市警の男 01
「お、おかえりなさい!」
悪徳商人のブレット・ニューマークと、他国の間者でもあったザカリー・ファース卿。そしてその護衛役。
標的三人をすべて片付け終えた俺がブラックストン邸へ戻ったのは、市街で諸々の後始末を終えた二日後の夜だった。
駅馬車を乗り継ぎたどり着いたブラックストン邸へ入るなり、俺は妙に元気な声で出迎えられる。
見れば地味なメイド服を着た娘が、床を拭いていたらしき雑巾を手に駆け寄ってきた。
「その丁寧さは、家人に対してするものだ。俺はここの主人じゃなくて、君と同じ使用人なんだから」
「ですが……」
俺はこの屋敷の家人ではなく、名目上ただの使用人。
それでも律儀に出迎え頭を下げた娘、リジーに苦笑いを浮かべながら諭す。
一週間ほど前まで、ブレット・ニューマークの屋敷で働いたいた彼女は、とある失敗をしたことで罰を言い渡された。
しかしブレットの強烈な癇癪によって命の危険すらあったため、死んだことにして密かに屋敷を脱出。その後深刻な人手不足に悩むブラックストン家に連れてきたのだ。
売った恩を返させるために。決してここで見聞きしたものを口外せぬという思惑もあって。
「あの時あたしが死んでいれば、弟も餓えていました。フィルさんはあたしたち姉弟にとって恩人です」
「君たちを受け入れると決めたのはご当主様だ、感謝はそちらに」
「だとしてもです。コーデリア様とフィルさん、お二人への恩は必ずお返しします」
そこまで強く恩義を感じられると、こちらとしては気が引ける。
リジーの負い目を利用し、人手不足を解消しようとしただけなのだから。
過剰なほどに礼を口にするリジーに困っていると、奥の階段から足音がするのに気づく。
そちらを見てみると、夜着に薄いショールを羽織ったコーデリアが立っていた。
「フィル、ひとまず私の部屋へ来て報告を」
既に前当主が屋敷を去り、伴って執事長も居なくなったブラックストン邸。
それでも目の前にリジーが居るからか、あるいは私室以外の場では主従関係を誇示するためか、コーデリアは固い口調で指示をする。
別にうんざりしているという程ではないものの、謝辞の攻勢から逃れるという目的もあってリジーに断りを入れ階段へ。
無言のまま昇り自身の部屋へ歩くコーデリアについて行き、彼女の部屋へと入ったところで揃って一呼吸。
「お疲れさま。かなり大変だったみたいね」
「そうでもないですよ、二人も裏切り者が居たのは予想外でしたが」
人の目がなくなったことにより、普段通りの口調に戻るコーデリア。
穏やかな笑顔を浮かべる彼女はグラスを手にし、輸入品のワインを少しばかり注いで手渡してきた。
そいつを受け取りながら、今回仕留めた連中を思い出す。
ブレット・ニューマークは何の変哲もない、ただの小悪党だった。しかし残る二人は、それぞれが裏の顔を持っていた。
護衛役の男は、別の貴族からの命令でファース卿に近づいていたし、ファース卿は金の亡者のフリをしつつも、実際は他国と内通し軍の質を落とすのが目的であった。
どちらも裏切り者ではあったが、その正体は上手く隠していたように思える。
そして思うのは、コーデリアがよくあんな情報を掴んだものだということ。
「お爺様が残してくれた情報網のおかげよ。私はそれを使っただけ」
「情報網というと、グライアム市に在る店のことで?」
「それも含めてね。いずれフィルにも行ってもらうと思うけど、今はまだナイショ」
市街にはブラックストン家所有の店がいくつか存在し、そこが暗殺実行のための情報集めに利用されているとは聞いている。
しかし今現在知っているのはそこまで。コーデリアはその件について教えるには、まだ早いと考えているらしい。
「ところでお爺様と言えば、フィル宛てに手紙を預かったのだけれど」
まるで俺のことを信用していないと言っているように思えたのか、コーデリアは気まずそうな表情を浮かべる。
そこまで気にせずともいいだろうに、それをきっかけに不意に思い出したようで、ベッド側のチェストから封筒を取り出した。
既に国内の何処かへと行ってしまった前当主アーネスト。その彼が託してくれたという封筒を開くと、中には一枚の紙きれが。
あまりに小さなそれへ目を通すと、これまた簡潔に過ぎる言葉が記されていた。
「なにが書かれているの?」
「"もしコーデリアに手を出したら、この手で仕留めてやる。精々自重することだ"。と」
そこに記されていたのは、アーネストからの警告。
彼の孫馬鹿っぽりは前から知っていたが、こうも露骨な忠告をしてくるとは。
「お爺様ったら……」
「重々承知しているんだけどな。お嬢様に手を出すなど恐れ多い」
呆れたように頭を抱えるコーデリア。
身内が向けてくる強烈な心配というのは、大抵当人からするとかなり恥ずかしいものであるようだ。
少しばかり顔を赤くするコーデリアをイジってみると、どういった反応をするのか若干気にはなる。
それでもここを突っ込んでやるのは可哀想かとも思い、別の話を振ってみることに。
手頃なところだと、さっき顔を合わせたリジーとその弟に関してといったところか。
「……あの姉弟には、使用人用の棟に広めの二人部屋をあげたわ。個室でも良かったんだけど、弟さんと一緒がいいって」
「弟の方は普段なにを?」
「いつもは庭でドラウと一緒に。あとは教材をあげたから、部屋で勉強をしてもらっているわ。本当なら学校に行かせてあげたいのだけれど、流石にそれは……」
両親を失っているというリジーは、唯一の肉親である弟と共に屋敷へ来た。
確かまだ五歳。本来なら無邪気に遊ぶような歳で、同年代の子供たちと一緒に町中を走り回っているのが普通。
その弟は昼間、庭師であるドラウ爺さんの後ろにくっついているらしく、夜にはコーデリアが与えた教材で自習をする日々とのこと。
少々早いとは思うが、ブラックストン家が支援して学校に通わせてやる事も出来る。だが……。
「わかっています。まだ判別の難しい歳である以上、学校で何を話すかわかったものでは」
少しばかり申し訳なさそうにするコーデリアへと、下した判断が間違っていないと告げる。
俺自身はまだ顔を合わせてはいないが、コーデリアによると歳の割には利発そうな子供であると聞いている。
だがやはり子供は子供。ブラックストン家について見聞きした内容を、他の子供に話さぬとも限らない。
自分たち姉弟が置かれた状況もまた、決して口にはできない部分だ。
彼女の命を脅かしたブレットは既に居ない。しかし一度死んだとされた娘が急に出てきたとなれば、市警はブレット死亡の件と関連付けるはず。
俺たちにとっても、そしてリジーたち姉弟にとっても、死んだことになっている今の状況こそ最良だった。
「ともあれ今回の件は完遂と考えていいと思いますが、なにか問題は起きていますか? 例えば市警の動きとか」
「ファース卿の死体が見つかったことで、ブレット・ニューマークの死が不審であると市警も考えたみたい。けれど予測の範疇内ね」
「なら問題はありませんね。しばらくは紙面を賑わしそうだ」
後片付けに要した二日間の間に、突如行方不明となったファース卿の死体が発見された。
そしてヤツが身に着けていたのが、ブレットの扱う軍の装備品であった点から、あちらの死にまで疑問の目が向いたらしい。
コーデリア曰く、大規模な捜査に発展しつつあるとのこと。
ただ一旦は証人を失ったせいで勢いを落としていた市警も、これによって息を吹き返したようだ。
全容が明らかとなれば、グライアム市のみならず王国全土を揺るがす大事件として、一か月以上は紙面のトップを飾るはず。
「そちらに関しては置いておくとして、ひとまずフィルには休養を摂ってもらうわ。お爺様の試験以降、ずっと休みなしで動いているでしょう?」
ただそこいらの心配は、自身の役割だと言わんばかりなコーデリア。彼女はソファーから立ち上がり、デスクへ置かれた数枚の紙を手にする。
ソッと手渡してきた紙に視線を落とすと、そいつは南の海沿いや西の高地といった保養地の広告であった。
「休暇と言われましてもね……」
「南部なんてどう? 流石に海水浴をするような時季ではないけれど、グライアム市よりは温かいはず」
「なかなかに魅力的な提案で。ただ俺はずっと屋敷で訓練と庭仕事をして、たまの休みもずっと眠っていたので。遊びの下手さは想像を絶しますよ」
少しばかりの疲労感を見抜いたらしきコーデリアが勧めたのは、どこか遠方での休暇。
いくら暗殺者としての適性や才能を持つとはいえ、この一か月弱はずっと血生臭い状況に置かれていた。
まだまだ"暗殺者ビギナー"であるこの身には、重い荷であったのは否定できない。
これまでグライアム市を除けば、古郷くらいしか知らない自分には、さぞ刺激的な旅となってくれるはず。
けれど観光に特段の興味があるでもなく、旅先での女遊びもいまいち気乗りがしないとなれば、あとは安い賭けポーカーでもして時間を潰すしか。
「ならそうね、ここなんてどうかしら」
遠出が乗り気ではない俺に、地図を広げたコーデリアは一点を指さす。
見ればそいつはグライアム市のもの。行政や経済の中枢とも言える、旧市街の一角だ。
「……ここに行けと?」
「フィルがもう少しこの役目に慣れるまで、秘密にしておこうかと思ったのだけれど。さっきの疑問を知るのにも丁度良いかと」
コーデリアはそう言って、ポケットから一枚のカードを手渡す。
そこにはグライアム市中に知れ渡っている、とある店の名が記されていた。




