相談その四 箱の中の猫は生きてますか死んでいますか?
時計が九時を回れば、塾には子供の姿など完全に消えている。
けれど職員は残っているとは。
俺は将来の夢には、警察官、学校教師、医者、を完全に除けているが、塾講師も残業に休日出勤当たり前ならば将来の夢から排除しようと思う。
俺がスタッフルームに顔を出せば、たった一人残っていた真琴がまるではじかれたようにして席を立った。
「は、晴純君。どうして!!」
「俺こそどうして、ですよ。鍵もないから帰れないかなって、迎えに来ました」
「いや、えと、そう。ありがとう。でも」
「ご飯は食べましたか?」
真琴はいかにも栄養不足って顔で首を横に振る。
それでも俺が促せば帰り支度をはじめ、よれよれの革鞄を肩に掛けてやってくる。
赤茶色の使い込まれたバッグは、十年は使ってそうなほどだ。ものを大事にする人なんだと、俺は真琴に好感を抱く。拓海に似ているな、と。
彼は俺と塾のあるビルを出ると、ふと気が付いたようにして俺を見下ろす。
俺は何が言いたいのかわかるけれど、そのままマンションに向かって歩く。
「藤君は?」
「もう時間外労働ですよ。帰しました。家まで数分ですもの。真琴さんの荷物は明日以降にしましょう。着替えは拓海センセイのを使えばいいですよ。あ、下着はコンビニで買いますか? 出しますよ」
「い、いや。大丈夫」
「お金ありました?」
「いや。あの。下着は大丈夫だから」
「では、まっすぐ帰りましょう」
「あ、ああ」
疑ってくださいな挙動不審ばかりな真琴であるが、彼をマンションの、拓海の家にある俺の部屋の前に連れて行ったことで、彼は完全に崩壊した。
土下座だ。
俺は真琴の前にしゃがみ込む。
「聞きますよ。ぜんぶ」
俺は促すが、真琴は床に額をぐりぐり押し付けるばかりで、何も喋ろうとしない。
困ったな。自白主義のこの国は、正直に話した方が罪が軽くなるというのに。
真琴の肩はわざとらしいほどにびくっと揺れた。
俺は考えていたことを口にしていたようだ。
脳の手術を受けてから、本当に俺の口は軽くなった。
俺は立ち上がる。
そして真琴の罪が彼によく見えるように、俺の部屋の扉を大きく開け放つ。
モニターは床に転がされている。
なぜならば、モニターを置いていた棚がこの部屋から消えているからだ。
「みごとに全てばっきばき」
小さな子供みたいな喋りになってしまったが、そのぐらい部屋も空っぽなんだ。
木製のモニター棚風の俺のデスクトップカバーは、ASAHIHAMAから剥がされ、当のアスマは姿形もなくなっている。笑えるのが、アスマがあったそこに大人の男性とも思える壁のシミができているとこだろう。
パソコン関係は電力を食うから、普通の家電よりも熱を持つ。そのせいで壁が焼けちゃっただけなんだけどさ。アスマは素人の俺が工作したものだから、通常よりも熱を持ってしまったせいもあるけれど。
熱の排出にまた新たな電源が必要で、と、いたちごっこなんだよなあ。
「ほんっと面倒だ」
「ごめんなさい」
「ごめんなさいが通じたらね、警察はいらないんだよ。警察がいらないんなら、俺もその希望に応えるのはやぶさかでもないけれど。ねえ、真琴さん」
俺は何が起きていたか、それを全部わかっている。
わかっていて盗ませたのだが、俺が盗ませたのはアスマだけだ。
盗んでいくのはアスマだけのはずだった。
だって、ノートパソコンには波瀬が仕込んだ盗聴器が入っているのだ。
そこはみんなに大バレしたはずで、普通は盗むはずがない。
それなのにどうして持って行った。どうして!!
「あれはすでにコンソールでしかなかった。単なる卓なんだよ。どうしてあれまで持って行ったんだ!!あれは父さんが僕のために初めて金を出してくれた金で買ったパソコンなんだよ!!」
俺は自分が吐いたばかりのセリフにぎょっと驚き、勝手に動いた口元を押さえる。俺は今何を言った。
「ご、ごめん。君の生い立ちは知っていたのに、ひどい、ひどいことをしてごめん。だけ、だけど、僕は」
ちくしょう。
俺の失言こそが真琴を喋らすきっかけになったとは。
けれどアンリが、使えるものは何でも使うもんだって、俺に笑っている気がする。――アンリが? ここにいないのに?
俺は荒らされた自分の部屋、クローゼットまで開け放たれた部屋に視線を這わしてしまったがために、クローゼットの扉裏に付いている鏡に映る自分と目がってしまった。
そいつはにやりと笑う。
「俺はいつだってお前のそばにいる」
アンリが俺の中にいるはずないアンリなんかじゃないお前はアンリなんかじゃない俺がアンリであるわけはないアンリはアンリはアンリは――。
「そんなはずあるか!!」
ガツ。
俺は杖を部屋の戸口に叩きつけた。
「晴純……くん」
俺は杖を握ってない片方の手で情けない自分の顔を拭うと、その手でもって真琴の首根っこを掴んだ。非力な俺だ。彼の体を引き上げられはしない。が、勝手に立ち上がれないように引き寄せるぐらいはできる。
真琴は小さくひぃと叫ぶ。
俺の狂乱ぶりに肝を冷やしたか。箱入り令息は俺という暴力的な存在が信じられないのだろう。怯えた顔しやがって。
「俺だって信じられないよ。てめえのケツの不始末を人に被せるばっかりの生き方しかできない甘ちゃんに、な」
「晴純くん」
「説明も何一つできないガキならば、保護者を呼べ。いや、お前の保護者にナシつけろ。俺が今すぐ会いに行ってやる」
「――父は」
「ばあか。お前がこの家に招き、俺の部屋を台無しにした女のことだよ」
「なんで、知って」
「この家には沢山の目がある。特に俺については、四六時中ノンストップで録画監視状態だ」
真琴はようやく周囲へと視線をめぐらした。
そこで彼はようやく気が付いた。
玄関からこちらまで、拓海がこの家に仕掛けているペットカメラがあることに。これらは俺が帰宅してから、カチカチグイーンと小さな起動音を立てて、俺の姿や行動をその瞳に記録している。
「気が、気が付かなかった。これらは、最初から、あった?」
「あったよ。最初からあった。拓海センセイから聞いてないのか? 彼が俺を引き取ったのは、彼が俺に施した画期的な手術結果の経過観察のためだって」
「そん、そんなこと。叔父はそんな非人道的なことをするような」
「ええ。拓海センセイは情も責任感もある方です。あなたとは違う。いえ、あなたのように大事なもの以外はどうでもいいのかもしれない。だからあなたは、俺にもどうでもいい扱いをされた気持ちをわからせたかった、ですか?」
「違う!!」
「まあ、どうでもいいですけど。さあ、さっさとあなたの女に連絡してください」
「待ってくれ。待って。明日まで待って!!」
「明日には何か変わるのか?」
「変わる!!」
あまりの断定ぶりに俺はパッと真琴から手を剥がした。
あの女を追い詰めるのは止めないが、俺の知らない事実は少しでも減らしたい。
真琴の行動様式など数時間程度であれば完全に予測可能なのであるが、俺が施したプロファイリングに穴があれば、そんな予測など簡単に覆される。
年上女に騙され貢ぎ、唆されるまま泥棒女ご一行様を我が家に案内し、彼女達が俺の部屋を荒らすのを目の当たりにしてようやく「犯罪」の片棒を担いだって気が付き怯える、大間抜けだ。
まだ彼が殺されていないのは、もしもの際に俺を誘拐あるいは殺す役目を――怯えて実行できないだけなのか? まあいい。それで彼が明日と言い張るのは、彼に実行させるために誰かが派遣されてくるからか?
「俺は今日中に戻らなきゃなんだけどな。警察に投げるか」
「待って」
「うおっ」
真琴が俺に縋ってきた。
必死に俺を見上げる顔つきのせいか、拓海を十歳若がらせたみたいに初めて見えた。拓海は四十代なんだけど、三十代半ば程度にしか見えないからね。十歳。
「お願いだ!!待って!!君には悪いけど、君のパソコンで命が買えるんだ。みほりんが生きて戻ってくるんだよ」
「あの女は嬉々として俺の荷物を盗んだだろ? 庇う余地もない犯罪者だよ。ゴキブリを愛するのは勝手だけど、ほとんどの人類には死んで喜ばれる害虫だぞ」
悠達が誘拐されて放り込まれたあの家は、真琴が中身を購入した蔵がある家だったのだ。そしてその家には女性の遺体も転がっていたそうだ。
真琴が出した百二十万は、あの家の解体費になるって言ってたし、ほんと、真琴はあの女にいい財布扱いされている。弁護士の親父殿に勘当されるわけだよ。
「あいつじゃない」
「あいつじゃないって」
「みほりんはあいつじゃない。みほりんはあいつらに捕らわれているんだ。半年前から連絡がないのは、あいつらの組織にみほりんが捕らわれているから!!」
「お前のみほりんの名前はなんだ?」
「松永三穂子」
鹿角によると、悠達が監禁されたあの家の名義は清水谷稔であるそうで、殺されて埋められていた松永三穂里捜査官の母方の祖父となる。
「――だから、価値もない蔵の中身に金を出したのか? 身代金だったのか?」
「あの家の蔵には、松永家にかかった呪いについての書類が全部入っているってみほりんが言っていた。彼女が音信不通になってすぐに、彼女の親族があの家を売るって聞いたから、それで、せめて蔵の中身を守りたくて」
あの家には蔵などなかったと悠は言っていた。
では、松永捜査官の行方不明時には、いや、あの凄いゴミ屋敷。何をどこに探せばよいか不明で、真琴にあの家を売る親族のふりして話を持ち掛けたのでは? 蔵の中身? オッケー。百二十万も貰えてラッキー、か? 弁護士の親父殿に勘当されるわけだよ(二度目)。
「松永家にかかった呪いって、一体なんだよ?」
「昭和四十八年に起きた、島永軽金属株式会社によるアクリルアミド流出事件の被害者だったことが始まり。松永家はアクリルアミドモノマーによって汚染された井戸水を飲用したことが原因で、一家八名が神経症状を呈し、幻覚や麻痺、運動失調、などを引き起こされたそうだ。裁判によって島永軽金属株式会社に賠償命令はでたけれど、会社はすでに倒産、経営者も行方不明。障害を背負った松永家への保障は何もなかったそうだ」
「それが呪い?」
「発端だって言ったでしょう。松永家はその後、アクリルアミドの後遺症で苦しむだけでなく、島永軽金属株式会社の関係者たちによる嫌がらせを受けている」
「昭和なんてもう大昔だろ? 今も?」
「島永軽金属株式会社は当時は地方にとっては大企業で、松永家による告発で何百何十もの人が職を失ったんだ。彼らの怒りがなぜか被害者の松永家にばかりむかったようだね。みほりんの弟が亡くなったのは、いじめだ。川に突き落とされて、溺死させられたんだ。報道は、川遊びしていた中学男子が川に流された」
「弟を殺したのが、その会社の元社員の子供、だった?」
「加害者の祖父が当時の役員だった。君の事件から彼女も弟の事件を洗い直し、それで当時わからなかった加害者について分かったんだ。松永家の不幸は島永軽金属株式会社による呪いだって言っていた。それから彼女は行方不明とされた島永軽金属株式会社の役員全員のその後を探り始めた。そして彼女は消えた」
「松永さんは正義のためにとことん戦う女性だったんだな。で、あんたは俺のパソコンを売って、彼女の帰還を夢見るだけの阿呆か」
「晴純君」
俺は真琴にスマートフォンを差し出した。
その画面には、掘り起こされた遺体の現場写真が写っている。
身元が分からないように全裸にされて埋められた遺体だが、現代にはDNA鑑定という身元確認の方法がある。けれど、そんな書類を見せるまでもなく、彼は俺が言わんとしている真実にすぐに辿り着いた。
お前の彼女はとっくに死んでいるよ、という残酷な真実だ。
藤の家で散々に受けた心霊現象は、たぶん何かを訴えたい女の幽霊だったんじゃないかな?
君が気が付いたから、俺にもようやく見えたし聞こえたよ。
わたしはしまながみほにうられてころされた。
俺はスマートフォンをポケットに片付け、それで真琴の耳に囁いた。
さあ、復讐をしようじゃないか、と。




