第87話 謀略者達 後編
日が落ちたパリスから一転、暗雲が立ち込めて雪がちらつく荒廃した広大な大地のルーシーランド。
その中央部に位置する総人口500万人ほどの小国、キエーブ。
しかし、小国というのは国家単位の事であって、民族単位となるといささか事情が異なる。
ルーシーランドのキエーブは、旧ノルド帝国フィン領域、スヴェニアの大森林から森の外を目指して旅に出たハイエルフの一族を祖とする。
なぜ森の外に出たかは、森の生活に飽き外の世界を見たかったという欲求に、世界の一部を作ったと言われる精霊神がこれを認めたからだという。
しかし容姿端麗なるも傲慢であった彼らは、ヒト種を見下して差別し、気分気ままに虐殺や強姦略奪などの非道を働き、嘲笑ってきた結果、ついには最盛期の古代ロマーノ大帝国と戦争状態に突入。
長年差別され、怒りに燃えたヒト種のロマーノ帝国は、古代ルーシーランドを解体して、二度と森の木々など生えぬよう塩と毒をまき散らし、彼らは奴隷身分に落とされた。
かろうじて奴隷身分を免れた王族が、人とルーシーの争いに中立だったモンゴリーと呼ばれる黒髪、薄黄色の肌をした遊牧民のヒト種と混血しながら、彼らモンゴリーの保護を受けて、細々と暮らしていたのがキエーブの成り立ち。
そして大部分のハイエルフの末裔達は、ヒト種と混血を繰り返し、亜人の末裔であるとわかると差別の対象になるため、生まれた時に耳切りをする風習がある〝ジュ―″と呼ばれる商人集団がおり、その総数は、キエーブの人口を遥かに上回り、ニュートピア世界に1千万人いると言われる。
そして、大陸からの差別や紛争を嫌ったハイエルフの末裔が移住し、モンゴリーとジッポン人と混血した民族、ジッポン北のエルゾ島で暮らすエルゾ民族も含めると、ここ世界のハイエルフ勢力の総数は2千万人になる。
「なあ、マジでここなんもねえよ。なんだよ、このパン石みたいに固いし」
「そういうことを言うのはやめなさいスルーズ! おそらくは彼らの保存食なんでしょう。この地の食糧事情は良くないようね……」
大柄な体に金髪のスルーズが呟くと、腰まで伸びた金髪に、天使の羽を生やした長女のブリュンヒルデが嗜め、味気のないソバの実でできた粥をすする。
「ここには、甘いお菓子もない! フレック飴でもいいから甘い物欲しいぞ!」
「うるさい、フレック。みんな我慢してるんだぞ」
「嫌だ! お菓子お菓子お菓子お菓子いいいい」
「うるせえぞフレック! ゲイラの姉貴、こいつ引っ叩いていいか?」
「静かにしてくださいお姉さま達、今お父様に連絡を取っているので」
オーディンより派遣されし、親衛隊の戦乙女ヴァルキリーたちは、味気のない食事にため息を吐く。
彼女達は半神半人で、食料を取らなくとも死にはしないが体力は低下する。
「ねえサングリーズ……そ、そのう……お父様への連絡は?」
丸眼鏡をかけた黒髪のオルトリンデは、スクエアタイプの眼鏡をかけた栗色の髪の毛をおさげにしたサングリーズに聞くと、首を横に振る。
「だめです、姉様達。レギンレイヴ姉様の方の水晶玉は?」
「応答なし……ブリュンヒルデお姉さま! ユグドラシル領域やアーズガルズ応答なしであります」
迷彩柄の陣羽織を羽織ったオレンジ髪のレギンレイヴは、長女のブリュンヒルデへ音信不通であるとの報告をすると、食堂のドアが開かれ兵士たちが入ってくる。
ミンクの毛皮の帽子に、トナカイの毛皮を羽織った老齢のキエーブの将軍ミハイルも、食堂に現れて、右の握りこぶしを左手で包み込むような合掌をしながら、彼女たちへお辞儀をした。
彼の衣服には払いきれていない雪がこびりついており、部下の兵士達も深々とお辞儀をした後、ミハイルの毛皮のコートを脱がしにかかり、この国は上位下達がはっきりした、軍事国家であることをブリュンヒルデは察していた。
3週間ほど前、ワルキューレ達がこの地に案内され、キエーブより貢物として金貨やマジックアイテムが渡された際、この国の宝物庫はかなりの資産をため込んである筈なのに、国全体が質素倹約であるのは、貯め込んでいる資金を何かに、例えば軍備を備えて貯蓄しているのではないだろうか?
ブリュンヒルデは思いながら、この国の内情を注意深く観察する。
そして、一気に軍備を備えると物の流れから、この世界の大国に警戒されるので、深く静かに何かを成そうという、どこか底知れぬ薄気味悪さも、天界でサキエルと言う智天使身分で数多の世界を見ていたブリュンヒルデは感じていた。
「今、お化けトナカイのローストとスープをお持ちするゆえ、しばしお待ちを。女神様にこのようなもてなしをするしかできず、申し訳ございませぬ。今、我らが民族の救世主、アレクセイ様から通信が入りますゆえ」
兵士たちは食卓に水晶玉を設置させた後、礼をして食堂を後にすると、ミハイルの通信用水晶玉にノイズが入る。
「スラフヴィッチ殿、アレクセイ殿下は……はい了解しました」
ミハイルは水晶玉に一礼した後、食堂の床に跪く。
「我が主神オーディンの女神様、わたくしはアレクセイ・イゴール・ルーシーと申します」
音声が入ると、スルーズが口笛を吹く。
「んだよ、イケボじゃん」
「イケボですわね」
「イケボであります!」
ブリュンヒルデは、論点はそこじゃないと思いながら、ため息を吐く。
「いかにも我らは主神オーディンの親衛隊、ワルキューレでございます。私は親衛隊長のブリュンヒルデです。あなたが我らが父たるオーディンがこの地に見出し救世主……でよろしいでしょうか?」
救世主とは神が送り込み、天界からの承認を得た歴戦の英雄の魂を持つ転生体、または救いが必要な世界で見いだされた、救済の役割を持つ神の巫子の事を指す。
例えば、フレイアが禁呪法により魂が歪んだ状態で呼び出した、大王アッティラもそれに含まれる。
通常救世主は、同じ世代に何人も生まれる者ではないが、複数の神の陰謀が確認されるこの世界においては、それが可能となってしまっているのが実情。
「救世主と言う概念はよくわかりませぬが、女神様よりお褒め頂き恐悦至極に存じます。私が我らが神オーディンに見いだされたのは、幼少期からでした。今から約200年近く前、私はこの地に生を受け、100年前に神のお告げがあったのです。この世界の不条理と苦難を救おうではないか、お主の民族を救済するのだと……オーディン様はそう述べておられました」
アレクセイは、ルーシーランド人が元は精霊界所属のハイエルフであったが、奴隷身分に落されたことで人と混血し、エルフ達精霊人からも、ヒトからも差別を受けて耐え忍んできた歴史を語る。
その悲しい歴史に、戦乙女達は悲しみ、憤る。
「腐ってやがるなこの世界」
「この世界の人間共、どうしょうもありませんわね」
「この世界のランクがフレイアにより隠蔽され、Bプラスだったが、蓋を開けて見れば救済難度Bの世界。こんなの並の救世主や勇者なんか送っても死んでしまう。そして、ロキの復活により、今では救済難度がUltra。かつての地球世界と、かつて魔界が侵攻した最悪の世界、そして伝説の勇者でもあり上級神様でもある、あのお方が担当した世界以外、聞いたことない」
世界救済難度、天界及び神界により指定される、救済が必要な世界の事を指す。
難度順に、S、A、B、C、Dまで存在する。
B難度の世界救済には、神と契約した歴戦の勇者または天界の救世主の存在が必要とされる。
さらに神が救済困難と判断し、匙を投げられた世界が、EX。
この世界に派遣される勇者は一握りであり、数多の世界から選りすぐられた、知力体力勇気、そして戦闘能力最強クラスの勇者、または救世主が派遣される闇の世界である。
そのEXを超えし世界が、救済難度Ultra、またはUltimaとも呼ばれる。
最上級神または上級神ですら、力が及ばない最悪の世界を指す。
別名仁義なき世界とも呼ばれ、数多の次元世界でもこれに認定された世界はかつて3例しかないが、その3例とも救済済みである。
攻略不可能とまで言われた世界を魔界ごと救済した、冥界出身の勇者マサヨシ。
かつて最悪とまで言われた地球世界を救済した、伝説の勇者ラーマ。
上級神の地位を得た為現役を退いている、歴代最強とも噂された勇者ヘラクレス。
そしてこの世界ニュートピアは4例目となる。
「おそらくは、討伐対象であったフレイとフレイア、そしてこの世界に、かつて召喚された魔界の魔王達による影響でしょう、ゲイルにエイラ。そして、今の話に嘘はありませんね? アレクセイよ」
「はい、嘘偽りはございません。そしてオーディン様は言っておられました。ヴァルハラにてこの歪んだこの世界の魂達に、やすらぎと救済が訪れるであろうとも」
ヴァルハラとは、オーディンが最上級神を務める神域内にある、天界と類似した機能を持つ魂の浄化装置の事である。
元々は戦争で死んだ魂達の憎悪や怒りのエネルギーを吸い取ったうえで、天界に魂を召し上げる上級神フレイアとオーディンが作り出したシステムを指す。
「なるほど、わかりました。それでは、我々は父オーディンの名の下に、この世界救済を救世主である、あなたと共に執り行いましょう。これより我らワルキューレは三分隊に分けます。ゲイラ、ゴンドール、エイル!」
「はい、姉上!」
「あなた達は、ゲイラを分隊長指揮官とし、このルーシーランド支援と東方ナージアを担当して頂戴。スルーズ!」
「あいよ、姉貴」
「ワルキューレの中で最も戦闘能力が高いあなたと、オルトリンデ、フリックは、スルーズを分隊長として、遊撃及びロキへの威力偵察を命じます! ヴィクトリー王国へ急ぎ出陣を! 可能であるならば、戦闘に最も長けたあなた達が、ロキまたは敵の幹部の首を獲ってほしい。その際の戦闘で多少の被害や犠牲が出ようと、この世界の人間には申し訳ない事ですが致し方ありません」
水晶玉の向こう側で、冷静沈着な筈のアレクセイは思わず吹き出しそうになった。
なぜ、ヴィクトリーに攻め入るのだと激しく狼狽する。
ここは薄汚いヒト種たちを葬った後、自分達民族の拠点にする、大事な要所であるのにとも。
「女神様、私はロキと言う存在が何かわかりませぬ。そのロキとはどのような?」
「ロキとは、この世界に蘇った破滅神です。並の神を遥かに超える知能を持ち、父オーディンに匹敵する戦闘力を持った、古の巨人族の王子にして最悪の極悪神。確か、この世界のヴィクトリー王国の女王がフレイアと組んで復活させたと聞いてます。最優先の討伐対象です、アレクセイよ」
あの馬鹿女共、何という事をしでかしたんだ……これでは人類共の復讐の前に、私がこの女神の戦闘に巻き込まれて、最悪の場合殺される……ふざけるな馬鹿女共と、心の中でエリザベスとフレイアを罵った。
アレクセイは通信先で胃の痛みと共に、どう立ち回ればよいか必死で頭脳を働かせる。
神をも欺く知能を持つアレクセイは、深呼吸しながらブリュンヒルデに話を切り出した。
「は! かしこまりました。それでは、私がヴィクトリーにて情報をそちらに逐一報告しましょう。実を言うと私は、ヴィクトリー王国にて身分を隠して情報収集中でして、この国の動向は手に取るように把握できる立場にあります」
アレクセイの回答に、ワルキューレ達から感嘆の声が上がった。
「なんだ、このイケボ使えるじゃねえか。じゃあ、アレクセイとやら、ヴィクトリーの動向はこのあたし、スルーズに流せ。ロキだか簿記だか薪だか知らねえが、あたしにかかればワンパンだからよ」
――どうしよう、この女……頭が悪そうだが大丈夫か?
アレクセイは思い、不安を覚えながら通信を続ける。
「かしこまりました、それとブリュンヒルデ様……間もなくこの世界の西方と東方で戦争状態になるでしょう。東方の大幻ウルスハーン皇国が、内乱の兆しが見えるバブイールに攻め入り、物資を調達後に西方へと侵攻を開始するであろう信頼に足りうる情報が入りました。スルーズ様も、その際は是非とも私のお力添えを」
バブイール王国は、現在国内を二分する内紛となっていた。
王家によるアヴドゥル・ビン・カリーフ廃太子粛清事件、他国では暗殺未遂事件と後に情報が伝わる事となる大事件が起き、その日のうちにアヴドゥルを支持する親衛隊のマリーク魔法戦士団が、王家及び王国軍イェーニチリーに一斉蜂起。
このマリーク戦士団のほとんどが、平民または不可触民出身の為、一部の王族とイェニーチリー達の横暴と貴族趣味に嫌気がさしていた、元は遊牧民気質の国民達も一斉蜂起に加わり、超大国バブイールは内乱状態となったのだ。
これを仕組んだのは、アレクセイがジュ―の商人達。
金でバブイール王家の一部買収が成功し、王族の中でも極めて優秀で、国の跡取りと目されていた、アヴドゥルの失脚を狙ったものが原因の一つ。
そしてアレクセイも把握してなかったが、もう一人の男、地獄から呼び出された倭寇の大海賊、李旦の魂が乗り移った、ある男による陰謀によるものである。
「東西戦争、世界大戦ですか。つくづくこの世界の人間共は業が深いものが多いようですね? わかりましたアレクセイ。そしてレギンレイヴとサングリーズは私と共に、西方ナーロッパにて情報収集及び分析担当の基幹分隊として行動します。それではアレクセイ、この世界の救世主として定期的に我らとの交信に応じるよう願います、それではまた」
――なんとかその場を取り繕えたな。あとは、我が身内ながら強欲にしてモンゴリーの残虐王ハーンに連絡を取りつけ、バブイール簒奪の陰謀を吹き込もうか。
アレクセイは、ワルキューレ達との通信を終え、王宮の執務室にて安どのため息を吐き、次なる陰謀の為、自身と通じる大幻ウルスハーン皇国へ連絡をしようとしたところ、ボリボリと固いものを食べる咀嚼音が自身の机の影から聞こえてきた。
――誰もいないはずなのに、何者?
彼が腰から音を立てずにレイピアを抜いた瞬間、身の毛もよだつような赤い瞳と目が合う。
「へー、君なかなかやるじゃない。続けて、ボリボリ。君も食う?」
芋をフライにしたポテトチップを食べながら、いつの間にか執務机に座り、アレクセイへ向けて邪悪に笑うロキだった。
深夜、ロレーヌ皇太子ことフレドリッヒの姿をしたジークは、水晶玉にて大幻ウルスハーン皇国へ向け、水晶玉の通信を行っていた。
「うむ、貴様がアレクセイなる女神フレイアとオーディンの僕が申してた、ハーンとか言ったか? なるほど、東西交易路の中心にあるバブイール王国を挟撃しよう……そういう申し出か?」
「そうだ若造。お前の国にバブイールが押し入った筈。大義名分は十分ではないか? この俺様、北方の草原より生れし、蒼き狼ハーンの役に立て」
ジークは、通話先のハーンの申し出を鼻で笑う。
――この世界は、俺がかつていた地球世界に地理が似る。なるほど、このハーン共は活動地域からして、地球世界で確か我がフン族と袂を別った、カーン族のようなものか。ならば、こいつに騎馬民族としての欲をくすぐってやろう。
ジークは思いながら、バブイールの地がいかに魅力的なのかをハーンに吹き込むため、奸計を企てる。
「ふむ、そういえば、貴様が侵攻を計画するバブイール。空飛ぶラクダなんかにも騎乗できるようだぞ? バブイールは、砂漠化さえ改善させれば、家畜を放牧させるのに適した広大な大地。それに東西の交易路ゆえ、物も集まりやすい。良い土地に目を付けたな」
「ほう? 空飛ぶラクダか、珍しいものがある。して若造、我らと組むのか組まないのか?」
「我が神フレイアを討伐した愚か者共に復讐を考えていた。貴様の申し出受けよう」
豪快な笑い声が水晶玉から聞こえて、ジークもつられて笑う。
あとは、手筈通りマリア・ジーク・フォン・ロレーヌがヴィクトリーと盟を結べば、自身が画策する復讐戦争の準備が整い、いずれは用済みとなったハーンも打ち倒し、自らが大陸全土の支配者になる事を思いながら、ジークはワインを口にした。
一方、ベルン宮殿ではジークの思惑通り教皇マリアがエリザベスと水晶玉を用いた首脳会談を行っている。
「ふむ、エリザベスよ。敵の敵は味方と行こうではないか? 我らは元々ジーク帝を祖とする同一宗教の親戚国家。神フレイアを亡き者にし、英雄ジークを否定する、不届き者達の国を成敗しようではないか?」
――この女、我が国を滅ぼそうとしたくせに今更勝手すぎる。
エリザベスは、内心嫌々ながらマリアとの通信にあいづちを打つ。
「はい猊下。このエリザベス、貴国の申し出、感謝いたします。それと我が国は大陸封鎖によって物資を必要としていますので、補給線も貴国の領海、ノースシーより我が国と海路で結び……」
「うむ、それについては我が国では物価上昇の傾向がみられておってのう。それ相応の対価が必要じゃ、わかるじゃろうエリザベスよ?」
――この女、弱り目に陥ってるヴィクトリー王国から、法外な金額を貿易品に付けて搾取する気だ。
エリザベスは心の中で女狐めと罵りながら、交易と同盟を結ぶ手筈となった。
そしてロレーヌとの状況も、自身が召喚した化物たちがいれば好転できる。
エリザベスは思いながら、亡命したマリーの姿を思い浮かべた。
「我が国とロレーヌ、そして東方の大幻との三国同盟で、我が国の物資不足を解消できる。大陸に領土を得れば、それを足掛かりにこの国はより富める国となる筈。あとは凶悪な魔王に占拠された亜人国家への防衛線を敷けば……。この世界に生まれ変わったあなたが悪いのよ……真理ちゃん」
近いうちに、彼女のいるシシリー島へ向けて、ロキから貸し与えられたモンスター軍団を率いて、エリザベスはマリーとの交渉へと赴こうと考える。
大戦を企てた魔女、そして愛する女の心を踏みにじったとして、西側各国で生まれた英雄達の逆鱗に触れるとは知らずに。
次回はロシアのヤベーやつの話に移ります