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9 準備



 応募書類を提出した日の午後、ルークはギルド二階の会議室へ呼ばれた。


 扉を開けると、中央の卓へ北西地方の地図が広げられている。


 卓の奥に座っていたのは、S級の隊長だった。


 帰還したときの革鎧ではなく、黒い上着を着ている。額の傷には新しい布が巻かれ、武器は持っていなかった。


 扉を開けた瞬間、隊長はルークを一瞥した。その視線はすぐにルークの背後へ移り、開いた扉の向こうまで確かめてから、もう一度こちらへ戻ってきた。


 隊長の左には、ギルドの審査官とアレンが座っていた。


 右側にはラウルがいる。


 灰色の外套は脱いでいたが、下に着ている革鎧も、フロンティアの店で普通に買えるものだった。今朝は人の陰に紛れていて、姿を捉えるのが遅れた。こうして一人で座っていても、灰色の髪と外套以外に、記憶へ引っかかる特徴はほとんどない。


「座れ」


 隊長が空いた椅子を示した。


 ルークが腰を下ろすと、審査官が依頼履歴を読み上げた。


 単独での採取と調査。二十日を超える長期護衛。魔物の追跡。依頼達成率。途中で依頼内容を変更した回数と、その理由。


 成功した仕事だけではない。


 何も持ち帰れなかった調査や、途中で引き返した記録まで並べられた。


「東の森の灰爪熊」


 隊長が言った。


「二頭いると分かった時点で、討伐から撤退へ切り替えたそうだな」


「もともとの依頼は調査でした。D級を三人連れていたので、二頭を相手に続ける理由がありませんでした」


「一頭目には傷を負わせていた」


「倒せたかもしれません」


「残れば功績になったぞ」


「全員で帰れなくなる可能性もありました」


 隊長は表情を変えなかった。


「それでいい」


 短く言い、地図の一点を指で押さえた。


「回収隊は八十日以上、都市を離れる。ドラゴンは死んでいるが、道にはまだ危険が残っている。雨で谷が崩れれば、予定していた道を捨てる。進んだ先に、今の隊では抜けられない魔物の縄張りがあれば、何日かけていようと引き返す」


 隊長の指が、地図に引かれた細い線を途中まで戻った。


「前へ出る者より、戻ると言える者が必要だ」


 審査官が別の紙を卓へ置いた。


「ルーク。今回の志望は、経路確認と野営地選定の補助で間違いありませんか」


「はい」


「戦闘要員としてではないことに、不満は?」


「剣が必要なら戦います。ただ、B級以上がいる隊で、自分が先に戦うべきだとは思いません」


「では、どこに立つ」


 隊長が尋ねた。


 ルークは地図を見た。


 先頭には、遠征経験のある斥候がいる。最後尾にも護衛が必要だ。地形を調べる者と、荷車を守る者では、見る場所が違う。


「先頭の斥候より少し後ろです」


「理由は」


「先頭は進む道を探します。自分は、その人が通った跡と、道の外側を見ます。先頭が何かを見落としても、同じ見方をしたら二人とも見落とします」


 審査官の筆が止まった。


 アレンは何も言わない。


 口元だけが、わずかに緩んでいた。


「分かった」


 隊長はルークの応募書類を裏返した。


「上位C級枠で採用する。経路班へ入れ。単独で隊列を離れることは禁止する」


「分かりました」


「アレンの推薦で席を用意したわけではない。役に立たなければ途中の砦へ置いていく」


「その方がいいです」


 答えると、アレンが小さく息を吐いた。


「もう少し喜べ」


「選ばれた」


「顔の話だ」


「今、笑うところだったのか?」


「そういうところは三年前と変わらないな」


 審査官が咳払いをした。


 話は終わったらしい。


 ルークが立ち上がると、ラウルも椅子から腰を上げた。


「今朝、列の中で足を止めたな」


 ルークは男を見る。


「まっすぐ会議室へ来られたはずだ。あれは、自分を試していたのか」


「そうだ」


 ラウルはあっさり認めた。


「隊長から、経路班の候補を見るよう頼まれていた」


「何を確かめた」


「どこで私に気づくか。それと、気づかなかったことをどう扱うかだ」


「足を止めるまで気づかなかった」


「君はそれを、そのまま答えた」


「当然だろう」


「経路役の報告は、後ろを歩く全員が信じる。分からないことを、分かったつもりで埋める人間は置けない」


「依頼の記録だけでは足りなかったのか」


「記録に、見つけた事実と推測を分けて報告するとあった。だから、自分の目でも確かめた」


「それで、結果は」


「ここに呼ばれたのが答えだ」


 今朝、ラウルがわざわざ人の間を通り、ルークのそばで足を止めた理由がつながった。


 ラウルは最初から、ルークを経路班へ入れる候補として見ていたのだ。


 そこで、隊長がラウルへ声をかけた。


「経路の話を続けるぞ」


「分かった」


 ラウルはそれ以上説明せず、地図の前へ戻った。


 試された理由は分かった。


 ルークはそれ以上呼び止めず、会議室を出た。


     ◇


 選考を終えて一階へ下りると、セラが長期遠征用の書類を揃えて待っていた。


 普段の依頼で使う紙より厚い束だった。


「採用されたんですね」


「上位C級枠で」


「おめでとうございます」


 セラは笑ったあと、すぐに書類の一枚目を開いた。


「では、遠征中の登録手続きをします。出発は十四日後。帰還予定は、出発から八十日後で間違いありませんか?」


「八十日は最短だ。道と天候によっては百日を超える」


 セラの筆先が、紙へ触れる直前で止まった。


「最長は百日ですか?」


「それも予定にすぎない」


「分かりました。予定欄には百日、備考へ遅延の可能性ありと書きます」


 声はいつもと変わらない。


 セラは遠征中に受けられない依頼、預ける荷物、死亡時の所持品の送り先を順番に確認した。


「送り先は、ご実家で?」


「ああ。村の家へ」


「ご両親のお名前と、ほかに受け取れる方をお願いします」


 ルークは父母と、年下の弟の名を書いた。


 書き終えた紙を渡すと、セラは一度だけ目を通し、ほかの書類の下へ重ねた。


 死亡した場合という言葉を、必要以上に重く扱わない。


 危険な仕事を送り出す受付として、何度も行ってきた手続きなのだろう。


「遠征中に期限を迎えるギルド税は、帰還後の清算になります。部屋を空ける場合は、管理人へ出発証明を見せてください」


「部屋は残す」


「分かりました」


 セラは紙の端を揃え、最後に控えを一枚差し出した。


「帰還予定は、百日後です」


「さっき聞いた」


「確認です」


「書類にも書いてある」


「念のため、もう一度聞いておきたいんです」


 長期遠征では、同じ項目を何度も確かめるらしい。


「百日後だ」


 ルークが答えると、セラはようやく控えから手を離した。


「はい。お気をつけて」


 それも仕事上の言葉だと思った。


     ◇


 ギルドを出たルークは、その足でガラムの鍛冶場へ向かった。


 炉の火は落とされていたが、奥では槌の音が続いている。大遠征の帰還以来、鍛冶場には荷車の金具や解体道具の注文が絶えないらしい。


 ガラムはルークの顔を見るより先に、差し出された長剣を抜いた。


「何日だ」


「短くて八十日。長ければ百日を超える」


「この一本だけで行く気か」


「短剣は持っていく」


「解体用の刃を予備に数えるな。枝を払い、獲物を割くだけで傷む。魔物と打ち合うための刃じゃねえ」


 ガラムは刃を炉の明かりへ傾けた。


 刃こぼれは直してある。それでも、灰爪熊との戦いで傷んだ場所だけ、光の返り方がわずかに違う。


 ガラムは、灰爪熊との戦いで傷んだ場所を爪でなぞった。


「二十日の護衛なら、それでも帰れた。今度は片道だけで一か月だ。その先で竜を積んで戻る。途中でこいつが折れたら、残りの道を短剣一本で歩くつもりか」


 反論できなかった。


 ガラムは作業台の下から、刃渡りの短い片刃剣を出した。装飾はなく、峰が厚い。剣というより、枝を払い、薪を割るための道具に近い。


「売り物じゃない。貸すだけだ」


「借りていいのか」


「戻ったら研いで返せ。なくしたら代金を取る」


 ルークが柄を握ると、長剣よりかなり重心が手元に近かった。魔物と打ち合うには短いが、狭い場所なら使える。


「砥石を二つ。油は小瓶で三本。柄へ巻く革も持て。鞘の留め具は今夜までに替えておく」


「多くないか」


「百日だぞ。毎日一度手入れしても、百回使う」


 百日という長さが、別の形で見えた。


 食料や天候だけではない。革は伸び、油は減り、刃は曇る。都市なら翌朝に直せる不具合も、未踏域では自分で直さなければならない。


「出発前日の夕方に取りに来い」


「分かった」


「遅れるな。今は、お前の剣だけを待っていられるほど暇じゃねえ」


 言い終える前に、ガラムはもう次の金具へ目を向けていた。


 外へ出ても、鍛冶場の槌音は背後で鳴り続けていた。


     ◇


 翌日から、北西門に近い集積場は夜まで騒がしくなった。


 最初に並べられたのは、二十台を超える荷車だった。


 食料を運ぶ箱車。狭い道でも向きを変えられる二輪の荷車。樽を固定するため、荷台の縁を高くした車。ドラゴンの頭部を載せる土台は、現地で組み立てられるよう、太い角材へ番号が刻まれている。


 どの荷車にも、交換用の車輪と車軸が積まれた。


「行きだけなら、予備は半分で足りる」


 輸送主任が、集められた冒険者と御者へ説明した。


「だが帰りは竜を積む。荷は重くなり、壊れた車を捨てる余裕もない。車輪が一つ割れれば、後ろの隊列まで止まると思え」


 荷車の次に、食料と道具が運び込まれた。


 穀物、豆、固く焼いたパン、燻製肉。塩だけを詰めた樽が何列も並ぶ。食べるための塩だけではない。ドラゴンの肉と頭部から水分を抜き、腐敗を遅らせるために使う。


 竜は、討伐の証として首を飾るだけの魔物ではない。鱗は炎と刃に強い鎧や盾へ、牙と骨は武器や工具へ加工される。太い腱は強弓の弦となり、脂も灯火や革の手入れに使える。肉は食用になり、傷みのない部位なら王都の商人が高値で買う。一頭の死骸から得られる富は、遠征に費やした金を差し引いても、フロンティアの職人たちを何年も潤すほどだった。


 樹脂の壺には一つずつ封がされ、壺同士が触れないよう藁を詰めた木箱へ収められた。


 解体職人の道具は、冒険者の武器より大きかった。


 二人で引く長い鋸。骨の隙間へ打ち込む鉄の楔。大槌。皮を剥ぐ刃。太い腱を吊り上げる滑車と、船をつなぐような縄。


 治療用の箱には、熱湯で煮て乾かした布、包帯、添え木、傷を縫う針と糸、傷口を洗う酒が詰められている。


 魔物を倒すための剣よりも、倒した後に必要なものの方が多い。


 八十七名を、短くとも八十日。


 食べさせ、眠らせ、怪我を治し、荷車と荷獣を動かし続ける。


 ドラゴンを倒したからといって、道中の魔物がいなくなったわけでもない。


 むしろ、谷に残された巨大な死骸へ、どれだけの獣と魔物が集まっているか分からなかった。


 準備が始まって三日目には、経路班の顔合わせが行われた。


 班長はB級の斥候で、三年前の遠征にも最初から参加していた男だった。日に焼けた額へ布を巻き、右手の親指が途中からない。


 卓へ置かれた地図には、行きと帰りで別の線が引かれていた。


「行きに通れたから、今も通れるとは思うな」


 班長は、地図の端を押さえながら言った。


「三年分の雨が降っている。竜が谷を崩した場所もある。帰還隊が通ってからでさえ、ひと月が過ぎた。地図の線は道じゃない。そこを人が通ったという記録だ」


 経路班は六人。


 先頭を進む斥候が二人。荷車の前を歩き、地面と周囲を調べる者が二人。残る二人は本隊と後方を往復し、見つけた異常を各隊へ伝える。


 ルークは荷車前方の確認役に入った。


「先頭から離れすぎるな。ただし、同じ足跡の上を歩くな。先頭が踏んだ場所だけ見ていれば、道の脇から来るものを見落とす」


「分かりました」


「野営候補地は、日没より二刻前に決める。まだ進めると思っても、荷車を止めて水場と退路を調べる。遅れを取り戻そうとして、夜に天幕を張ることだけはするな」


 班長の指が、地図に記された小さな三角を順にたどった。


 過去に使った野営地だった。


 川沿いの平地。風を避けられる岩陰。倒木の少ない森の切れ目。


 そのうち二つには、上から線が引かれている。


「ここは使えないんですか」


「片方は土砂で埋まった。もう片方は、帰りに大型魔物の糞を見つけた。縄張りになった可能性がある」


「種類は」


「分からん。持ち帰ったものは調査員へ渡した。見たいなら、出発までに確認しておけ」


 ルークは場所を手帳へ写した。


 地図の線を、そのままなぞればよい仕事ではない。


 むしろ、どこが地図と変わっているかを確かめることが、今回の仕事になる。


 会議の終わりに、班長は六人へ同じ形の木札を渡した。


 表には経路班を示す斜線が一本、裏には七つの小さな刻みがある。遠征隊の伝令が数を間違えないよう、七日ごとに区切って予定を刻むためのものだった。


「予定から一日遅れるたび、刻みへ炭を塗れ。七つすべて黒くなったら、進むことより食料を先に考える。自分だけ分かっているつもりになるな。遅れは全員に見せろ」


 木札は軽い。


 だが、七つの刻みがすべて黒くなった先に何が起きるのかは、想像できた。


 準備が始まって五日目、ルークは経路班とともに荷車の確認へ入った。


 車輪の直径。荷台の幅。幌を張ったときの高さ。泥へ沈んだ場合に、何人いれば押し上げられるか。


 記録係が数字を書き、御者が車輪を回す。


 ルークは一台ずつ、空荷の荷車が立てる音を聞いた。


 十五台目で、左の後輪だけが低い音を立てた。


「止めてくれ」


 御者が手を止める。


 ルークは車輪の横へしゃがみ、軸受けを覗いた。


「何かあるか?」


「もう一度、ゆっくり回してほしい」


 車輪が半周する。


 同じ位置で、低い音が鳴った。


 表から見える割れはない。ルークが指で木部をなぞると、軸受けの内側に細い段差があった。


 輸送主任が金具を外し、車軸を抜く。


 木の内側に、黒いひびが一本走っていた。


「空なら北西砦までは持っただろうな」


 主任が言った。


「竜を積んだ帰りなら?」


「最初の谷で割れる」


 車軸へ不合格の印がつけられた。


「よく聞き分けた」


 ルークは、黒いひびを見た。


「音が違っただけだ」


「その程度の違いで、荷車を止められる奴が少ないんだ」


 主任は新しい車軸を持ってくるよう職人へ叫んだ。


 一台の不具合を見つけても、遠征で魔物を一頭倒したことにはならない。


 それでも、このひびを見逃していれば、帰り道で隊列全体が止まっていたかもしれない。


 アレンが必要だと言ったのは、こういう目なのだろう。


 剣以外の役割で認められたことへの小さな棘は、まだ胸のどこかに残っている。


 だが、役に立つと分かっているものを、剣ではないという理由で捨てる気もなかった。


 荷車の点検が終わると、アレンが一台を集積場の細い通路へ移させた。


「左の車輪が割れた。荷台には竜の骨が積まれている。後ろには十五台。道の片側は崖だと思ってくれ」


 訓練だと分かっていても、御者と職人はすぐに動いた。


 荷を下ろそうとする者、車体を持ち上げる棒を取りに走る者、後ろの荷車へ止まれと伝える者。


 全員が必要な仕事をしている。


 それでも、人が壊れた車の周りへ集まりすぎて、交換用の車輪を運ぶ道が塞がった。


「止めろ」


 アレンの声で、人の動きが止まる。


「荷を下ろすのは四人でいい。残りは後ろの二台を戻して、資材を通す場所を空けろ。前の車は進め。伝令は最後尾まで走るな。五台目まで伝えたら、そこから先は次の者へ渡せ」


 指示を受け、人が散った。


 混み合っていた通路の中央が空き、新しい車輪と長い棒が運び込まれる。


「ルーク。この場所で車体を持ち上げられるか」


 ルークは荷車の下ではなく、地面を見た。


 右側は固いが、左側には浅い轍がある。棒を左へ差し込めば、力を掛けたときに土へ沈む。


「このままでは左が沈む。板を二枚敷くか、車体を半歩前へ出した方がいい」


「動かしたとき、折れた軸がずれないか」


「前へ出すなら、荷を半分下ろしてからだ」


 アレンは職人を見る。


「板を使う。荷は下ろさなくていい」


 持ち上げる棒の下へ厚い板が差し込まれた。


 一度目より少ない人数で、荷車が持ち上がる。


 車輪を外し、新しいものへ替え、縄で固定した荷に緩みがないか確かめるところまで行って、アレンが終了を告げた。


「実際には、これを雨の中や夜にやることになる」


 作業を終えた者たちの顔から、訓練だからという軽さが消えた。


「戦っている者がいれば、使える人数はもっと減る。一人で全部やろうとするな。自分の役目が終わったら、次に詰まっている場所を見ろ」


 アレン自身は、車輪へ一度も触れていない。


 それでも彼が指示を出してから、混み合っていた作業は順序を取り戻した。


 昔、木剣を持って向かい合っていた頃にはなかった強さだった。


     ◇


 準備が始まって十日目。


 ルークが集積場へ行くと、ユアンが縄の束を荷台へ運んでいた。


「何をしている」


「見れば分かるでしょう。積み込みです」


「回収隊には入れないはずだ」


「日雇いの募集には入れました。荷物を積むのに、冒険者の階級は関係ありませんから」


 ユアンは縄を置き、額の汗を袖で拭った。


 そのまま次の束を持ち上げようとして、少し迷ってから手を止める。


「本当に、空きはありませんか」


「ない」


「急に一人来られなくなることも」


「そのときは、候補に残ったC級から選ばれる」


「荷運びならできます」


「八十日分の食料を食べる人間が一人増える」


 ユアンは言葉に詰まった。


 人数が一人増えれば、その分の食料と水、天幕の場所、荷獣への負担が増える。


 気持ちだけで連れていける距離ではない。


「分かってます」


 ユアンは、積み上げられた荷を見た。


「分かってるつもりです。でも、あの話を聞いて、これだけ準備しているのを見たら……ここに残るのが、悔しくなりました」


「そうだろうな」


「無茶だって、言わないんですか」


「行きたいと思うだけなら、無茶じゃない。今の実力で勝手についてくるなら無茶だ」


 行けないことが悔しいのは、進みたいと思っているからだ。


 ルークにも覚えがある。


 アレンが先にB級へ上がったときも、A級のプレートを見たときも、相手の成功を嬉しいと思いながら、自分だけが同じ場所へ残されたように感じた。


「ルークさんは、アレンさんがいたから選ばれたんですか」


「推薦は受けた。だが、選んだのは隊長とギルドだ」


「じゃあ、いつか自分も推薦してもらえますか」


「推薦を待つな」


 ユアンが顔を上げる。


「次に同じ話が来たときは、誰かに連れていってもらうんじゃない。自分の名で選ばれるようになれ」


 少し厳しく聞こえたかもしれない。


 だが、ユアンは目を逸らさなかった。


「何をすればいいですか」


「自分で考えろ」


「それだけですか」


「まずは、受けた依頼を最後まで終わらせる。追う必要のない魔物を追わない。ボルクとイリヤが止まれと言ったら、理由を聞く前に止まる」


「最後のは、前にも言われました」


「まだできていないからだ」


 ユアンは不満そうに口を曲げた。


「帰ってきたら、できるようになってます」


「なら、確かめる」


「百日後に?」


「それより早く戻る」


 ユアンはようやく笑った。


 ルークは次の縄を持ち上げ、荷台へ置く。


「これは、どこへ積む」


「三番車です。自分は向こうを運ぶので、間違えないでください」


「さっきまで連れていってくれと言っていた奴が、もう指図するのか」


「この仕事では、ルークさんより先輩です」


 言いながら、ユアンは次の荷へ走っていった。


 走るなと言いかけたが、通路に人がいないことを確かめてから動いている。


 少しは変わったらしい。


     ◇


 出発前日の朝、ルークはガラムから長剣と片刃剣を受け取った。


 長剣の鞘には新しい留め具がつき、走っても抜けないよう革紐が増えている。片刃剣は腰の後ろへ斜めに吊った。


「重いな」


「明日には慣れる。荷物を全部持って歩け。肩が擦れる場所は、今日のうちに直せ」


 言われたとおり、ルークは装備を身につけたまま都市の外周を一度歩いた。


 右肩へ掛けた荷紐が、歩くたび鎧の縁に当たる。留める位置を指一本分だけ内側へ変えると、擦れる音が消えた。


 部屋へ戻り、床へ持ち物を並べる。


 着替え。雨除けの外套。火打ち石。針と糸。砥石。剣油。予備の靴紐。手帳を三冊と、炭筆を一束。


 持っていきたいものを増やせば、その重さを百日運ぶことになる。


 ルークは一度すべてを袋へ入れ、背負ってから、使わない布と予備の木椀を取り出した。


 机には、村へ送る短い手紙を残していた。


 ドラゴンを倒した遠征隊に加わり、北西へ向かうこと。帰還は早くても八十日後になること。アレンも一緒にいること。


 両親が読めば、最後の一文で少しは安心するだろう。


 詳しい話は帰ってから書く、と最後に加えた。


 封をして、管理人へ預ける。


 部屋は引き払わない。故郷への手紙にも、帰ったあとの話を書いた。


 百日を超えたとしても、いずれここへ戻るつもりだった。


 昼を過ぎた頃、集積場には二十三台の荷車が並んでいた。


 五十頭を超える馬と荷獣には番号札がつけられ、担当の御者が蹄と脚を確かめている。


 積み終えた荷は縄で締められ、雨除けの布が掛けられていた。


 食料を積んだ箱には、開封する日が書かれている。


 最初の十日で食べるもの。


 砦を越えてから開けるもの。


 帰りのため、最後まで手をつけないもの。


 空になった荷車には、ドラゴンの牙、鱗、骨、腱、切り分けた肉が積まれる。最も頑丈な荷車は、現地で組み立てる土台とつなぎ、首を運ぶために使う。


 行きより、帰りの方が重い。


 だから出発する前から、帰るときの荷姿まで決めておく。


 日が沈む前、隊長が全員を集めた。


 冒険者、御者、解体職人、鉱山技師、地図を作る調査員。


 八十七人が、荷車の間へ並ぶ。


「竜は死んでいる」


 隊長は言った。


「だが、安全な場所へ行くわけではない。死骸へ集まった魔物がいる。行きに使った谷は崩れ、帰還隊が通った道も、今の形を保っている保証はない」


 誰も声を出さない。


「今回の目的は、竜をもう一度倒すことではない。素材を回収し、鉱脈を調べ、八十七人でここへ戻ることだ」


 アレンが少し離れた場所に立っている。


 柔らかな顔つきは普段と変わらない。それでも隊列を見る目は、食堂で昔話をしていたときとは違った。


 彼は前衛指揮と退路確保を任されている。


 ルークが一人分の異変を見つける間に、アレンは八十七人をどこへ動かすか考える。


 その隣にはラウルがいた。


 灰色の外套を着たC級冒険者は、隊長の話ではなく、北西門の上を流れる雲を見ていた。


 天候を確かめているだけに見える。


 だが、ほかの誰よりも早く、明日の空を知っているような顔にも見えた。


「今夜はしっかり寝ておけ。明朝、鐘が一度鳴ったら開門する」


 隊長の言葉で、最後の打ち合わせが終わった。


 人が散っても、ルークはしばらく荷車の間に残った。


 交換用の車輪も、塩の樽も、包帯も、帰るために積まれている。


 地図の外へ進む準備とは、帰る方法を先に用意することだった。


 北西門の向こうには、砦まで続く見慣れた街道がある。


 その街道も、十日ほどで終わる。


 さらに先には、アレンの話でしか知らない川と平原があり、谷を塞ぐドラゴンの死骸が待っている。


 ルークは、荷車へ掛けられた縄を最後に一度引いた。


 緩みはない。


 明日の朝、地図の外へ向かう。



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