01
高校まで徒歩十分のところに住んでいる剣持始は、秋も深まりそろそろ足元に冬が忍びよってきたこの時期、毎朝登校途中で後輩と顔を合わせていた。
「おはようございます、剣持さん」
「……おはよう桜井」
予想してたとおり、ひとけのない住宅街の道端で、輝くばかりに美少年な高校生がブレザーを着て立っている。
しかもその手には剣持にはみおぼえのある、水色地に黄色とオレンジがさくらんぼのようにくっついているランチボックス。
「これ、また作ったんです。よかったら食べて頂けませんか」
ふたりは肩を並べて歩きだす。
「桜井、まえにもいったとおもうが、気持ちはうれしいけど、おれは」
「何かをお返ししてほしいわけじゃないんです。こうして剣持さんとふたりだけでお話しできるだけで。お弁当は、美味しかったっていって頂けたのが嬉しくて……」
以前ならしょげたようにうつむく後輩の姿に胸が痛んでも、無視することができた。
「さ、桜井……わかった。弁当ありがとう」
困ったことになぜだか最近断ることができない。祖父の件で世話になったからだろうか。ご家族といっしょに昼食を食べたからだろうか。
左手にカバン、右手にランチボックスを下げて歩く剣持のよこに、桜井が並ぶ。ふたりの間にはたわいもない会話が続く。桜井は趣味範囲が広く、様々なことを知っている。音楽やスポーツ、ニュースなども日本のだけではなく海外のものも詳しい。一年先輩で剣道部の主将である剣持よりも、学校内の事情に通じているくらいだ。
そうはいっても誰が誰と付き合おうと剣持にとってはどうでもいいことではある。
「先日、生徒会長から役員選挙に立候補しないかってお話を頂いて……」
「ん? その話は以前断ったといってなかったか」
「はい。お断りしたんですけど、また勧誘されました」
剣持は眉間に縦皺をつくった。
ちょうど一週間後から、年に一度の生徒会役員の立候補受け付けが始まる。
入学して間もない頃から、桜井は生徒会に誘われていたという。立候補できない期間中は、役員補佐という名目で生徒会に出入りできるといわれていたそうだ。
「よっぽどおまえが欲しいんだな」
「ぼくは剣道部を優先したいので、生徒会に入る気は今後もありません」
剣持は桜井のことばにうなずいた。
しかしこうも何度も声をかけてくるとなれば、剣道部主将として一言生徒会長にいったほうがいいかもしれない。現在の生徒会長は多々野大介といって、剣持とおなじ二年生だ。今期生徒会において無事に女祭りを開催し、次期生徒会においても会長継続を狙っているという。やる気のある生徒が会長を担うのはありがたい。しかしそのやる気が部活の後輩にまで及ぶと迷惑ではある。
桜井とは結局、校舎の一年生のクラスが入っている一階までいっしょだった。
*
授業の合間の十五分休憩のとき、剣持は身近にいる情報屋を利用することにした。
「英輝、多々野生徒会長のことで知っていることを教えてくれ」
「うちの後輩を勧誘するなって釘を刺すのか」
成瀬秀樹の前の席に、体を横に向けて座っていた剣持は顔だけを友達にむけた。
「生徒会の桜井への勧誘は知れ渡っているのか」
「あんな可愛い子、放っておくのは始ちゃんくらいだよ」
剣持の冷たい目でみつめられて、成瀬はにっこり笑みを浮かべた。黙っていれば二枚目な情報屋は、無駄に魅力を振りまいてから話しを続けた。
「会長は早くから声をかけていたらしいぞ。他の役員からもいれわれて、同じ生徒会に居れば知り合うきっかけとしては十分だからな。下心みえみえの勧誘だけど、それは生徒会に限らない。他のクラブだって、とっくに剣道部に入部したあとだって、辞めて自分ところに来ないかって声はかけていたみたいだしな」
そんなことは初めてきいた剣持は、やや目を見開いた。
桜井美幸が剣道部以外の部活動をするなどおもいもしなかった。ましてや剣道部を辞めてまで。胸の奥のほうでざわりと何かが動いた。
「多々野大介の成績はおれらより随分いいはずだ。運動はまったくしてないらしい。背もおれたちくらいだろう。弁舌はなかなか立つし、将来は政治家になりたいらしい。顔は安心しろ、始ちゃんのほうが男前だ」
「だれがいつそんな心配をしたんだ」
「てっきりそんな心配だとおもったんだけどねえ」
ぺらぺらとよく回る口を閉じて、英輝はにやりと大きな笑みをつくった。
「どうみても美幸ちゃんは始ちゃんにべた惚れでしょ。せいぜい始のできる、そうだな、手のひとつも握るか、ほっぺにキスくらいしてあげたらどうだ」
軽口もそこまでだった。剣持は情報屋の頭にすばやく鋭い一撃を感謝のことばとともに食らわせた。
「昼に飲み物でもおごる。ありがとう」
英輝は頭を両手で押さえて机に突っ伏した。
自分の席に体を正面にしてきちんと座り直した剣持は、口でいうわけにはいかなかったことばを胸中にこぼした。
(キスなんてな……あいつが入部してきてすぐのころ、されてんだよ。お、おまけにあれがファーストキスだったし……)
頬が熱くなったのを感じた剣持は、机から教科書を引っ張り出し読むふりをして顔を伏せた。
しかし確かにキスをされたことはあっても、したことはない。抱きしめたことはあるが、あれは泣いている桜井を慰めるためだった。成瀬が意図するような行為を自発的にしたことはなかったし、生涯するなんてことはないとおもっていた。
(……今後もするはずはないんじゃないのか?)
自問すれば、すぐに何らかの答えが湧いてくるはずが、沈黙しかない。
動揺する剣持をよそに、次の授業開始を知らせるチャイムが鳴った。




