第27話
そして、どれだけの時間が経った頃だったか。
マルキュナは、元の路地に立っていた。
ボロボロだったはずの体は、傷一つなく回復されていた。
けれど筋肉の奥に残る鈍い疼きと、疲労感だけは、はっきりと「三日間」を覚えていた。
「おっ、無事戻ってこられたようだな」
目の前に、椅子に腰掛けたエリフィアナがいた。
彼女はマルキュナの反応を確かめるように、手のひらを目の前で振ってみせた。
マルキュナは机を、平手で叩いた。
「なんなのよ……! さっきまでのは! 死にかけてたんだけど!?」
「次元の狭間だ。正確にはその手前だけどな」
エリフィアナがいたって冷静に返してきた。
「なによそれ! 本当に痛かったんだからね!」
「およそ二十四時間の魔力の充填で三日しか連続使用できない代物だが、いい魔法道具だ。集中できたろ? 先の魔法使いから接収したものの一つだ」
その言い方が、業務報告のように聞こえて、苛立ちはさらに燃え上がった。
しかし一つ気がかりな言葉に引っ掛かる。
「だから……! え、一時間? どういうこと?」
「そう。一時間だ。お前があの空間にいて外で経過した時間は一時間だけだ。俺がちょっとお茶して待っている間に、三日分の寝ずの訓練を可能にしたわけだ。これを毎日やれば、一か月で一年分くらいの能力の向上が見込める。便利だろ? まぁその分歳はとるのか? それはまだ検証不足だな」
「便利って……そんなの……ありえない。だって時間って……」
「あるんだよ。まぁ、悪いように考えるな。それはお前の明確な弱点だ。何か問題があるか? 魔法学校にお前はいるんだ。立派な魔法使いを目指すなら、こんなもの利用する方がいいに決まってるだろ? 確かに、状況は異質だ。絶望と言ってもいいかもしれない。だが、それはお前が弱いのも原因の一つではある。強くなれば自由、分かりやすくないか?」
マルキュナは何も返せなかった。
魔法使いとして、成長するための“正論”ばかりが並べられていた。
護衛がつき、勇者という伴侶がいて、効率的な訓練環境まで整っている。
悪いことなど、どこにもない。
でも、どこか最後のピースが抜け落ちているような気がした。
その答えを、彼女の内面を見透かしたように、エリフィアナが口にした。
「部活の時間に鍛えるってのはどうだ? 一時間だけみんなから離れて研鑽に使う。その間誰かに襲われる心配もないしな。もちろん別途、給料を上乗せできるように掛け合っておこう。勇者部としての特殊訓練費なんて名目はどうだ? 悪くないだろ? うん、いいな。これは、確定としよう。お前が強くなればこっちも助かるからな」
そう言い、エリフィアナは握手を求めてきた。
マルキュナは特に考えることもなく、その手を握った。
程なくして。
エリフィアナは影たちを引き連れ、屋根の上に消えていった。
マルキュナは残された数体の影に囲まれるようにして、路地から連れ出され、元の賑やかな通りへと戻された。
影たちは彼女を道の端まで案内すると、闇へと溶け消えていった。
すると遠くから、必死な叫び声が響いてきた。
「マルっちー! どこー! マルっちー!」
マルキュナは周囲を見回し、人混みの中で大きく手を振っているクラリーンを見つけた。
「クラリーン! ここだよー!」
声を張り上げると、クラリーンは不安げに目を細めていたが、マルキュナの姿を認めると、顔を明るくした。
そのまま人波を掻き分けて、駆け寄ってくる。
「マルっちー! どこ行ってたの!? はぐれちゃったと思って、ずっと探し回ってたんだよぉ!?」
「ごめんね……気がついたら、見失っちゃってて……」
「そっか! 初めての街だもんね。うん、動かずに待ってて正解! 動き回ってたらもっと見つからなかったもんね! さっすがー!」
クラリーンはそう言って、ポケットから何かを取り出し、マルキュナに差し出した。
「ほら、もう盗られちゃダメだよっ!」
それは、見覚えのあるマルキュナの財布だった。
(どういうこと?)
盗まれたはずのもの。
エリフィアナに返してもらったはずのもの。
「それじゃあ、次は防具屋さんでも見よっか!」
クラリーンが前を歩き始めた。
マルキュナは無意識のうちに制服のポケットへ指を差し入れた。
そこにも、同じ感触の財布があった。
二つ。
取り出すと、全く同じ財布が目の前に現れた。
彼女はエリフィアナから返されたはずのそれを、開いてみる。
「えっ!?」
中には、彼女が勇者部で一年間懸命に働いても到底手に入らない額の金貨が、詰まっていた。
そして、一枚の折りたたまれた紙が。
マルキュナは息を潜めてそれを開いた。
『友達との時間を割いて悪かった。これはその迷惑料だ。おせっかいだとは思うが、せめて今ある時間楽しんでくれ。親愛なる隣人より』
「……ずるいよ」
小さな声が、喉の奥から漏れた。
紙を丁寧に折りたたみ、財布の中にしまった。
複雑な感情が彼女の内側をざわつかせていた。
怒っているのか、感謝しているのか、自分でもよく分からない。
そしてクラリーンを追いかけた。
道中、可愛らしい髪留めが二つ並んでいるのを見つけた。
彼女は迷わず二つとも購入し、そのうちの一つをクラリーンに差し出した。
「これ……お礼と、ごめんねの気持ち。受け取ってくれる?」
「えっ、マジ!? わー、めっちゃ可愛い! ありがとう、マルっち!」
クラリーンが嬉しそうに髪留めを受け取り、すぐに自分の髪に留めるのを見て、マルキュナは微笑んだ。
せめてもの償いと、感謝を込めて。
そして、これからの悲劇から彼女を守ってくれますように、という祈りも。
その小さな髪留めが、いずれ祝福にも似た、呪いとなることを、この時のマルキュナは、まだ知る由もなかった。




