連絡その一 味方こそいつだって背中を撃ってくる
塾合宿初日、俺は開始時刻の一時間前に塾の応接間にいた。
有咲は後から来る。朝一の有咲からのメッセージで、迎えはいらないらしい。悪いからって。いい子だよな有咲って。拓海なんか絶対に俺と塾に行くって、昨夜からうきうきわっくわく。もう遠足に行く子供同然だ。すごい迷惑。
そんなに俺に羞恥プレイをさせたいか。
俺は中学三年生なのに、小学生ばかりの教室の一生徒となるっていうのに。
ああどうして俺の胃は全然痛まないのか。登校拒否できる胃痛よ、来い!!
「本日は、息子を受け入れてくださりありがとうございます」
「え、ええ」
「息子はとても優秀でしてね。それは勉強ができるからではなく、こうして自分の苦手なことから目を背けない姿勢がですね、僕はとても好ましいと思うのです。あなたもそう思うでしょう。ですから、しっかりとしごいてくださいね」
「は、ははは。それは、もう」
塾長はハイテンションな拓海とは対照的で、ぎこちない笑みで胃のあたりに手を当てている。
あ、塾長の方が胃を痛めていた。
でもって、俺に助けてって目線を寄こさないで。
「ハレ、大丈夫。拓海センセイに残されている時間はあと五分」
藤が俺にこしょっと内緒話だ。運転手なのに車に残らず、しれっと俺の兄の顔をして俺の横に座ってる。俺を弟分と自認する藤だからか、拓海以上にきらりんワクテカだ。彼はこの場の観覧目的で追従してきてるのである。だがあと五分とは、拓海は今日もスケジュールに追われているようだ。
っていうか、拓海が塾に来たのは俺自慢するためじゃないでしょ。
「じ、塾長! た、拓海真琴さんは、ど、どちらに」
拓海は拓海真琴に会いに来たんだから。
無駄な俺自慢するよりも甥っ子さんに会わなきゃ。
「あ、そうですね。彼は授業の準備してますから、今すぐに呼びに」
「いいえ。仕事の準備は大事です。準備がずさんだと悪い結果ばかりを呼ぶ。よくあるカルテの取り違いみたいな、大悲劇を」
「亮さん、それ風評被害が病院に行くから」
「そうかな。開腹してみたらあるはずの腫瘍がなくてびっくりって、笑い話にならない? 僕もカルテ違いの手術を研修医時代に経験してる。おなか開けちゃってからカルテがちがーうってわかってね、どうしようって」
「待って。昔話だろうが内緒にするべき医療過誤話聞かされた俺も塾長も、どうしよう、ですよ。この話が広まって当時の患者から訴えられたりしませんか?」
「大丈夫。殺してないし感謝されたから。部分的内臓逆転の患者の変形している血管の修復すればいいのかなって弄ったんだ。それがドンピシャだったらしくてね、術後はずいぶん体が楽になったって喜んでいた。本当は――」
「藤さん!!拓海センセイを病院にお戻しして!!」
「もう。晴純はひどいな」
拓海はぷんすかしながら、藤に連れられて病院に連行されていった。
ほっ。
あのおじさんはもう少し社交的な会話を学ぶべきだと思う。
「塾長、お騒がせしました。うちの父が口にしたことは忘れていただけると」
「ふふ。アスクレピオス教授も息子には単なるおじさんになるのか」
「塾長、アスクレピオスって何ですか?」
「医者の神様のことだよ。死者さえも蘇らせる素晴らしき医術を持っていることでゼウスの雷で射殺され、しかし彼の尊さから神の座へと招かれた。外国の救急車に杖に蛇が巻き付いた絵が書いているのは、アスクレピオスにあやかってのことだよ。アスクレピオスの杖は医療の象徴だね」
「勉強になります。世界史って面白いですね」
「晴純君、あのね、アスクレピオスはギリシャ神話でしかないから」
俺の脳みそには世界史の引き出しもないことが塾長にバレたようである。
無言で見つめあう俺と塾長。俺達には何とも言えない間ができた。
いたたまれない。
「……。講師に真琴君が来てくれてて良かった」
塾長、俺については拓海の甥に全部かぶせるつもりか。
人が好さそうと思ったけど、やっぱ大人だったな。汚ぇ。
まあ、汚い大人ならば金に屈してくれるかな?
「塾長、本日授業前にお願いが一つありまして」
塾長はあからさまにびくぅと怯えて腰を引いてくれたが、俺が提示した金儲け話を聞くや俺が怯えるぐらいの前のめりになった。
「別に年齢制限を設けていないから、いいよ。今は少子化で塾経営って辛いばっかりだしね」
「塾長、ぶっちゃけすぎ」
「子供が財団法人名義のゴールドカードを持っているんだ。色々言いたくもなるさ。私は大学生になってようやく赤カード十二回払いの世界に入ったというのに」
塾長はぶつぶつ言いながらも、有咲の飛び込み参加用の合宿代を俺のカードからしっかりと引き落としてくれた。俺名義だったら未成年の契約は無効にできるってことで受け付けられないが、財団名義ならば契約を反故にできないからね。
こうしてお大臣なことが俺にできるのは、兵頭が勝手に俺の財団を作っていてくれたからだ。それを知った時には、大人って子供を食い物にするんだなって、兵頭への信頼が崩れちゃったけど。
今は感謝ばかりだよ。
大金を自由にできるツールがあるから、小学生の中でポツンプレイに、有咲も参加させられる!!
「晴純! 私も来てやったんだからトカゲをよこしな!!」
応接室の戸口から聞こえたの声は、有咲のものではなく、有咲の親友の夏南によるものだった。なんでこいつが俺の居場所を知っているんだ、と戸口に振り返って見えたものは、偉そうな夏南の姿と、小さくなって戸口の陰からこっち見てる有咲の姿だ。有咲は招かれざる奴を連れてきてしまったことに申し訳なさを感じているのかな。でも有咲は夏南と一緒が当たり前なムーブだよな、いつもは。
どうした?
「ありさ」
「まずは私と話しようか、晴純」
ずずいっと、俺の視界に夏南がずずいっと自分を押し込んできた。
身長が百五十二程度のちまっとした彼女は、なぜかモデル美人な有咲の隣にいても霞まない。それは小さいながらもバランスの良い体つきにアイドル顔しているからだろうか。――いや、普通に有咲よりも気性が荒いからだろうな。
二人並ぶと穏やかなスタンダードプードルと喧嘩腰のトイプーの組み合わせみたいだ。トイプーうるせぇ。
俺は夏南に「お前受験勉強は?」とか言い返すどころか、塾長に「もう一人分落として」とオーダーするだけにした。何せ、新札になる前の万札みたいな名前の諭吉夏南なのだ。何も言うまい。あと怖いし。
俺はお絵かきAIを構築してひと財産あてたが、老後までこの金は引っ張れない気がしてきた。こうして次々と無意味に泡と消えていくんだろう気がする。
「え、うそ。私も受けることになったの?」
「お前は。俺をカツアゲに来ただけかよ」
「だって、有咲に昨日は延々と自慢されまくったんだよ。それでお揃いで晴純が作ってくれたって聞いたら、今すぐ欲しいじゃない。私だってトカゲに悠の声で恋唄歌わせたい。あと漫画のセリフとか読ませたい」
そうだ。有咲は俺が買うべき参考書のために、評判の良い参考書を全て読んで比較検討してくれるほどの素晴らしい人だった。俺が作った説明書を読み込み応用利かせてくるぐらい、俺こそが想定するべきことだった!!
だけど。
俺は戸口から出てこない有咲へと振り返る。
えへ、と有咲は笑ったが、ごまかされるものか。
「有紗、ちょっと来い」




