相談その一 女の子の胃袋に限界はないのですか?
俺と有咲と夏南を乗せた車は、塾の前からとってもスムーズに発進できた。
これは想定内である。
しかし、俺を挟んで右に有咲、左に夏南は想定外だ。俺が助手席に行く前に有咲に引っ張られ、夏南によいしょと押し込まれてしまったのである。
藤? 運転手さんは運転席から動けないよ。動く気どころか、モテますね、と笑ってくれたし。
「俺は助手席の方が」
「この車は広いから大丈夫。事故って一番死ぬ席が助手席なの!」
警察官の娘は危機管理が厳しい。しかし、後部座席の真ん中って座りにくいしシートベルトも掛け辛いんだよね。フロントガラスをマネキンが突き破る事故実験の映像って、ここに座らせたマネキンのその後じゃないの?
「けどホラ、三人でギュっは、狭いよ」
「でも、緊急事態なんでしょう。悠は家にいなかった。それでなぜかマトリがあたしに襲い掛かってきた。晴純は私の横にいて」
なんと、夏南からボディガード宣言だ。
でもって有咲を見れば、彼女までうんうんと頷き、右手に拳を握っている。
この二人は俺を守って戦うつもりですか!
俺は溜め息を吐きながら、有咲の拳を右手で触れた。
「有咲、俺達は単なるドライブだよ」
「でも危険なんでしょう」
いくらなんでも子供達で溢れる場所に押し入ることはない。悠と蒼星をファミレスにて誘拐してしまうことこそイレギュラーな出来事である。
ただしそこから俺が考えたのは、悠達の誘拐は俺への呼びかけであり、悠達を人前で誘拐できたのは俺をも拉致できる大義名分を示せる身分証をお持ちだろうってことだ。――マトリ、とかな。
それで俺は塾の外へと飛び出したのだ。
狩りも戦闘も、いかに自分のフィールドに敵を誘い込めるかで優劣決まるし。
「そうね。でもこれで大丈夫。せっかくだからドライブして楽しもう」
俺は血気盛んな少女に声をかける。
ほら、血糖値が下がると苛立ちやすく考えなしになるし。
「夏南、飯は食っていないんだろ?」
「う、うん」
「藤さん、適当なコンビニに行ってくれる?」
「え~コンビニだったら、私はケバブが食べたい。駅前広場にスタンドがあるじゃない。いっつも食べたいなって通り過ぎてたから」
「買えばいいじゃない」
「晴君、校則。買い食いは禁止だぞ」
…………。
「あ、破ってるな。晴純も悠も買い食いしてたっぽい」
「悠君も晴君も悪い子だ!」
やぶ蛇である。俺はルームミラーごしに、運転席の藤に目配せを送る。
藤はふっと目元を柔らかくしてから、ぐいっとアクセルを踏んだ。駅前風景がぐっと後ろに遠ざかる。
「ああ、ケバブ。いつかお前を食ってやる」
「反対車線だろう。君は交通法は適当か」
駅前通りは反対車線変更できそうな大通りだが、道路の真ん中には車線変更不可を警告する黄色の線がしっかりと引かれているのである。
「うそ。戻ってくれるの!」
「晴君。あたしもケバブ食べたい。一緒に食べよ!」
「俺はいらない」
「買い食い王の余裕か」
「腹に余裕がないだけだよ」
ちょうど藤が左折したところだ。この道を少し行った先の交差点で反対車線に入り、それから来た道を反対車線を走って戻る。車って楽そうで実は面倒。一方通行の呪いなんてものも存在するし。
カチカチと音がするのは、俺達の車が交差点で一時停止しているからだろう。
「あ、何、後ろの車。煽りか? 車両感覚もない若葉か?」
夏南のお父さんは道路に出すと王様になるのだろうか。
車線変更についてはルーズなのに、車両間隔については手厳しいとは!
ただし、後ろについた車が近すぎるのも事実だ。
俺達の車はこれで後退できない。
あとは俺達が乗るこのセダンの鼻っ先を叩けば、不幸な事故の被害者として俺達を確保することができる。
ドン、ガシュ。
交差点手前で一台の車が歩道に突っ込んだ。藤はちょうど反対車線が空いたという感じで車を発進させた。――俺達の後ろの車? エンストしているようだね。
「晴純、救護活動はしなくて良いのか? 目撃者としての義務は?」
事故現場が後ろへと遠ざかっていくが、夏南がそれを良しとしないのは、彼女がやっぱり警察官の娘であるからか。
「ケバブ食べたくないの?」
「行っちゃって!」
即答、かよ。
藤は運転手にあるまじき、ワハハと声を上げて笑う。
そして車は再び駅前へと走っていき、夏南念願のケバブ屋の真ん前に辿り着いた。
俺は財布から五千円札抜き出して夏南に渡す。
「え、晴純」
「悠のと弟の分も頼む。みやげに」
「あ、わかった」
「あと、有咲も夏南と降りちゃって。あそこには普通に売ってない缶ジュースも売ってる。俺はチェリーコーク」
「あ、うん。じゃあ――」
俺は有咲が開けようとしたドアを引き直す。
有咲は、どうしたって顔を向ける。
「俺は今から助手席に移るから夏南側のドアから出て」
「横着しないで、出てから乗りなおせば?」
夏南が呆れ声を出す。ガキかよって感じ。
有咲は純粋に心配からだ。
「危ないよ、晴君」
「いいの」
後部座席から助手席への車内移動は、確かに、中三になった男の子の体ではちょっと苦労したが、俺が出たら話しかけようとスタンバってるお兄さんとお話なんかしたくなかったし。有咲側のドアが開いたら、を狙ってる人もいたしね。
夏南と有咲は俺を止められないと踏むや、すぐさま自分達の欲望を満たしに車外へと仲良く飛び出していった。夏南がちゃんと周囲を警戒しているのはさすが。
「そこのドアを開けたくないのはわかるけど、あっちのお兄さんには優しくしてあげればいいのに」
「俺は実況中継って好きじゃないんだ。まだ状況続行中でしょ」
「じょ、状況続行中。くくく。子供って好きだよね、そういう特殊な言い回し」
「べ、別に特殊じゃないし」
「ツンデレかよ!」
藤はハンドルに突っ伏しそうな勢いで肩を揺らして笑う。
俺はふんっと鼻を鳴らしてみせてから、ケバブ屋台前で買い物をしている少女二人へと視線を動かす。
屋台横に立つ狐顔のお兄さんが、俺が車から出てこなかったことへの異議申し立てであるようにほんのちょっとだけ唇を尖らせた。そんなのしたら警護しているってバレバレだけど、これは彼なりの周囲への威嚇だろう。見ているぞ、このやろうって。
「三角さんって、今何人動かせるんだっけ」
鹿角のチームは、三角を筆頭に六人の部下で基本動いているけれど、いざというときは七人それぞれが現場の警察官を手足にして動くのだ。だから大所帯になった隊を監督もする鹿角は、調査官とか管理官とかその時々で呼ばれ方が違う。
そして三角が最近警部補から警部になったと聞いているから、三角一人で制服私服警官合わせて一係丸ごとは動かせるのでないだろうか。
けど、と俺はルームミラーで俺達の車の後ろにつけている車を睨む。
「真後ろにくっついてる車の中身は担当じゃないのは確実だね」
公的な身分証を持っているだろう車内の人間は、何かルール違反をしなければ三角達にさえ職質はできない。何かのルール違反をしていなければね。
運転席と助手席の二名は、似通った感じの男達だった。年齢は中年手前だが若者とは言い難い、三十代後半から四十代前半。通勤電車の中に放り込めば完全に埋没しそうな髪型にスーツ姿に顔立ち。周囲の印象に残らないように似た感じわざとにしているのだろうけど、こんな違和感ある行動していれば意味ないよな。
ちなみに、初対面の波瀬と藤堂を双子みたいと俺が思ったのは、あいつら顔から体つきからアンドロイド戦士みたく整っているからである。後ろの車の二人に感じる双子感とは全く違う。
「ぶふ。一か八か右側ドアから晴を引っこ抜こうと狙ったのに、三角さんいるの見つけて慌てて車に引っ込んじゃった人達ね」
顔を持ち上げれば、俺のニヤニヤな顔がルームミラーに映ったはずだ。
目が良ければ、後ろの車の人達にも見える?
すると、後ろに泊まっていた車が動き出した俺達から嘲笑われていることに耐えられないって感じで、ノロノロすいーと俺達の車を通りこして駅前広場から去っていったのである。
「車の事故って第三者巻き込みそうで怖くて難い」
「田んぼに落としたら農家さん泣くしねえ。さっきのエンストも晴?」
「あれは違う。けど、なんで」
「ハハハ。マニュアル車あるあるか」
マニュアル車はクラッチ操作をミスすると、簡単にエンストする、らしい。
俺達の車の鼻っ先を擦る予定の車が歩道に特攻しちゃったせいで、慌てちゃって操作を誤ったってことね。
そして歩道に突っ込んだ車の事故原因は、完全に俺というかアンリの仕業によるもの。運転手の視界に反射光を入れ、純粋なる肉体の反射行動を誘ったもの。
人間はびっくりするとつい左にハンドルを切ってしまう。それだけのこと。
「ただいま。お菓子も売ってた。ドンドルマ! 晴君も食べるでしょ」
有咲達が戻ってきた。
有咲は乗り込むや紙袋を開けてアイスクリームが入ったプラカップを取り出し、その一つを俺にぐいぐい突き出した。もちろん食べる。
「ありが」
「戦利品見て! 晴純の言った通り、普通にないのがいっぱいあった。ライムソーダにザクロソーダにパッションフルーツソーダ。チェリーソーダにパイナップルソーダでしょ、あとココナッツウォーターもある」
夏南はすでにケバブに噛り付きながら、ビニール袋から次々と見慣れないカラフルなパッケージの缶を取り出しては有咲との間に並べていく。だがチェリーコークはない。普通のコーラもない。
「コーラがない」
「コーラはどこでも買えるでしょ。ほい、チェリーソーダ。藤さんは何がいいですか?」
「ライムソーダを」
俺は夏南からチェリーソーダ缶とライムソーダ缶を受け取り、それぞれをセンターコンソールにあるドリンクホルダーに差し込む。俺達用に二缶貰ったが、それでもジュース缶は俺達の人数分の倍は残っている。全種類買ったのか。
「どんだけ買って来たんだよ。金は足りたか?」
「私だってお嬢様です~」
「あ、あたしも出した。ドンドルマはあたしのおごり!」
「ありがとう、ごちになります。じゃ、次に行きましょう」
藤の車は駅前ロータリーを抜けて再び大通りへと放流された。
トイレ休憩は考えなきゃだな、と今からウンザリしながら。
女子トイレは誰が目を光らせるんだよ。




