8 幼なじみ
「久しぶりに会って、最初に見るのが足か」
幼なじみは、呆れたように笑った。
その胸元には、A級のプレートが下がっていた。
「歩き方が変わった」
ルークが答えると、男は自分の足元を見た。
「顔は変わってないか?」
「傷が増えた。髪も短い」
「ちゃんと上も見てたんだな」
「三年ぶりだな、アレン」
「三年と二か月だ」
「細かいな」
「お前に言われたくない。子供の頃、勝った数を一本ずつ納屋の柱へ刻んでいたのは誰だ」
「お前が数をごまかすからだ」
「一度もごまかしてない。最後は百八十二勝、百七十九敗だった」
「ほら、細かい」
アレンが笑った。
二人が剣を持つより前、商店の裏に落ちている枝を拾っては、日が暮れるまで打ち合っていた。胸か肩へ先に触れれば一勝。負けた方が翌日の菓子を半分渡す。最初は遊びだったが、木剣を与えられてからも勝負は続いた。
ルークは、アレンが踏み込む前に左の眉を動かすことへ気づいて勝ち越した。するとアレンは三日でその癖を消し、今度はルークの剣を弾くようになった。
昨日まで通じたやり方が、次の日には通じなくなる。
悔しかったが、次はどう勝つかを考える時間が、ルークは嫌いではなかった。
アレンは長剣の柄頭へ親指を置いた。そこに結ばれた藍色の組紐は、泥でくすんではいるものの、三年前と同じものだった。
腰の左側に吊った長剣だけは、昔と反対だった。以前は右側へ吊り、左手で抜いていた。
「右で振るようになったのか」
「右でも振るようになった」
アレンが右手を開いてみせる。
手のひらには、剣を握る者の硬いたこができていた。
「左をやったのか?」
「去年、肩を刺された。治るまで三か月かかると言われたから、その間に右で振ってた」
「三か月で変えたのか」
「最初は薪にも当たらなかった。今も左の方が強い」
「なら、なぜ剣を左へ下げている」
「右を先に使うためだ。左しか使えない頃へ戻らないようにな」
言いながら、アレンは左手でも柄に触れた。
右で抜き、右が使えなくなれば左へ渡す。
どちらか一方を選んだのではない。
できることを増やしている。
「それより」
アレンの視線が、ルークの左肩へ移った。
「灰爪熊にやられたと聞いた」
「かすっただけだ」
「二頭に挟まれたとも聞いた」
「誰から聞いた」
「さっき、受付で報告を待っている間に。ボルクという盾使いが話していた」
広場の端を見ると、ボルクはユアンと話しながらまだ歩いている。
こちらを見て片手を上げた。
「余計なことまで話してないだろうな」
「一人で残ろうとしたことか?」
「話してるじゃないか」
「心配してたぞ」
「全員戻った」
「結果はな」
アレンの声から、笑いが少し消えた。
それ以上は言わなかった。
帰還した遠征隊には、二人分の空席があった。
全員で戻ることの難しさを、今のアレンは知っている。
「それにしても、もうA級か」
ルークは言った。
「遠征へ出る少し前に上がった」
「聞いていない」
「決まったのが、第三砦で遠征隊へ合流する九日前だ。そのまま準備に入った」
「便りくらい出せた」
「それは悪かった。戻ってから直接話せばいいと思った」
「三年もかかるとは思ってなかった」
アレンは少し困ったように笑い、柄頭の組紐を親指で押さえた。
「昇格の話も、遠征の話もする。広場では落ち着かないから、場所を変えないか」
「どこへ行く」
「裏の食堂。朝から干し肉と固いパンしか食べてない」
「食べているじゃないか」
「あれは腹に入れただけだ」
そう言って、アレンは食堂の方へ歩き出した。
「お前も来るだろ」
振り返りもしない。
ルークが断らないと分かっている歩き方だった。
聞きたいことなら、いくつもある。
三年かけて進んだ道。その先で見た土地。地図にない川や山。ドラゴンを追った七日間。S級の剣が、どうやってあれほど巨大な首を落としたのか。
ルークは、アレンの横へ並んだ。
◇
ギルド裏の食堂は、表の騒ぎが嘘のように静かだった。
職員と冒険者向けの店だが、今はほとんどの客が広場へ出ている。
奥の卓に、二人で向かい合って座った。
アレンは鶏肉と根菜の煮込みを大椀で頼み、黒パンを五つ、燻製肉と豆の皿、焼いた腸詰めを三本、それから鳥の腿肉を二本注文した。
注文を書き留めていた女が、途中で手を止める。
「お連れの方と分けますか?」
「いえ、全部こちらへ」
アレンは自分の前を指した。
「足りなければ、あとで追加します」
女は一度だけアレンの細い身体を見てから、厨房へ戻っていった。
「昔より食べるようになったな」
「昔からこれくらい食べてた」
「うちへ来る前に食べていたのか」
「おばさんに言うなよ。夕食を二度食べさせてもらってたと思われる」
「その通りだろ」
ルークは、干した果実を煮出した甘い飲み物と、挽き肉を包んだ小さな焼きパンを頼んだ。昼に食べてはいたが、話が短く終わるとは思えなかった。
最初に届いた煮込みを、アレンは冷ます時間も惜しむように口へ入れた。続いて運ばれてきたパンを割り、その間に腿肉へ手を伸ばす。
三年ぶりに会っても、食べる速さだけは変わっていない。
「どこまで行った」
ルークが尋ねると、アレンは肉を飲み込んでから答えた。
「距離の話なら、あとで地図を見せる。何があったかを聞いてるなら、一晩じゃ足りない」
「一番遠くで、何を見た」
「難しい聞き方をするな」
アレンは黒パンをちぎり、煮込みへ浸した。
「霧が晴れても向こう岸の見えない川があった。川岸に沿って六日進んで、ようやく浅瀬を見つけた」
「深さは」
「浅瀬でも馬の腹まである。綱を二本渡して、一頭ずつ通した」
「上流へ行けば細くなったんじゃないか」
「なったかもしれない。だが上流は崖で、荷馬が通れなかった。渡れる場所を探すか、崖を越えるか。隊長は川を選んだ」
「理由は?」
「崖の向こうに水がある保証がなかったからだ。あの人数と荷馬を抱えて、水場の分からない道は選べない」
ルークは頷き、次の問いを探した。
「川の先は」
「腰まである白い草の平原だ。風が吹くと、地面が波打って見える。夜になると、その下を小さな獣が何百匹も走る」
「見えたのか」
「姿は少しだけな。俺の腕ほど長い耳があった」
「穴は」
「掘る。野営地の下が巣だったらしくて、夜中に天幕が一つ沈んだ」
アレンは笑っているが、その場にいれば笑い事ではなかったはずだ。
「その次は、黒い岩が柱みたいに並ぶ土地だ。昼は熱を持つのに、日が落ちると触れないほど冷たくなる。岩の間には、人の頭ほどある卵が落ちていた」
「何の卵だ」
「分からない。親も見ていない」
「持ち帰らなかったのか」
「触れてもいない。近くに足跡がなくても、空から見ているかもしれないだろ」
「割れた殻は?」
「探した。なかった」
「なら、卵じゃない可能性もある」
「三年前より面倒になったな、お前」
「見ていないものが多すぎる」
「目が光ってるぞ」
言われて、ルークはようやく卓へ身を乗り出していたことに気づいた。甘い飲み物には、まだ一度も口をつけていない。
アレンの話す土地を頭の中で組み立てるたび、食堂の壁が狭く感じられた。
地図の外側には、知らない川が流れ、名もない獣が暮らし、誰も確かめていない卵が転がっている。
そのすべてを、目の前の幼なじみは自分の足で見てきた。
昔は同じ裏庭で枝を振り、同じ丘の向こうを想像していた。今のアレンは、その丘をいくつも越えた先から帰ってきている。
A級のプレートが遠く見えたのは、剣が強いからだけではなかった。
「昇格したときの話は」
「忘れてなかったか」
「そっちから話すと言った」
「出発前、北西第三砦へ物資を運ぶ隊に入った。谷で岩角牛の群れに当たった」
「何頭」
「三十までは数えた。その先は、数える余裕がなかった」
「隊は」
「十七人。隊長が最初の突進で脚を折ったから、途中から俺が指揮を執った」
アレンは、空になった最初の椀を端へ寄せた。
「生きて谷の外へ戻れたのは十五人だ。二人は死んだ。それでも隊を壊さず戻したことが、A級に上がる理由になった」
昇格の話をしているのに、アレンの声に誇らしさはなかった。
「だから次は、十七人全員を戻したかった」
「今回の二人は」
「さっき発表された二人だ」
アレンは短く答え、腸詰めを一口かじった。
止まっていた手が再び動いたことに、ルークは少しだけ安心した。
B級は、未踏域で自分一人の冒険を成立させられる者だ。地図から外れた場所へ入り、天候と食料、敵の強さを見定め、自分で進むか退くかを決める。予定が崩れても、生きて都市へ帰り、得たものを持ち帰る。
A級は、その判断を遠征隊全体のために行う。
アレンは剣の腕だけで、二つ上の階級へ進んだのではない。
それでも、岩角牛の群れを相手に十五人を連れ帰るには、判断だけでなく、前へ立つ力も必要だったはずだ。
「岩角牛の突進を、どうやって止めた」
「正面からは止めてない。先頭の一頭へ横から剣を入れて、向きを変えた」
「角を避けて、走っている牛へか」
「近づく前に怖がってたら、十五人も連れて帰れない」
アレンは簡単に言った。
ルークには、同じことができるとは思えなかった。動きが見えても、硬い皮へ剣を通し、巨体の向きを変えるだけの一撃がない。
憧れと尊敬は、確かにある。
同時に、三年前より開いた差を悔しいとも思った。
「アレン」
「ん?」
「剣を振るとき、身体のどこが熱くなる」
アレンの手が止まった。
「急に何の話だ」
「答えてくれ」
アレンは少し考え、みぞおちの辺りへ指を当てた。
「この辺りだな。強く踏み込むときは、胸から腹へ熱が落ちる」
「いつからだ」
「覚えてない。昔からあったと思う」
「意識して使っているのか」
「今はな。最初は、身体の調子がいいときだけ剣が軽くなると思っていた」
グレンと同じだ。
熱を感じる場所は違う。
だが、身体の内側に何かを集め、それを動きへ通している。
「お前も感じたのか」
「一度だけ」
「何をした」
「訓練場で、木柱へ剣を打ち込んだ」
「それだけか」
「昨夜、踏み込みでも少し出た」
アレンの目が変わった。
幼なじみを見る目から、剣士の動きを確かめる目になる。
「立ってみろ」
「ここでか」
「振らなくていい。構えるだけだ」
ルークは席を立った。
ほかに客はいない。
腰の剣へ手を置き、右足を半歩引く。
「力を出そうとするな。昨夜と同じ場所へ意識を向けろ」
言われたとおり、腹の奥を見る。
何も起きない。
アレンが座ったまま、卓の上にあった木の匙を取った。
指先で軽く弾く。
匙がルークの胸へ飛んだ。
ルークは右手で掴んだ。
「何をする」
「今、熱は出たか?」
「出ていない」
「なら、危険を感じれば出るわけでもないな」
「匙に危険は感じない」
「次は皿にするか」
「店から追い出される」
アレンが笑った。
「悪い。俺には教え方が分からん。できる奴の真似ならできるが、できない奴へ言葉で伝えるのは苦手だ」
「知っている」
「昔、何度も喧嘩になったな」
「お前が『こう振ればできる』としか言わないからだ」
「本当に、そう振ればできたんだ」
「お前はな」
ルークは匙を卓へ戻し、席へ座った。
腹の奥に熱はない。
だが、アレンも同じものを感じている。
グレンだけの特殊な感覚ではない。
高い階級へ上がる剣士の多くが、名前のない何かを使っている。
「それを使えれば、A級になれると思っているのか」
アレンが尋ねた。
「分からない」
「それならいい」
「何がだ」
「それ一つで追いつけると思っているなら、止めるつもりだった」
アレンは三つ目のパンへ手を伸ばした。
「俺より強く踏み込めるB級はいる。剣が速いC級もいる。それでも上がれない奴は多い」
「何が足りない」
「知らない場所で、自分の剣以外も見られるかどうかだ」
ルークは、先ほど聞いた岩角牛の話を思い返した。
「お前には、それがある」
「何の話だ」
「回収遠征へ来てほしい」
アレンは、食事の手を止めた。
「その話をするために来た」
◇
「俺はC級だ」
「募集条件は聞いただろ。推薦があればC級も入れる」
「戦闘要員は、原則B級以上だったはずだ」
「戦闘だけを任せるならな。経路調査と野営判断を兼ねる枠は、上位C級から候補に入る」
「上位C級なんて階級はない」
「プレートには書かれない。ギルドが依頼歴を見て判断する呼び方だ。同じC級でも、決められた街道沿いの仕事をこなす者と、地図の外へ出る準備ができている者は違う」
灰爪熊の調査では、D級の三人を率いた。
単独で森へ入り、魔物を追い、何日か野営して戻る仕事にも慣れている。
見慣れない痕跡があれば足を止め、食料や天候に余裕があっても、危険が読めなければ引き返す。戦う必要がなければ避け、負傷すれば予定を変える。
そうした判断だけなら、ルークはすでに自分で行ってきた。
B級へ上がれてはいない。
だが、B級が本業とする未踏域探索へ踏み込む候補には数えられているらしい。
「追跡と野営、それに進退の判断は、もうB級の仕事を任せられると聞いた」
アレンは、慰めるような口調では言わなかった。
「ただ、未知の魔物に道を塞がれたとき、自分で状況を変える力が足りない。それと、本当の未踏域から帰った実績もない。だから今回は、単独行動をさせない上位C級枠だ」
ルークにも反論はなかった。
灰爪熊が二頭現れたとき、仲間を守りながら戦いを終わらせることができなかった。グレンが来なければ、全員で戻れたかどうかも分からない。
森の異変を見抜く目があっても、見抜いた脅威を越える力まで手に入ったわけではなかった。
「お前が推薦するのか」
「俺だけじゃない。遠征隊の斥候役と、隊長にも話してある」
ルークは眉を寄せた。
「帰ったばかりで、いつ話した」
「帰り道だ。次の隊を組む話は、現地を出た日から始まっていた」
ドラゴンの死骸を残し、その奥では銀の鉱脈も見つけている。
都市へ戻ってから考え始めたのでは遅い。
帰還する一か月の間に、必要な人員と道具を整理していたのだろう。
「なぜ俺だ」
「目がいい。痕跡を覚える。野営ができる。知らないものを見つけても、分かったふりをしない」
「それだけなら、ほかにもいる」
「いるな」
アレンは簡単に認めた。
「だが、俺はお前を知っている」
「幼なじみだから選ぶのか」
「幼なじみだから、できないことも知っている」
アレンの返事は早かった。
「正面からドラゴンを止めろとは言わない。硬い魔物を一撃で斬れとも言わない。そこを任せるなら、別の奴を呼ぶ」
できないことを言われても、腹は立たなかった。
事実だったからだ。
「必要なのは、道の変化を見る人間だ」
「帰りの十九日目、細い沢を見つけた」
アレンは空になりかけた器を脇へ寄せた。
「地図にない細い沢で、北東へ抜ければ二日ほど縮められそうだった。斥候が先へ入り、半日かけて戻ってきた。奥に鉤爪狼の巣があったそうだ」
「入口に痕跡は?」
「古い足跡が二つ。雨でほとんど消えていた」
「狼の毛は」
「低い枝に残っていた。だが灰色で、岩に紛れていたらしい」
「臭いは?」
「沢を流れる水の臭いが強かった。俺には分からなかった」
ルークは頭の中へ沢を置いた。
浅い流れ。二つの古い足跡。低い枝へ残った灰色の毛。
「その沢に、草食獣の跡はあったか」
「なかったと思う」
「なら、入口で止まれる」
「簡単に言うな」
「水があるなら、獣は使う。近くに足跡がないなら、使えない理由がある」
「それを、斥候も後から言っていた」
アレンは苦笑した。
「俺たちは奥まで人を出し、半日使って同じ答えへ着いた。お前なら入口で引き返せたかもしれない」
「見ていない場所のことは分からない」
「そう言うと思った。だから連れていきたいんだ」
アレンは、食事をしながら思いつきで誘ったのではない。
往復の道で起きたことを覚え、次の遠征に足りないものを考えていた。その中に、ルークの名があった。
嬉しくないわけではない。
同時に、胸の奥へ小さな棘が刺さる。
剣士として並びたかった幼なじみから、別の役割を必要とされている。
それが今の自分にできる仕事だと理解できるからこそ、素直に喜ぶこともできなかった。
アレンは卓の上へ指で線を引いた。
「行きに使った谷が、竜との戦いで一つ潰れた。帰りは南へ迂回したが、雨で斜面が崩れ始めている。荷馬なら通れても、資材を積んだ荷車は無理だ」
「別の道を探すのか」
「少なくとも二本は必要だ。行きと帰りで同じ道しかなければ、崩れた時点で全員が止まる」
「地図は」
「作った。だが、線を引いただけの場所も多い」
アレンは腰の袋から、折り畳まれた紙を取り出した。
卓の上へ広げる。
北西街道と三つの補給砦。
その先に、細い線で描かれた谷と山が続いている。
前半は細かい。
川の位置、傾斜、野営に使える平地、危険な魔物の縄張りまで記されている。
奥へ進むほど、線は少なくなった。
何も描かれていないわけではない。
進んだ道は最後まで残っている。
ただし、その左右に何があるのかは分からない。
「ここ」
ルークは、地図の途中を指した。
「川が二つに分かれているのに、合流点がない」
「片方は途中で地面へ潜る」
「見たのか」
「音は聞いた。近づけなかった」
「なぜ」
「足跡があった」
「何の」
「分からない」
アレンは答えた。
「人の頭ほどある三本指の跡だ。深さが、俺の足跡の四倍はあった。隊長も知らない魔物だった」
ルークは地図から顔を上げた。
「見に行かなかったのか」
「目的は竜だった。知らない魔物を追って、戦力を減らす理由がない」
「痕跡は記録した?」
「斥候が写した。選ばれたら見せる」
地面へ消える川、そのそばに残された正体不明の足跡、崩れた谷。片道一か月先にはドラゴンの死骸があり、その奥には銀の鉱脈が露出している。
ルークは、もう一度地図を見た。
「竜は、どれくらい大きかった」
「横たわれば、ギルドの広間に収まらない。翼を広げれば、この通りの建物を三つは隠す」
「首を落としたのは、隊長か」
「そうだ」
「どうやって」
アレンはすぐには答えなかった。
「現地で見ろ」
「話せないのか」
「話しても、たぶん信じない。俺も目の前で見るまでは、そんな斬り方ができるとは思っていなかった」
嘘や勿体ぶった言い方ではない。
説明よりも、残った痕跡を見た方が早いと考えている顔だった。
「俺にはできない」
ルークは言った。
「俺にも無理だ」
A級になったアレンが、迷わず答えた。
「隊長しかできない。だから、あの人がS級なんだ」
「それでも二人死んだ」
「ああ」
「隊長でも守れなかったのか」
アレンはしばらく黙った。
店の奥から、鍋の蓋が触れる音がした。
「隊長は、ほかの誰にも倒せない相手を倒せる」
低い声だった。
「だが、同時に全員の前へ立てるわけじゃない」
ルークは、灰爪熊との戦いを思い出した。
一頭だけなら、倒せる。
二頭でも、自分だけを見れば動きは追える。
そこへ仲間と退路が加わったとき、すべてを守ったまま決定打を入れられなかった。
規模は違う。
だが、S級にも同じ限界がある。
一人で何でもできるからS級なのではない。
ほかの者では決着をつけられない戦いを、終わらせる力がある。
「亡くなった二人は、どこで」
「一人は三日目。竜が谷を崩したときに、調査員を庇った」
アレンの指が、地図の山間を押さえた。
「もう一人は六日目。竜の注意を引く役を代わって、戻れなかった」
「お前の指示か」
「二人目は、俺が頼んだ」
ルークは、アレンの顔を見た。
話している声は変わらない。
だが、地図を押さえた指へ強く力が入っていた。
紙の端が、わずかに曲がっている。
「正しい指示だった」
アレンは言った。
ルークが何かを口にする前に、自分で続けた。
「あそこで誰かが竜の注意を引いておかなければ、竜は負傷者のいる側へ向かった。ほかに手はなかった」
「そうか」
「それだけか?」
「違うと言ってほしいのか」
アレンは一度目を閉じた。
「いや」
「なら、俺には分からない」
ルークは地図へ視線を戻した。
「その場を見ていない。足跡も、位置も、残っていた時間も知らない」
「昔なら、慰めようとしただろ」
「昔ならな」
「変わったな」
「お前ほどじゃない」
アレンが小さく笑った。
指から力が抜け、曲がっていた地図の端が戻る。
「だから、お前を連れていきたい」
先ほどより静かな声だった。
「自分に都合のいい想定しかできない奴は、未踏域じゃ生き残れない」
「俺を買いかぶっている」
「お前が自分を低く見積もりすぎてる」
「剣では、お前に届かない」
「剣の話しかしてないのは、お前だけだ」
言い返そうとして、言葉が止まった。
グレンにも似たことを言われた。
ルークは弱くない。
それでも、上位の剣士に届く一撃がない。
そのことばかりを見ていた。
遠征隊がルークに求めているのは、ドラゴンの首を落とす剣ではない。
全員が見落とした変化を見つけ、進んでよい道と、引き返すべき道を分ける目だった。
「推薦は、選ばれるという意味じゃない」
アレンが言った。
「装備も実績も見られる。面談もある。足りなければ落とされる」
「お前が口を出しても?」
「落とされる。俺は候補に名前を入れただけだ」
「勝手に入れたのか」
「来ないなら消す」
ルークは広げられた地図を見た。
北西へ伸びる一本の線。
その先に、まだ見たことのないものがいくつもある。
霧の向こう岸が見えない川も、白い草の下を走る獣も、黒い岩の間に残された卵も、今はアレンの言葉から形を想像しただけだ。
聞くだけでは足りない。
同じ場所へ立ち、自分の目で痕跡を見れば、アレンたちが見落としたものを見つけられるかもしれない。何も見つけられなくても、地図の外側がどうなっているのかを確かめられる。
「消す必要はない」
答えると、アレンは頷いた。
「明日の朝、受付へ来い」
「応募は先着順ではない」
「知ってる。それでも早く来い。隊長は朝が早い」
「俺も早い」
「なら問題ない」
アレンは残っていた煮込みを食べ、ようやく空になった器を置いた。
◇
翌朝、ギルドの広間には、遠征希望者の列ができていた。
募集開始より半刻早い。
それでも、ルークの前には二十人以上いる。
B級のプレートを下げた者が多い。
盾を背負った大男。
二本の短剣を腰へ吊った女。
長弓と、三日分はありそうな荷を背負った斥候。
C級もいるが、数は少ない。
応募書類を受け取る前に、職員が依頼履歴を確認している。条件を満たさない者は、その場で別の列へ回された。
ユアンの姿はない。
自分が条件に届かないことは理解したらしい。
列が進む。
受付台の横には、遠征隊の構成表が貼られていた。
指揮。
戦闘。
斥候。
解体。
鉱山調査。
輸送。
名前が決まっている欄と、人数だけが書かれた欄がある。
指揮欄の最上段は、S級の隊長。
その下に、A級三名。
アレンの名前もあった。
ルークは、その横へ書かれた役割を見た。
前衛指揮、退路確保。
剣で敵を倒すことだけではない。
後ろにいる者が生きて帰る道まで任されている。
さらに下へ視線を移す。
B級の名前が続き、その後に、選考前から参加が決まっている三人のC級が書かれていた。
一人は、都市周辺の街道を長く調べてきた斥候。
一人は、北西の砦へ何度も物資を運んだ護衛役。
最後の一人だけ、役割の書き方が違った。
ラウル。
C級。
経路確認。
所属年数も、過去の遠征歴も書かれていない。
名前の横には、ただ一言だけ添えられていた。
――隊長推薦。
「その人、気になりますか?」
受付台から、セラが声をかけた。
ルークは構成表を指した。
「ラウルというC級を知っているか」
「登録はあります」
「どんな冒険者だ」
「受ける依頼は多くありません。護衛と調査が中心です」
「未踏域への遠征歴は?」
セラは手元の名簿を確かめた。
「ギルドを通した記録にはありません」
「それでも、選考なしで入っている」
「S級本人の推薦です」
列の前方から、次の者を呼ぶ声がした。
ルークは一歩進んだ。
もう一度、ラウルの名前を見る。
その名に覚えはない。
だが、記録のないC級。隊長からの推薦。経路確認という曖昧な役割。
灰爪熊の調査へ向かう前、ギルドへ警告を残していった男を思い出した。
正面の扉から、一人の男が入ってきた。
目立たない灰色の外套。
腰に剣を一本。
年齢は三十前後に見える。
待っていた職員が男へ駆け寄った。
「ラウルさん。経路の打ち合わせは、奥の会議室です。隊長がお待ちです」
男は短く頷き、職員の後ろを歩き始めた。
構成表を見ず、並んだ冒険者へも関心を向けない。
会議室へ向かうだけなら、列の外側をまっすぐ進めばいい。
だが男は途中で人の間へ入り、わずかに進路を変えた。
ルークのすぐ後ろを通る。
そこで一度だけ足を止めた。
ルークを見る。
視線が合ったのは、ほんの一瞬だった。
男は何も言わず、扉の向こうへ消えた。
「今の男は?」
ルークが尋ねる。
セラは扉を見た。
「ラウルさんです」
「経路の打ち合わせか」
「はい。回収隊へ入る方は、出発まで何度か集まることになっています」
「灰爪熊のとき、追加の戦力を送るよう言ったのも?」
「はい。あの方です」
灰爪熊の調査へ、グレンを向かわせたC級。
以前、グレンが出会ったという、階級に似合わない剣筋の男もC級だった。
同じ人物かどうかは、まだ分からない。
初めて姿を見た。
立っていただけなら、強い冒険者には見えない。
だが、男が足を止めるまで、ルークは接近に気づかなかった。
足音がなかったわけではない。
今になって歩いてきた経路をたどれば、何をしたのかは分かる。並んだ冒険者の陰を選び、職員が書類を置く音へ足音を重ね、人と人の隙間が開く前に次の陰へ移っていた。
一度なら偶然で済む。それを広間の半分で続け、誰の注意にも残らないまま、ルークの近くまで来ている。
何をしたのかは追える。だが、周囲の音と人の動きが変わるたび、最も目立たない瞬間を選び続けた方法が分からない。
打ち合わせへ来た理由は分かった。
まっすぐ会議室へ向かわず、わざわざルークの後ろを通った理由は分からない。
ルークは、男が消えた扉を見た。
片道一か月の遠征。その名簿に、アレンとは別の意味で階級に似合わない男がいる。
ルークは、構成表に書かれたラウルの名を、頭の中でもう一度繰り返した。




