第64話 虹の飛龍 中編
アヴドゥルは自らが先頭に立ち、空飛ぶラクダに乗ったマリーク魔法戦士団3千騎にて空を駆ける。
「相手はロマーノ連合王国及び、おそらくはナーロッパ最強の傭兵集団シュビーツ、そして魔界の悪魔とやらだ! かつて大ロマーノを支配した伝説の悪魔達に違いない! 相手にとって不足なし! 我らバブイールが成敗し、神フレイアに悪魔共の首を捧げてやろうではないか!!」
「うおおおおおお! 我らマリーク! 神フレイアの戦士たらん!」
空飛ぶラクダはコブに水分のほか魔力を溜められ、調教によって魔法を理解し、人を乗せて空を飛ぶ事が可能なため、地上を走行するよりも比較的早く目的地につける。
通常のラクダが時速15キロから最大時速65キロに対して、風魔法を用いた行軍速度は気流に乗れば平均時速150キロ以上に達し、国土が広大なバブイールならではの、騎兵運用と言える。
小一時間後、あたりはすっかり暗くなり、アヴドゥルはプルディン北西の山の峠より、感覚魔法を用いて遺跡群周辺を見渡すと、平原に漆黒の艦隊の姿を見た。
「なんて巨大な船だ! まるで私が若い時に見たイスパニアやネーデルランド船よりも……私が保有していた船よりも大きく……待て、なんだイスパニアとは? ネーデルランドと言う国なんて知らん、私は船など保有してなんか……うっ」
アヴドゥルは、ラクダに乗りながら頭を抱えて、皇太子の自分ではない別の記憶が蘇る。
表帆柱・中帆柱・舮帆柱の3本マストに遣出柱やマキリ帆を有する船に乗っていた記憶。
「どうだ飛虹よ? これが朱印状だ。我が船員、我らが船乗りたるものは海と空を愛すべし。そしてこの倭の朱印状こそ我らが商いを保障するもの。天朝も倭の幕府を恐れて手出しできん。偉大なる先代の王直老船主は任侠の徒であったが、敵を作りすぎた。これからの時代、海盗よりも知恵と商いと合法的な活動が全てよ。いい時代になったものよのう?」
「是,さすがは頭領。我ら一官党、これからは倭の朱印状の下、洋上にて合法的な商いをする事でさらなる発展が望めましょうぞ。倭の銅銭と銀は価値が高いゆえ、南蛮の馬鹿共にくれてやるのは惜しい代物です」
――なんだこの平たい顔の男は? 俺は皇太子だぞ、俺を差し置いて頭領とは……。いやこのお方は別だ……。
アヴドゥルは、皇太子としての自分ではなく、泉州と呼ばれた故郷、現在は福建省と言われる地の地方官僚の子として生まれた、転生前の若かりし頃を思い出した。
転生前も大柄だった自分は、自由気ままに育ち、論語や儒学の勉学などクソ食らえと思い、夜の港町で不良漁師や海賊に喧嘩を売って、ボコボコにぶちのめした後、金を巻き上げていた記憶が蘇る。
その後、数えて18歳のある日、父の愛人に手を出した事がバレて家を勘当され、船乗りだった叔父の世話になり、マカオにて商いを学んだ後、オランダ商船の船員となった。
――確か俺はネーデルランド船で航海士を目指して苦力をしていた時、海賊に襲われて殺される所だった。だが、そんな状況の俺を助けてくれたのがこの人だ。師にして我らが一官党の偉大な頭領、李旦の老船首……そして俺はこの方の跡を継いで……なんだ? 知らない記憶がまた俺を……。
その時峠にて部隊展開していたアヴドゥル達の前に、灰色のベレー帽を頭にかぶり、狐顔をした濃紺の軍服に身を包んだ魔族の集団が現れた。
――こいつら!? いつの間に!?
アヴドゥルとマリーク魔法戦士団に緊張が走り刀を構えた。
「バブイール王国皇太子、アヴドゥル・ビン・カリーフ殿下とお見受けいたします。小官はサタナキア獣騎軍特殊作戦隊少佐、グレイフォックス中隊所属のシルバーフォックスデーモンと申します。あなた方は我がサタナキア軍に包囲されております、ご同行を」
山の峠には、龍に乗った伝承通りの悪魔達の軍勢や、重武装した獣の顔をした軍勢がマリーク達を取り囲んでいる状態だった。
――いつの間に我らを補足し、大軍を展開させていた? 我が軍の配置と陣取りは完璧であったはずなのに、なぜわかった? これが伝承にあるとおり、大ロマーノを支配した、悪魔パイモンの軍勢と言われる者たちなのか?
アヴドゥルは内心狼狽するも平静を装い、狐顔の魔族を見据えた。
「左様、我こそがアヴドゥル・ビン・カリーフである。魔界の悪魔であると見るが如何に?」
「もはや魔界も悪魔も存在しませぬ皇太子殿下。我らが勇者マサヨシ様の義兄弟、ジロー・ヴィトー・デ・ロマーノ・カルロ様がお待ちです」
アヴドゥルは敵の指揮官、狐顔の魔族を見据えながら、右手を上げる。
マリークに同行していたアサシンの面々で、敵の指揮官を始末してやろうと思ったが、透明化していたのにも関わらず、展開していた魔族の銃器からアサシン達が電撃を受けて、無力化された。
「抵抗は無意味です、皇太子殿下。ご同行を」
アヴドゥルは、なんとか状況を打開しようと考えたが、再び頭痛がしてこめかみを右手で押さえる。
「投降する! 私の身はどうなっても良い! しかし、こやつらは助命してもらえないだろうか!? 頼む!」
記憶の中で、自分は戦場で大軍団に取り囲まれ、腰に差した小刀を取り出すと、その場で頭髪を剃り上げ、後ろ髪だけ残すような無様な髪型にした。
船乗り時代から付き従った、義理固い部下達の命を、取り囲んだ大軍から助命するためだった。
「鄭大人、南安伯殿、降伏を認めよう! 北京まで同行願いたい!」
――なんだ……この記憶……この後俺は、世祖と言うガキの様な皇帝に忠誠を誓わされ……息子を謁見させよと……嫌だ! あんな無様はもう嫌だ! こいつらに付き従った振りをして、隙を見つけ出し悪魔に恭順するヴィトーめを倒してやろう!
「わかった! ザイード、私の共につけ! 残りのマリーク達は、こやつらに従い剣を納めよ!」
「ははー! 皇太子殿下!」
アヴドゥルは、旧魔王軍サタナキアの電動式軍用装甲車に乗せられ、ヴィトーことアシバーのジローの待つプルディンの遺跡群、円形闘技場まで連れてこられた。
聞こえて来たのは、弦楽器が奏でる音楽に男の歌声と、大歓声。
「とうしんドゥーイ、さんてーまん♪ いっさん走ーえ、ならんしや♪ ユイヤナー若狭町村サー瀬名波ぬタンメー♪ ハイヤセンスル、ユイヤナー♪」
闘技場の舞台は煌々と明かりが灯され、サングラスをかけた伝説の遊び人と言われたジローが奏でる三線の音色と歌に酔いしれるかのように、ドワーフ達が闘技場の観客席で酒を飲みながら合いの手を打ち、エルフの乙女達が指笛を吹く、さながらコンサート会場の様になっていた。
「イヤア! サーサーサーサーサーサーサ♫」
「サーサーサー!!」
魔族達に連れてこられたアヴドゥルとサイードは呆気に取られ、闘技場の舞台に立って三線を演奏しながら歌うジローを見つめる。
するとまたアヴドゥルの前世の記憶が蘇り、母港の平戸に帰る途中、交易で立ち寄った琉球と呼ばれた王国の港に着くと、住人達が唐船が来たと言いながら、音楽を奏でて踊り出した事を思い出した。
これに応えるように自分もイスパニア、スペイン船の交易で手に入れたスパニッシュギターを奏でて、現地の子供達と一緒に琉歌を歌った記憶も思い出す。
「皇太子殿下をお連れしました、エイム、サタナキアブロック長!」
狐顔の悪魔が、セーラー服を着た猫耳アイドル顔の魔族の女に挙手敬礼すると、女は大きな口を開けて右手を当てて大欠伸をする。
「うんにゃ、ご苦労だったにゃ。髭の皇太子殿下は闘技場の舞台にお連れしろだにゃー。ふわー眠いにゃあ……さっさと始まって終わらないかにゃあ……。エイムはこれ終わったら帰って、組事務所のコタツでゴロゴロまろまろしたいんだにゃあ」
「は! 了解しました! 殿下、こちらへ。お連れの方は、エイムブロック長と共にどうぞ」
アヴドゥルはわけがわからぬまま、闘技場の舞台に立ち、蛇柄の三線を持ったヴィトーと対峙した。
「何を考えておるのだ貴様」
「エイサーやさー。転生前のコザだけや無ーん、我のロマーノぬ男も女も、おばあもおじいも子供らもみんな、我のくぬ歌聞ちゅんとー、歌ってぃ踊ってぃ力が湧くんさー。生きとーん事、実感すんさー」
ジローは、ドワーフのガイに三線を手渡し、上着のポロシャツを脱ぎ捨てると、黒い肌に無駄な脂肪が一切ない肉体美を晒して両指を組んでポキポキと関節を鳴らす。
「それでー、くぬ場所は古代ロマーノ帝国時代の闘技場やん。男と男が喧嘩するっちゅう絶好の場所。なあ? バブイールのぽってかすーが」
この世界にはない照明ライトが、闘技場の舞台を明るく照らし出す。
「レディースアンド、ジェントルメンにゃー。さあ、本日のメインイベント! 我らが極悪組初代にして勇者マサヨシ様の義兄弟、ロマーノ連合王国盟主、ジロー・ヴィトー・デ・ロマーノ・カルロ様と対戦するは、バブイール王国皇太子、アヴドゥル・ビン・カリーフ様。男と男、一対一の決闘を行いますにゃー!」
エイムは、自分の隣に困惑するザイードを座らせて、マイクを握り実況アナウンスすると、 闘技場の観客席が大歓声に包まれる。
「うおおおおおおおおお!」
「待ってましたああああ!」
「叔父貴ファイトー!」
「ワン、ワン!」
観客席のドワーフやエルフ達にジローは手を振り、アヴドゥルの方を向き直すと半身の体制となり、アゴを引き、右腕は脇を締めて緩く拳を握り、左手を突き出すようにして腰を落とすと、軽快なステップを踏む。
「さあ、やろうやー? アヴドゥル。我ねー、おしゃべりすんより喧嘩すん得意さー。特に、思い上がとーん馬鹿ぶちのめすんのがさあああああ!」
「ふん、素手で私にかかってくるとは、なめられたものだ。殺すぞ貴様」
ジローの気迫とオーラを受けたアヴドゥルは、鼻で笑い腰の剣に手をかけた瞬間、ふいにまた転生前の記憶を思い出す。
「一官党の船乗りたるもの乗員同士、船上での喧嘩口論及び暴力の類の一切を禁ずる! 諍いは陸に上がり、双方が納得するまで殴り合いで決着する事! なお武具の使用は許可しない! 任侠の徒であった偉大な頭領、王直が定めた掟だ」
転生前の師の教えをアヴドゥルは思い出し、戯れのつもりで自身も王族を示す白衣をはだけ、筋骨隆々の鍛え上げた褐色の裸体を晒した。
幼い時より鍛錬に励み、剣技を磨き上げ魔法技術と王家に伝わる鍛錬法を身に着け、作り上げた肉の鎧。
彼はバブイール王国で盛んな、全身にオイルを塗った後で相手と組合い、対戦相手を持ち上げて背中から倒すなどして勝敗を決めるという、ルギュー相撲で王子時代から無敗を誇る。
もはや人間では、相撲の相手にならないとアヴドゥルは思い、地球世界のクマよりも二回りほど大きい、旧魔界のモンスターとこの世界のクマが交雑して生まれたとされる、冬眠前の黒大熊を戯れに相手をした事もあった。
体長4メートル以上、体重は1トンを超え、賢い個体ともなると土の魔法も使えるが、アヴドゥルはこれを素手でなんなく討伐した事もあってか、対峙したヴィトーことジローをなめてかかる。
「いいだろう、お前の児戯に付き合ってやる。来い、ヴィトーよ!」
腰を落として右手をやや前にして、両手で構えた瞬間、アヴドゥルの意識は暗闇に包まれる。
アヴドゥルは転生前に母港としていた平戸、現在の長崎県平戸市にて、平戸一官と名乗り、藩主の松浦隆信と自身の頭領も交えて商談の後、千里ヶ浜の浜辺を見つめる大柄の美しい女と出会ったのを思い出す。
自分は数えで20歳、女の名前は3つ年上のマツと言い、平戸藩に仕える武士、田川七左衛門の娘で、自分に微笑みかけて来たこの娘に一目見て惚れた。
美人ではあるが顔立ちがやや地味で、明の小姐達や南蛮娼婦のような派手さはなかったが、内面から溢れ出る凛とした佇まいと優しげな微笑みに、転生前の自分は強く惹かれる。
この世界で会ったマリーのように。
そして出会って間もなく、転生前の自分とマツは日本式の夫婦式を挙げて結ばれ、自分がちょっとした船旅の最中、産気付いた妻は浜辺で長男を出産。
名を福松とし、船旅から帰っては息子に舶来の玩具を与えていた記憶が蘇る。
平戸に滞在していた時の楽しみは、商いの儲けを手下達と分け合う他、若い時に故郷の武術、南派少林拳を嗜んでいた事があり、稼業上抗争も絶えなかった為に武芸を趣味としていた。
当時の明代剣術は、日本の影響を受けて刀を苗刀、剣術を路と言っていたが不完全な物で、これを当時の自分は何とかして会得しようと思っていた。
日本人の部下からタイ捨流や示現流という名の剣術を習い、たまに平戸に門下生を連れて来る、二刀流剣術の高弟と知り合い剣を学ぶ。
その後、縁あってその高弟の紹介で、海を隔てた播州と呼ばれた大きな街へ暇をとって赴き、短い期間であったが、自分と同じ体格くらいの武蔵と名乗る、決闘で名を馳せた有名な剣術師範の下で稽古する機会があり、田川龍の偽名で師事した。
獣臭がして威圧感が凄まじく、目付き鋭い剣術師範の兵法家と直接会話する機会は無かったが、日本人の門下生達と共に形と稽古方法を学び、常人より膂力が並外れて優れ、それでいて器用だった自分は平戸へ帰還した後、手下達にこの剣を教え込み、日本の生活を楽しんでいた。
しかし慣れ親しみ敬愛しつつあった妻の国から、ポルトガルがフォルモサと呼ぶ、オランダが支配する島に活動拠点を移すことを決意する。
朱印船貿易や、公船や商船の護衛運航だけでは、膨れ上がった船団の手下達を食わす事が出来ず、陸で狼藉を働く無頼漢達や、交易ルールを守らないような商船、そして愚かにも自分達に喧嘩を売ってくる商売仇を狙い略奪を行った。
弱い者から金と命を取らぬと言う、己の海賊の美学と任侠を貫き通して。
そんなヤクザ稼業に、心の底から惚れた妻と愛する我が子を、付き従わせる事など出来ぬと思いながら、船団の首領となった自分は、数年後に平戸に帰る。
数えで7つとなった福松と、船旅の最中に生まれた次郎と言う、二人の我が子の姿を見て、明の皇帝より官位を与えるとの申し出を受諾し、海賊稼業から足を洗う事を決意した。
長男の福松は自分に似て賢かったことから、自身の故郷、明の官僚にしようと考え、次男の次郎は、自分に似て武芸に秀でたため、マツの実家、侍の一族田川家の跡取りにする事をマツと養父とで決める。
こうして自分は明の大将軍となり、逆に海賊を取締る立場になり、若干15歳で科挙に合格した長男の福松は鄭姓を名乗り名を成功と改めた。
そして日本に残した愛する妻まつを、息子と共に成功者となった自分は、明に呼び寄せるため、船団で迎えに行き、自慢の船にマツを乗せた時、長男の成功はこう言った。
「父上、私も父上のような立派な男に、英雄になるんだ!」
はっと気が付くと、自分は闘技場の石畳に仰向けで寝ており、アゴに痛みを感じる。
「決まったあああああ、ジロー様の電光石火のパンチが、アヴドゥル様のアゴを打ち抜き、一撃でダウンだにゃー」
――ここは……そうだ! 俺は一対一の決闘を。
起き上がろうとした時、ジローの前蹴りがアヴドゥルのアゴを蹴り上げ、あまりの威力に体が宙を浮くと、今度は体を反転させて蹴った足を軸足にしながら、左の後ろ回し蹴りを放つ。
靴の先端がヒヒイロカネで覆われ、魔力エンチャントが可能な代物で、蹴りはジローの魔力で白熱し、炎を帯びており、アヴドゥルの鳩尾を的確に狙い、蹴りの衝撃で闘技場の壁まで吹っ飛ばされ、膝をついた。
「何だあ、たいしたくとぅねえなあ。くりじゃよー、弱い者いじめぬ。なあ? バブイールのぽってかす-が! ロマーノんと我を散々下んかい見やがってぃ……たっ殺すどおおおおおお!」
華麗な足技に、闘技場が大歓声に沸く。
「すごいキックだにゃー! 右足で蹴り上げ、すぐさま回し蹴りをヒットさせて壁に叩きつけたああああああ。今の攻撃、解説のザイード君はどう見ますかにゃー?」
「あ……え? 何で私!?」
いきなり隣に座れと言ってきた猫のような愛らしい女魔族に、解説役と言われたマリーク騎兵師団長のザイードは困惑する。
「うるさいにゃあ、実況が僕でお前が解説だにゃ。ちゃんと解説しないとぶっ殺すにゃよ?」
人間を超える圧倒的な威圧感と魔力を感じたザイードは、しぶしぶとこの魔族に頷いた。
「えー、我らが皇太子殿下はきっとロマーノ公の攻撃タイミングや、クセを見ぬきつつ、反撃のタイミングを見計らってるかと思われます」
「にゃるほどー、おおっとアヴドゥル様が立ち上がったにゃあ!」
アヴドゥルが、ジローの拳を体感して転生前の記憶を思い出す。
これは琉球の唐手と呼ばれる護身術だった筈と。
琉球人の船乗りは身体頑強の者が多く、手強い者も多かった事を思い出す。
「調子に乗るなよ、お前の動きはだいたい分かった」
転生前に習得した少林拳の型を思い出し、ゆったりとアヴドゥルは構えるが、これを鼻で笑いながら、一足飛びに踏み込み、間合いを詰めたジローは左の追い突きを繰り出した。
またもアヴドゥルのアゴ先に拳が当たるが、その瞬間ジローの股間に蹴りが入り、矢継ぎ早に手刀や肘打ちが連続でヒットする。
「すごい攻撃だにゃー! まるでカンフーのような動きだにゃ!」
「当然だ、皇太子殿下はバブイールの総合格闘技、ルギュー相撲の横綱であらせられるぞ。我らが皇太子殿下に敗北の二文字はない。ところでカンフーってなんだ?」
実況と解説がいまいちかみ合っていない中、アヴドゥルは間合いを離そうとしたジローの足を踏み、腰や手足のひねり、重心移動、地面からの反発力を利用した、発勁の突きをジローの心臓付近に命中させた。
「!?」
一瞬呼吸と心臓の鼓動が停止したジローに、アヴドゥルは右手の親指と人差し指をくっつけ、鳥のくちばしのような形を作り、振り下ろすように鼻の下にある人中部分を突く。
急所を攻撃されたジローは怯み、その瞬間アヴドゥルは組み付き、体を密着させてジローの体を腰に乗せるようにして体を捻り、石畳の床に叩き落とすように投げ飛ばした。
「おおっと、アヴドゥル様の大腰がさく裂だにゃー! 床が石畳だけにあれは痛い!」
「決まった! リュギュー相撲で幾多の挑戦者を破ってきた殿下必殺の投げ!」
あまりの投げの威力にジローの肋骨の何本かが折れ、頭部から出血するが、ジローはカニばさみの要領でアヴドゥルの右足に両足を絡ませて、引き倒す。
「エイサアアアアアア!」
ジローが痛みをこらえて起き上がり、倒れたアヴドゥルへ渾身の右の下段突きを鳩尾に放つ。
「つ、強い……ロマーノ公……で、殿下あああああ!」
ザイードは必殺の投げを受けても立ち上がったジローに驚愕し、アヴドゥルが窮地に立たされて絶叫する。
突きの衝撃でアヴドゥルの肋骨にひびが入り、もう一撃アヴドゥルの顔面に下段突きが入ると鼻骨が砕けて、アヴドゥルの意識再び暗闇に包まれた。
「息子よ、どうしてだ! なぜ俺の言う事をきかんのだ! お前が来てくれれば我々の地位と財産は保証すると、相手側も!」
「父上、私はあなたに……従えません。奴らは母上を殺したのですよ!? 信用できるわけがない!」
失神したアヴドゥルは、転生前の息子との別れの時をふいに思い出す。
仕官していた明が、強大な北方の後金と呼ばれる女真族の王に倒され、自身も抗戦するも敗れ去り、前髪を剃りあげ、後ろ髪を三つ編みにする辮髪にさせられ、息子である鄭成功を清に引き入れようと説得している自分。
愛する妻マツもその際の戦闘で自害し、船乗り時代の手下たちの多くが殺され、かつて海を支配した大海賊の威厳も、自信も失いつつあった。
一方、亡国となった明の皇帝より国姓を賜わり、「国姓爺」と呼ばれ、周囲から英雄視されていた息子は、自分達は清に降伏せずに、徹底的に戦おうと逆に涙ながらに説得されていた事を思い出す。
「だめだ、もはや明朝に義理立てして何の益がある? お前は賢い子だから、俺の言う事を……」
「嫌です! 戦って、戦い抜くべきです! 私は偉大なる明の海将、鄭芝龍の子にして、武勇で名を馳せたサムライ、田川家の子です! 私の主君は明の陛下です! 主君に忠義を果たすのがサムライの子として生まれた私の生き方です! 弟の次郎も元服し……偉大な祖父の名を継いだ七左衛門も、日本の幕府と藩に忠義を尽くす立派なサムライとなった……私だって……」
「その陛下も、自害なさった! 滅びゆく明朝に忠を捧げて……何の意味があるのだ……」
結局、自分は息子の事を理解できずに、北京へ赴く。
息子からは、自分に何かあったら真っ先に駆け付けると言われ、軟禁されていた北京で何度も文を書いたが、息子からは返事が来ず、逆に清朝に対して徹底的に抗戦するという返事が届くと、それが宮中に知れ渡って自分はある日連行された。
「謀反人にしてかつての大海盗たる鄭芝龍よ! 陛下より見せしめに処刑せよとの勅命だ。この罪人を大清門広場で群衆共に晒した後、凌遅刑に処せ!」
凌遅刑とは中国古来より伝わる、反乱の首謀者に対して行われる残虐な処刑方法であり、別名、千のナイフともいわれ、鋭いナイフを使用して北京ダックのように囚人から肉を切り取る。
その回数は犯罪の重さにより異なり、転生前の自分は密貿易や数々の略奪行為の罪、その他あることない事の罪が重ねられ、雑な丸太に括り付けながら生きたまま肉をそぎ切りにされた。
「成功んんんんん! なぜ助けてくれなかったああああああ! もう殺してくれえええええええええ!」
「フン、恨むなら息子を恨むがよい」
苦悶に悶える自分に執行官は冷たく言い放ち、息子の名前を自分は絶叫した。
「こやつまだ息があるな」
「こんなに耐えた囚人は初めてだ……」
「もうさっさと首を刎ねてしまおう」
苦悶の中、刀の冷たさと熱さが首に触れた瞬間、意識がなくなった。
「ふむ、貴様はあまりにも惨たらしい方法で処刑されたようじゃ……魂に傷がついておる。じゃが悪人として裁くには惜しい善業も数多くしておるようじゃのう。情状酌量の余地もあるが、罪は罪。量刑はざっとこんなものじゃな。地獄で罪と己の業を清算し、刑期を務めあげるがよい」
冥界の裁判官、言い伝え通りの閻羅王より量刑が言い渡され、自分は地獄に堕ちた。
すると今度は場面が暗転し、バブイールの皇太子になった自分は、生れた時より病弱だった転生後の息子、ムラート王子の今わの際を思い出す。
公務でなかなか構ってやれず、孤独にさせていたことを自分は死にゆく5歳の息子に、泣きながら詫びており、自身の背後には王であり転生後の父ハキーム王が、孫の枕元で神フレイアに祈りを捧げ、宮中の女官達や妻達も涙を流している。
「父上……私も父上のような立派な男に……英雄になりたかったです。生まれ変わってもまた、父上の子でありたいと……ムラ―トは……」
息子はそれだけ言い残して笑顔で死んだ。
その顔は、最初に出会った妻のマツと瓜二つの微笑みだったことを思い出し、全てを悟った男は闘技場で起き上がり、目に涙をためていた。
「ムラ―ト、マツ、成功、次郎……俺は……わからない、俺は何者だったんだ!? 俺はカリーフ……大陸全土を支配するために生れた男の筈だ……俺は……ああああああああああああああああああああああああ!」
転生前の記憶を思い出し、意識混濁状態になったアヴドゥルの放つ魔力と気迫を感じ取ったジローは、背中から一気に冷や汗が流れ出し、鳥肌が立つ。
「教えてくれ、鄭芝龍とは!? 息子の鄭成功とはなんだ!? 俺は一体……何者だったんだああああああああああああああああ!」
鄭成功と言う名を聞き、ジローは一気に顔が青ざめる。
転生前、台湾の組織と密貿易で関係があったアシバーのジローは、台湾の兄弟分から洪門と呼ばれる歴史を聞いていた。
洪門とは、チャイニーズマフィアの前身である秘密結社の事を差し、反清復明すなわち清を倒して明を復活させることを目的としており、鄭成功を祖と仰ぎ、成功の部下である台湾の軍人、陳永華が開祖とされていた、いわば世界中で活動するチャイニーズマフィアの大本の流れである。
鄭成功とは中国人と日本人のハーフで、台湾からオランダを追い出した後で独立に導き、清朝と最後まで敵対した英雄の名であり、成功が英雄として活躍する地盤を作った父親の名が、倭寇の大海賊、鄭芝龍。
すなわちチャイニーズマフィアの元祖とも言える男。
「清水の兄貴……こいつ……しにやべえ。くぬ気迫とぅ闘気……ハンパやあらん!」
ジローは冷や汗をかきながらポツリと呟き、かけていた魔力保護と暗闇耐性のサングラスを放り投げた。
「おおっと! アブドゥル様が意識もうろうと起き上がり、ジロー様と再び対峙するようだにゃ! さあ、戦いもそろそろクライマックス、果たしてどのような結末を迎え……」
「あびらんけっ! くぬ馬鹿が! 鬱陶しさんくとぅ黙ってれー!」
ジローに一喝された実況役のエイムが、尻尾をシュンとさせて耳が垂れ、自分の主君アヴドゥルのあふれ出る闘気と魔力を見たザイードは、両手でガッツポーズして歓喜した。
すると、闘技場に水が一気に流れ出していき、土の魔力で作られた船がせり上がる。
「何だコイツぬ魔力……ハンパじゃねえさー。わっさびーん清水の兄弟……あの野郎に勝ていがわかんねーなってぃさー」
剛柔流の三戦立ちに構えたジローを、アヴドゥルは気迫あふれる眼差しを向けた。
「你这个东西! 我,急死我了……杀死你!!」
腰の剣を抜いたアヴドゥルは、憤怒の表情になり中国語でジローを一喝した。
その気迫と闘気は、伝説の倭寇と呼ばれた鄭芝龍そのものである。
闘技場に溢れだした水はかさを増して渦を巻くようになり、ジローとアヴドゥルを乗せて浮かんだ鉄の船は激しく揺れ出し、空には暗雲が立ち込めて一気に大雨となった。
そして半月刀を右手に持ち、左手でダガーを抜いて二刀流の構えをアヴドゥルは取る。
「他妈的,那就来吧!!」
舌打ちしたジローは、ズボンに挿したヒヒイロカネチタン合金製の朱色の棒を両手にとると、トンファーの形にして、三戦立ちのまま、トンファーを装備した両手を構えた。
「へへ、我の相手にとって不足ーねえ……行くどおおおおお大海賊!」
二刀の剣を両手で構えて、一気に間合いを詰めてきたアヴドゥルの姿が、まるで口を開けて威嚇するような巨大な飛龍のようにジローは見え、己を取り戻しつつある、飛虹とも龍とも言う二つ名で呼ばれた海賊が、二刀の剣を振り下ろした。
後編に続きます




