02
文武両道を謳う北方高校では、放課後の部活動も盛んである。
一年生を学校の外壁周りを走らせる「外周」に送り出したあと、二年生を分けて打ち合いを指示した。三年生は夏で引退し、女祭りが最後の部活動だった。主将ともなると、自身の練習はそっちのけで他の部員のメニューに気を配る必要がある。
「外周」から一年生たちが戻ってくると、空気がざわついていた。
道場着に運動靴を履いて走ってきた部員たちは、道場に上がるときに素足となる。続々と部員たちが板張りの道場に入ってくる。その後続において、見知らぬ顔があった。
灰色のブレザーとパンツに、オレンジのネクタイをしていた。高校生一年あたりだろう年恰好。その生徒に対応している桜井美幸に負けないくらい、はっとするような容貌をしていた。
「うわ、あの可愛い子は誰だ」
「美幸ちゃんの知り合いか」
「可愛い子は可愛い子と知り合いなんだな」
「あの制服は誠啓学院じゃないか」
誠啓学院は都内一のセキュリティーを誇る、金持ちの子弟が通う私立の小中高一貫校だ。
先輩たちの会話を背でききながら出入り口に近づくと、今度は桜井と部外者の会話がきこえてきた。
「真琴くん、せっかく来てくれたけどここまでだよ。また今度休みの日にでも家においでよ」
「待ってたらいけないかな。美幸ちゃんの制服姿を見たいんだよね」
真琴と呼ばれていた男子生徒は、大きな瞳を桜井から近づいてくる剣持に移動した。
黒髪はさらさらとしたまっすぐで、顎の長さでぱっつんと切り揃えられていた。おかっぱと呼ぶには洗練された雰囲気がある。大きな目は目尻が吊り上っており、鼻筋は通り、口は小さい。整った顔の美形で、美人顔だがまだ幼くて可愛い美少年だ。桜井より指三本ほど背が高い。
「桜井」
「剣持さん、この子は上条真琴くんで、中学校の頃の友達です。生徒会交流会で来校したそうで、外を走っていたら偶然出会いました」
「そうか」
「初めまして剣持先輩。上条真琴です。誠啓学院で生徒会役員補佐をしています。桜井くんを見かけて、先輩に許可をとって抜けてきました。かれとは卒業式以来なんです。部活を見学させて頂けませんか」
許可もとっている上に、礼儀正しい。断る理由はなかった。
その後の剣道部は、見学者にいいところを見せたい面々による滑稽味を帯びた活気さで続いた。どこでどうききつけたのか、幽霊部員の成瀬英輝まで顔をだし、剣道部の道場の入っている体育館の外側の扉の周りには一目部外者を見ようという野次馬が群れた。
夏が過ぎて冷房を切り、扉を開けて部活動をしていたが、剣持は扉を締めさせ冷房を付けた。桜井美幸が入部した当初のように外野からは怨嗟の声があがったが、剣持の気は変わらなかった。
終了時間の三十分前に、剣持は桜井に上がるよういった。
「外部からの友達も来ているんだ。先に上がって帰っていい」
「ありがとうございます剣持さん、真琴くんこっちだよ」
「ありがとうございます剣持先輩。お邪魔しました」
道着姿の桜井と、灰色のブレザー姿の上条が消えると、剣持の肩から荷が下り、そして道場から嘘のように活気が消えた。
部活後の帰り、校門前での桜井の待ち伏せがないことに剣持は当然だとおもった。あの可愛らしい友達を連れて先に帰宅したのだろう。ただ、昼に食べたあと洗っておいたランチボックスを返せなかったことが、少し未練となった。
*
翌朝、登校途中で桜井の待ち伏せがなかったことに、剣持は軽く驚いた。
返そうとおもって持参していた空のオレンジ色の弁当箱の入ったランチボックスと、いつも貰っているお礼として作った自分と桜井の分の弁当箱をいれた紙袋の取っ手を握る手に力がこもる。
(どうしようか……)
人目につかず渡せる機会は朝のこの時間が一番いい。
午前中に校舎のどこかで出会えれば、ちょっと待ってもらって手渡すこともできるかもしれないが、それでも人目に触れるだろう。一年の教室までいって呼び出すなどしたら、また周囲の耳目を騒がせることになる。桜井は護身用として父親から携帯電話をもたされており、その電話番号を書いたメモを剣持は渡されていたのだが、わざわざ電話をかけることだろうか。
(弁当なんて、作るんじゃなかった)
内心赤面しながらそうおもう。
期待し計画したとおりに物事が運ばず、すっかり気持ちが沈んでいる。桜井の行動ひとつでこちらは右往左往している。ほんの少し前まで、桜井が自分の秘密を暴露する以外は、どうしようと何をいおうと構わなかったのに。いつだって強気であれたし、無関心でいられた。
秋の肌寒い朝に、剣持始は頬を強張らせ黙然として登校した。
校門をくぐり、二年D組の教室に到着する間、昨日の剣道部の見学者のことがすっかり噂になっていることを知った。どの学年の男子生徒たちも可愛い子には目がない。
「おはよう始ちゃん」
「おはよう英輝」
数学の宿題を写させてもらっていたらしい成瀬は、せわしなく動かしていた手をとめて顔をあげた。アーモンド形をした目がキラキラしている。
「昨日の真琴ちゃん、可愛かったよな。あの子は美人になりそうだな」
いつ上条真琴をちゃん付けで呼ぶほど親しくなったときくなど愚問である。成瀬にとって可愛い子はすべてアイドルであり、親しみを込めた「ちゃん」付けなのだ。ただ、友達の剣持始にだけはからかいを込めた「ちゃん」付けではある。
「まあ、そうだな」
剣持は成瀬の前の座席にカバンと弁当箱とランチボックスの入った紙袋をかけた。
「あの子と美幸ちゃんは誠啓学院の小中等部でいっしょだったらしいぞ。美幸ちゃんはエスカレーターの誠啓を捨てて、どうしてこの田舎に来てくれたのかねえ」
首を振りながら、また宿題の写し作業に戻る。
――「ぼくにとってはずっとずっとなにがあっても、剣持さんは特別なんです! だから、あなたがぼくのことを嫌っても、ぼくはあなたのことが好きです!」
椅子に腰を下ろしたとき、桜井に、まさにこの教室の前の廊下で告白された場面をおもいだした。馴染んだ環境とも友達とも離れ、わざわざ遠距離の高校を受験して入学してきた桜井美幸。
――ぼくはあなたのことが好きです!
何か月も経って、どうしてこうも鮮明に思い出すのだろう。おまけに胸が苦しい。かれからの好意。断れないカラフルなランチボックス。
(でも、受け入れるなんて無理だ。そうだろう?)
男同士として付き合っても、女性を求められたらどうすればいいのか。ふたりで可能性を試すのか。元からそれだけを求められているんじゃないのか。易々と踏み出すわけにはいかない。
(おれは、男だ)
そのためにはひとりでいるしかない。誰かと親密になってはいけない。中学生のころから繰り返してきた考えをなぞり終えたとき、剣持は拳をみぞおちのあたりに当てて、机に突っ伏した。
「堀川~ノートサンキュー助かったー!」
「成瀬、例の件忘れんなよー」
「わかってるって。くわしい日時が決まれば教えてくれ」
「おう」
背後で元気な会話が交わされていたが、やがて誰かがそっと剣持の傍に立った。制服越しの背中に温かい手のひらを感じた。
「……どうした始。具合悪いのか」
能天気な先ほどの声とは違い、真面目な小さな声。お調子者の友人が、こうしてきめ細やかで優しいことを剣持は知っている。
「少し眠いだけだ。大丈夫」
「そうか。無理するなよ」
目を閉じたまま剣持はうなずいた。




