↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/26

13 決断



 帰りの隊列は、往路より長くなった。


 荷車の数が増えたわけではない。竜の頭を載せた八輪の運搬台が、広く間隔を取らなければ曲がれないためだった。


 六頭の馬が太い綱を引き、御者が二人がかりで進む向きを揃える。角の先は厚い布で覆われていたが、それでも前を行く荷車へ近づけることはできない。道が曲がるたびに隊列は止まり、運搬台が通り抜けるのを待った。


 竜の鱗や骨を積んだ荷車も、来たときとは重さが違う。車輪は土へ深く沈み、わずかな上りでも馬の呼吸が荒くなった。


 谷を出て四日目、経路班長は六つ目の刻みを黒く塗った。


 予定から、さらに一日遅れたという印だった。


 黒く塗られていない刻みは、残り一つになった。


「頭を置いていけば、半日は縮むな」


 七番車の御者台で、オルドが前方の運搬台を見ながら言った。


「置いていけない」


「分かってる。馬に聞かせたんだ」


 オルドは手綱を緩め、二頭の首を順に撫でた。


 竜の頭は討伐の証であり、領主へ献上する品でもある。何より、あれを運ぶために職人たちは七日を費やした。速く帰るために捨てられるものではなかった。


 だから、ほかの荷を減らす話が出始めている。


 竜の脂を詰めた樽。傷の多い鱗。形の悪い骨。どれもフロンティアへ持ち帰れば高く売れるが、頭部や牙、銀鉱石の標本よりは優先順位が低い。


 すべてを持ち帰れなくなれば、価値の低いものから置いていく。


 解体主任が決めた順番を、ルークも手帳へ書いていた。


「前が動いた」


 ルークが言うと、オルドは馬へ声をかけた。


 七番車が軋みながら進み始める。


 道の左には、木の根が露出した急斜面が迫っていた。右は二人分ほど低い川原で、細い水が石の間を流れている。荷車同士がすれ違う広さはないが、一列で進むことはできた。


 この狭い道を抜ければ、今夜使う予定の野営地まで半日ほどだ。


 斥候からそう報告を受けたばかりだった。


 ルークは斜面の上を見た。


 川下から風が吹き、木の葉を揺らしている。それなのに、先ほどまで聞こえていた鳥の声が消えていた。


 竜素材の臭いを嫌ったのかもしれない。


 そう考えた直後、隊列の先頭で木が倒れた。


 幹の折れる音が谷間へ響き、太い針葉樹が道を横切る。枝が岩へぶつかって砕け、先頭の馬が前脚を上げた。


 御者の怒鳴り声と、馬のいななきが重なる。


「止まれ!」


 伝令の声が後方へ走った。


 七番車の前にいた荷車が急に止まり、オルドが手綱を引く。後ろから続く車輪の音も、順番に近づいて止まった。


 ルークは倒木の切り口を見た。


 距離があるため細部までは分からない。それでも、自然に折れた木なら残るはずの枝葉が、倒れる側だけきれいに払われていた。


「切られた木だ!」


 叫ぶのと、斜面から矢が飛んでくるのはほとんど同時だった。


 最初の矢が先頭近くの幌へ刺さり、二本目が馬の足元で跳ねる。少し遅れて放たれた太い矢が盾へ当たり、構えていた冒険者を一歩後ろへ押した。


「弓手は山側の射手を抑えろ!」


 S級隊長の命令が飛ぶ。


「前衛一班は盾を上げて倒木の処理を援護! 二班は小隊長と斜面へ上がれ! 敵を射程の外まで退かせろ。ただし林の奥へは入るな!」


 護衛たちは左の斜面へ盾を向け、職人と御者を荷車の右側へ下がらせた。弓手が車輪の間から射ち返し、その援護を受けた前衛が斜面へ取りつく。


 木々の間に、人影が見えた。


 弓と短剣を持ち、顔を布で隠している。装備は揃っていないが、立つ位置に無駄がない。前列が射た直後に後列が前へ出て、矢を途切れさせずに撃ち下ろしている。


 ただの追い剥ぎではなかった。


 冒険者崩れを集めた、まとまった武装集団だ。


「見えるだけで二十六! さらに奥にもいる!」


 ルークが叫ぶ。


 先頭では、盾を並べた職人たちが倒木へ斧を入れ始めた。斜面を上がった前衛は、矢を避けながら射手との距離を詰めている。


 その間にも、S級隊長は道の中央を進んでいた。


 山側から放たれた太矢を長剣で外し、倒木の陰から飛び出した男の剣を一度受ける。次の瞬間、男の武器が宙を舞い、返した刃がその首を斬り裂いた。


 男が斜面へ崩れ落ちる。


 隊長は足を止めず、次に職人を狙った射手へ向きを変えた。


 倒木を排除する者を守りながら、斜面の敵を押し返している。足を止められても、主導権まで渡してはいなかった。


 それでも、長い隊列を止められた事実は変わらなかった。


 最後尾から、角笛が鳴った。


 一度、長く。続けて二度。


 魔物の群れを知らせる合図だった。


「骸牙犬! 十五頭、後方へ接近!」


     ◇


 骸牙犬は、山間に棲む犬型の魔物だった。


 大きな個体は仔牛ほどあり、黒褐色の毛の間から白い肋骨のような硬い突起が浮いている。前脚が長く、岩場でも速度を落とさない。突き出た二本の牙は獲物の骨まで噛み砕く。


 一頭ならC級冒険者が対処できる。だが十頭を超える群れになれば、正面の獲物を追い立てながら、別の個体が退路へ先回りする。群れの討伐にはB級を中心とした部隊が必要だった。


 それでも、これほど人の多い遠征隊へ自分から近づく魔物ではない。


 後方の見張りが、その理由も見つけていた。


「血の袋が投げ込まれてる! 森の奥には煙だ!」


 骸牙犬の群れの前を、赤黒い液体の入った革袋が転がっていた。裂けた口から血の臭いをまき散らし、最後尾の荷車近くまで続いている。


 さらに森の奥では、濡れた枝葉を燃やした煙が広がっていた。群れは血の臭いを追いながら、煙に背中を押されてこちらへ向かっている。


 偶然、魔物が襲撃へ重なったのではない。


 山側にいる連中が、骸牙犬を後方へ追い込んだのだ。


 隊列の中央で指揮を執っていたアレンが、前後を一度ずつ見た。


「後衛小隊は骸牙犬を止めろ! 血袋を荷車へ近づけるな! 中央の護衛は持ち場を離れるな!」


 命令を伝えるため、騎馬の伝令が後方へ走る。


 アレンは長剣を抜きながら、普段から組んでいる三人のB級を呼んだ。大柄なダイン、短髪のハル、丸盾を背負ったジークが同時に顔を向ける。


「ダインは後ろへ行って、後衛小隊を支えろ。ハルは負傷者を七番車へ集めろ。ジークはここに残って、頭の運搬台を守れ」


 三人は返事だけを残して散った。


 先頭では前衛が山側へ反撃し、後方では骸牙犬との戦闘が始まっている。中央に残ったアレンは動かず、両方の報告が届く位置を保っていた。


「ルーク、右を見ろ。川原から敵が回れるか」


 ルークは上流と下流を確かめた。


「人なら来られる。荷車の陰に入れば、山側からは見えない」


「ジーク、竜の運搬台の川側へ二人回せ。ルークは七番車から九番車までを見ろ」


「分かった」


 アレンは、運ばれてきた負傷者へ駆け寄った。


 矢を受けた護衛だった。左の腿に矢が刺さり、二人に肩を借りている。


「鏃は残っているか」


「抜いてない。血は縛って止めた」


「そのままでいい。歩かせるな。ハル、治療師へ」


 アレンは傷を一目で確かめ、ハルへ引き渡した。


 次の矢が山側から飛んでくる。


 アレンは負傷者が落とした短槍を拾い、斜面へ向けて一歩踏み込んだ。


 投げられた槍が射手の腕をかすめ、その背後の木へ突き立つ。男が矢を落とした瞬間、遠征隊の弓手二人が同じ場所へ射ち返した。


 斜面からの攻撃が一角だけ途切れる。


「今だ! 倒木の右側を切れ!」


 前方で斧が振り下ろされた。


 敵を倒し切らなくても、道を開くための時間は作れる。


 ルークは手帳をしまい、剣を抜いた。


「七番車は俺が見る。オルド、馬を川側へ寄せてくれ」


「分かった」


 オルドが御者台から降り、二頭の馬を荷車の陰へ寄せる。山側から飛んでくる矢に身体をさらさないためだった。


 その先にある九番車には、竜脂の樽と、傷の多い鱗、形の悪い骨が積まれている。


 山側から、岩のぶつかる音がした。


 ルークが見上げる。


 三人の男が、斜面の途中にあった大岩へ丸太を差し込んでいる。岩の下には、土を掘った新しい跡が見えた。


「九番車を狙ってる! 岩を落とすぞ!」


 盾使いが山側へ向く。


 だが、矢を防ぐ盾で大岩を止めることはできない。


「九番車の御者は降りろ! 馬を前へ外せ!」


 ルークが叫んだ。


 御者が台から飛び降り、護衛二人が馬具へ手をかける。


 斜面の男たちが丸太へ体重を乗せた。


 大岩が土から外れ、木の根を折りながら落ちてくる。途中で一度跳ね、九番車の後輪へぶつかった。


 車輪が砕けた。


 荷台の後ろが地面へ落ち、竜脂の樽が大きく揺れる。続けて曲がった車軸が台枠を内側から割り、長い亀裂を走らせた。


 護衛が馬を外した直後だった。人にも馬にも岩は当たらなかった。


 車輪だけを替えても動かせない。


 だが、壊れた荷車を確認している時間はなかった。


 川原の岩陰から、六人の男が立ち上がった。斜面の射撃と落石に注意を向けさせ、その隙に九番車の荷を奪うつもりだったらしい。


「右から六人!」


 ルークの声に、護衛が二人振り返る。


 男たちは坂を駆け上がり、短剣と手斧を抜いた。


 先頭の一人が荷台へ手をかけるより早く、ルークが間へ入った。


 短剣が長剣の腹を滑り、火花を散らす。男は押し合わず、すぐに身体を引いた。代わりに二人目が低く入り、ルークの脚を狙う。


 一歩下がれば、背中が九番車へ当たる。


 ルークは剣先を下げ、短剣を外へ弾いた。返す刃で二人目の肩を裂く。最初の男がもう一度踏み込んできたが、横から入った護衛の盾に押し戻された。


「二人は荷台の前を塞げ! 一人は御者と馬を守れ!」


 護衛が位置を変え、九番車を囲む。


 川原から来た男たちは、荷ではなく護衛を倒さなければ奪えないと悟った。二人が同時にルークへ向かい、残る者は荷車の反対側へ回ろうとする。


 その進路に、灰色の外套が立った。


 ラウルだった。


 少し前まで、頭部を載せた運搬台の向こうにいたはずだ。


 いつ移動したのか、ルークには見えなかった。


 ラウルは一人目の手斧を剣の腹で受け、手首を返して地面へ落とさせる。二人目が背後へ回るより先に、柄頭が男のみぞおちへ入っていた。


 倒れた二人を見て、残る男たちの足が止まる。


「荷から離れろ」


 ラウルが言った。


 一人が警告を無視して踏み込んだ。


 ラウルは二歩下がり、相手の短剣を外してから腿を浅く斬る。C級として不自然ではない、堅実な動きだった。


 ただ、最初の二人を倒したときだけ、速さが違っていた。


「ルーク、左!」


 護衛の声に反応し、ルークは横から来た短剣を受ける。


 今はラウルを見ている場合ではなかった。


 ルークは踏み込んだ男の肘を剣の鍔で打ち、姿勢が崩れたところへ肩をぶつける。男が地面へ倒れ、護衛が武器を蹴り飛ばした。


 残る二人は川原へ逃げようとした。だが、竜の頭部を載せた運搬台の川側を回ってきたジークたちに、退路を塞がれる。丸盾を見た一人が武器を捨て、もう一人もそれに続いた。


 九番車を狙った六人は、荷を一つも奪えなかった。


     ◇


 後方では、骸牙犬が血袋へ群がっていた。


 袋を食い破った個体から興奮し、盾へ正面からぶつかってくる。別の個体は川原へ下り、隊列の側面へ回ろうとしていた。


 ダインが両手斧を振り下ろし、盾へ噛みついた一頭の首を断つ。後衛の槍がその左右から入り、続く二頭を押し返した。


 それでも群れは止まらない。


 一頭が川原を走り、七番車の馬へ向かって跳んだ。


 ルークは捕らえた男から離れ、長剣を構える。だが間には荷車があり、直線では走れない。


 アレンの手から、短い刃が飛んだ。


 投げ刃が骸牙犬の鼻先へ刺さり、跳躍の向きをわずかに変える。爪が馬具を裂いたが、腹には届かなかった。


 アレンは着地した骸牙犬へ追いつき、長剣で首を斬る。そのまま後方へ顔を向けた。


「川へ下りた二頭はジークたちに任せろ! ダインは群れの先頭を止めろ。弓手は山側から目を離すな!」


 倒した魔物を追うのではなく、次に崩れそうな場所へ命令を送る。


 前方では、山側へ上がったA級小隊長が射手の列へ到達していた。盾を押しつけて一人を転ばせ、続く男の弓を剣で断つ。


 さらに上では、S級隊長が襲撃者の中心にいた大男と向かい合っていた。


 大男の剣は、普通の長剣より刃幅が広い。踏み込みにも迷いがなく、少なくともB級冒険者に並ぶ腕がある。


 横薙ぎの一撃を、隊長は自分の剣で受けなかった。


 刃が届くより先に懐へ入り、男の胸へ肩を当てる。大男が体勢を崩したところで、剣を握る手首だけを柄頭で打った。


 大剣が地面へ落ちる。


 男が拾おうと腰を落とした瞬間、隊長の刃が首を薙いだ。大男は何かを叫ぶ間もなく、倒れた大剣の上へ崩れ落ちる。


 指揮役を失い、斜面の射撃が乱れた。


「前衛、押し上げろ!」


 A級小隊長の声とともに、遠征隊が斜面を進む。襲撃者たちは弓を捨て、林の奥へ退き始めた。


 遠征隊は山側の敵を撃退した。


 しかし逃げた者たちは、あらかじめ枝の根元へ置いていた樹脂壺を倒していった。油を含んだ枯れ草へ松明が投げ込まれ、斜面の数か所から火が上がる。


 川下から吹く風を受け、炎が道の方へ広がり始めた。


「消火できるか!」


 アレンが叫ぶ。


「この人数じゃ無理だ! 水を運んでる間に向こうへ回る!」


 斜面へ上がった職人が答えた。


 襲撃者を追うことはできる。


 骸牙犬も、S級とA級を集めれば倒し切れる。


 だが、それに時間を使っても、広がった火は止まらない。煙が道を覆えば馬が進めなくなり、荷車ごと谷に残される。


「倒木は」


「右側を削れば一台ずつ通せる! あと少しだ!」


 前方から返事が届く。


 アレンは九番車へ走った。


 砕けた後輪だけでなく、車軸が台枠を割っている。修理するには荷をすべて下ろし、台枠を金具で挟んでから、新しい車軸を通さなければならない。


「予備の車軸は」


「竜の頭を載せる台に二本とも使った!」


 オルドが答える。


「別の荷車から移せば直せるが、半日はかかる」


 半日待てば、火が道へ届く。


 荷をほかの車へ移す余裕もなかった。帰りの荷車は、どれも車軸が耐えられる重さまで竜素材を積んでいる。樽一つを載せるにも、代わりの何かを下ろさなければならない。


 ルークは九番車の荷と、川原へ下りる斜面を見た。


「傷の少ない鱗だけ、人に持たせる。あとは捨てよう」


 解体主任が振り返った。


「竜脂が八樽ある。鱗と骨もだぞ」


「ここで直せば火に追いつかれる。ほかの荷車には載らない」


「骸牙犬はどうする」


「九番車を川原へ落とす。道を塞げば、回り込んでいる個体は中央へ来られない。樽を割れば、群れも竜脂の方へ寄る」


 解体主任は九番車を見たまま、すぐには答えなかった。


 竜の脂も鱗も、命を懸けてここまで運んできたものだった。惜しくないはずがない。


 アレンが確認する。


「荷車を落とせば、後ろの車は通れるか」


「通れる。九番車が止まっている場所より、川側へ落とす斜面の方が手前にある。先に落とせば道が空く」


「最後尾の荷車まで、火が道へ届かずにすむか」


 山側から下りてきた斥候が、煙の向きを見た。


「今すぐ動けば間に合う」


 アレンは決めた。


「傷の少ない鱗を五枚だけ下ろせ。九番車は捨てる。ダインは後衛を下げながら骸牙犬を押さえろ。ジークは川側、ハルは負傷者を先へ移せ!」


 解体主任は目を閉じ、それから自分で荷台へ上がった。


「聞いたな! 上から五枚だ! ほかには触るな!」


 職人たちが赤い鱗を一枚ずつ下ろし、護衛へ預ける。馬をつなぐ革具はすでに外されている。曲がった車軸の下へ太い棒を入れ、六人がかりで荷台の片側を持ち上げた。


「押せ!」


 九番車が傾く。


 砕けた車輪が岩から外れ、荷台の後ろが川側へ滑った。樽同士がぶつかり、そのうち二つが落ちて割れる。


 濃い竜脂の臭いが広がった。


 もう一度押すと、荷車は斜面を半分滑り、横向きになって止まった。川原から上がろうとしていた骸牙犬の進路を塞ぎ、こぼれた脂へ群れの何頭かが集まる。


 道が開いた。


「先頭から動かせ!」


 伝令が声をつないでいく。


 山側の襲撃者を退け、九番車を狙った六人も捕らえた。進むのは敵に追われたからではなく、火が道を塞ぐ前に隊列を通すためだった。


 倒木は完全には取り除かれていない。右端の枝と細い幹を削り、人が押しながらなら荷車を一台ずつ通せる幅が作られていた。


 先頭の荷車が枝をこすりながら進む。


 次に、竜の頭を載せた運搬台が動いた。


 六頭の馬が力をかけ、八つの車輪がゆっくり倒木の横を抜ける。職人たちが左右から台を支え、角が岩へ当たらないよう縄を引いた。


 林へ逃げた襲撃者が、離れた場所から最後の矢を放つ。


 盾使いが運搬台の山側へ並び、矢を受けた。弓手は火の手前に残る人影へ射ち返し、頭を上げさせない。


 ルークは七番車の前で、後ろから来る荷車へ進む位置を指示した。


「右の車輪を倒木へ寄せすぎるな! 左を半歩前へ!」


 御者が手綱を調整し、護衛が車輪を押す。


 荷車が一台、倒木の脇を通り抜けるたび、護衛の半数が引き返した。まだ倒木の手前に残る荷車を守るためだった。


 最後尾では、ダインが後衛小隊とともにゆっくり下がっている。骸牙犬は追おうとしたが、川原へ落ちた九番車と竜脂の臭いに足を止められた。


 最後の荷車が倒木を越えたころ、火は道のすぐ上まで来ていた。


 煙の向こうに、赤い鱗を載せた九番車が見える。


 ルークは一度だけ振り返り、その場所を手帳へ記した。


     ◇


 隊列は予定していた野営地まで届かなかった。


 火と煙から十分に離れた、川幅の広い場所で円陣を組む。荷車を外側へ並べ、護衛を普段の倍に増やした。


 人の負傷者は四人。矢を受けた者が二人、斜面で腕を斬られた者が一人、倒木の処理中に肩を傷めた職人が一人。いずれも命に別状はなかった。


 馬は一頭が矢を受けたが、傷は浅い。治療師が矢を抜き、薬草を当てた布を巻いていた。


 捕らえた襲撃者は六人。九番車を奪おうとして降伏した者たちで、武器を取り上げられ、手を縛られている。斜面で抵抗を続けた指揮役は、S級隊長に斬り伏せられた。


 襲撃者は退けた。荷を奪われず、こちら側には死者も出ていない。


 それでも、予定より先へ進めなかったことと、荷車一台を失ったことは変わらなかった。


 中央の焚き火の前に、各班の責任者が集まる。


 食料係が残量を読み上げ、治療師が負傷者の状態を報告した。解体主任は失った素材を書き留め、経路班長は遅れを計算する。


「これで、予備日はなくなった」


 経路班長が木札を置いた。


 墨を含ませた布で、最後の刻みを黒く塗る。


 七つすべてが黒くなった。


 それは食料が尽きたという意味ではない。予定どおり帰るために積んだ食料は、まだ残っている。


 ただし、崩落や負傷でさらに七日止まっても生き延びられるように積んでいた余裕は、今日で使い切った。


 ここから先は、一日遅れるたびに帰路用の食料そのものが減っていく。


「九番車を直していれば、どれだけかかった」


 S級隊長が尋ねた。


「予備の車軸がない。別の荷車を一台空にして部品を移すなら、早くても明日の昼です」


 オルドが答える。


「捨てた荷は」


「竜脂八樽、損傷鱗十五枚、骨材二箱。比較的状態のいい鱗は五枚回収しました」


 解体主任の声には惜しさが残っていた。


 隊長はルークとアレンを見た。


「誰が決めた」


「提案したのはルークです。俺が許可しました」


 アレンが答える。


「理由は」


「襲撃者は退けましたが、火が道へ回り始めていました。九番車は車輪だけでなく、台枠と車軸が壊れていた。ほかの荷車も限界まで積んでいるため、荷を移すこともできませんでした」


 ルークは続けた。


「九番車を川原へ落とせば道が開き、骸牙犬の回り込みも止められる。載っていたものは、持ち帰る素材の中では優先順位が低かった」


 隊長は解体主任へ目を向ける。


「異論はあるか」


「惜しいとは思う。だが、残って直すべきだったとは思わん」


「なら、それでいい」


 隊長は食料係が広げた帳面へ視線を移した。


「明日から、狩りで得られる分は一切計算に入れるな。帰路用の箱だけで日数を組み直せ。足の遅い荷車から優先度の低い荷を下ろす。頭部、牙、爪、無傷の鱗、銀鉱石と記録は残す。それ以外は、速さを落とすなら置いていく」


「分かりました」


「斥候は進路の確認だけに絞れ。新しい痕跡を見つけても追うな。護衛は朝夕に交代を増やす。疲れてから替わるのでは遅い」


 指示を受け、各班の責任者が持ち場へ戻っていく。


 アレンは焚き火のそばに残り、ルークの隣へ腰を下ろした。


「脂八樽だぞ」


「聞いていた」


「鱗も十五枚」


「それも聞いた」


「解体主任、泣きそうな顔をしてたな」


「怒ってはいなかった」


「あの人は、怒るより先に値段を計算する」


 アレンは小さく笑い、火へ枝を一本入れた。


「よく決めた」


「お前が許可しなければ、捨てられなかった」


「許可を求められる前に、俺が気づくべきだった」


 責任を譲るためではなく、本気でそう思っている声だった。


 アレンは前後へ人を動かし、負傷者を治療師へ送り、斜面へ反撃する隙を作った。それでも、自分が先に拾えなかった判断を覚えている。


「A級でも、全部は見えないんだな」


「見えない。だから、見ている奴の言葉を聞く」


 アレンは簡単に答えた。


 剣の強さだけなら、B級にも優れた者はいる。


 だが、敵を倒しながら負傷者を運び、馬と荷車を守り、反撃と撤収を同時に成立させる。何を自分で行い、何を仲間へ任せるかを選び続ける力が、A級のアレンにはあった。


 目の前の敵に勝っても、帰れなければ遠征は失敗する。


 アレンは、遠征そのものを守りながら戦っていた。


     ◇


 翌朝、九番車のいた場所を空けたまま、隊列は動き始めた。


 積み荷を減らした二台の荷車へ負傷者を乗せ、頭部の運搬台には予備の馬を一頭加えた。斥候は遠くへ出ず、互いの姿が見える範囲で進路を確かめている。


 ルークは出発前に、後方の地面へ残った車輪跡を見た。


 九番車の轍だけが川へ向かい、途中で横倒しになった形を残している。フロンティアへ続く轍は、その横を通って先へ伸びていた。


「惜しいか」


 いつの間にか、ラウルが隣に立っていた。


「惜しくないと言えば嘘になる」


「それでも捨てた」


「九番車一台を捨てれば、残りの荷と全員を先へ進ませられた」


 ラウルは轍の先を見た。


「お前なら、俺が行けなかった上へ行けるかもしれないな」


 ルークは腰のプレートへ目を落とした。


「B級にか?」


 ラウルはわずかに間を置いた。


「ああ。今日みたいな働きが続けばな」


「まずは、次も慌てずに動けるようになる」


「そうしろ」


 ルークは、ラウルの腰に下がったC級のプレートを見た。


「でも、お前なら、B級なんてすぐにでも上がれる実力があると思ってたんだが」


「そうかもな」


 ラウルは、ひどくどうでもよさそうに答えた。


 なぜ上がらないのかとルークが尋ねるより先に、前方から出発を知らせる笛が鳴った。


 ラウルは斥候の位置へ戻り、ルークも七番車へ向かった。


 まだフロンティアまでは遠い。


 余分な七日と、荷車一台を失っても、帰るための列は動いていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。