参考資料その三 チョウゲンボウは檻に入れられようとも
車が止まり、俺と蒼星は車から乱暴に引き出された。
後ろ手に縛られた中学生を叩きつけるように地面に転がしてくれるとは。
しかし、好機だ。
俺は大きく痛がるふりをして身をよじり、体に触れる尖った感覚のもの、それが木切れか石ころかわからないが、後ろ手に縛られた手がつかめるものを掴んだ。
ぎゅっと握れば手の平に何かが刺さった。
錆びた鉄の欠片ならば、破傷風菌がいるかもしれない。
だがそんなことは言ってられるかと、縄の隙間に指先を使いぎゅっと押し込む。それからさらに武器になりそうな尖ったものを探せば、指先が石らしきものに触れた。よし、手の平に握りこめる大きさだ。
「起きろ。お前にはお友達についていろいろ聞きたいことがある」
「俺を転がしたのはお前たちじゃないか、かはっ」
「悠さん!!」
無理やりに引き上げられ、再び鳩尾に蹴りを入れられた。
口の中には胃液の苦い味だけでなく、鉄さびの臭いもこみ上げる。血は飲んでは吐いてしまうと、口腔内のものを吐き出す。
「意外に慣れているな、こいつは」
「血が、悠さん」
蒼星は目隠しをされていない?
どうして俺だけ?
「痛い思いしたくなければ大人しくしておけ」
俺を掴んでいる奴ではない声が、さも俺を気遣うような脅しのセリフを放った。
いや、これは蒼星への脅しなのかもしれない。俺達を誘拐するまで観察していたとしたら、こいつらは俺と蒼星の関係性がわかっている。俺を痛めつけることで、俺を頼りとしている蒼星の心を折っているのだ。
そして俺は?
俺の左手が男の一人にぎゅっと握られ、俺は痛みに呻いた。
「石なんか握っているからな」
「くっ」
左手は痛みにしびれた。
男が手を離せば、握っていた石は手の平から落ちた。
そのあとは、野良猫を掴むみたいに襟首をつかまれた格好で歩かされ、どこかの家屋に連れ込まれた。引き戸らしき玄関ドアを開けたとたんに、むせかえるような腐った臭い。それから数分後に、俺は地面でなくふかふかで湿ったかび臭い、恐らくは腐った畳の上に転がされていた。
「こいつに余計なことをさせるなよ」
俺の見張り役は、こいつらの誰かではなく、蒼星だった。
目隠しは簡単に外れた。
頼んだら蒼星が簡単に外してくれたのだ。いったい何だったのか目隠しは。そう苛立ちながら思ったが、蒼星に状況を聞けば簡単に理解できた。
俺達をここまで連れてきた二人のうち一人が、蒼星を脅す時に警察のバッチを見せていたらしい。運転席の奴な。
――奴のバッジが偽物か。あるいは、俺と奴には面識があり、俺が奴を思い出す前に、ということか? 帰宅したら父に、俺に会わせたことがあるお前の部下の写真を全部持ってこい、とお願いしなければいけないな。
だが、不可解なのは、奴らが俺達人質をこの日本家屋の一部屋に放り込んだあと、その後のアクションも何もなく立ち去ってしまったことだ。
見張りも置かないとは。
蒼星に見張りしろと命じたのは、誘拐犯の良くやる脅しでしかなくて、隣の部屋に行った後すぐに出て行ってしまった気がする。
何かイレギュラーが起きて、ガキの見張りどころじゃなくなったのか?
晴が何かしたのか?
けれど、今こそチャンスだ。不可解だろうが奴らがいない今のうちに、俺達はここから逃げ出さねばならない。
人質についての交渉をどこにもしない、ということは、俺と蒼星は数時間どこにいるかわからない状況であれば良いということだ。生死関わらず。俺達の不在で揺らいだ「誰か」を思い通りに出来れば良い、そういう目論見のはずだ。
俺のせいで晴純か父が誘拐犯の良いようにされてたまるか!
「いっつ」
思わず声が出た。
拾った金属片で縄を切っているのだが、映画やドラマのように上手く切れないのだ。晴純だったらこういう場面はどうしたのかな。
さて、目隠し同様縄も蒼星に外してもらえばいいのだろうが、目隠しを外してもらえば蒼星も腕を縛られていたことを知ったのでそれは無理だった。俺と違い前縛りだが、俺と違い男達の誰かが結んだために遊びが無い。逆に俺が早く縄を切って蒼星の縄を解いてあげなければいけないと焦るぐらい、蒼星の手首が壊死しそうな勢いで真っ青に内出血している。
それにしても、今時拘束に縄かよ。
ドラマや映画にて拘束といえばの、ダクトテープや布ガムテ、あるいはプラスチック製のケーブルコードとかにしてくれればいいのに。あれらなら金属片で簡単に切れた。型落ちのマニュアルワンボックスカーといい、どうして昭和っぽさに拘るかな。――また刺さった、痛い。
前縛りの蒼星に手伝ってもらおうかと見れば、彼はこのお化け屋敷の住人になっていた。頭をガクッと落として、静かに静かに体育座りしているだけ。
これが晴純だったら。
「蒼星、この部屋まで部屋がいくつで建物がどんな作りか言えるか?」
がばっと顔を上げた蒼星は、俺からの声掛けに嬉しそうに両目をか輝かせて、……がくりと頭を下げた。――覚えていないのね。了解。
俺は縄を切る手は止めずに考える。
俺こそこの部屋までどうやって来たか思い出せ。
まずは広い玄関口。そこまでなんどもつま先をひっかけながら引きずられたことを思い出し、祖父の屋敷のように飛び石のある玄関を思い浮かべた。
俺は何歩歩かせられた?
畳の縦の長さは約百七十。俺の身長での一歩は、大きくて八十センチ程度。
この部屋までは、少なくても、八畳間二つ分は歩いている。
考えろ、広い日本家屋の平均的な間取り図を。
水回りは北側に一か所に纏める。台所に居間は繋げるものだ。そうしたら、客間や応接間、それから住人の寝室となる部屋はどこに置く?
「二階はあった感じ?」
「な、なかった」
「よし、いいぞ」
蒼星が嬉しそうな顔になる。
では平屋建ての建物とみて、俺が転がされているこの和室が三方を襖に一方を障子戸に囲まれていることから、家の中心に近い部屋と考えられる。居間だとすれば、障子の反対側の襖の向こうは台所か。祖父の家で雪見障子がある部屋には、縁側があった。室外には出られるな。だが、監禁性の低い和室に放り込まれている時点で、俺達を逃さない何かもあると考えるべきか?
何のために俺達はほったらかしになっているんだ?
「犬はいた?」
「いない」
「犬もいない。逃げようと思えば逃げられそうな和風平屋一戸建てに監禁するって、いったい何が目的なんだろう。奴らは俺達を誘拐したっていう交渉もまだ何もしていないよな」
「うん。出て行っちゃったね。慌ただしく」
「だよな」
何が一体したいのかと、呆ける俺に合わせるように縄は切れ、俺の手首が楽になる。それで手首をさすりながら蒼星へと近づき、今度は蒼星の縄を解く。固い。
「あ、ありがとうございます。ゆ、悠さんは本当になんでもできて」
「晴だったら、もっと凄いけどね」
「――そうなのですか?」
「ああ。俺達の誘拐は、あいつの財産狙ったか何かじゃないかな?」
「そん、な、許せないです」
「そうだね。あいつを」
「晴純なんかのせいで悠さんがこんな目に遭うなんて」
俺は蒼星を殴りはしなかったが、顎を掴んで黙らせてはいた。
蒼星が俺をなぜか一番に見て、俺が殴られ拉致られたこれが晴純のせいならばと義憤に駆られただけなのも理解している。が、晴純を「なんか」と言ってしまえることについて、むかつくなと言われても許せるものではない。
当の晴純が「良いよ」なんて言ってもね。
「あぐ」
「蒼星。二度と、晴純を馬鹿にするな」
「う、はい」
俺は蒼星を放してから、まず周囲の確認だと耳を澄ます。障子とは反対側になる襖の方から、何やらごそごそガサガサ何かを漁るような音がする。様子見に襖をほんの少しだけ開けて――そのまま襖を急いで閉めて、その場に崩れ落ちた。
膝から力が抜けたのだ。
「やばっ」
誘拐者が何もしていないわけがなかった。
何のために俺達をここに連れ込み閉じ込めたのか、考えるべきだった。
「ゆ」
俺は蒼星へとすっ飛んでいくと、彼の口元ふさぐ。
声を出したらヤバいって。
このヤバさは誘拐者の想定したことでは無いけれど、現在日本の自然環境のヤバさを誘拐者には想定しておいてほしかった。蒼星が俺の意図を汲んで黙りこってくれたなら、俺は蒼星の手を掴んでソロソロ静かに障子の方へと歩き出す。
音を出してはいけない。
だが少しでも早く移動せねば。
家屋内の臭いは、ここがゴミ屋敷だからなだけじゃなかった。
誘拐者達が俺達のために用意していたのか、台所に老婆の遺体が転がっている。そして、それを餌だと齧り付いて咀嚼中の、大型犬サイズの熊がいるのだ。熊の興味を、俺達は絶対に惹いてはいない。
奴らの尻切れトンボな誘拐劇の意味が分かった。
奴らは、想定外な熊の登場によって俺達を残して逃げたのだ。無力な中坊二人という人質なんか忘れ去って。
一方熊の存在を知らなかった俺達は、誘拐犯がいないのをいいことに会話をしていた。俺達の会話が熊にはちゃんと聞こえていたはず。なのに逃げもせず、一心不乱に死体を食っている。考えられることは。
「蒼星、人の気配に怯えない熊が、一部屋間にした先にある台所にいる。俺達はゆっくり、できる限り音を立てずに外に出るぞ」
「外に出たほうが危険じゃないですか?」
「屋根に上ろうと思う」
熊こそ簡単に屋根に上がって来るかもしれない。
とりあえず高いところに上って回避が、今の俺達には一番無難な選択な気がする。




