第七話『束の間の休息を君に』
はたと我に返ったリュシエルは、弾かれたように口元を押さえ、周囲へと視線を走らせる。
自分が討ち取った魔王の息子と、胡散臭いブリキの魔族。そんな連中を前に、なぜ自分の内情をこうもペラペラと話しているのか。
自分でも分からないほど、次から次へととめどなく言葉がこぼれ落ちてしまっていた。
気まずさと得体の知れない焦りが押し寄せる中、とくとくと心地よい水音が響いた。
「話は終わりか?」
レイスが滑らかな動作でティーポットを傾けている。立ち昇る細い湯気とともに、芳醇な紅茶の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
ことり、と静かな音を立てて、リュシエルの手元に新たなカップが置かれる。
「いや、普通にまだ続くけど……」
『おやおやぁ、ならお話の続きを聞きたいですねぇ。貴女の話は聞いていて興味深いです』
カタカタと首を不気味に回しながら、ブリキが芝居がかった仕草で身を乗り出してくる。そのやかましい顔から視線を逸らし、リュシエルは出された紅茶へ目を落とした。
(魔族相手に警戒心が無さすぎる)
(ふむ、だが。美味い食事を振舞ってくれただけで、我々の中であの魔族に一定の好感があるのは確かだ)
脳内の声が冷静に分析する通りだ。食事やら着替えやらと無理な要求をしたはずなのに、レイスは淡々とリュシエルの要求を受け入れ、今のところは全てを叶えてくれている。
今まで魔族と対話をしたことがなかった彼女にとって、レイスとの交流は何処か不思議なものと感じられる。とはいえ、人間とも深く交流をしてこなかったリュシエルは、どこかで誰かと関係を持ってみたかったという欲求が潜んでいたのかもしれない。
それにしても、初対面での立ち回りは控えめに言って最悪だったと、リュシエル自身も自負している。なにせ、いきなりレイスを殺して服を奪い取ろうとしたのだ。
(品性の欠片もなかったな)
今思い返せばひどい有様だが、相手は魔族なのだから致し方ない、と強引に結論づける。
これが人間相手であれば、自分だってちゃんと段階を踏んで接したはずだ。
(どうだか)
内なる冷ややかなツッコミを無視して、リュシエルは誤魔化すように小さく咳払いをした。
カップの縁を指先でなぞりながら、向かいの席で優雅にくつろぐ魔族の青年を上目遣いに睨み上げる。
「俺の話は一旦、此処で終わり。それよりもさ、レイス……さ、んこそ、なんで? こんなにさ、良くしてくれんの」
「おかしな事をきく。飯が欲しいと言ったのは、お前だろう」
レイスは表情ひとつ変えず、白磁のカップを優雅に傾けた。
「それはそうだけど。普通、もっと警戒して距離を取らない? レイスさんから見て――」
「レイスでいい」
「……レイスから見て、俺って普通におかしなやつじゃん」
血に塗れた鎧を捨て、大量の髪を湖畔に散らかしていた女など、どう見ても関わるべきではない危険人物だろう。
『ほうほう? そういえば、お二人はどんな風にお出会いで?』
少しばかり沈んだ空気を破ったのは、横からヌッと顔を覗き込ませたブリキだった。三つの顔をカシャカシャと回転させながら、興味津々に身を乗り出してくる。
「美味そうな匂いがして、湖に向かえば、ほとりに血に塗れた鎧と、長い髪。そして、水の中にコイツが入っていた」
レイスはカップをソーサーにコトリと置き、先ほどの森での惨状を、天気を語るかのような平坦な声で振り返った。
対するリュシエルは、途端にバツが悪そうに視線を彷徨わせる。
「湖から出れば、レイスが居て。服が綺麗だったから……その、略奪しようと襲いかかった」
しどろもどろになりながら白状すると、ブリキは持っていた黒塗りのステッキで床をコツンと叩いた。
『おやおやおやまァ。随分と物騒なお出会い方で!』
ブリキは木をえぐったような不気味な笑みをさらに深め、カタカタと駆動音を立てながら腹の底から愉快そうに嗤い声を上げた。
ひとしきり響き渡った異形の笑い声の中、リュシエルの頭の中では、すっと冷や水を浴びせられたような複数の声が上がった。
(……ん? さっき。レイスは『美味そうな匂いがした』と言ってなかったか)
(リュシエル。そこについて、追求しろ。もしかしたら、あの魔族の狙いはお前を食う事かもしれんぞ)
(ならば、この親切なのも頷ける。我々を手懐けた所で、ペロリと食う気やもしれぬぞ。あの恐ろしいまでの大食らいを見ただろう。有り得る)
頭蓋の奥でけたたましく鳴り響く警鐘に、リュシエルは背筋に冷たいものが這い上がるのを感じた。
先ほどの和やかな――少なくとも、リュシエルの中では少しだけ気を許しかけていた空気を引き締めるように、探るような視線を向ける。
「なあ、さっき。美味そうな匂いって言ってたけど、それってなに?」
「ああ」
レイスは隠し立てする様子もなく、淡々と答えた。
「お前の鎧や髪に染み付いてた、魔族共の血肉の匂いに釣られてたんだ」
『レイス殿は、同族喰らいとして有名でありましてな。それゆえ、ひどく忌み嫌われております』
事も無げなレイスの言葉に被せるように、ブリキが木彫りの顔をカシャリと横に回して陽気に補足する。
「魔族が、魔族を食べるのか? 魔物ではなくて?」
予想外の事実に、リュシエルは目を丸くした。
「両方食うが、好きなのは魔族の方だ。アレらは魔力が豊富で、食いごたえがあるからな」
そこまで言い終えると、レイスは、何かの匂いを辿るようにすんと鼻を鳴らした。
深淵のような純白の瞳が、静かにリュシエルを捉える。
「ああ、でも……お前も、随分と魔力を内に溜め込んでいるな。人間の魔力持ちというのは、俺もあまり食ったことがない」
そう言うと、レイスはひどく滑らかな動作で片頬を歪め、ぞっとするほど美しく、そして捕食者としての純粋な欲求を孕んだ笑みを浮かべた。
ぞわりと、生存本能が強烈な警鐘を鳴らした。
リュシエルはガタッと乱暴な音を立てて椅子から立ち上がると、逃げるように一歩後ずさる。
「っ、──俺は此処でお暇させてもらう。食事は本当に助かった。ありがとう。服はその……いずれ返すから!」
「まあ、待て」
踵を返し、扉へと駆け出そうとした背中へ、レイスの静かな声が降ってきた。焦りに急き立てられる足を、その底知れない重圧が縫い留める。
「お前は、我々魔族の仕来りを知っているか」
「すまない。知らないなあ。魔族とは、言葉を交わすより前に殺してきたから」
リュシエルは肩越しに振り返り、精一杯の強がりと敵意を込めて乾いた言葉を吐き捨てた。
だが、その刃のような拒絶にも、魔族たちは微塵も動じない。代わりにブリキが、滑稽なほど仰々しい動作でステッキをくるりと回し、恭しく頭を下げた。
『我々魔族は「持て成し、持て成される」。この行為を、とくと重要視しております。どいつもこいつも血気盛んな種族ゆえ、交流を深めたい相手とは、こうやって共に食事を囲うのが絶対のルールなのです』
「食事の最中に立つ。それは、ルール違反とみなされる」
先ほどまでの陽気なブリキとは打って変わって、氷のように冷え切ったレイスの声が鼓膜を撫でた。
「……違反を犯すと?」
警戒を緩めず、リュシエルは油断なく問い返す。
「相手と交流を深める気がないと判断され――そうだな。殺されても致し方なし、となるな」
「その理不尽なルールは、魔族と人間の間でも適用されるのか」
「ここは俺の家だからな。俺がルールだ。……リュシエル」
初めて、魔族の青年がその口で彼女の名を呼んだ。
酷く滑らかで、不思議なほど甘く、しかし逆らうことなど許さない絶対的な重圧を伴う響きだった。
「……なに」
「座れ。俺はお前と交流を深めたい」
(剣すら持たない丸腰の我々では、到底アイツらに敵うわけもない)
(大人しく従うしかないだろうな。……今のところは、だが)
脳内の声たちが、悔しげに、けれど極めて冷静に現状の敗北を認める。
リュシエルは強張っていた肩からふうっと深く息を吐き出すと、ゆっくりと歩み寄り、先ほどまで座っていた椅子へと渋々腰を下ろした。
「……俺がレイスに要求したものを覚えてる?」
せめてもの抵抗にと、リュシエルは恨みがましい視線とともに切り出した。
「服、食、金、安全な場所。ふむ、此処にいれば全てが揃うな」
レイスは涼しい顔で、リュシエルが湖畔で口走った図々しい要求をすらすらと並べ立てた。
(最初と態度が違わないか?)
(魔王。つまりアイツの親を殺したと知って、何かしら心境が変化したんじゃないか)
頭の奥で囁き合う声に、リュシエルは深く同感しながら天井の梁を仰いだ。
「厄介なやつの懐に入ったか、これ」
『おや、そう悲観することはありませんよ、勇者殿!』
空気も読まずに、ブリキが黒塗りのステッキを器用に回しながら割り込んでくる。
『レイス殿が他人にこれほどの文字通りの「執心」を見せるなど、この私めでも初めて観測する珍事でございますからな。なにせレイス殿にとって、世界も、他者も、すべてどうでもいい無価値なものだったのですから』
(なんだこいつ、いきなり怖いことを言い出したぞ……)
ブリキの言葉を無視して、目の前で自分を捉えて離さない、底知れぬ白い瞳から反射的に目を逸らした。
しかし、レイスは彼女の動揺や怯えなど気にも留めていない様子で、淡々と、言葉を紡ぐ。
「お前がアレを殺した。……それがどういう意味を持つか、お前は分かっているか?」
「……さあね。普通なら敵討ちに来るものだと思うけど」
「殺しはしない。むしろ、俺の退屈をこれほど鮮やかに抉り出したのは、お前が初めてだ」
レイスの整った唇に、ぞっとするほど美しく、それでいてどこか生気のない、温度の低い弧が描かれる。
「あのさ……金を貰って、此処をおさらばするのは駄目?」
すがるような思いつきを口にしたリュシエルだったが、その突飛な提案に、レイスはわずかに視線を動かして遠くのブリキと意味ありげに目を合わせた。
あの、目配せは何だ? と、リュシエルが不審に眉をひそめたその直後。
「駄目だ。俺が良いと言うまで、お前はここにいろ」
問答無用。完全に逃げ道を塞がれたことを悟り、リュシエルは「面倒なことになったな……」と、大きく深い溜息を吐き出すのだった。
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