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追放された鑑定士ですが、本当の能力は"未来の価値"が見えることでした。王国が滅びてももう遅いので、辺境で商会を作ります  作者: まつたけひめ


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第10話 辺境の街が発展し始める

 朝、事務所の窓を開けると、路地の向こうに荷馬車が見えた。


 珍しくはない。だが今日の荷馬車は、いつもと違う方向から来ていた。カルベン峠の方向、東からだ。


 俺は手帳を持って外に出た。


 御者に声をかける。男は四十代で、埃をまとった旅装だった。


「どちらから」


「ハルベン商会の者です。ダグラス様の紹介で、こちらの迂回路を使わせてもらいました。カルベン峠、思いのほか走りやすかった」


「そうですか。荷は」


「薬草と乾物です。北の街道が使えないもので」


 俺は軽くうなずいた。


「今後もこのルートを使う予定がありますか」


「ダグラス様からは、当面はこちらを使えと言われています。北が落ち着くまでは」


「分かりました。ロウゲイトまでの道でご不便な点があれば、未来商会まで知らせてください」


 男は少し目を丸くした。「未来商会というのは、あなたが」


「代表のレイン・アークです」


「……ダグラス様から、お世話になっていると聞いていました」


 男は頭を下げ、荷馬車を進めた。


 俺は路地に立ったまま、その後姿を見送った。


 カルベン峠の修繕が完了してから、二週間が経つ。この二週間で、東回りの迂回路を使う商人の数が三組になった。ダグラスの紹介がほとんどだが、今日の男のように口伝で広がっているケースも出始めている。


 神眼鑑定を静かに流した。


 カルベン峠の道。現在の通行量、週に四から五組。未来――半年後、北街道の混乱が長引くにつれ、この道が主要な迂回路として定着する。一年後には、通行量が今の三倍になる。


 それに合わせて、ロウゲイトの宿場も動き始める。今は閑散としているあの小さな町が、街道の結節点として少しずつ機能を取り戻す。


 俺は手帳にそれを書き留めた。


 ロウゲイトの宿屋の家主を、そろそろ訪ねる必要がある。



  *



 事務所に戻ると、ミーナが新しい書類を棚に並べていた。


「荷馬車が来ていたな」


「ハルベン商会の者だった。ダグラスの紹介で迂回路を使ったらしい」


「三組目か」ミーナは手帳を開いた。「今週だけで二組。先週が一組。ペースが上がっている」


「ああ。半年で安定する」


「迂回路の利用者から、何か取れないか」


 俺は少し考えた。


「通行料は取れない。道は辺境伯の領地だ。ただ」


「ただ」


「情報は取れる。どこから来てどこへ行くか。何を運んでいるか。それを積み上げれば、この辺境を通る物流の全体像が見えてくる」


 ミーナはすぐに手帳に書いた。「通行者の記録を取る。方法は」


「声をかけて話を聞く。強制ではない。ただ、困っていることがあれば未来商会が解決する、という形で入っていく。信頼が先で、情報は後からついてくる」


「誰がやる」


「ロウゲイトの宿屋と組む。通過する商人が泊まる場所だ。宿の主人に記録を頼めば、俺たちが毎日街道に立っていなくてもいい」


 ミーナはしばらく黙っていた。考えている顔だ。


「……宿屋にとっての利は」


「情報を俺たちが買う。月に銀貨三枚から始める。宿屋にとっては、何もしなくても入る収入だ」


「安すぎないか」


「最初はそれでいい。価値が出れば、向こうから値上げを言ってくる。そのとき上げれば、関係が長く続く」


 ミーナは数字を書き、少し考えてから顔を上げた。


「正しいと思う。いつロウゲイトへ行く」


「来週。採掘の進捗確認を先に片づける」


「分かった。私は留守番でいいか」


「ああ。ダグラスへの返信もある。頼む」


 ミーナはうなずき、また書き続けた。



  *



 その日の午後、冒険者ギルドの受付から使いが来た。


 用件はカイの話だった。


 ロウゲイトに登録したあの少年が、初めての依頼を完了させたという報告だ。内容はFランクの簡単な魔物討伐で、依頼主からの評価は「仕事が丁寧だった」とある。


 俺は報告書を受け取り、一度だけ読んだ。それから棚に置いた。


「カイというのは、ロウゲイトの孤児か」とミーナが聞いた。


「ああ。保証人になった」


「何者だ」


「今は何者でもない。ただ、七年後に英雄になる」


 ミーナはしばらく俺を見た。それから、静かに言った。


「信じる」


「早いな」


「あなたがそう言うなら、そうなのだろう。私はそれを疑う材料を持っていない」


 俺は少し考えてから、手帳を開いた。


「カイの記録を、別のページに始める。定期的に確認する」


「私も書いておく。カイ、孤児、Fランク冒険者。現在の評価、丁寧。七年後、英雄の可能性」


「可能性ではなく、確実に、と書いていい」


 ミーナは少し間を置いてから、書き直した。


「……あなたがそう言うなら」


 その言葉は短かったが、俺には十分だった。



  *



 翌週の月曜、俺はクロを引いてロウゲイトへ向かった。


 初めてこの道を通ったのは、王都を出てから十三日目だった。あのとき見た荒廃した宿場は、今も外見は変わっていない。傾いた看板、色褪せた壁、人の少ない通り。


 だが俺の目には、今日は少し違うものが重なって見えた。


 通りに、知らない顔が二つあった。旅装の商人らしき男たちだ。荷馬車を宿屋の前に止め、荷物を確認している。東回りの迂回路を使ってきた連中だろう。


 宿屋の主人、ゲルダは、俺を見て少し目を丸くした。五十代の太った女性で、愛想より実利で動く人間だ。最初にここに泊まった夜、ランベルト山の情報を教えてくれた宿の主人だ。


「あんた、また来たのか」


「ご無沙汰しています。少し話があって」


「話ならお茶でも飲みながらにしな。混んでるわけじゃないが、立ち話は嫌いだ」


 食堂の隅に腰を下ろし、お茶が来るのを待った。


「最近、通る商人が増えていませんか」


 ゲルダは少し眉を上げた。「増えてる。何があった」


「北の街道が使いづらくなっています。こちらの峠が迂回路として使われ始めました」


「そうか。どうりで先週あたりから急に泊まりが来るわけだ」


「しばらく続くと思います。半年以上は」


 ゲルダはお茶を一口飲んで、俺を見た。「それを言いに来たのか」


「それと、お願いがあって来ました」


「聞こう」


 俺は簡単に説明した。通過する商人の記録を取ること。出発地、目的地、運んでいる商材。強制でも詳細でもなくていい。話しかけて、自然に聞ける範囲で十分だ。それを月に一度、俺に教えてほしい。報酬は月に銀貨三枚。


 ゲルダはしばらく俺を見ていた。値踏みというより、意図を確かめている目だ。


「記録を売るのか、私が」


「売るというより、教えてもらう、という形です。宿をやっていれば自然に耳に入る話です。それを書き留めておいてもらうだけでいい」


「……三枚は安い」


「最初はそれでいい、と思っています。情報の価値が上がれば、上げます」


「正直だな」


「嘘をついても仕方がありません」


 ゲルダはしばらく黙っていた。それから、短く言った。「やってみる。ただし字は読めるが、細かく書くのは苦手だ。大まかでいいか」


「十分です」


「あんた、最初に来たとき、この町が十年後に大きくなるとか言ってたな」


「はい」


「本気で言ってたのか」


「本気でした」


 ゲルダはお茶を飲み干した。それから、俺を見た。


「……だったら、まあ、信じてみるか」


 それだけだった。



  *



 帰り道、ロウゲイトの外れでクロを歩かせていると、広場の方から子どもの声が聞こえた。


 足を止めた。


 あの広場だ。初めてロウゲイトに来た夜、カイが囲まれていた場所だ。


 今日はカイの姿はない。代わりに、別の子どもたちが何人か、井戸の周りで遊んでいた。あのときカイを囲んでいた子どもたちとは違う顔だ。


 俺は少し立ち止まって、広場を見た。


 神眼鑑定を流す。


 子どもたちの一人。年齢、九歳。現在の状態、健康。適職――手先が器用、将来は職人になる可能性が高い。世界への影響、小さいが確かにある。


 別の一人。年齢、十二歳。女の子。現在の状態、利発。適職――教育者。この子が誰かを教えることで、その誰かが大きな仕事をする。


 俺はそれぞれの情報を、静かに眺めた。


 誰も知らない。この子たちが何になるか、この町が何になるか。今この瞬間の姿だけを見れば、辺境の小さな町の子どもたちが遊んでいるだけだ。


 だが俺には見える。


 一人ずつの中に、小さいが確かな価値がある。


 今すぐ手を打てるわけではない。ただ、この町が発展するとき、この子たちがその担い手になっていく。そういうものだ。


 クロが鼻を鳴らした。


「分かった。行くぞ」


 手綱を軽く引いて、アーレントへの道を歩き始めた。



  *



 夜、事務所に戻ると、ミーナが一枚の書類を机の上に置いていた。


「ダグラスからの返信が来た」


 俺は書類を手に取った。


 内容は簡単だった。北街道の迂回路を正式に自社の輸送ルートとして採用すること。未来商会を優先窓口として継続すること。さらに、新たに二つの商品についての問い合わせが書かれていた。乾燥薬草の追加仕入れと、それから——鉱石類の取り扱いについて、可能であれば相談したい、と。


 俺は書類を置いた。


「鉱石の話が来た」


「見た」とミーナが言った。「どうする」


「今は売れない。価値が出るのは五年後だ」


「それを伝えるか」


「伝える。ただし、五年後に優先的に供給する、という約束の形で提案する。今は何もないが、確約を先に取る。それがダグラスにとっても意味のある話になる」


 ミーナはしばらく考えた。


「先売りか」


「先約だ。売り買いが発生するのは五年後。ただ、今から関係を結んでおく」


「ダグラスがそれを受けるかどうかは」


「受ける可能性が高い。神眼鑑定で見ている。彼は長い商いができる人間だ。五年後の確約に価値を見出せる」


「……書き方は私に任せるか」


「頼む。お前の方が言葉の選び方がうまい」


 ミーナは短く鼻を鳴らしたが、否定はしなかった。手帳を開き、返信の下書きを始めた。


 俺は地図に目を向けた。


 ダグラスの商会がある町に、新しい印をつけた。先約。五年後。


 その隣に、エルナ・シルフィードの消息を探す、という書き込みがある。まだ場所は特定できていない。ただ、クロエの軌跡の中にあの名前が出てきた以上、縁が繋がる日は来る。それまでに、こちらの準備を整えておけばいい。


「レイン」


 ミーナが顔を上げずに言った。


「この辺境、変わり始めてると思う」


「ああ」


「分かるのか。目で見えているのか、それとも肌で感じているのか」


 俺は少し考えた。


「両方だ」


 ミーナはしばらく黙っていた。それから、下書きの手を動かしながら、静かに言った。


「私も感じてる。商人が増えた。通りに人が出るようになった。ゴードンが街道の補修を追加で頼んできた。どれも小さいことだが、三週間前とは違う」


「ああ」


「あなたの目が見ている十年後まで、まだ長い」


「長い」


「でも、今日その一歩目を踏んだ気がする」


 俺は窓の外を見た。


 夜のアーレントは静かだった。路地に人影はなく、遠くで犬が鳴いている。どこかの家から、ランタンの光が窓を照らしていた。


 神眼鑑定を流した。


 街全体。現在価値、辺境の小都市。三ヶ月前と数字は変わっていない。まだ何も変わっていない、と数値は言っている。


 だが。


 十年後の姿が、今日は少しだけ鮮明に見えた気がした。


 根拠のある話ではない。俺の目は感覚ではなく情報を見る。鮮明さは主観だ。


 ただ、そう感じた。


 ミーナが言った通りだ。今日、一歩目を踏んだ。



  *



 手帳を開き、今日のことを書き留めた。


 ゲルダとの契約。カルベン峠の通行者の記録。カイの初依頼完了。ダグラスからの鉱石の問い合わせ。先約の提案。ロウゲイトの子どもたちの話は、少し迷ってから書いた。記録に残すほどの話ではないかもしれない。だが、書いておく価値はある。


 最後に一行書いた。


 街が、動き始めた。


 ペンを置き、ランタンを少し絞った。


 部屋が薄暗くなる中で、俺は今日一日を静かに振り返った。


 追放されてから、二ヶ月が経つ。


 王都を出た朝、見送る者は誰もいなかった。金貨二十三枚と手帳だけを持って、辺境へ向かった。あのとき俺の目には、この荒廃した辺境の十年後が見えていた。だがそれは、まだ遠い話だった。


 今も遠いことは変わらない。十年後はまだ、十年後だ。


 ただ、今日この街の空気が、三ヶ月前とわずかに違う。商人が増えた。道が整備された。採掘が始まった。事務所ができた。ダグラスとの窓口ができた。ゲルダとの契約ができた。カイが動き始めた。


 どれも小さい。一つずつを取り上げれば、大したことではない。


 だが積み上がっている。


 価値あるものを、正しく評価する。


 それを一つずつ繰り返すことが、商会の理念であり、俺のやり方だ。十年後の姿は、今日積んだものの先にある。棚から落ちてくるものではない。


 ランタンを消した。


 暗くなった広間で、俺は目を閉じた。


 明日やることは、もう手帳に書いてある。ダグラスへの返信をミーナが仕上げる。採掘の週次確認。ロウゲイトの記録様式をゲルダに届ける。それから、エルナ・シルフィードの消息を探す最初の手を打つ。商人ギルドのネットワークにそれとなく問い合わせを入れる。


 やることは山ほどある。


 だがそれは、悪いことではない。やることがある、ということは、前に進んでいるということだ。


 この辺境は広い。


 誰も気づいていない価値が、まだいくつも眠っている。


 俺の目には、それが見えている。


 それだけで十分だ。


 夜が深くなるにつれ、アーレントの街はさらに静かになっていった。


 だがその静けさの中に、今日は確かに、何か違うものが混じっていた。


 小さな、だが確かな、動き始めの気配。


 街が、発展しようとしている。


 その最初の一歩を、今日踏んだ。


 それだけのことだ。だが、それで十分だった。

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