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ハウンド・ヘイズ “霧の都の暗殺者”  作者: フライング時計
Target 05 要塞塔の白カラス
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死肉食いの要塞 03


 エイリーンの手引きによって、ワイザースへの接近を果たした俺たち。

 しかし初日は大人しくヤツの接待をするだけに止め、暗殺の実行はまた後日とすることに。


 そうした理由は二つ。まずワイザースがどの程度まで衛兵たちに影響を持ち、手勢を配しているかを知るため。

 そしてもう一つは、仕留める瞬間はエイリーンを遠ざけておきたかったため。

 事がすべて済んだ時、彼女に疑惑の目が向かないようにしなくては。



「ワイザース様、次はどのボトルを開けられますか?」


「お前の好きな物を選ぶとよい。だがそうだな、共和国産の二十年物がある」



 一旦出直してからさらに二日後。

 川を遡り、気味が悪いカラスの監視を抜けてワイザースのもとへと来た俺たちは、この日もヤツの隣に腰かけ接待のような行為を続けていた。

 ソファーに腰かけしなだれかかるシャルマへと、ヤツは愉快そうに酒が並んだ棚を指さす。


 二度目の接触となるこの日だが、前回と異なるのはワイザースのこちらに対する扱いだろうか。

 俺とシャルマへの接し方はより気安くなり、前回は部屋に居た衛兵の姿すらなくなっている。

 ただその一方で、これまで愛妾として側に侍らせていたエイリーンに向ける扱いは、前回と比べ悪い方に様変わりしているようだった。



「ではワイザース様、新しいワインにはこちらの肴など如何でしょうか」


「いちいち聞くでないエイリーン。お前が適当に選んでおけ」


「……失礼を致しました」



 シャルマに持ってこさせたワインを開け、一気にグラスを空ける。

 そんなワイザースへと、いくつものツマミが乗せられたトレーを持って近づくエイリーンだが、にべもなくあしらわれてしまう。


 前回ここへ来た時には、扱いがこのようにぞんざいではなかった。

 もしや両者の間に何かがあったのかと思うも、今日までの間に彼女はここに足を運んでいない。

 となればワイザースのこの変貌ぶりは、ヤツ自身の心情によるものだろうか。



「もういい。お前は席をはずせ」



 シャルマと俺が注ぐ酒をどんどん飲み進めていくのもあって、酔いが回ったワイザース。

 ヤツはエイリーンのことをジロリと睨みつけ、鬱陶しそうに手を振って追い払おうとした。



「承知いたしました。……では二人とも、あとをお願いね」



 荒々しく退出を命じるワイザースに、エイリーンは少しだけ困惑したような表情を浮かべる。

 それでも丁寧な所作を崩すことなく一礼すると、踵を返し静かに扉へと向かっていった。


 俺は立ち上がると、出て以降とするエイリーンの後を追う。

 ワイザースは留めようとするのだが、上手くシャルマが宥めてくれたようで、掴もうとする手は緩んだ。



「エイリーン、待ってくれ」



 部屋から出て扉を閉め、ヤツや階下の衛兵に聞こえぬよう声をかける。

 階段を降りようとしていた彼女はこちらの声に反応すると、周囲に衛兵が居ないのを確認してから振り返った。



「その、なんと言っていいんだか……」



 おそらくワイザースのあれは不機嫌というよりも、気が移ってしまったのだ。

 これまで侍らせていたエイリーンから、新たに来た俺とシャルマに。

 別段ヤツのことをどうとも思っていない彼女ではあるが、流石にそれは面白くないであろう。


 俺はそう考えたのだが、意外にもエイリーンは軽く微笑む。



「致し方ありません、いずれは他の若い娼婦に取って替わられる時が来ます。それが娼婦稼業ですから」


「それはそうなんだろうが、これで君の客が居なくなると思うとな……」


「今更ですよ。だって坊ちゃんが、あいつを捕まえるんでしょう?」



 確かに彼女の言う通り、この話を持ち掛けたのは俺たちだ。

 エイリーンからしてみれば、市警の人間と信じている俺たちがワイザースに接近するというのは、ヤツが逮捕されるのと同義。

 そうなれば顧客であるあいつは居なくなる。彼女は最初からわかっていたのだ。


 とっくに覚悟の完了していたエイリーンの表情には暗さが見られない。

 それでもやはり若干はプライドが傷ついたのか、あるいはショックがなかったとは言い難いようで、少しだけ一人になりたいと呟いた。



「わかった。もし危険な目に遭いそうだったら叫んでくれ、捜査を放り出してでも助けに行くから」


「ダメですよ、坊ちゃん。ウソが見え見えです」



 やはり郷里での親しい人であったためか、どうしても放ってはおけず心配を口にする。

 けれどエイリーンにはこれに嘘が含まれていると受け取った。

 ……そうなのかもしれない。口ではこんなことを言いつつも、実際暗殺の実行と彼女の安全が天秤に乗れば、どちらを選ぶかなど決まりきっているのだから。


 長年俺のことを思い続けてくれたためか、容易く見抜かれてしまったウソ。

 それに対し微笑んだエイリーンは階段を下りていく。


 取り残された俺は小さくため息つくと、シャルマに任せてしまった部屋に戻る。

 そこでは変わらずグラスを傾ける二人が、愉快そうに談笑している姿があった。



「ようやく戻ってきたか。待ちかねたぞ!」



 戻ってきた俺の姿を見て、待ちかねたように声を上げるワイザース。

 俺がソファーへ腰かけると、ヤツを間に挟んで座るシャルマから、コソリと意味深気な視線が。

 見れば彼女の手元から自然に発せられている、ハンドサインらしきそれを読み取ると、かなり多くの情報を引き出せたことが知れる。



「ワイザース様、この子にもさきほどの話を聞かせてあげてください。きっと目を輝かせますわ」


「そうかね? では仕方あるまい」



 流石にハンドサインだけで情報を伝えるのは難しく、シャルマは妖艶な笑みでワイザースを焚きつける。

 するとヤツは酒のせいもあって上機嫌に、席を離れていた間の内容を話し始めた。


 このあたりの人を籠絡する技量は、俺よりもシャルマの方が遥かに高い。

 深夜の王立博物館で見せた、卓越したナイフ術に加えてこの人を籠絡する話術だ。

 まるで子供の用に翻弄されるワイザースの姿からは、老獪な政治屋であった面影など感じさせぬほど。いったいどこでこんな技術を会得したのやら。


 俺がシャルマの手練手管に呆れている間も、ワイザースの滑らかとなった舌は回り続ける。

 そいつを聞く限りだと、どうやら虜囚の身でありながらなお配下を増やしており、今も王宮の衛兵隊に紛れ込ませているのだと。

 警戒心の強い悪党という前評判を覆す迂闊さだが、感嘆すべきは酔わせ口を割らせたシャルマの技量か。



「尊敬いたしますわワイザース様。このような場所に居られても、なお多くの人間を惹きつける魅力に」



 北方から取り寄せたという蒸留酒を煽るワイザースは上機嫌で、求められるがままに肝心な話を漏らしていく。

 ヤツはシャルマのおだてがいたく気に入ったようで、大きく笑って彼女と俺の肩を抱き寄せる。

 そして「なんと愛想の良い娘たちだ」と言うと、少々聞き捨てならぬ発言をした。



「お前たちを紹介したあの女には、捨てる前に報酬を弾んでやらねばな」



 あの女、というのがエイリーンを指すのは間違いない。

 だがこいつはその彼女を指して"捨てる"と、確かにそう言った。

 ただ口を開けぬ俺に代わり、シャルマはその意図するところを問うべく誘導する。



「まぁ……。エイリーンさんをお捨てになられるのですか?」


「あの女を拾ってもう数年になる。いい加減(とう)も立っているし、そろそろ飽きてきた。別の使い道をしてもいい頃合いだ」



 黒い、ドス黒い感情が内から湧き上がる。

 酒に酔っているとはいえ、まるで情の見えないワイザースの物言いに、奥底の方から密かな怒りが沸き上がってくるのを感じる。



「年増女ではあるが、議会の老人どもには丁度良かろう。ただのみすぼらしい娼婦に、ここまでの贅沢をさせてやったのだ。感謝してもらいたいところだな」



 そんな俺の心情などまるで気付かぬ壮年の男は、決まりきっているとばかりに捲し立てていく。

 この男にとって愛妾として抱える娼婦は若いに限るらしく、ある程度以上の年齢になると、もう欲求の対象外になるようだ。

 つまりいずれはお前たちもこうなると言っているも同然なのだが、酔いに酔った頭ではその判断すら儘ならぬらしい。


 五十近い男が、三十路ほどの女性を年増呼ばわりする身の程はさて置くとして。

 話す内容によるとこいつはエイリーンを捨て、次の"用途"として政争相手に押し付ける、いわゆるハニートラップを仕掛けようと考えているらしい。



「ん? どうしたのだ」



 俺の内に澱んでいた空気が、いつの間にか漏れ出しつつあったようだ。

 ワイザースはこちらの顔を覗き込むと、不愉快さに気付きかけているのか怪訝そうにする。


 拳を僅かに震わせながら、そいつになんとか作った微笑みを返す。

 だが俺にとって姉にも等しいエイリーンを、こうも軽く扱われるというのが不愉快で堪らない。

 ……我ながら意外だ。まさかここまで彼女に対し、親愛の情を抱いていたとは。


 必要としている情報は得た。ならもうこいつを殺してしまってもいいのではないか。

 というよりも俺自身が、早く手を下したくて仕方がないと考えていると、不意にシャルマが立ち上がるのが見えた。



「そろそろ頃合いじゃないの? もう我慢する必要もないだろうし」



 彼女からはこれまでの、媚び混じりな声が鳴りを潜める。

 代わりに口から発せられたのは、普段と変わらぬ口調と声色。


 シャルマの言葉が俺に向けられているのはわかる。

 きっと彼女はこう言いたいのだろう。「もうこんな男の相手をするのは御免だ、用は済んだから早く済ませてしまおう」と。

 俺はそんなシャルマの提案に苦笑すると、同じく立ち上がって頷き呟く。



「そうだな……。頃合いかもしれない」


「お前たち、いったいなにを? それに声が……」



 突然自身を無視し始めたこちらの様子に、酔いも覚めたかのようにハッとするワイザース。


 そいつを無視し、被った長い偽の髪へ手を入れると、一本の細い金属線を引っ張りだす。

 俺はその両端を握って強く張ると、困惑を露わとするワイザースを冷めた視線で見下ろした。


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