の単位を落としてしまったのだ。
その反面、上条は少しずつではあるが、ライブにおけるPAの基本を理解し始めていた。とはいえ、まだまだ経験不足を痛感することも多い。
そんな折、新入生向けのサークル紹介イベントが開催されることになった。このイベントでは、各教室がサークルごとに割り当てられ、それぞれ行っている普段の活動を新入生に紹介する。フォークソング研究会や軽音楽部などの音楽系サークルは、自前の機材や楽器を持ち込み、演奏を披露することになっていた。
だが、制約があった。
参加する団体が多いため、大学の共用機材は使用不可。さらに、イベントは午後のわずか3時間のみであり、設営は午前9時からとなっている。ドラムの下に敷くための畳とドラムマットも運ばねばならないため、部室のメインスピーカーを運ぶことは断念した。加えて、教室の電源容量にも限りがあった。
結果として、メインスピーカーは無し。ドラムは生音、ギターとベースはそれぞれのアンプを使用。ボーカルとキーボードは小型のモニタースピーカーを使うことになった。
上条は、まずドラムの生音に合わせてベースとギターのアンプの音量を調整した。しかし、モニタースピーカーを通したボーカルの音量がどうしても足りない。だが、それは仕方がないと割り切るしかなかった。
そして、出演するバンドの中に、一際異彩を放つグループがいた。
その名も「フールマン・ブラザーズ」。
知る人ぞ知る、オールマン・ブラザーズ・バンドのコピーバンドである。そして、何より特筆すべきは彼らがツインドラム編成であることだった。
ハードヒッターの伊蘇と、ビートロックの申し子・揚尾。この二人のドラマーが見せるツインドラムのアンサンブルは、息がピタリと合った時に強烈なグルーヴを生み出す。その迫力と一体感に、上条は圧倒された。
(これをちゃんとマイキングしたら、ドラムだけで16チャンネルになっちゃうな。パンポットの設定はどうしたら良いんだろう)
そんなことを考えつつも、今回はドラムが生音のみで済むことに内心ホッとするのだった。
イベントは3時間の枠で、1時間あたり3バンドの計9バンドが出演する。持ち時間は1バンドあたり20分、セッティングと入れ替えを含めた制約の中で演奏しなければならない。
セッティングが早ければ演奏時間をフルに使えるが、機材の多いバンドや初心者バンドは準備に手間取り、演奏時間が10分にも満たないこともあった。
この日、上条は時間との戦いを経験する。
そして、ツインドラムという珍しいバンド編成に驚かされながらも、PAエンジニアとしてのキャリアの土台となる貴重な体験を積み重ねていく。
気づけば、かつていろいろ教えてくれた先輩の永田はすでに卒業し、PAの基礎を叩き込んでくれた弘前はフォーク研から軽音へと活動の拠点を移していた。
こうして、上条は新歓ライブ、サマーコンサート、夏合宿といったイベントを経験しながら、さらに成長していく。
新歓ライブとサマーコンサートでは、追いコンの経験を生かし、電源容量を考慮して談話室の外から電源リールを使い、安定した電源を確保する工夫をした。
7月の第一金曜日、サマコンのリハーサルの準備をしていると、ギタリストの青山がマーシャルのJCM800を持ち込んできた。
「かぉみじょーーー、JCMをフルテンで鳴らすからねー」
青山は上条の一年下の後輩なんだが、青山なりの親しみをこめた言い方なのか、どの先輩に対してもこんな調子だ。だがフルテンと聞いて、一瞬、上条は言葉を失った。
「フルテンって……全部10にするってこと?」
「JCMは箱鳴り命だしね!」
「いや、無理無理。談話室ライブでそんな音出したら、PAどころか演奏自体が成り立たなくなるぞ」
「ええー。でも、せっかくのJCMなんだぜ……」
青山は不満げにアンプを眺める。
広大なステージに強力なステージPAシステムがあれば全く問題がないのだが、談話室という小規模な会場でJCMをフルテンにされてしまったら小規模なPAシステムよりも大きな音になってしまう。だが上条は同じギタリストとして青山の気持ちはよく理解できた。
「じゃあ、こうしよう。アンプを舞台袖に置いて、マイクで拾う。そうすれば、お前の好きな音を作りつつ、バランスも取れるはずだ」
「なるほど! それならフルテンにしても全体のバランスは問題ないね。さすがかみじょーーー!」
こうして、爆音問題を解決するため、ギターアンプを舞台袖に配置し、ステージ上の音量バランスを調整する試みが行われた。
確かに客席にいれば音のバランスは取れていたが、ステージ上ではギターの音がやかましくて仕方がなかったそうだ。この数年後の大学祭の野外ステージに青山が出演した際は、JCMをステージの上手袖から外側に向けて設置するということがあったのだが、上手袖の方向にいた人たちにはギターの音しか聞こえなかったという逸話が残っている。
また、ハウリングを防ぎながら音量を上げるため、グラフィックイコライザーの導入を実施した。上条の相談を受けた永田が、かつて友人が使っていたという中古のグラフィックイコライザーを提供してくれたのだ。フォーク研としても上条としても初の試みだ。実際に試してみると一定の効果があった。
「チェック!チェック!ワン・ツー!ロー!ロー!」
上条がサウンドチェックをしている。「ヒッヒッ!」と高い声を出したかと思うと「ロウロウ!」と低い声を出す。状況を知らない人が見ていたら、あいつ頭がおかしいの?と感じるかもしれない。
上条は、この談話室という部屋特有の音の鳴りをチェックしていた。
サンレコを読み込んで、勉強した成果を見せる時だ。
「630と800を一コマずつ下げて」
PA卓に付いていた山下は言われた通りにグラフィックイコライザーのつまみを下げる。
上条はその一コマ分の違いが正直な話、全くわからなかった。
「山下、すまんけど、一旦もとに戻してくれ。俺が声を出している間に、630と800を一気に下げ切ってくれ」
そういうと上条は、部屋なりでハウリングしそうになっている周波数の声を出し続ける。
「あーーーーーーーーーー」
山下が630と800のつまみを一気に下げるが、部屋鳴りはわずかに減った気はするものの完全には消えなかった。
「山下、もとに戻してくれ。正直な話、どこを切るべきかよくわかんねえ。もう一度声を出すから、630から左の方へ一つずつ、足したり減らしたりしながら、この変な部屋鳴りをしている周波数を探してくれ」
そういうと上条は部屋鳴りがしている周波数を自らの声で発生し続ける。山下が順番に一つずつコマを上下させると、一瞬「ブアン」というハウリングを起こしかけ、そして部屋鳴りは止まった。
「それ、何Hzだ?」
「315Hzです」
「鳴っている音はもっと高く感じるけど、ハウリングを起こしている音の倍音が耳についているってことなのかな」
「なるほど。そういうこともあるかも」
山下も頷いた。
(グラフィックイコライザーって難しい。難しいけど、これを使いこなせればPAはもっと良い音を出せるんじゃないかな)
上条は新たな機器を手にしてほくそえんだ。
実際のところ、人間の声は様々な倍音を含んでいる。上条は600Hz前後の声を出した時に部屋鳴りがしていると感じているが、実際に部屋鳴りがしているのは300Hz前後。上条の声に含まれている倍音成分や共鳴成分のうち、低い方の300Hzあたりが会場の部屋鳴りとなってしまったのだろう。スピーカーやマイクの特性、部屋の形状や壁・床・天井の材質によって、状況は毎回変わる。マイクを使ってのサウンドチェックだけではなかなか正解が掴めない音場調整ではあるが、この頃の上条にはこれが精一杯の限界だった。この時代の大学生のライブでは、ここまでやっているほうが珍しかったかもしれない。
さらに夏合宿の打ち上げライブではこんな話もあった。ドラマーからの悲痛な叫びだ。
「ギターとベースの音が全然聞こえない! どうにかならないの?」
やたらとステージが広いものの、あるのはメインスピーカーのみでモニタースピーカーは一つもない。
ましてやドラムを叩いているのはハードヒッターの伊蘇だ。自分の音が大きすぎるのだ。そりゃ、5m以上離れている場所にあるギターアンプの音は聞こえづらいのは仕方がない。そこで上条は閃いた。部員に指示をしてドラムの後ろにテーブルを並べ、その上にギターアンプとベースアンプを並べたのだ。
ドラマーには概ね好評であったが、青山のような『フルテンギタリスト』の場合には、ドラマーはうるさくて仕方がなかったようだ。
アマチュアならではの様々な実験的な試みをいろいろやってみた。プロの現場やライブハウスに比べると、手元の機材は圧倒的に貧弱だった。それでも、限られた環境の中で最適解を模索しながら、少しずつ改善を重ねていった。
金がなければ知恵を生かすしかない。そんな状況の中で、上条は自分なりのPA技術を磨いていった。
そして、季節は巡り、11月。いよいよ、大学祭の幕が上がる。
この大学祭では野外ステージが組まれ、学内のバンドが4日間に渡ってライブステージを展開するのだ。
そして、上条はここで驚くべき光景を目にすることになる。
実際に筆者が体験した出来事を題材にしていますが、物語に登場する企業名やイベント名は、全て架空のものです。登場人物もモデルは全て実在の人物がいますが、あくまでもフィクションとしてお読みください。
〜登場人物紹介〜
上条一郎:58歳。大学生の息子がいるが、遠方にいるため作品には滅多に登場しない。妻とは離婚していて、現在は独身。車好きで中古のCitroen Xmのブレーク(ステーションワゴン)に乗っている。小さめのイベントにはこのステーションワゴンに音響機材を積んで現場に入り、大きめのイベントの場合にはワンボックス車や2T〜4Tのアルミパネル車をレンタルしている。
清水美奈:同じく大学の後輩。21歳。経済学部に通う大学3年生。アルバイト先の仕事で音響に携わることがあり、現場で知り合った上条が大学の先輩だと知り、押しかけアルバイトをしている。上条一郎に恋心を抱いているそぶりがある。
永田力:上条の大学の先輩。SondOnという楽器店をはじめる。上条がPAに携わるようになったきっかけとなる人物。通称はリッキー。
伊蘇雅史:ハードロック大好きなドラマー。スネアの音が非常に高い。とにかく音がでかいハードヒッターである。通称はイソガシ。
揚尾嘉司:ビートロック系の瑛人ビートが得意。ひたすら黙々とリズムを刻む独特のドラマー。富田京子の第ファンである。通称はアゲガシ。
青山克也:ギターはストラト。アンプはマーシャル。Tシャツ以外、着ている服は全て黒。こだわりを持つ男である。ジミー北次と名乗っている。
〜用語解説〜
PA:Pablic Addressの略。電気的な音響拡声装置やそれに携わる人たちのの総称。
ミキサー卓:単にミキサーというと料理器具と混同されるため、ミキサー卓と呼ぶことが多い。省略してミキ卓、あるいは卓ともいう。
フェーダー:ミキサー卓で音量を調整するスライド式のコントローラー。PFL(Post Fader Level)に設定されているAUXへの送りには影響しないが、AFL(After Fader Level)に設定しているAUXの送りの場合、このフェーダーの動きが送りチャンネルのレベルに影響する。
メインスピーカー:観客に聴かせるためのスピーカー。通常はステージの左右袖に置かれるが、会場によっては壁面や天井に仕込まれている場合もある。
モニタースピーカー:ステージ上に置かれ、出演者に対して音を伝えるスピーカー。ミキサー側で設定することにより、好みのバランスで音を聞くことができる。
マーシャル:ギターアンプの定番と言っても良いギターアンプメーカーおよびそのアンプの名前。ハードロック界隈の人が喜んで使う。
テステス・ワンツー:マイクチェックをする時の定番の掛け声。スやツの音には独特の響きがあり、適切なEQ設定になっていないと耳障りな音がする。
ハウリング:スピーカーから出た音を再びマイクが拾い、さらにアンプで増幅されるという回路が作られてしまうために発生するとても不快な音。「キーン」「ボアーン」などと言った表現となる。ハードロックでのギターのフィードバックも、基本的にはハウリングと同じ原理である。
サウンド&レコーディング・マガジン:リットーミュージックから発売されていた音響技術・録音技術を取り扱う専門誌。通称はサンレコ。
オールマン・ブラザーズ・バンド:アメリカンロックの一つ、サザン・ロックの代表的バンド。ツインドラムとツインギターが特徴。ブルージーでありながらもカントリーミュージックの陽気さもある独特な音楽性を持つバンド。
パンポット:ミキサー卓において、入力された音を、出力する際にステレオ(左右)のどの位置に定位させるかを決めるつまみ。ステレオパン、パンとも言う。
JCM:Marshallのメジャーなギターアンプの型番にJCM800やJCM900、JCM2000がある。
グラフィックイコライザー:特定の周波数の音を増強させたり減衰させ、音響補正を行うためのエフェクター。一般的には31素子のものが多いが、簡易的に6素子や10素子のものもある。




