第34話
プルメィラが短剣を壁に打ちつけると、甲高い音と共に、水球は弾け散り、地面を瞬時に水浸しにした。
ヴァルレーツァは体勢を崩してその場に沈み込んだ。
「ごはっ……ごほっ……」
プルメィラは短剣をヴァルレーツァに向ける。
「まだ君には聞きたいことがあるんだ。嫌というまで、僕の趣味に付き合ってもらうよ?」
「なんですのぉ……?」
ヴァルレーツァは体をねじりながら振り向き、掠れた声で返した。
その声音にはわずかな消耗が見えたが、根底の余裕は失われていなかった。
「あなたも魔法使いならぁ……勇者の遺伝子が欲しいのではなくてぇ? それならぁ、共有しませんことぉ?」
「残念だったね。僕は、女の子の方が好きなのさ。勇者なんかよりねっ!」
「信じられないわぁ……この変態女ぁ」
ヴァルレーツァは左腕を振り上げ杖をプルメィラに向ける。
「アイスエッ──」
言い終わる前にプルメィラは間合いを詰め、杖の中央を一閃で断ち切った。
そのまま不敵な笑みを浮かべ、後方へ跳躍した。
「ぼんっ」
プルメィラの声と共に、ヴァルレーツァの杖が光を放ち弾け飛んだ。
ヴァルレーツァの杖を握る手が焼けつくような痛みに襲われた。
「痛ぁっ!」
「はっはっは。詠唱途中で魔法道具が破損すると魔力の行き場を失い、暴発する。いい勉強になったなっ! さぁ! 次はどうする?」
ヴァルレーツァは足を滑らせながらも立ち上がり、左手を後ろに回して、右手の刺突剣を低く構えた。
「よくもぉ!」
足が爆発的に前へ踏み出された。
対してプルメィラもまた詠唱を三つ唱えた。
「マテリアルブレイク」
「エアブレイク」
「フェザーウェイト」
刺突剣が魔法によって砕け散り、ヴァルレーツァの前で空気が爆ぜ、ヴァルレーツァの体が黒い輝きを放ったかと思うと、重力を失ったかのように天井や壁に叩きつけられた。
ヴァルレーツァは床に叩きつけられる瞬間、腰から短剣を抜き、手で体を回転させ、踵を返した。
フェザーウェイトによって軽量化された肉体が、マルキュナに迫る。
マルキュナは動けなかった。
わずか数分の攻防に、完全に思考が追いついていなかった。
「アラクリティ」
唱えていたのはプルメィラだった。
両手に持った魔法具を投げ捨て、その身をマルキュナの前に割り込ませた。
そして鈍い音が響いた。
「ぐっ……」
プルメィラの喉から声が漏れた。
マルキュナは何が起きていたのか分からなかった。
ただ今の状況から、プルメィラが私を守って刺されたのかもしれない。
「……プルメィラ?」
「大丈夫だよ? 僕は大丈夫だ。何も心配することはない」
しかし地面に水滴が落ちる音がした。
マルキュナが下へ目を向けようとしたが、プルメィラはその顎を右手で持ち上げた。
「遊び過ぎたみたいだ。終わらせるよ」
そう言うとプルメィラは立ち上がり、振り返った。
背中に短剣が深々と突き立っていた。
足元で血だまりが、広がり始めていた。
「その怪我でぇ。魔法使えるかしらぁ?」
ヴァルレーツァがもう一本短剣を抜き出した。
プルメィラは血を指先で掬い取り、膝に魔法陣を描き始めた。
「僕が死ぬ前に一つ聞かせてくれないかい? 即死させなかった借りを返すと思ってさっ」
ヴァルレーツァは短剣を腰の位置に構えた。
「あらぁ? 諦めが早いのねぇ。いいわよぉ? 何かしらぁ?」
「君はこの殺しに何を求めたんだい? 地位か? 名誉か?」
「ふふ、失礼なこと聞くわねぇ。そのどれでもないわよぉ。魔王様の再臨。それ以上に大事なことがあってぇ?」
「ははっ! 分かりやすくていいね! 食べ応えがありそうだ!」
「それではぁ。ごきげんよぉ」
ヴァルレーツァがプルメィラに向かって突っ込んだ。
それは貴族のそれとは違う。
死ぬ覚悟をした目だった。
刺し違えてもいい。
その想いが宿っていた。
「プルメィラ! 逃げて!」
マルキュナは叫んだが、プルメィラは両手を広げて動かなかった。
短剣がその胴を貫き、背中から突き出ていた。
足元の血だまりが広がりを見せる。
「クリムゾン:コンタクト:アコード」
プルメィラはそう呟くとヴァルレーツァを抱きしめた。
「離しなさっ」
言い終わる前にヴァルレーツァは周囲の違和感に気がついた。
先ほどまで灰色だった空間が赤黒く染まっている。
「なによぉ……これぇ」
「これは契約だ。君と僕とこの世界のね」
地面で波打っていた血だまりが、静止した。
そして逆流するようにプルメィラの体を這い上がり、吸い込まれていった。
「彼女は貴族だ、きっとおいしいよ。食事を許可する」
するとその血はプルメィラとヴァルレーツァの二人を一瞬にして包み込んだ。
やがてプルメィラだけが薄皮を剥くように姿を現し、ヴァルレーツァだけが包まれ、血の繭のようになっていた。
プルメィラの背中からは血の跡は一滴残らず消えていた。
「この体たらくでは、また師匠に怒られるな。どうしても遊び過ぎてしまう。まったく、これだから僕はダメなんだ」
プルメィラが指を鳴らすと、血の繭は圧縮されそのままヴァルレーツァなどいなかったかのように消滅した。
「もう……わけわかんない」




