死肉食いの要塞 03
エイリーンの手引きによって、ワイザースへの接近を果たした俺たち。
しかし初日は大人しくヤツの接待をするだけに止め、暗殺の実行はまた後日とすることに。
そうした理由は二つ。まずワイザースがどの程度まで衛兵たちに影響を持ち、手勢を配しているかを知るため。
そしてもう一つは、仕留める瞬間はエイリーンを遠ざけておきたかったため。
事がすべて済んだ時、彼女に疑惑の目が向かないようにしなくては。
「ワイザース様、次はどのボトルを開けられますか?」
「お前の好きな物を選ぶとよい。だがそうだな、共和国産の二十年物がある」
一旦出直してからさらに二日後。
川を遡り、気味が悪いカラスの監視を抜けてワイザースのもとへと来た俺たちは、この日もヤツの隣に腰かけ接待のような行為を続けていた。
ソファーに腰かけしなだれかかるシャルマへと、ヤツは愉快そうに酒が並んだ棚を指さす。
二度目の接触となるこの日だが、前回と異なるのはワイザースのこちらに対する扱いだろうか。
俺とシャルマへの接し方はより気安くなり、前回は部屋に居た衛兵の姿すらなくなっている。
ただその一方で、これまで愛妾として側に侍らせていたエイリーンに向ける扱いは、前回と比べ悪い方に様変わりしているようだった。
「ではワイザース様、新しいワインにはこちらの肴など如何でしょうか」
「いちいち聞くでないエイリーン。お前が適当に選んでおけ」
「……失礼を致しました」
シャルマに持ってこさせたワインを開け、一気にグラスを空ける。
そんなワイザースへと、いくつものツマミが乗せられたトレーを持って近づくエイリーンだが、にべもなくあしらわれてしまう。
前回ここへ来た時には、扱いがこのようにぞんざいではなかった。
もしや両者の間に何かがあったのかと思うも、今日までの間に彼女はここに足を運んでいない。
となればワイザースのこの変貌ぶりは、ヤツ自身の心情によるものだろうか。
「もういい。お前は席をはずせ」
シャルマと俺が注ぐ酒をどんどん飲み進めていくのもあって、酔いが回ったワイザース。
ヤツはエイリーンのことをジロリと睨みつけ、鬱陶しそうに手を振って追い払おうとした。
「承知いたしました。……では二人とも、あとをお願いね」
荒々しく退出を命じるワイザースに、エイリーンは少しだけ困惑したような表情を浮かべる。
それでも丁寧な所作を崩すことなく一礼すると、踵を返し静かに扉へと向かっていった。
俺は立ち上がると、出て以降とするエイリーンの後を追う。
ワイザースは留めようとするのだが、上手くシャルマが宥めてくれたようで、掴もうとする手は緩んだ。
「エイリーン、待ってくれ」
部屋から出て扉を閉め、ヤツや階下の衛兵に聞こえぬよう声をかける。
階段を降りようとしていた彼女はこちらの声に反応すると、周囲に衛兵が居ないのを確認してから振り返った。
「その、なんと言っていいんだか……」
おそらくワイザースのあれは不機嫌というよりも、気が移ってしまったのだ。
これまで侍らせていたエイリーンから、新たに来た俺とシャルマに。
別段ヤツのことをどうとも思っていない彼女ではあるが、流石にそれは面白くないであろう。
俺はそう考えたのだが、意外にもエイリーンは軽く微笑む。
「致し方ありません、いずれは他の若い娼婦に取って替わられる時が来ます。それが娼婦稼業ですから」
「それはそうなんだろうが、これで君の客が居なくなると思うとな……」
「今更ですよ。だって坊ちゃんが、あいつを捕まえるんでしょう?」
確かに彼女の言う通り、この話を持ち掛けたのは俺たちだ。
エイリーンからしてみれば、市警の人間と信じている俺たちがワイザースに接近するというのは、ヤツが逮捕されるのと同義。
そうなれば顧客であるあいつは居なくなる。彼女は最初からわかっていたのだ。
とっくに覚悟の完了していたエイリーンの表情には暗さが見られない。
それでもやはり若干はプライドが傷ついたのか、あるいはショックがなかったとは言い難いようで、少しだけ一人になりたいと呟いた。
「わかった。もし危険な目に遭いそうだったら叫んでくれ、捜査を放り出してでも助けに行くから」
「ダメですよ、坊ちゃん。ウソが見え見えです」
やはり郷里での親しい人であったためか、どうしても放ってはおけず心配を口にする。
けれどエイリーンにはこれに嘘が含まれていると受け取った。
……そうなのかもしれない。口ではこんなことを言いつつも、実際暗殺の実行と彼女の安全が天秤に乗れば、どちらを選ぶかなど決まりきっているのだから。
長年俺のことを思い続けてくれたためか、容易く見抜かれてしまったウソ。
それに対し微笑んだエイリーンは階段を下りていく。
取り残された俺は小さくため息つくと、シャルマに任せてしまった部屋に戻る。
そこでは変わらずグラスを傾ける二人が、愉快そうに談笑している姿があった。
「ようやく戻ってきたか。待ちかねたぞ!」
戻ってきた俺の姿を見て、待ちかねたように声を上げるワイザース。
俺がソファーへ腰かけると、ヤツを間に挟んで座るシャルマから、コソリと意味深気な視線が。
見れば彼女の手元から自然に発せられている、ハンドサインらしきそれを読み取ると、かなり多くの情報を引き出せたことが知れる。
「ワイザース様、この子にもさきほどの話を聞かせてあげてください。きっと目を輝かせますわ」
「そうかね? では仕方あるまい」
流石にハンドサインだけで情報を伝えるのは難しく、シャルマは妖艶な笑みでワイザースを焚きつける。
するとヤツは酒のせいもあって上機嫌に、席を離れていた間の内容を話し始めた。
このあたりの人を籠絡する技量は、俺よりもシャルマの方が遥かに高い。
深夜の王立博物館で見せた、卓越したナイフ術に加えてこの人を籠絡する話術だ。
まるで子供の用に翻弄されるワイザースの姿からは、老獪な政治屋であった面影など感じさせぬほど。いったいどこでこんな技術を会得したのやら。
俺がシャルマの手練手管に呆れている間も、ワイザースの滑らかとなった舌は回り続ける。
そいつを聞く限りだと、どうやら虜囚の身でありながらなお配下を増やしており、今も王宮の衛兵隊に紛れ込ませているのだと。
警戒心の強い悪党という前評判を覆す迂闊さだが、感嘆すべきは酔わせ口を割らせたシャルマの技量か。
「尊敬いたしますわワイザース様。このような場所に居られても、なお多くの人間を惹きつける魅力に」
北方から取り寄せたという蒸留酒を煽るワイザースは上機嫌で、求められるがままに肝心な話を漏らしていく。
ヤツはシャルマのおだてがいたく気に入ったようで、大きく笑って彼女と俺の肩を抱き寄せる。
そして「なんと愛想の良い娘たちだ」と言うと、少々聞き捨てならぬ発言をした。
「お前たちを紹介したあの女には、捨てる前に報酬を弾んでやらねばな」
あの女、というのがエイリーンを指すのは間違いない。
だがこいつはその彼女を指して"捨てる"と、確かにそう言った。
ただ口を開けぬ俺に代わり、シャルマはその意図するところを問うべく誘導する。
「まぁ……。エイリーンさんをお捨てになられるのですか?」
「あの女を拾ってもう数年になる。いい加減薹も立っているし、そろそろ飽きてきた。別の使い道をしてもいい頃合いだ」
黒い、ドス黒い感情が内から湧き上がる。
酒に酔っているとはいえ、まるで情の見えないワイザースの物言いに、奥底の方から密かな怒りが沸き上がってくるのを感じる。
「年増女ではあるが、議会の老人どもには丁度良かろう。ただのみすぼらしい娼婦に、ここまでの贅沢をさせてやったのだ。感謝してもらいたいところだな」
そんな俺の心情などまるで気付かぬ壮年の男は、決まりきっているとばかりに捲し立てていく。
この男にとって愛妾として抱える娼婦は若いに限るらしく、ある程度以上の年齢になると、もう欲求の対象外になるようだ。
つまりいずれはお前たちもこうなると言っているも同然なのだが、酔いに酔った頭ではその判断すら儘ならぬらしい。
五十近い男が、三十路ほどの女性を年増呼ばわりする身の程はさて置くとして。
話す内容によるとこいつはエイリーンを捨て、次の"用途"として政争相手に押し付ける、いわゆるハニートラップを仕掛けようと考えているらしい。
「ん? どうしたのだ」
俺の内に澱んでいた空気が、いつの間にか漏れ出しつつあったようだ。
ワイザースはこちらの顔を覗き込むと、不愉快さに気付きかけているのか怪訝そうにする。
拳を僅かに震わせながら、そいつになんとか作った微笑みを返す。
だが俺にとって姉にも等しいエイリーンを、こうも軽く扱われるというのが不愉快で堪らない。
……我ながら意外だ。まさかここまで彼女に対し、親愛の情を抱いていたとは。
必要としている情報は得た。ならもうこいつを殺してしまってもいいのではないか。
というよりも俺自身が、早く手を下したくて仕方がないと考えていると、不意にシャルマが立ち上がるのが見えた。
「そろそろ頃合いじゃないの? もう我慢する必要もないだろうし」
彼女からはこれまでの、媚び混じりな声が鳴りを潜める。
代わりに口から発せられたのは、普段と変わらぬ口調と声色。
シャルマの言葉が俺に向けられているのはわかる。
きっと彼女はこう言いたいのだろう。「もうこんな男の相手をするのは御免だ、用は済んだから早く済ませてしまおう」と。
俺はそんなシャルマの提案に苦笑すると、同じく立ち上がって頷き呟く。
「そうだな……。頃合いかもしれない」
「お前たち、いったいなにを? それに声が……」
突然自身を無視し始めたこちらの様子に、酔いも覚めたかのようにハッとするワイザース。
そいつを無視し、被った長い偽の髪へ手を入れると、一本の細い金属線を引っ張りだす。
俺はその両端を握って強く張ると、困惑を露わとするワイザースを冷めた視線で見下ろした。




