懐かしのあの人 02
春はすぐ間近とはいえ、陽が上ったばかりの早朝はまだまだ冷え込む。
しかもそれが川のすぐ側ともなれば、冷たい風はなお一層に温度を下げ、身体の芯から蝕まれていくかのようだ。
コーデリアから新たな標的について知らされた翌日。俺とシャルマは早速グライアム要塞塔へと向かった。
とはいえ潜入する手段に当てがあるでもなく、行えるのは監視くらいのもの。
聳える要塞塔の側を流れる川を挟み、対岸に建つアパートの一室を拠点として、しばらく様子を見ることにしたのだった。
「シャルマ、もう一枚毛布を取ってくれないか? 寒すぎて指の感覚がなくなってきた」
「冗談でしょ。さっきまで私が何時間見張っていたと思っているの、こっちこそ身体は冷え切っている」
「冷えたのは君が油断して薄着をしていたせいだろうに」
「ここ最近は昼間に暖かいのが悪い。夜中こうも冷えるだなんて……」
拠点とするアパートの一室は、長く空き家となっていたため窓枠が壊れてしまっている。
そこから吹き込んでくる風に晒され、俺たちは揃って身体を震わせるハメに。
一応毛布を頭からかぶってはいるものの、容赦なく入り込む冷気に為す術もない。
この町にまだ慣れぬシャルマは春の陽気に油断し、ここ最近着ている服は薄くなっていた。
夜間はブラックストン邸の温かな寝床に居たため失念していたようだが、そんな恰好では凍える夜と早朝を過ごせるはずもないのだ。
温暖な土地で生まれ育ったシャルマには、余計に厳しいだろう。
「で、様子はどうなの?」
俺が抗議の声を上げると、シャルマは渋々一枚の毛布を差し出してくる。
それでもなお数枚を被ったままで横に並ぶと、彼女は窓から見える要塞塔を眺めた。
早朝の薄靄に浮かぶそいつは、夜通しずっとガス灯で照らされ続けていた。
もちろん誰かにその姿を見せるためではなく、警備を行う側の事情によって。
要塞塔には銃を手にした衛兵が常時詰めており、近くを通る馬車や通行人の全てに目を光らせているようだった。
「変わりなし。流石に深夜には人の出入りもないな」
「こんな調子で、なにか突破口が開けるんだか……」
「さて、ね。けれど今のところは他に手段がないんだ、こうして観察するくらいしか出来やしない」
監視を続けてまだ一夜が明けようとしているだけ。それでも先の見えぬ監視をするだけの時間に、シャルマが焦れるのも当然といえば当然。
おまけに寒さのせいで休憩中も眠れないというのもあり、彼女の不機嫌は次第に高まりつつあるようだった。
今はどちらかと言えば、焦れよりも寒さの方が堪えるらしく、シャルマは気を逸らすべく質問を向けてくる。
「ところで、一つ聞きたいのだけど」
「それで寒さを紛らわせるのなら、可能な限り質問には答えるよ」
「……どこまでも癪に障る男ね」
シャルマは自分の皮肉屋な言動などどこ吹く風、俺の返事に不満そうな態度をする。
とはいえすぐに気を取り直すと、彼女はこう問うてきた。「コーデリアの"才能"はなんなのか」と。
そういえば彼女には、まだ話していなかったか。
この世に生まれた全ての人が、等しく与えられる何がしかの才能。
俺が暗殺者という才能を持つように、コーデリアも教会で宣告された才能を持っていた。
「君のを教えてくれるのが条件、ということでどうだろう」
「さっきは前提条件なんてなかったじゃない」
「このくらい構わないだろう。なにせ君は俺のを知っているんだ、これを機に不公平を解消しようかと」
俺は向けられた質問に対し、咄嗟に思いついた条件を提示する。
直接教えてはいないが、シャルマの様子からして既に俺の才能は知っているはず。たぶん自身の主から聞いたに違いない。
もっともシャルマの才能に関しては、多少予想がついてはいる。
それでもあえて問うたのは、こういう機会でもないと話してくれないだろうと考えたため。
すると拒絶すると思われたシャルマが、存外あっさりと答えてくれた。
「私の才能は"演じる"こと。その一端は執事さんも見たでしょ」
案の定、シャルマが持つ才能はそういった方向のものであった。
博物館で迷った客に扮した時。大人しい女性のフリをしワザと囚われた時。
まるで最初からそういう人物であったかのような姿。そしてほんのわずかに混じった、自然な不自然さ。
王立劇場の主演女優すら息を呑むであろう迫真の演技。
あれで才能の影響がないと言われても、俺はたぶん信用しないはず。
「ちゃんと覚えているよ、あれは見事な物だった。どうしてそれを生かす道に進まなかったんだ?」
「……私にも色々とあるのよ。評価してくれたのはありがたいけど、その部分を答える気はないわ」
普通そういった才能を持って生まれたなら、何処かの劇団なりに所属してもおかしくはない。
たぶん大多数の人はそうするだろうし、役者の大部分はそういった人たちだろう。
それでもシャルマはそうするという道を選ばなかった。
理由は気になるが決して話す気はないらしく、彼女は明確な拒絶を口にした。
ならばこれ以上根掘り葉掘り聞くべきではないと、俺は監視の方へ集中することに。
シャルマは再び後ろへ下がって、毛布をかぶり睡眠を試みる。
しかし寒さに加え、彼女にとっては我慢のならない点がこの場にもう一つ存在し、苛立たし気に声を上げた。
「それにしても、酷い臭いね」
「風下だから、どうしても臭いが入ってくる。こればかりは仕方がないさ」
彼女が不平を述べたのは、この空き家へ入り込んでくる悪臭について。
グライアム市を蛇行しながら流れるフェリザル川は、大量の船だけでなく不快な臭いまで運んでいた。
水質の問題からくるそいつは、目下この地域における悩みの種となっている。
俺などは度々市街に足を運んでいるため慣れっこ。
しかしシャルマには耐え難かったらしく、毛布を跳ねのけて立ち上がる。
「もう耐えられない。私はしばらく外へ出ている」
「どこに行くんだ?」
「そろそろ出店も開く頃だし、買い出しに行ってくる。昨夜はあなたが行ったし」
シャルマは徐々に白み始めた空を見て、朝食を仕入れに行くと告げる。
確かに露店が出ている通りあたりなら、この臭いからも避けられそうだ。
「出来ればここに残ってもらいたいんだけど」
「もしかして一人だと不安? それとも寂しいだなんて言うつもりじゃないでしょうね」
「そうじゃないさ。……なにせ君の容姿は目立つ、十分気を付けてくれよ」
彼女が外に出る不安点は、ここに尽きるだろうか。
正直見目の麗しさに関して、シャルマは相当な物なのだから。
しかし当の本人は気にした様子もなく、「目立たなければいいのよ」と軽く言い放ち、俺が使っていたコートを奪って被る。
フード付きの地味なそれは、着方によっては逆に目立ちかねないが、早朝であればまだマシか。
悪臭から逃れるべく、そそくさと部屋を出ていくシャルマ。
彼女を見送った俺は、軽く息を吐いてから再び監視に戻った。
それでもこんな早朝からなにか動きがあるとは思えず、気が抜けそうになるのと欠伸に抗いつつ、単眼鏡を覗き込む。
「……ん?」
しかし異常なしという俺の緩い予想に反し、要塞塔の周辺にはおかしな様子が。
周囲の道には、何の変哲もない早朝の駅馬車が走るばかりなのだが、問題はフェリザル川の方だ。
川岸へ係留された船の群れ。その中に一艘だけ、漕ぎ手の乗る小舟が見えた。
そいつは川沿いに建つ要塞塔に繋がる、水路の方へとゆっくり進んでおり、明らかに中へ入ろうとしているように見えた。
よくよく見てみれば乗っているのは二人。片方は男の船頭、そしてもう片方は……。
「女、か?」
さっき出ていったシャルマのように、頭からフードを被っているためよくは見えない。
しかしレンズ越しに見える後姿は、どことなく女性的な雰囲気を漂わせていた。
現代では監獄の役割を担うグライアム要塞塔だが、そこでは幾人かの女性たちが働いている。
ほとんどは厨房を担当するキッチンメイドのような役割で、一応手元にはそれらの人物についての資料も。
けれど普通入ってくるのは、通りに面した門から。水路から隠れるようになどまずないはず。
「こういう時に限って一人だなんて。間の悪い」
タイミングの悪さに悪態をつきそうになるが、あまりシャルマを悪しざまにも言えない。
買い出しに行くのを本気で止めなかったのは自分自身であるし、こんな時間から動きがあるとは思ってもみなかった。
ひとまず単眼鏡で観察してみると、案の定小舟は水路を通って要塞塔の中へ。
それは中に入って女性だけを降ろしたようで、しばらくして船頭だけを乗せ出てきた。
女が出てくる様子はない。もしや反対側から出ていったのだろうかと考えていると、意外にも早くシャルマが戻ってくる。
「買って来たわよ。冷めない内にサッサと食べてちょうだい」
紙に包まれたサンドイッチらしき物を手に戻ってきたシャルマは、湯気を立てるそいつを差し出してくる。
そいつを受け取ってすぐに齧りつきながら、俺は今さっき見た光景についてを話した。
「近づいて探ってみる?」
「一応そのつもりだ。ここを頼んだよ、俺は川に出てみる」
朝食と引き換えに単眼鏡を受け取り、要塞塔を見つめるシャルマ。
彼女と入れ替わるように立ち上がると、置かれたコートを羽織る。
やはりこんな時間に、しかも女が監獄へ入るというのは不可解。
たぶん出てくるときは同じように川からと予測をした俺は、この場での監視をシャルマに任せ、外へ向かった。




