↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/29

24 境界



 七人は、目印にした二本の木を真っすぐ目指していた。


 少なくとも、全員がそのつもりだった。


「止まれ」


 ルークの声で、先頭のベイルが足を止める。


 後ろを歩いていたオズとリゼも止まり、最後尾のラウルが振り返った。


 森へ入って半刻ほど。昨日、地図で確かめた空白の西側まで来ている。


 二本の木は、右前方に見えていた。片方は幹の半分が白く枯れ、もう片方は途中から二股に分かれている。離れた場所からでも見間違えにくい。


 ところが、歩いているうちに二本とも左手へ移っていた。


「道を外れたか」


 グレンが尋ねる。


「外れたというより、曲がっている」


 ルークは来た方角を見た。


 人の足で踏まれた道はない。七人は歩きやすい場所を選び、腰ほどの高さまで茂る草を避けて進んできた。


 その結果、最初に決めた線から南へ四十歩ほどずれている。


「あの倒木を避けたからじゃない?」


 リゼが後方を指した。


 苔に覆われた倒木が、低い茂みの中へ横たわっている。


「倒木まで来る前には、もう曲がっていた」


「だったら、その手前の藪だろ」


 オズが言う。


 指された藪は、膝を上げれば越えられる高さしかない。棘もなく、地面が沈んでいる様子もなかった。


 ルークは腰の手帳を開いた。


 昨日、地図の余白へ書いた言葉が残っている。


 ――理由のない迂回。


「戻って、今度は木だけを見て歩く」


「必要ない」


 ラウルが言った。


「目的の鹿道は南だ。このまま進んでも着く」


「空白の境がどこか確かめに来たんだろ」


「中へ入るためじゃない。戦う場所から三十歩離れていると分かればいい」


 ルークは二本の木へ目を戻した。


 木々の間に、何かが立っているわけではない。臭いも、音も、周囲の森と変わらない。


 それでも、誰一人として真っすぐ近づいていなかった。


「ルーク」


 グレンが呼ぶ。


「今日は戦場を決める。空白を調べる日じゃない」


「分かっている」


「なら、場所だけ残せ」


 ルークは、二本の木と現在地を手帳へ描いた。進もうとした方角と、実際に歩いた線も分けて記す。


 地図を閉じると、ベイルが再び歩き出した。


     ◇


 戦う場所に選んだのは、崩れた炭焼き窯の近くだった。


 土を盛って作られた窯は半分ほど崩れ、黒く焼けた石だけが残っている。周囲は炭を運び出すために木が切られていたらしく、細い木が増えた今も頭上の枝はほかより少なかった。


 東へ三十歩進めば、獣道が空白を避けて曲がり始める。


 北には、地面から突き出た低い岩場がある。南には二本の太い木が並び、その間を鹿道が通っていた。西側は緩やかな下りになっており、泉へ続く獣道が見える。


 ベイルは北の岩場へ上がった。


 長弓へ矢をつがえず、窯の跡へ向けて構える。


「三十五歩」


 岩場から降り、今度は南側へ回る。


「こっちへ走られれば、木が二本邪魔になる。射るなら、その前だ」


 ルークは地図へ線を足した。


「獣が南へ向いたら、リゼが縄を上げる」


「一本では越えられる」


 リゼは鹿道を挟む二本の木へ触れた。


「胸の高さと、膝の高さ。二本を同時に張る。止められなくても、上か下かは選ばせられる」


「張るまでにどれくらいかかる」


「支点を作っておけば、一息」


 リゼは縄の端へ金具を結び、木の根元へ打った小さな杭へ通した。もう一方も同じように準備し、試しに引く。


 二本の縄が、鹿道を斜めに横切った。


「これで通る者まで止めるなよ」


 オズが長盾を置いた。


「本番までは外す。位置を決めてるだけ」


「俺はどこだ」


「東側」


 ルークは窯から空白へ向かう線の途中を示した。


「薄影豹が西から来れば、正面はグレンとマルタ。ベイルの矢を嫌って右へ動いたら、オズが止める」


「右へ避けなかったら」


「左はリゼの縄だ。上へ行けば枝が揺れる。西へ戻ればベイルがもう一度射られる」


「お前の考えどおりに動けばな」


 オズは盾を構え、足元を確かめた。


「動かなければ、無理に動かさない」


「それで逃げられたら?」


「追わない。次の日に、また場所を作る」


 オズが何か言いかける。


 先にグレンが答えた。


「仕留める機会より、仕留められる場所を優先する。今回はそれでいい」


 マルタは窯跡の西側へ立ち、幅広の剣を抜いた。


「私はここか」


「グレンより半歩後ろ」


「なぜだ」


「薄影豹は、グレンが指示を出すと知っている。最初に狙うなら、そっちだ」


「私を隠すのか」


「グレンを狙って踏み込んだところへ、横から入ってほしい」


 マルタはグレンの位置を見たあと、剣を立てたまま半歩下がった。


「ここなら届く」


 ルークはうなずいた。


 自分の位置は、崩れた窯の横だった。


 盛り土の上へ立てば、北の岩場から南の鹿道まで見渡せる。前へ出るグレンとマルタの背中も、東に立つオズも視界に入った。


 剣が届く場所ではない。


 誰かが傷を負っても、すぐには駆け寄れない位置だった。


「不満か」


 グレンが尋ねる。


「いや」


「お前が前へ出れば、誰が全体を見る」


「分かっている」


「分かっていても動くから聞いた」


 ルークは返事をせず、窯跡からの見え方を確かめた。


 ラウルは南側の退路を一度歩き、北の涸れ沢へ続く道へ回った。


 白い布を枝へ結び、次の木までの距離を測る。目印を増やしすぎず、ひとつが外れても前後の布を見つけられる間隔にしていた。


「南は使える」


 戻ってきたラウルが言う。


「負傷者が出た場合は、窯跡から南へ下がれ。二百歩先で予備隊と合流できる」


「北は」


「涸れ沢へ出るまで狭い。薄影豹が後ろへ回った場合には使わない」


 グレンが全員を見回した。


「一度、動きを合わせる。ベイルは西から来た獣を射る。外して南へ振れ。マルタと俺は正面。オズは東を塞ぐ。リゼは縄。ルークは見えたものを言え。ラウルは退路と、抜けた獣を見る」


 ベイルが岩場へ上がる。


 薄影豹の代わりに、ローデンが用意した藁袋を予備隊の一人が引いた。長い縄の先につけ、泉へ続く道から窯跡へ向かって走る。


「西、三十五歩」


 ルークが声を出す。


 ベイルが弓を構えた。


「南へ寄る」


 矢を放つ代わりに、弦だけが低く鳴る。


 グレンが左へ一歩ずれ、マルタが空いた場所へ入る。オズは盾の縁を地面へつけ、リゼが縄を引いた。


 藁袋が低い縄に引っかかり、地面を転がった。


「いまの声では遅い」


 ベイルが弓を下ろした。


「俺が射る前に進路が変わっている」


「次は早く言う」


「早くではない。向きを変える前に言え」


 ルークは、藁袋を引いていた男へ元の位置へ戻るよう頼んだ。


 二度目は、縄を持つ腕の開きを見た。


 袋が南へ動くより先に声を出す。


「南へ寄せる」


 ベイルの弦が鳴り、マルタとオズが同時に動いた。


 今度は、藁袋が縄へ届く前に三人の間へ囲まれていた。


「もう一度」


 グレンが言った。


 同じ動きを、位置を変えながら繰り返す。


 誰か一人が転んだ場合。縄が切れた場合。ベイルが射られない角度へ入られた場合。


 マルタが動けなければオズが正面へ入り、リゼが東を塞ぐ。ベイルが岩場を下りた場合は、ラウルが北を見る。ルークの声が届かなければ、グレンが自分の判断で全員を動かす。


 日が傾く前に、七人はすべての縄と杭を回収した。


 本番まで森へ残しておけば、薄影豹に位置を教えることになる。


 最後に窯跡を離れたルークは、西側の獣道で足を止めた。


 朝にはなかった傷が、若い木の幹へついている。


 地面から、ルークの肩ほどの高さ。


 爪の先で撫でたような細い線が、四本並んでいた。


「いつだ」


 ベイルが膝をつき、傷口へ触れる。


 削れた木肌はまだ白く、樹液がにじんでいた。


「俺たちがここにいた間だ」


 ベイルは指についた樹液を土へ擦り落とした。


 ルークは周囲を見た。


 鳥は鳴いている。木の葉も、風に合わせて同じ方向へ揺れていた。


 薄影豹の姿はない。


 それでも獣は、七人が立つ場所を先に見ていた。


     ◇


 翌朝、治療師はルークの剣を自分の方へ引いた。


 ルークは鞘に入れたままの剣を右手で握り、奪われないよう引き戻す。


 指先に痺れは残っている。左肩も、腕を高く上げれば痛んだ。だが、昨日より力は入る。


「剣を落としそうになったら、意地を張らず両手で持つこと」


「左肩が痛む」


「落として味方を傷つけるよりましです。そもそも、あなたは前に出ない約束でしょう」


「予定では」


「その言い方は、グレンさんの前ではしない方がいいですよ」


 治療師は剣から手を離した。


「帰ってきたら、まっすぐここへ来てください」


「分かった」


「自分の足でですよ」


 ルークは答えず、剣を腰へ下げた。


 東門では、グレンたちがすでに待っていた。


 予備隊の四人は牧場まで同行し、二人が森の入口、残る二人が南の退路近くで待機する。負傷者が出れば引き継ぎ、都市まで運ぶ役目だった。


 薄影豹の死骸を置いていた敷き藁は、蓋をした二つの土器へ分けられている。毛と乾ききっていない血が残り、蓋の隙間は蜜蝋で塞がれていた。


 リゼは縄と杭を背負い、ベイルは長弓の弦を布で包んでいる。オズの長盾には、予備の革帯が二本増えていた。


 ラウルの荷物だけは、昨日とほとんど変わらない。


「出るぞ」


 グレンを先頭に、十一人が門を出た。


 牧場へ着いた頃、太陽はまだ東の空にあった。


 二頭の牧羊犬は納屋の陰から出てこない。牧場主は七人の水袋を満たし、何も言わず栓を一つずつ確かめた。


 森へ入る前に、グレンが全員へ告げる。


「昨日決めたことを変える場合は、必ず声に出せ。一人で追うな。空白へ入るな。長い笛が一度鳴ったら南へ引く」


 誰も返事を急がなかった。


 互いの顔を確かめてから、順にうなずく。


 ルークは最後に、森の入口から空白の方角を見た。


 昨日と同じ木々が並んでいる。


 何もないようにしか見えなかった。


     ◇


 窯跡へ着くと、七人は前日より短い時間で配置を作った。


 リゼが二本の木へ支点を結び、縄を地面へ伏せる。オズは東側の足元から石を退け、盾を構えたまま動ける幅を作った。ベイルは北の岩場へ上がり、射線にかかる枝を一本だけ落とした。


 グレンとマルタは窯跡の西へ立つ。


 ラウルは南北の退路を確認し、ルークは盛り土の上から全員の位置を見た。


「三十歩あるか」


 グレンが尋ねる。


 ルークは空白との境に見立てた二本の木から、オズの立つ場所までを目で測った。


「三十二歩」


「十分だ」


 土器の蓋を外す。


 鉄に似た血の臭いが、湿った森の空気へ広がった。


 中の敷き藁を窯跡の西へ置き、毛を低い枝へ絡ませる。風は南西から吹いていた。臭いは鹿道を横切り、森の北側へ流れていく。


 準備を終えたリゼが、地面に伏せた縄の端を握る。


 全員が待った。


 太陽が高くなるにつれ、盛り土の影がルークの足元へ縮んでいく。


 森は静かではなかった。


 小鳥が鳴き、遠くで木をつつく音がする。葉の裏では虫が羽を擦り、時折、風に押された枝が隣の幹へ当たった。


 音が多いほど、消えた場所は分かりやすい。


 西の鳥が一羽、鳴くのをやめた。


 少し遅れて、その北側でも声が消える。


「西。泉の道より北」


 ルークが告げる。


 ベイルが長弓を持ち上げた。


 グレンとマルタは、剣を抜いたまま動かない。


 オズの盾だけが、わずかに西へ向きを変えた。


 枝が揺れた。


 高い場所ではない。人の腰ほどの高さに張り出した枝が、沈んで戻る。


「低い。北へ回っている」


 次に動いた枝は、ベイルの立つ岩場へ近づいていた。


 弓弦が鳴る。


 放たれた矢が、木の陰へ消えた。


 灰褐色の身体が地面を滑る。


 矢を避けて飛び出した薄影豹は、窯跡へ近づかず、北の岩場へ沿って走った。右前脚が着くたび、肩がわずかに沈んでいる。


 傷は残っていた。


「右脚は使える。遅れは小さい」


 ルークが言う。


 ベイルが二本目を射る。


 薄影豹は地面を蹴り、細い木の幹へ前脚をかけた。身体を横へ投げるように向きを変え、矢を後方へ逸らす。


「南へ寄る!」


 リゼが縄を引いた。


 二本の縄が鹿道を塞ぐ。


 薄影豹は止まらない。


 低い縄の手前で身体を沈め、その反動で高い方まで一息に越えた。


 だが、着地した先にはオズがいた。


 長盾の縁が地面へ食い込み、短槍が盾の横から突き出される。


 薄影豹は槍へ飛び込まず、後ろ脚で地面を削った。


 正面に盾。背後に縄。北からはベイルの矢が来る。


 選べる道は西しかない。


「戻るぞ」


 グレンが一歩踏み込んだ。


 薄影豹が西へ跳ぶ。


 その先へマルタの幅広の剣が振り下ろされた。


 獣は身体をひねり、刃を肩の毛だけで滑らせる。完全には避けきれず、灰褐色の毛が宙へ散った。


 着地と同時に、薄影豹は木々の間へ消えた。


「追うな」


 グレンの声が飛ぶ。


 マルタは剣を戻し、オズも盾の位置を変えなかった。


 誰も追わない。


 薄影豹が望んだ場所まで連れていかれる失敗は、繰り返さなかった。


 西側で、鳥の声が一つずつ戻り始める。


「離れたか」


 オズが盾越しに尋ねた。


「まだ近い」


 ルークは窯跡の北を見た。


 ベイルが射った一本目の矢が、木の幹へ刺さっている。


 矢羽だけが震えていた。


 風ではない。


 幹の反対側を、何かが蹴った。


「ベイル、下りろ!」


 薄影豹が岩場の裏から跳び上がった。


 ベイルは弓を捨て、腰の短槍を抜く。穂先を上へ向けるより早く、灰褐色の前脚が岩の縁へかかった。


 グレンが岩場へ走る。


 薄影豹はベイルへ飛びつかなかった。


 岩を蹴り、グレンの頭上を越える。


 獣の向かう先には、マルタがいた。


「上だ!」


 マルタが振り向き、幅広の剣を横へ構える。


 薄影豹はその正面へ降りた。傷ついた右前脚が折れ、身体が東へ崩れる。


 マルタは逃げ道を塞ぐように、一歩踏み込んだ。


 右脚が地面を蹴った。


 力が入らないように見せていただけだ。薄影豹は倒れかけた姿勢から反対側へ身を翻し、剣の間合いへ潜り込む。


 左の前脚が、マルタの腿を横から裂いた。


 革鎧の裾が切れ、血が散る。


 マルタの膝が折れた。


「マルタ!」


 ルークの右足が、盛り土を下りかける。


 薄影豹は倒れたマルタを見ていなかった。


 黄色い目が、ルークへ向いている。


 前の戦いでもそうだった。


 獣は傷つけた者より、その傷を見て動く者を選ぶ。


 ルークは踏み出した足を戻した。


「オズ、前へ! リゼは止血! グレンは西を切れ!」


 オズが盾を持ったままマルタの前へ入る。


 薄影豹が横へ飛び、盾の表面を爪で叩いた。オズの身体が半歩押されたが、倒れない。


 その間にリゼがマルタの腕を取り、窯跡の裏へ引いた。


 ルークは動かなかった。


 マルタの傷から落ちる血が見える。リゼが革帯を腿へ回し、布を押し当てている。今すぐ自分が加わっても、できることはない。


 見るべきものは、薄影豹だった。


「西へ行く!」


 グレンが進路へ剣を置く。


 薄影豹はその手前で身体を反らし、再び北へ逃れた。


 ベイルが岩場から下り、捨てた長弓を拾う。


「マルタは」


「骨までは届いてない!」


 リゼが傷を押さえたまま答える。


「立てるか」


 グレンが尋ねる。


「走るのは無理だ」


 マルタは自分で答えた。


「剣は振れる」


「後ろへ下がれ。正面は俺とオズで持つ」


「分かった」


 マルタは言い返さなかった。


 事前に決めた交代どおり、リゼの肩を借りて盛り土の東へ移る。


 薄影豹は姿を消したままだった。


 だが、完全に離れてはいない。


 北側で、小鳥が一羽だけ飛び立った。


 その次は、さらに東。


 声の消える順番が、窯跡から遠ざかっていく。


「逃げたか」


 オズが尋ねる。


 ルークは答えなかった。


 北へ続く印を、頭の中の地図へ重ねる。


 薄影豹は水場へ向かっていない。森の奥へ逃げてもいない。


 七人が窯跡から北へ退く場合に使う、涸れ沢への道を横切っていた。


「北の退路だ」


 ルークが言う。


「何?」


「あいつは逃げていない。俺たちの後ろへ回る」


 ラウルが北の木立へ顔を向けた。


 腰の剣へ手を置き、初めて窯跡から離れる。


 その先で、鳥の声がまた一つ消えた。


 薄影豹は、七人の帰る道を見ていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。