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15 影



 故郷の村から戻って、三日が過ぎた。


 フロンティアの中央通りからは、討伐記念式典の飾りがほとんど消えていた。


 建物の軒を埋めていた赤い布は外され、屋台も普段の数へ戻っている。広場に残っているのは、竜の頭を見物するための囲いと、修理の終わっていない石柵だけだった。


 S級の隊長は爵位を受けたあとも都市へ留まらなかった。


 直属のA級三人と、アレンたちの四人パーティーを連れ、北西の未踏域へ向けてすでに出発している。


 ルークが村から戻る一日前のことだった。


 置いていかれたとは思わない。


 彼らの遠征は、ドラゴン素材回収より少人数で、進む速度も速い。目的地も危険度も違う。今のルークが加われる隊ではなかった。


 それでも、別れの言葉くらい交わせると思っていた。


 アレンが宿へ残した紙には、短く二行だけ書かれていた。


 ――今度は三年もかからない。


 ――戻ったら、右でもう一度勝負しよう。


 日付も、帰還予定もなかった。


 ルークはその紙を手帳の後ろへ挟み、いつものように冒険者ギルドへ向かった。


 長期遠征の報奨は受け取っている。当分は仕事をしなくても暮らせる額だったが、部屋で休み続ける理由もなかった。


 東の森の報告を確認し、条件に合う依頼があれば受ける。


 そう考えて扉を開けると、広間の様子が普段と違っていた。


 依頼板の前に集まっている者が少ない。


 代わりに、受付の奥をギルド職員が行き交い、壁へ掛けた周辺地図へ何枚もの紙を留めている。外から戻ったばかりらしい男は泥のついた長靴のまま椅子へ座り、水を飲んでいた。


 セラがルークを見つける。


「ちょうどよかったです」


「何かあったのか」


「東街道沿いの牧場で、家畜が襲われました」


 セラは受付に置かれた報告書を一枚取った。


「昨夜、若い牛が一頭、囲いから連れ去られています。牧場主と使用人に怪我はありません。ただ、周辺で別の獣も街道近くへ出ています」


「別の獣?」


「昨日だけで、鹿が二頭、畑まで下りてきました。北の薪炭小屋では角兎の群れが見つかり、その近くでラッシュボアの新しい蹄跡も確認されています」


 どれも、東の森にいること自体は珍しくない。


 ただし、人の暮らす場所へ同じ時期に出てくる種類ではなかった。


「灰爪熊のあとは、落ち着いたんじゃなかったのか」


「一時的には。東の森への警戒も、深部へ入らなければよいところまで下げる予定でした」


「予定だった?」


「今朝、取りやめになりました」


 セラが地図を示す。


 東街道の北側へ、三枚の報告が留められている。牧場、薪炭小屋、川沿いの畑。場所は離れているが、いずれも森の西端に近い。


「現地を見てほしいのか」


「はい。ただし、依頼ではなくギルドの緊急調査です。被害の確認だけで、森の中へは入りません」


「誰が行く」


「調査責任者はローデンさん。護衛判断はグレンさんです。ルークさんには、痕跡の確認をお願いします」


 B級のグレンがいるなら、街道沿いの調査としては十分な戦力だった。


 それでも、セラがわざわざ護衛判断という言葉を使った理由は分かる。


 追跡するか、引き返すかを決めるのはグレンだ。


 ルークが痕跡を見つけても、勝手に目的を変えて森へ入ることはできない。


「出発は」


「半刻後です。受けてもらえますか」


「受ける」


「では、こちらへ名前をお願いします」


 セラは参加者の欄を指した。


 すでに三人分の名前が書かれている。


 ローデン。グレン。そして最後の一人を見て、ルークは筆を止めた。


「ユアンも行くのか」


「現場とギルドを往復する伝令役です。牧場までは街道を使いますし、森へ入らない条件ならD級でも受けられます」


「本人は納得しているのか」


「していると聞いています」


 その答えを聞いた直後、裏口からユアンが入ってきた。


 肩へ小さな荷袋を掛け、短槍を背負っている。ルークを見つけると、嬉しそうに近づいてきた。


「一緒の仕事ですね」


「伝令役だと聞いた」


「分かってます。戦いになったら、言われた相手へ知らせを運びます」


「前へ出るなよ」


「まだ何もしてませんよ」


「する前に言っている」


 ユアンは不満そうな顔をしたが、否定はしなかった。


 セラが二人の間へ紙を差し出す。


「出発前に、役割はローデンさんからもう一度説明があります。まず署名をお願いします」


 ルークは自分の名を書いた。


     ◇


 東門を出たのは、朝の鐘が二度鳴ったあとだった。


 前を歩くローデンは、以前と同じ目盛りつきの杖を持っている。細い金属枠の眼鏡は鼻へ掛けたままで、首からは地図筒を下げていた。


 グレンは四人の少し前を歩き、補修跡の多い片手剣を腰へ下げている。稽古のときに巻いていた黒い革紐は、今日も右手首にあった。


 ユアンは最後尾だった。


 本人から希望したのではなく、ローデンがそこへ置いた。


「今日の目的は、牧場の被害確認と周辺の痕跡採取だ」


 歩きながら、ローデンが念を押す。


「森の中へ続く跡を見つけても追わない。危険な魔物の可能性が出た時点で、ユアンが先に都市へ戻って報告する。グレンが撤退を決めたら、調査は途中でも打ち切る」


「分かりました」


 ユアンが答える。


「君に戦うなとは言わない。退路を開くために必要なら戦ってもらう。ただし、何かを見つけたからといって一人で確かめに行くな」


「……はい」


「返事の前に間があったな」


「ちゃんと考えてから返事したんです」


 グレンが前を向いたまま笑った。


「それなら、少しは進歩してる」


 石を敷いた街道は、荷車が二台すれ違えるほど広い。


 左右には畑が続き、低い石垣の向こうへ麦の穂が揺れている。東の森はさらに遠く、濃い緑の帯となって丘の裾へ広がっていた。


 都市から半刻ほど進んだ場所で、ルークは道端へ視線を向けた。


 鹿の糞が落ちている。


 まだ乾いていない。その先には二頭分の蹄跡があり、森ではなく畑の間へ続いていた。


 ローデンも気づいて足を止める。


「昨日、報告にあった二頭かな」


「大きさは合う。だが、一頭は今朝もここを通っている」


「何で分かるんです?」


 ユアンが足跡へ近づく。


「昨日の夜に降りた露が、片方の跡だけに残っていない」


「戻ってきたんですか」


「同じ個体ならな」


 ルークは蹄跡の向きを確かめた。


 畑へ向かった跡と、森の方角へ戻った跡がある。ただし戻る足跡は、森の手前で北へ曲がっていた。


 自分の生息地へ戻ろうとして、途中で別の道を選んでいる。


「鹿が森を避けている」


 ローデンが言った。


「避けたのは、この場所だけかもしれない」


 ルークは答えた。


 一つの痕跡で、森全体の異常とは決められない。


 だが、牧場の牛、薪炭小屋の角兎、ラッシュボアの蹄跡が同じ時期に見つかっている。


 偶然と切り捨てるには、少しずつ数が増えていた。


 ローデンは位置を地図へ書き込み、四人は街道へ戻った。


     ◇


 被害のあった牧場は、東街道から北へ少し外れた丘の下にあった。


 母屋と納屋を低い木柵が囲み、その外側へ牛を放す牧草地が広がっている。森までは歩いて四半刻ほど。間には灌木の多い空き地と、細い用水路があった。


 牧場主は、牛囲いの前で待っていた。


 五十を過ぎた大柄な男で、右手には鉈を持っている。昨夜から眠っていないらしく、目の下が黒かった。


「ギルドの調査員です。昨夜のことを、もう一度聞かせてください」


 ローデンが名乗ると、牧場主は囲いの奥を見た。


「夜半より少し前だ。牛が一斉に鳴いた。外へ出たときには、あの柵が折れていた」


 示された柵は、横木が一本だけ外れている。


 割れたのではない。上から強い力がかかり、支柱に打ち込まれていた木栓が抜けていた。


「獣を見ましたか」


「見てない。灯りを持って外へ出たら、牛が一頭消えてた。森の方で枝の折れる音がして、それきりだ」


「吠え声や唸り声は」


「何も聞いてない」


「犬は飼っていますか」


「二頭いる。どっちも納屋の下へ潜って、朝まで出てこなかった」


 牧場主の足元にいた牧羊犬が、呼ばれても森の方を見ようとしない。尾を腹へ巻き込み、耳を伏せている。


 グレンは牧場主から昨夜の立ち位置を聞き、母屋と囲いの距離を確かめた。


 ルークとローデンは、横木の外れた場所へ入る。


 囲いの土は、何十頭もの蹄に踏まれて固くなっていた。それでも水桶の周りだけは濡れ、泥が柔らかい。


 牛の蹄跡に混じって、丸い窪みが一つ残っていた。


 ルークは手を触れず、その横へ指を置いて大きさを測る。


 広げた手より一回り大きい。


 指に当たる部分が丸く、爪の跡がない。


「猫科だな」


 グレンが少し離れた場所から言った。


「たぶん」


 ルークは立ち上がり、柵の上を見た。


 外れた横木に、短い毛が三本引っかかっている。灰色にも茶色にも見える毛だった。


 柵の内側には着地した跡がある。


 だが、外から柵へ近づいた足跡がない。


 反対側にも、囲いから出ていった跡は残っていなかった。


「飛び越えたのか?」


 ユアンが柵を見上げる。


 横木の高さは、ルークの胸ほどある。


「入るときはな」


「出るときは牛を連れてるでしょう」


「だから横木を落とした」


 柵の外には、牛の身体が擦った跡がある。


 血は少ない。


 首を一度噛まれ、声を上げる前に死んだのだろう。抵抗して土を蹴った跡もなかった。


 そこから、草が一頭分の幅で倒れている。


 牛を引きずった跡だった。


「若い牛とはいえ、大人が四人でも簡単には動かせない重さだぞ」


 牧場主が言った。


「灰爪熊でも、こんなふうに運べるものか」


「運べる」


 グレンが答えた。


「だが、熊なら柵を壊す。足跡も、臭いも、もっと残る」


 ルークは倒れた草の脇を見ながら歩いた。


 獲物の血と毛は見つかる。


 引きずられた牛の蹄も、ところどころ土へ当たっていた。


 それなのに、運んだ側の跡だけが続いていない。


 三歩ほど離れた平たい石に、泥が薄くついている。


 さらに先では、地面から出た太い根の表面に、同じ泥が残っていた。


 次は、倒れた木の幹。


 獣は土を避け、硬い場所だけを選んでいる。


「足跡が消えたんじゃない」


 ルークが言った。


「最初から、残る場所をほとんど踏んでいない」


 ローデンが眼鏡を額へ上げ、石についた泥へ顔を近づけた。


「牛を引きずりながらかい?」


「牛の跡は隠していない。自分の足だけだ」


「そこまで考えて歩く獣がいるのか」


 ユアンが尋ねる。


「人に追われたことがあるなら、覚える」


 グレンは断言せずに答えた。


「魔物は同じ失敗を繰り返すとは限らない」


 四人は、引きずられた跡に沿って牧草地を進んだ。


 ルークは足元だけを見なかった。


 草の倒れる向き。枝の高さ。牛の身体についた土が、どこで落ちているか。運んだ獣が地面へ体重をかけたなら、周りのものにも重さが残る。


 だが、その間隔が長すぎた。


 平たい石から根まで、六歩。


 根から倒木までは、さらに七歩。


 二百斤近い獲物を引きながら、一度の跳躍で進んでいる。


 着地しても、爪を立てた跡はない。


「灰爪熊より速いな」


 ルークが言う。


「力もある」


 グレンの手が、片手剣の柄へ移った。


 まだ抜いてはいない。


 森は見えているが、周囲に襲いかかる気配はなかった。


     ◇


 引きずられた跡は、用水路で一度途切れた。


 牛の血が水へ混じり、細い赤色となって下流へ流れている。


 対岸の柔らかい泥には、牛の毛と蹄が擦った跡があった。


 運んだ獣の足跡はない。


 ルークは流れの上と下を見た。


「水の中を歩いた」


「どちらへ?」


 ローデンが尋ねる。


 水へ混じった血だけでは分からない。流れに運ばれれば、獣がどちらへ進んでも下流へ広がる。


 ルークは両岸を数歩ずつ確かめた。下流側には、水面へ倒れた草へ血が薄く付着しているだけだった。上流側では、岸から張り出した草が水路の内側へ折れ、その茎に牛の毛が絡んでいる。


「上流だ。牛の身体が、あの草へ当たっている」


 水路沿いを上流へ進む。


 二十歩ほど先に、流れの中から平たい岩が出ていた。その表面へ、濡れた牛の毛が一筋だけ貼りついている。


 岩の隣には、低く伸びた樫の枝があった。


 枝の上側が濡れ、葉の一部に血がついている。


「水路から、あの枝へ上がった」


 ローデンが杖で高さを測る。


「牛をくわえたまま?」


「そうなる」


 枝は、ルークが腕を伸ばしても届かない高さにあった。


 そこへ跳び上がり、太い枝を渡って森へ近づいている。


 地面へ足跡を残さず、流れる水で臭いを薄め、硬い岩と木の上を選ぶ。


 痕跡が残らないのではない。


 追う者がどこを見るかを知っている。


 ルークは樫の木から先を見た。


 枝は森の手前で別の木へ重なっている。葉が擦れた跡を拾えば追えるかもしれない。


 だが、その先はギルドが立ち入りを控えるよう告知している範囲だった。


「ここまでだ」


 グレンが言った。


「まだ跡は続いている」


「分かってる。だから戻る」


 グレンは森から目を離さなかった。


「足跡を消す知恵があって、牛をくわえたまま木へ上がる力もある。俺一人で三人を守りながら、知らない相手の縄張りへ入る理由はない」


 ルークも異論はなかった。


 依頼されたのは、被害の確認と痕跡の採取までだ。


 追跡ではない。


「ユアン」


「はい」


「先にギルドへ戻れ」


 ローデンが手早く紙へ書き、筒へ入れた。


「大型の猫科と思われる足跡。推定重量と跳躍距離は灰爪熊を上回る。水路と樹上を使い、追跡を避ける行動あり。東の森への警戒を最上位まで戻すように、と書いてある」


 ユアンは筒を受け取り、肩紐を締めた。


「俺一人で戻っていいんですか」


「街道まではルークが送る」


 グレンが答えた。


「街道へ出たら走れ。途中の監視所でも同じ内容を伝えろ。森側で何か動いても、確かめに行くな」


「分かりました」


 今度は間を置かなかった。


 ルークはユアンを街道が見える丘まで送った。


「門へ着くまで、速度を落とすな」


「ルークさんは戻るんですか」


「ローデンたちが残っている」


「気をつけてください」


「お前もな」


 ユアンは頷き、都市へ向かって走り始めた。


 反応の速さだけではない。


 長距離を走る身体も、以前よりできている。短槍と荷袋を背負っていても、街道へ出る頃には歩調が安定していた。


 ルークはその背中が監視所の方角へ曲がるまで見届け、牧場へ戻った。


     ◇


 ローデンは、抜けた横木の近くで採取した毛を白い布へ包んでいた。


 グレンは牧場主と話し、今夜の牛をどこへ移すか決めている。


「街道近くの共同厩舎へ入れた方がいい。ここの柵では、また来たときに止められない」


「全部で二十七頭いる」


「日が落ちる前なら間に合う。ギルドからも人を出させる」


「戻ってくると思うのか」


「獲物を半分以上運びきってる。一晩で食べきる量じゃない。残りを守るために近くへいる可能性がある」


 牧場主の顔が強張った。


「なら、あんたらが倒してくれ」


「相手が何かを確かめてからだ」


「牛が食われたんだぞ」


「次は人が食われるかもしれない。分からないまま森へ入って、ここへ戻れなくなる方がまずい」


 グレンの声は低いが、迷いはなかった。


 牧場主は納得していない顔をした。それでも、自分の家族と使用人を見て、鉈を下ろした。


「分かった。牛を移す」


 ローデンが毛を包み終える。


「昔の記録と照らし合わせたい。ギルドへ戻ろう」


「心当たりがあるのか」


 ルークが尋ねる。


「まだ名前を出せるほどではないよ」


 ローデンはそう答えたが、表情は硬かった。


 四人で来た道を、三人で戻る。


 鹿の足跡があった場所を通ると、朝にはなかった荷車の轍が重なっていた。それでも、森へ戻ろうとして北へ曲がった蹄跡だけは、道の端に残っている。


 森から逃げているのか。


 それとも、森の中の一か所だけを避けているのか。


 今の痕跡だけでは分からなかった。


     ◇


 ギルドへ戻る頃には、東門へ向かう冒険者の姿が消えていた。


 門前の掲示板には、東の森と周辺の街道へ立ち入らないよう、新しい警告が貼られている。牧場へ牛を移す荷車と、周辺の住民へ知らせを運ぶ兵だけが門を出入りしていた。


 ユアンの報告は、すでに届いている。


 二階の資料室では、ローデンが古い魔物記録を卓へ積み上げた。


 十年前。


 二十三年前。


 三十一年前。


 東の森だけでなく、王国北部や西の山地で確認された大型猫科の報告が並んでいる。


 ルークは採取した毛と、記録に貼られた古い毛束を見比べた。


 保存状態が違うため、色だけでは判断できない。


 だが、毛の先が二つへ裂け、根元に近い部分だけが異様に細い特徴は一致していた。


 ローデンが一冊の記録を開く。


 そこには、泥の上に残った大きな丸い足跡と、途中から何も描かれていない追跡図があった。


「薄影豹」


 ローデンが、初めて名前を口にした。


「夕方から夜に動く大型の魔物だ。灰褐色の毛は、木陰に入ると輪郭が見えにくい。足裏が柔らかく、爪も歩くときには引っ込めている」


「足跡を消すのか」


「正確には、残さない場所を選ぶ。古い個体ほど、人間が地面と臭いを追うことを知っていると記録されている」


 ローデンの指が、追跡図の空白をなぞった。


「薄影という名は、姿が消えるからじゃない。追った者が見つけられるのが、そこにいた痕跡の薄い影だけだからだ」


「等級は」


「A級指定」


 ユアンが息を呑んだ。


 資料室の壁際で、別の報告を届け終えたあとも残っていた。


「A級冒険者じゃないと、倒せないんですか」


「単独で追跡し、遭遇した場合の指定だよ」


 ローデンが答える。


「痕跡と行動を調べ、複数のB級で対策を組めば討伐できる可能性はある。逆に、何も知らずに森へ入れば、A級でも殺される」


「アレンは、もういない」


 ルークが言った。


「S級隊長も、直属のA級も北西へ出た」


「だからこそ、まず確かめる」


 グレンは椅子へ座らず、卓の地図を見下ろしていた。


「今日の一件だけで薄影豹と決めるな。似た性質の魔物かもしれない。何頭いるかも、どこまで近づいているかも分からない」


 ローデンが新しい周辺地図を広げる。


 牧場。


 薪炭小屋。


 川沿いの畑。


 灰爪熊が現れた場所。


 その前に、ラッシュボアが倒された場所。


 報告の日付と、獣が向かった方向を一本ずつ書き込んでいく。


 種類も時期も違う。


 それでも、森の深部から外側へ押し出される流れだけは重なっていた。


「薄影豹がほかの獣を追い出しているのか」


 ユアンが尋ねる。


「それだけなら、薄影豹は奥から何に追い出された?」


 ルークは地図を見た。


 A級指定の捕食者が、自分の縄張りを捨てて人の近くへ移る。


 餌を追ってきた可能性はある。


 だが、森には獲物がいた。外へ出てきた鹿や角兎が、その証拠でもある。


 ほかの理由がある。


 森の中に、薄影豹さえ避ける何かが生まれたのかもしれない。


 地図の上では、何も描かれていない。


 被害の場所と、逃げてきた獣の跡だけが、その空白を囲み始めていた。



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