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追放された鑑定士ですが、本当の能力は"未来の価値"が見えることでした。王国が滅びてももう遅いので、辺境で商会を作ります  作者: まつたけひめ


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第9話 勇者パーティーの失敗


 採掘が始まって、二週間が経った。


 坑道の補強は予定通りに進んでいる。レオンが紹介してくれた職人のうち二人が採掘作業に慣れており、最深部への掘り進みは俺の見立てより速かった。鉱石は少しずつ積み上がり始めていた。現在価値はゼロのままだ。だが、それでいい。今は蓄える時期だ。


 事務所の広間は、少しずつ埋まり始めていた。


 ミーナが管理する棚には、取引の記録、仕入れ値と売値の一覧、ダグラスとの窓口契約の控え、採掘の進捗を記した表が並んでいる。二人で始めた商会とは思えない量の書類だったが、ミーナは一つ一つに日付と分類を入れており、どこに何があるかが一目で分かった。


 俺は壁の地図に、今日確認した情報を書き加えた。


 アーレント北東の廃坑の位置。カルベン峠の修繕済み区間。ダグラスの商会がある町。ロウゲイトの宿場。そして、神眼鑑定で把握している、これから価値が出る場所の印。


 まだ誰も気づいていない印が、地図の上にいくつも散っている。


「レイン」


 ミーナが声をかけた。


「商人ギルドから使いが来た。ダグラスからの伝言だ」


 俺は振り返った。ミーナが一枚の紙を持っている。


「なんと」


「王都から商人が来ている。大きな買い付けをしたいらしい。俺たちに会いたいと言っている」


 俺は少し考えた。神眼鑑定を走らせる。


 王都からの商人。現時点での情報は、まだ薄い。ただ、一つだけ引っかかるものがあった。


「……いつ来る」


「明後日の午前だ」


「分かった。対応の準備をしておく」


 ミーナはうなずいた。それから、少し間を置いて言った。


「もう一つ、別の話がある」


「何だ」


「今朝、冒険者ギルドから話を聞いた。北の街道で、勇者パーティーが大きな戦闘をしたらしい」


 俺は手を止めた。



  *



 冒険者ギルドの食堂は、昼前の時間でも何人かが席を占めていた。


 依頼書を眺めていた冒険者たちが話している内容は、どれも同じことだった。


「聞いたか。勇者パーティーがSランクの魔物にやられたって話」


「北のダンジョン、シュバルツ洞だろ。あそこは最近おかしい」


「おかしいどころじゃない。魔物の質が変わってる。Aランク連中でも手を焼いてるのに、勇者たちは突っ込んでいったらしい」


「結果は?」


「全滅手前で退いた。アレンが重傷。他も相当やられたって話だ」


 俺はギルドの隅の席に腰を下ろし、静かに耳を傾けた。


 シュバルツ洞。北の山脈に位置する、大陸でも難易度の高いダンジョンの一つだ。神眼鑑定の情報の中に、そこに関する記録があった。


 あのダンジョンは今、急速に変質している。内部の魔物が一段階進化し始めており、従来の攻略法が通じなくなっている。それは数ヶ月前から俺には見えていた。


 パーティーにいた頃、それを言ったことがある。


「シュバルツ洞は今後、段階的に難易度が上がる。少なくとも半年は近づくべきではない」


 アレンの返答は短かった。「弱腰なことを言うな。勇者が避けてどうする」


 その会話を、俺は今も覚えている。


「装備が不十分だという話も聞いた」と、隣の席の冒険者が言った。「魔力耐性の装備を揃えずに突っ込んだらしい。相手がそういう攻撃をしてくるとは思わなかったんだろう」


「思わなかったじゃ済まない話だな」


「まあ、アレンは力押しが好きだから」


 笑い声が上がった。冒険者たちにとっては、どこか遠い話として聞こえているようだった。


 俺は椅子に背を預け、天井を見た。


 怒りはなかった。


 追放されたことへの恨みは、もう薄れている。あのパーティーで過ごした三年間を後悔する気持ちも、今はほとんどない。ただ、単純に、予想通りになったという事実があるだけだ。


 神眼鑑定が見せていた可能性は、今日現実になった。


 準備なく強敵に挑んだ結果だ。それだけのことだ。



  *



 事務所に戻ると、ミーナが待っていた。


 俺の顔を見て、何かを測るような目をした。


「どうだった」


「話の通りだ。装備不足で退いた」


「あなたは、それを知っていたか」


「可能性として、見えていた」


 ミーナはしばらく黙った。それから、静かに言った。


「言えなかったのか。事前に」


「言った。聞かれなかった」


「……そうか」


 俺は机に手帳を置いた。


「勇者パーティーが何をしようと、今の俺には関係がない。ただ、一つ気になることがある」


「何だ」


「彼らが退いた後、シュバルツ洞の魔物が周辺に溢れ出す可能性がある。この辺境まで届くかどうかは分からないが、北の街道に影響が出るなら、荷物の輸送ルートを見直す必要がある」


 ミーナはすぐに手帳を開いた。


「北の街道を使っている取引先は、ダグラスの一部と、薬師ギルドの定期便だ」


「ああ。二週間以内に影響が出るかどうか、確認する。出るようなら迂回路を提案する」


「迂回路の目星は」


「カルベン峠を経由する東回りだ。俺たちが修繕した道が使える」


 ミーナは計算し始めた。迂回した場合の距離と日数、追加の輸送コスト、それを取引先に提示するときの価格帯。手が速い。


「ダグラスへの連絡は明日でいいか」


「明日の朝に動く」


「分かった」


 ミーナはページに書き続けた。俺は地図に目を向けた。


 北の街道。シュバルツ洞の位置。東回りの迂回路。頭の中で線を引き直す。


 勇者パーティーの失敗は、俺には直接関係がない。だがその余波は、波紋のように広がっていく。その波を先に読んで動くことが、俺の仕事だ。



  *



 翌日の夜、商人ギルドに人が来た。


 ギルドの使いが事務所まで来て、「明日の面会の前に、先方から一つ確認がある」と言った。俺は席を立ち、ギルドの応接室に向かった。


 待っていたのは、三十代の男だった。


 整った身なりに、品のいい旅装。腰に帯剣している。商人というより、商人の護衛か、あるいは使いの者という印象だ。


 だが俺が神眼鑑定を向けた瞬間、その情報が少しだけ変わった。


 男。年齢、三十二歳。職業――王城付き商人、情報収集担当。現在の任務、追放された鑑定士レイン・アークの現状確認。依頼主――


 依頼主の名前が展開された。


 リリア。


 俺は表情を変えずに椅子に座った。


「未来商会のレイン・アークです。何か確認があると聞きました」


 男は俺を見て、一瞬だけ目が動いた。それから、丁寧に頭を下げた。


「失礼しました。確認というのは口実で、実際には手紙をお渡しするよう頼まれています」


 懐から封書を取り出した。封蝋に、見覚えのある紋章が押されていた。聖女の紋章だ。


「ご本人から、直接お渡しするようにと」


 俺は封書を受け取った。


「ありがとうございます。ご苦労でした」


「……一つだけ」と男は言った。「リリア様は、あなたのことを心配されていました。それだけ、お伝えするよう言われています」


 俺は少し考えてから、うなずいた。


「伝わりました。よいご報告ができると思います、と返してください」


 男はもう一度頭を下げ、去った。


 俺は封書を手の中で少し持ち直した。それから、事務所に戻った。



  *



 夜、ランタンの光の下で封書を開いた。


 ミーナは二階に上がっていた。


 リリアの文字は整っていた。聖女として修めた教育が、手紙の端々に滲んでいる。


 内容は短かった。


 追放のことは申し訳なく思っている。パーティーの現状は、おそらく届いていると思う。アレンは今も認めようとしないが、私には分かっている。あなたがいたから、私たちは生きていられた。それを今更言っても遅いことも分かっている。ただ、元気でいるかどうかだけ、知りたかった。


 最後の一文だけ、少し筆圧が変わっていた。


 あなたの目が見ている未来を、信じています。


 俺は手紙を折り、手帳の間に挟んだ。


 感傷に浸る気はなかった。ただ、リリアが三年間、誠実にいてくれたことは本当のことだ。それは変わらない。


 返事を書く必要がある。明日、使いの男が発つ前に渡せるよう、今夜のうちに書いておく。


 内容はシンプルでいい。元気でやっている。商会を立ち上げた。この辺境で、やるべきことをやっている。それだけでいい。


 ペンを取り、紙に向かった。



  *



 翌朝、商人ギルドの応接室に男が来た。


 今日は本来の用件のはずだったが、顔を見た瞬間、俺は予想と違うものを感じた。


 男ではなかった。


 二人組だった。一人は昨日と同じ男。もう一人は、疲れた顔をした若い女性で、旅装の上から薄い外套を羽織っている。右腕に包帯が巻かれていた。


 俺は神眼鑑定を向けた。


 女性。年齢、二十三歳。職業、冒険者。スキル、魔法系複数。現在の状態――負傷、精神的疲弊、焦り。所属――


 所属の欄に、一言だけ展開された。


 勇者パーティー。


 クロエだった。


 金髪を後ろで結び、整った顔立ちに疲労の翳りをまとっている。あの頃より少し痩せて見えた。パーティーの魔法使い。合理主義で、感情を表に出さない。三年間、ほとんど話したことがなかった。


 彼女は俺を見て、一瞬だけ目が止まった。それから、静かに口を開いた。


「レイン・アーク。未来商会の代表だと聞いた」


「そうです」


「……私たちに、装備の調達を手伝ってほしい」


 応接室が静かになった。


 俺は少し考えた。感情を挟む前に、状況を整理する。


 クロエが来たということは、アレンではなく彼女が動いたということだ。負傷しながら、単独でここまで来た。それはつまり、パーティーの中で誰かが「プライドを脇に置いて動かなければならない」と判断したということだ。


「詳しく聞かせてください」と俺は言った。


 クロエはわずかに目を細めた。感謝でも警戒でもない。確認するような目だ。


「シュバルツ洞で、想定外の魔物に遭遇した。魔力攻撃型の変異体で、通常の防具では対応できなかった。アレンが重傷で今は動けない。残りのメンバーも消耗している」


「魔力耐性の装備が必要だ、ということですか」


「そうだ。この辺境に、それを調達できる商会があると聞いた」


 俺は内側で静かに息を吐いた。


 神眼鑑定を、クロエに向けた。


 現在の状態、改めて確認する。負傷の程度、回復まで三日ほど。精神的疲弊は深い。だがスキルは健在だ。今後の軌跡――


 軌跡が展開された。


 クロエ自身の未来は、今後も冒険者として続く。パーティーから離れる時期が、近い将来に来る。そして――


 そこで、俺は手を止めた。


 彼女の未来の軌跡の中に、見覚えのある名前が一つあった。


 エルナ・シルフィード。


 クロエとエルナの縁が、数年後に繋がっている。それが何を意味するのかは、まだはっきりとは見えない。だが、無関係ではない。


 俺は少し考えた。



  *



「一つ確認させてください」と俺は言った。


「何だ」


「魔力耐性の装備を揃えたとして、次に同じ場所に入る前に、何を変えるつもりですか」


 クロエは黙った。


 質問の意図を測っているのだろう。俺は続けた。


「装備を変えれば戦える、という判断なら、お断りします。シュバルツ洞の魔物は今も変質し続けている。耐性装備を揃えても、次に入れる状態になるまで、少なくともあと三ヶ月は必要です」


「……三ヶ月、と言い切れる根拠は何だ」


「俺の目がそう見えています」


 クロエはしばらく俺を見ていた。


 三年間一緒にいた。彼女は俺の目が何を見ているか、ある程度は知っている。だからこそ、今ここに来た。俺にはそれが分かった。


「……アレンは、そんなに待てない、と言う」


「アレンの判断ですか」


「私の判断で来た」


「では、三ヶ月の根拠を、アレンに伝えることはできますか」


 クロエは少し間を置いた。


「難しい」


「では、お断りします」


 クロエが目を上げた。


「装備の調達はできます。ただし」と俺は続けた。「売った装備が、準備の整わない状態で使われるなら、それは俺が手を貸して彼らを危険に晒すことになる。それはしない」


 応接室が静かになった。


 クロエはしばらく、机の上の一点を見ていた。感情を整理している顔だ。あの頃と変わっていない。彼女は怒りを外に出さない。代わりに、内側で計算する。


「……正しい判断だと思う」と、彼女はようやく言った。「あなたの言っていることは、正しい」


「しかし」


「しかし、アレンを止められない」


「それは、俺には解決できない問題です」


 クロエは静かにうなずいた。否定ではなく、受け入れた顔だ。


「一つだけ聞かせてくれ」


「どうぞ」


「三年前から、ずっとそうやって見えていたのか。俺たちのことが」


 俺は少し考えた。


「見えていました」


「なぜ言わなかった」


「言いました。届かなかっただけです」


 クロエはしばらく黙っていた。それから、椅子から立ち上がった。


「……邪魔をした」


「いえ」


「一つだけ、礼を言わせてくれ」


 俺は黙って待った。


「三年間、あなたのおかげで私たちは生きていた。それは本当のことだ。私は分かっていた。ただ、声に出せなかった」


「リリアからも、似たようなことを聞きました」


 クロエは少しだけ目が動いた。それから、短く言った。


「あの子は、いつも正しいところを見ている」


 それだけ言って、彼女は頭を下げた。俺も立ち上がり、礼をした。


 クロエが応接室を出た。


 扉が閉じる音を聞きながら、俺は椅子に戻った。


 怒りはなかった。満足感もない。ただ、起きるべきことが起きたという感覚だけがあった。


 神眼鑑定の情報が静かに更新された。


 勇者パーティーの軌跡が、分岐点に差し掛かっている。アレンの判断が変わらない限り、次の戦闘で致命的な損害が出る。それは止められない。止める義務も、今の俺にはない。


 俺はできることをした。


 それだけのことだ。



  *



 事務所に戻ると、ミーナが待っていた。


 俺の顔を見て、何も聞かなかった。代わりに、机の上に湯飲みを一つ置いた。


「お茶だ」


「ありがとう」


 俺は椅子に座り、湯飲みを両手で持った。温かかった。


「断ったのか」とミーナが聞いた。


「ああ」


「正しい判断だと思う」


「俺もそう思っている」


 ミーナはしばらく黙った。それから、自分の机に戻って手帳を開いた。


「ダグラスへの北街道の件、連絡を入れた。迂回路の提案も添えた。午後には返事が来るはずだ」


「早いな」


「あなたが戻るまでに動けることはやっておく。それが私の仕事だ」


 俺は湯飲みを置いた。


 窓の外に、アーレントの昼の光が差し込んでいる。石畳の路地に、荷を持った職人が通りかかった。どこかで子どもの声がする。


 小さな街だ。だがこの一ヶ月で、俺にとってこの街は少しずつ違う意味を持ち始めていた。


 王都は、俺を捨てた。


 だがここは、まだ何も決まっていない。


 これから作れる。


 神眼鑑定を、静かに流した。


 アーレントの街全体。現在価値、辺境の小都市。未来――十年後の姿が、今日も変わらず見えていた。賑やかな大通り。荷馬車の列。未来商会の看板。


 変わっていなかった。


 今日断ったことも、含めて、その未来は変わっていない。


 俺は手帳を開いた。


 今日のことを書き留める。クロエが来たこと。断ったこと。そして――エルナ・シルフィードとクロエの縁が、数年後に繋がるという新しい情報。


 最後の一行は、少し考えてから書いた。


 クロエ・シュバルツ。勇者パーティー魔法使い。数年後、エルナと縁が繋がる可能性。要確認。


 手帳を閉じた。


「レイン」


 ミーナが声をかけた。


「何だ」


「また新しいことが見えたか」


「ああ」


「大きいか」


「まだ分からない。ただ、捨てない方がいい情報だ」


 ミーナは少し考えてから、自分の手帳にも何かを書いた。


「勇者パーティー関連、要注視と書いておく」


「頼む」


 俺はもう一度、窓の外を見た。


 今日、断ったことで何かが変わったわけではない。ただ、一つ確かめたことがある。


 俺の仕事は、価値あるものを正しく評価することだ。


 準備のない戦いに向かう者に装備を売ることは、それではない。値段がどれだけ高くても、その取引が何を生むかを考えなければ、商売ではなく、ただの売り買いだ。


 それは、俺のやり方ではない。


 窓の光が、机の上の手帳を照らしていた。


 やるべきことは、まだある。


 エルナ・シルフィードの消息。採掘の管理。ダグラスとの次の取引。北街道の迂回路の手配。そしていつか、王国が滅びたあとの話も、考え始める必要がある。


 一つずつだ。


 焦る必要はない。


 ただ、一つずつ正しく積み上げていけばいい。


 それだけのことだ。

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