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14.5 故郷



 フロンティアの南門を出て半日も歩くと、石を敷いた街道は土の道へ変わった。


 左右に広がる麦畑は刈り入れを終え、切り株の間で鳥が落ち穂をついばんでいる。さらに進めば畑もまばらになり、代わりに背の高い針葉樹が道の近くまで迫ってきた。


 この辺りまで来ると、すれ違う荷車は少ない。


 ルークは外套の留め具を緩め、肩から下げていた荷物を背負い直した。


 長期遠征の報奨を受け取ったあと、剣の手入れを頼み、必要な報告書を出した。討伐記念の式典まで終わると、急にすることがなくなった。


 休めるうちに休めと、何人にも言われた。


 それなら、一度くらい家へ戻っておこうと思った。


 故郷の村は、フロンティアから最も近い開拓村の一つだった。周囲には畑もあるが、暮らしの中心は森から切り出す木材と炭、それから狩猟で得られる毛皮や肉だ。未踏域と呼ばれる場所からは遠く、人の手が入った森に囲まれている。


 それでも、子供が一人で奥へ入ってよいほど安全ではない。


 道の脇に、細い枝が一本落ちていた。


 折れてから、さほど時間は経っていない。切り口はまだ白く、葉も乾いていなかった。見上げると、枝が抜けた場所が道の上ではなく、森側にある。


 ルークは足を止め、周囲の土を見る。


 荷車の轍。靴底の広い大人の足跡。その横に、踵の小さな跡が二人分。森へ入った跡はなく、村の方角へ続いている。


 木こりが荷車へ積んだ枝を一つ落としただけらしい。


 そこまで確かめてから、ルークは歩き出した。


 森で暮らしていた頃から変わらない癖だった。


 村が近づく前に、木を叩く乾いた音が聞こえてきた。


 一定の間を置いて、三度。少し休み、また三度。


 斧を振る音ではない。木槌で楔を打ち込んでいる。音の重さからして、切っているのは建材用の太い丸太だろう。


 やがて道が開け、斜面に寄り添うように家々が現れた。屋根の向こうには細い煙がいくつも昇り、広場の端には皮を剥いだ丸太が積まれている。


 最初にルークを見つけたのは、薪を抱えて歩いていた弟だった。


 ルークより頭一つほど低い。父に似た濃い茶色の髪を短く刈り、まだ子供の顔をしているわりに肩幅が広かった。薪運びを手伝うようになってから、腕も少し太くなっている。


 足を止め、二度瞬きをしたあと、抱えていた薪をその場へ落とした。


「兄ちゃん!」


 家々の間へ声が響く。


「薪を拾え」


「帰ってきた!」


「分かったから、先に拾え」


 弟は落とした薪を二本だけ拾い、残りを置いたまま走ってきた。


 その声を聞いた妹も、家の戸口から飛び出してくる。弟より二つ下で、背丈はルークの胸にも届かない。母と同じ赤みのある栗色の髪を肩口で切り揃え、目だけはルークと同じ灰青色をしていた。


 妹はルークの前で一度踏みとどまり、顔より先に腰のプレートを見た。


「まだC級?」


「まだ、は余計だ」


「竜を倒しても上がらないの?」


「倒したのは俺じゃない。今回は、倒した竜を運ぶ仕事だ」


「じゃあ、竜は見た?」


「見た」


「火も?」


「死んでいたから吐かない」


 妹は少し考え、不満そうに眉を寄せた。


「役に立たない竜ね」


「あれを役に立たないと言えるのは、お前くらいだ」


 弟がルークの荷物へ手を伸ばした。


「牙は? 鱗は持ってきた?」


「持って帰ったら捕まる」


「一本くらい分からないだろ」


「そういう奴から、次の遠征に呼ばれなくなる」


「兄ちゃん、真面目すぎるよ」


 弟は父親からも言われる言葉を、よく似た顔で口にした。


 戸口に立った母が、腰へ両手を当てている。


 小柄だが、背筋が伸びているためか実際より大きく見える人だった。赤みのある髪を後ろで束ね、袖を肘までまくっている。肉と薬草の加工をしていたらしく、指先がわずかに緑色に染まっていた。


「話は家の中でしなさい。それと、そこの薪を拾ってくるまで、おやつはなし」


 弟が振り返った。


「兄ちゃんが帰ってきたのに?」


「帰ってきたから、家の仕事が消えるの?」


「消えない」


「なら、拾ってきなさい」


 弟と妹が競うように薪へ走っていく。


 母は二人を見送り、それからルークを頭の先から靴まで眺めた。


「怪我は」


「治った」


「左肩をかばっているように見えるけど」


 ルークは自分の肩を見た。


 少し前、灰爪熊の爪を受けた場所だった。傷は閉じている。剣を振っても痛まない。ただ、長い荷物を背負って歩くと、知らないうちにかばっていたらしい。


「痛くはない」


「あとで傷だけ見せて。必要なら薬草を持たせるから」


「都市の治療師にも診てもらった」


 母はそれを聞くと、小さく頷いた。


「分かったわ。なら、夕食までに肩だけ見せて。先に手を洗ってきなさい」


「分かった」


 母はそう言って家へ入った。


 返す言葉を考えているうちに、弟と妹が薪を抱えて戻ってきた。ルークは二人の後ろから家へ入り、背負っていた荷物を壁際へ置いた。


 燻した肉と煮込みの匂いがした。


 帰る日を知らせてはいなかった。それでも鍋には、五人で食べても余るほどの量が入っている。森仕事を終えた父が誰かを連れてくることもある家では、珍しいことではなかった。


 母が湯を沸かしている間に、ルークは上着を脱いで左肩を見せた。


 母は爪痕に沿って残った傷を眺め、腫れがないか指先で軽く押した。傷口はすでに塞がり、熱も持っていない。


「傷はきれいね。長くかばっていたから、荷物を背負うときだけ癖が戻るのかもしれないわ」


「治療師にも同じことを言われた」


「それなら、私が重ねて言うことはないわね」


 母はあっさり手を離した。代わりに、薬草を煮出した湯と清潔な布を置く。ルークはそれを受け取り、自分で旅の汗と土を拭った。


 傷を治すのは、洗浄と薬草と休養、それから本人の身体だ。魔物の爪痕であっても、その順序は変わらない。


「少し痩せたわね」


「百日以上歩けば、多少は」


「どのくらい食べていたの?」


「決められた量は」


「足りなかったのね」


「足りていた」


「遠征の決まりではなく、あなたに?」


 ルークは答えなかった。


 母が鍋へ芋を二つ足した。


     ◇


 父が戻ったのは、日が森の向こうへ隠れる少し前だった。


 背負い籠には、仕掛けから外した縄と、泥のついた木杭が入っている。腰には山刀を差し、片方の長靴だけが膝まで濡れていた。


 背丈はルークより頭半分ほど高く、森仕事で鍛えた身体は厚い上着の上からでも肩と背中の広さが分かる。日に焼けた顔には浅い皺が増え、濃い茶色の髪には白いものが混じり始めていた。細めた灰青色の目は、ルークが鏡で見るものとよく似ている。


 父は戸口でルークを見ると、驚いた様子もなく言った。


「帰ったか」


「今朝、都市を出た」


「そうか」


 それだけ言って、父は籠を下ろした。


 弟と妹がルークを挟んで竜の大きさを説明し始める。まだ何も話していないのに、竜はすでに村の集会所より大きく、ひと息で山を焼き、牙一本で剣を十本作れることになっていた。


「山を焼くところは見てない」


「でも、焼けるんだろ?」


「焼ける」


「じゃあ合ってる」


「見た話と、できる話は分けろ」


 弟は納得していなかったが、父は小さく笑った。


 夕食が始まると、二人の質問はさらに増えた。


 竜の角は何人で運んだのか。鱗は剣で切れるのか。S級は本当に一人で百人に勝つのか。銀鉱石は銀貨と同じ色なのか。


 ルークは一つずつ答えた。


 竜の首を運ぶには、馬六頭と専用の運搬台が必要だった。鱗は場所によって厚さが違い、薄い部分でさえ普通の刃物では容易に切れない。S級が百人に勝てるかは知らない。銀鉱石は、磨いた銀貨ほど明るくない。


「兄ちゃんの話、たまにつまらない」


 妹が言った。


「嘘を混ぜれば面白くなる」


「少しくらい混ぜてもいいよ」


「それをやると、次から自分でもどこまで見たのか分からなくなる」


「じゃあ熊の話。二頭倒した熊」


「二頭とも、俺が倒したわけじゃない」


「またそれ」


 弟が頬を膨らませる。


 ルークは煮込んだ肉を飲み込み、灰爪熊の調査について話した。


 人の使う道の近くに、本来なら奥にいるはずの熊が現れたこと。調査へ出た五人で、一頭を追っていたこと。だが、熊は一頭ではなかったこと。


 妹が匙を止める。


「怖くなかった?」


「怖いかどうかを考えている暇はなかった」


「それ、怖かったってことだろ」


 弟が得意そうに言う。


「たぶんな」


 ルークは二頭目が現れたあとの話を短くした。


 仲間を守りながら戦い、応援に来たB級冒険者が一頭を仕留めた。負傷者は出たが、全員で都市へ戻った。


 誰がどこで転び、どれほど爪が近くを通ったのかまでは話さなかった。弟妹に聞かせる必要はない。


「それで、兄ちゃんは熊に勝ったの?」


「一頭なら、次はもっと上手く戦える」


「二頭なら?」


 問いかけたのは父だった。


 ルークは父を見る。


 父は皿から目を上げず、硬い肉を奥歯で噛んでいる。


「今のままでは厳しい」


「一人で出会ったなら、逃げられたか」


「地形を選べば」


「そうか」


 父はそれ以上、食卓では聞かなかった。


 代わりに妹が、竜の肉は美味しいのかと尋ねた。ルークは食べていないと答え、どうしてと責められた。


 鍋が空になる頃には、弟は何度も欠伸をしていた。妹も最後まで起きていると言い張りながら、椅子の背へ頭を預けている。


 母が二人を寝床へ追いやる。


「明日も話してね」


「起きてからな」


「竜の次は、S級の話」


「分かった」


 二人が奥の部屋へ消える。


 父は食卓に残った椀を重ね、ルークへ顎を振った。


「少し歩くか」


     ◇


 夜の村は暗かった。


 家々の窓から漏れる灯りは少なく、通りの端に置かれた油灯も、足元をぼんやり照らすだけだ。空には雲がなく、屋根の向こうまで星が見える。


 父は村の外れにある作業小屋へ向かった。


 昼間に聞こえていた木槌の音は止んでいる。積み上げられた丸太の間を通り、小屋の軒下で足を止めた。


「二頭目が出たとき、お前だけなら逃げられたんだな」


「たぶん」


「ほかは」


「無理だった」


「だから残った」


「俺が調査の責任者だった」


 父は腰の山刀を抜き、刃についた樹脂を布で拭った。


「責任者でなければ逃げたか」


 ルークはすぐには答えなかった。


 森の道で二頭目を見つけた瞬間を思い出す。


 味方の位置。熊の向き。倒木までの距離。負傷者を出さずに退く道。そのどれもが見えたが、全員を安全に逃がす方法は見つからなかった。


「分からない」


「それでいい」


 父は布を裏返し、もう一度刃を拭いた。


「分からないものを、今決めたふりはするな」


 聞き慣れた言葉だった。


 幼い頃、父と森へ入るたびに言われた。足跡を見つけても、すぐ獣の名を口にするな。見えない部分を都合よく埋めるな。分かったことと、考えたことを分けろ。


 ルークが手帳へ細かく記録を残すのも、その頃の名残だった。


「覚えてるか。初めて罠場へ連れていった日」


「鹿を待った日か」


「鹿は来なかった」


「兎が一羽通った」


「俺は覚えていない」


「左耳の先が欠けていた」


 父が笑った。


「それだ」


 その日は夜明け前から倒木の陰に伏せ、昼を過ぎても獲物は現れなかった。父は諦めて帰ろうとしたが、幼いルークだけは、木の根元に残った小さな擦れ跡を見続けていた。


 何度呼ばれても返事をしなかったらしい。


「お前は昔から、目がいいというより、見始めたら止まらなかった」


「呼ばれたことには気づいていた」


「三度、肩を揺すった」


「それは覚えていない」


「だろうな」


 父は山刀を鞘へ戻した。


「だから、獲物の跡だけを見るなと教えた。鳥の声も、風も、自分が帰る道も忘れるな。獲物を見つけても、帰れなければ猟にはならん」


「今は忘れない」


「忘れなくなっただけだ。一つを見すぎる癖は変わってない」


 否定しようとして、ルークはやめた。


 長期遠征でも、車輪の傷へ深く意識を沈めすぎたことがある。細部はよく見えたが、そのぶん頭が痛み、長くは続かなかった。薄く広く見ることを覚え始めても、危険が迫れば、結局は一つの答えを見つけるまで深く潜ろうとする。


「それで助かったこともある」


「あるだろうな」


 父はあっさり認めた。


「直せとは言ってない。使いどころを間違えるなと言ってる」


 小屋の壁には、古い板が何枚も立てかけてあった。


 そのうち一枚に、二本の浅い傷が残っている。子供の頃、ルークとアレンが木の枝を剣に見立て、的として叩いた跡だった。


 アレンの傷は中央に集まり、ルークの傷は端まで広がっている。


「まだ捨ててなかったのか」


「小屋の隙間を塞ぐのにちょうどいい」


「塞いでないだろ」


「そのうち使う」


 父は板を元の壁へ戻した。


「アレンはA級になったそうだな」


「ああ」


「悔しいか」


「悔しい」


 今度は迷わず答えた。


 父は頷いただけだった。


 慰めも、励ましもしない。それがありがたかった。


 才能がないわけではない。努力が足りないとも思わない。それでも、同じ頃に剣を握り始めた相手は、すでにA級として未踏域を歩いている。自分はC級の上位にいて、B級へ届くための何かを探している。


 その差は、幼い頃よりはっきり見えるようになっていた。


「勝ちたいか」


「勝ちたい」


「なら、相手と同じものだけ持とうとするな」


 父は小屋の戸へ手をかけた。


「俺は剣のことは分からん。だが、森で鹿と速さを競う猟師はいない」


 戸を開けると、中から乾いた木と油の匂いが流れ出した。


 父は棚の上を探り、丸めた羊皮紙を一本取り出した。


 紐を解いて、作業台へ広げる。


 村の周囲を描いた古い地図だった。


 川、尾根、猟師小屋、獣道。今では使われていない炭焼き場まで、細い線で記されている。端は擦り切れ、何度も書き足した場所だけ色が濃い。


 ルークが初めて地図の空白を意識したのは、村へ来た商人が広げた大きな地図だった。王都も海も描かれていたのに、北の山脈を越えたところで道だけが途切れていた。


 それ以来、父が仕事で使うこの地図にも、以前とは違うものが見えるようになった。


「これも覚えてるか」


「覚えてる」


 父が案内人の仕事から戻るたび、この地図を見せてもらった。


 地図の北端には、川を示す線が途中まで伸びている。その先には何も描かれていない。世界の果てではない。ただ、父が歩いたことのない場所だった。


 幼いルークは、その何もない部分を指して何度も尋ねた。


 この先には何がある。


 父はいつも、知らないと答えた。


「お前は、何も描いていない場所ばかり見ていた」


「描いてある場所は、見れば分かったから」


「今も同じか」


 ルークは地図の端を見る。


 フロンティアのギルドにある地図は、これよりはるかに広い。村から何週間も先まで街道と砦が続き、その外側には、S級やA級が持ち帰った線が少しずつ伸びている。


 それでも、端はある。


 今回の遠征で持ち帰った地図にも、その先は描かれていなかった。


「同じだ」


 ルークは答えた。


「何があるのか、見てみたい」


 父は地図を巻き直した。


「なら、帰る道も見ておけ」


「分かってる」


「今のは、父親として言った」


「それも分かってる」


 二人は作業小屋を出た。


 家へ戻る途中、父は明日の罠の見回りを手伝えと言った。ルークは休みに来たはずだと返したが、家の中では母が、朝に持たせる弁当の準備を始めていた。


     ◇


 翌朝、ルークは父と森へ入った。


 人の暮らしに近い森は、遠征で歩いた土地とは違う。


 木には伐採予定を示す印があり、細い沢には丸木橋が渡されている。罠を仕掛ける場所も決まっていて、猟師同士が誤って近づかないよう、枝の結び方で合図を残していた。


 父はほとんど道を見ずに歩く。


 ルークはその半歩後ろをついていった。


「右」


 父が言った。


 右手の藪を見る。


「何がある」


「聞くな。見ろ」


 葉の裏に泥が跳ねている。高さはルークの膝より少し下。地面には蹄の跡が二つだけ残り、続きは枯れ葉に隠れていた。


「若い鹿。一頭。夜明け前に沢から上がった」


「夜明け前だと思う理由は」


「泥の表面が乾ききっていない。昨夜は風があった。もっと早ければ、葉から落ちている」


「ほかは」


 ルークは周囲を見る。


 枝が揺れている。鳥は鳴いている。藪の奥から逃げる音はない。


「近くにはいない」


「そうだ」


 父はまた歩き出した。


 褒めることも驚くこともしない。


 昔から、当てたときはそれだけだった。間違えたときだけ、どこを見落としたのか聞かれた。


 三つ目の罠で、野兎が一羽かかっていた。


 父が手早く仕留め、血を抜く。ルークは使われていない罠を畳み、傷んだ縄を一本取り替えた。


「都市でも、こういう仕事はあるのか」


「ある。だが、低い級の冒険者が受けることが多い」


「お前は、もう受けないのか」


「必要なら受ける」


「金にならなくても?」


「必要なら」


 父は兎を籠へ入れた。


「なら、まだ大丈夫だな」


「何が」


「知らん。父親らしいことを言ってみただけだ」


 ルークは父の背中を見た。


 昨夜と同じで、意味のないことを言う人ではない。だが追及すれば、今度こそ何も考えていないと言い張るだろう。


 森を出ると、弟と妹が道の端で待っていた。


 二人とも手に枝を持っている。


「兄ちゃん、勝負」


 弟が太い方を差し出してきた。


「何の勝負だ」


「剣」


「俺は本物を持ってる」


「本物を使ったら母さんに怒られるだろ」


「枝でも怒られる」


「見つからなければ平気」


「もう見つけたわよ」


 家の前から母の声が飛んできた。


 弟が枝を背中へ隠す。妹はすぐ地面へ捨てた。


 ルークは久しぶりに、声を出して笑った。


     ◇


 村には三日いた。


 父の罠を見回り、母が干し肉へ塩を擦り込むのを手伝い、弟妹にせがまれて竜の話を二度した。二度目には、妹が最初の話と違う部分を見つけようとしたが、何も見つからず悔しがった。


 帰る朝、母はルークの荷物へ包みを三つ入れた。


「多い」


「干し肉と、傷薬と、焼き菓子。多くありません」


「都市でも買える」


「母親から買うなら、お金を置いていきなさい」


「そういう意味じゃない」


 母は包みの口を固く結び、荷物の底へ押し込んだ。


 父は外で、ルークの靴紐を見ている。


「右を替えろ」


「まだ切れない」


「都市までならな」


 ルークは予備の紐を出し、右だけ取り替えた。


 弟は竜の鱗を忘れるなと言い、妹は竜そのものを連れてこいと言った。


「生きている竜を村へ連れてきたら、最初にお前たちが逃げろ」


「兄ちゃんが倒せばいいだろ」


「今は無理だ」


「じゃあ、S級になってから」


「気長に待て」


「いつ帰ってくる?」


 妹に聞かれ、ルークは少し考えた。


 受ける依頼はまだ決めていない。東の森の警戒が解ければ、確認したい場所もある。アレンとも、右手での勝負を約束していた。


「仕事が片づいたら」


「それ、いつ?」


「分からない」


「また分からないって言った」


「分からないからな」


 妹は唇を尖らせた。


「じゃあ、次に帰る日が決まったら、先に手紙を出して」


「分かった」


「絶対?」


「絶対だ」


 母が、約束したわねと言った。


 父は何も言わず、道の先を見ている。


 朝の雲は高く、雨の気配はない。フロンティアまでの道に危険な痕跡も出ていないと、昨日、村へ来た行商人が話していた。


「行ってくる」


 ルークは言った。


「行ってらっしゃい」


 母が答える。


 弟と妹も、同じ言葉を重ねた。


 父だけは一拍遅れて、短く言った。


「帰ってこい」


「ああ」


 ルークは村を出た。


 曲がり道に入る前、一度だけ振り返る。


 弟はまだ手を振っていた。妹は母の隣で何かを言い、父は家の壁へ立てかけた斧を手に取っている。


 見慣れた朝だった。


 ルークは前を向き、フロンティアへ続く道を歩き始めた。


 背中の荷物には、母の焼き菓子が入っている。腰には剣と、C級のプレートがある。


 そして手帳の最後には、まだ何も書いていない紙が何枚も残っていた。



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