第36話
次の日、隣のクラスを覗いてみたが、ヴァルレーツァの姿はなかった。
彼女がこの教室でどんな人だったのかは知らなかったが、誰も彼女がいないことを気にしている様子はなかった。
「本当にいないんだ……」
と呟きつつ頬を掻いた。
そこにはもう傷はなかった。
昨日のあの後、レオニードとエリフィアナがやってきて、すぐに聖女の力で回復してくれていた。
レオニードは魔王の気配がするとかなんとかで魔界に行っていたらしい。
その許可を取るためにエリフィアナは駆り出されていたとか。
結局普通に魔物を討伐して帰ってきただけだった。
それもそうだ。
自分がいる気配がすると言って出ていって、見つかるはずもない。
鏡を見た方が早そうだ。
そんなこんなで世界は人間が一人いなくなったくらいでは何も変わらなかった。
もしかして自分がいなくなったところで何も変わらないのかもしれない。
今見ているこの現実は実はすべて夢かもしれないし、魔法で見せられている幻なのかもしれない。
そんな妄想を頭の中で垂れ流しながら、マルキュナは自分の教室の扉を開けた。
レオニードがいつも通り席に座っていた。
そしていつも通り手を上げて挨拶してくる。
「おはよう、マルキュナ! 今日も……髪留めはもうしないのか?」
なんだかんだ小さな変化に気づける男なんだよなぁ。
「うん。ちょっと……壊れちゃって」
昨日の事件は彼には伝わってはいない。
というより言わない方がいいというのが勇者パーティの総意だった。
懸念点としては倒れている姿と、頬の傷が見られたことだったが、それは顔からこけたということでごまかしが効いた……と思われる。
彼の性格上、無駄に疑うということはないと思うのだが、こればかりは心が読めない以上、信じるしかなかった。
「そうか……。もしよければ何だが……今度、街に一緒に買い物にでも行かないか? その……ほら、髪留めを買ってくれると言ってくれたろ? だからだな……その」
歯切れが悪かった。
だが、言いたいことは伝わった。
デートがしたいのだということだ。
出てくる積極性の割に、この子供らしい感じはどこか可愛らしく見えた。
きっと私は照れている人間を見るのが好きなのだと、この短期間で理解し始めていた。
「……いいよ。今度の休みね」
「ほんとか!? 今度の休みだな! わかった!」
「どこか行きたいところあるの?」
「それが……俺、街に行ったことがまだないんだ」
「それじゃあ私とほとんど一緒じゃん」
「そうなのか!? ずいぶん遊んでいるように見えていたぞ?」
「ちょっと、人のこと変に言わないでくれる? 勉強と仕事で手一杯なんだから」
「そうだったのか……分かった! 任せろ!」
なにが任せろなのか?
正直、この誘いは断ってもよかった。
でも……これも強制力なのかな?
そう思いたくない自分がいた。
自分が都合よく操作されていると思うと、叶わないことがない彼が可哀そうに見えてくるから。
そんな高慢な想いが凝り固まった気持ちを揺れ動かしたのかもしれない。
「任せたわよ」
それだけ言うと、マルキュナは席に着いた。
するとニヤニヤした表情でクラリーンがこちらに顔を向けた。
「おんやぁ。デートかなぁ? 今、デートの約束をしていたよねぇ? んんー?」
マルキュナはクラリーンのおでこを指の腹で叩いた。
「前に約束してたんだから、いいの。別に一緒に出掛けて買い物するだけなんだから。それにクラリーンも行ってみたらって言ってたじゃない」
「それを世の人々はデートって言うんだよー? あー、ついにこの教室からも純粋なカップルが爆誕するのかぁ。冗談で言った割りには、なんだか驚き一割、感慨深さ二割だなぁ」
残りの七割は一体何なのか。
クラリーンが叩かれたおでこを撫でる。
「大げさだなぁ」
「大げさなものかっ! 政治と家柄で相手を決めるのが常識っ! 純粋な恋愛結婚なんて夢のまた夢! うちみたいな弱小貴族に片足突っ込んでるような、いないようなところでさえ、家柄、血筋だ何だとうるさいんだから! 彼、性格と行動はともかく、顔は良いんだから絶対に離さないのよ! もうそんな出会いすらないままおばあちゃんになっちゃうかもなんだから!」
「……そうなる前に実家に帰るもん」
「マルっちはそうだよねぇ。でも、彼の気持ちは大切にしてあげなよ? この間髪を弄られてるだけで顔真っ赤にしてるくらいなんだからさっ。分からないってわけじゃないんでしょ? ただの友達以上だって思われてることくらいはさ」
「善処……します」
今度はこっちが顔を赤くさせられていた。
頬の熱さがそれを教えてくれた。




