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追放された鑑定士ですが、本当の能力は"未来の価値"が見えることでした。王国が滅びてももう遅いので、辺境で商会を作ります  作者: まつたけひめ
第4章

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第59話 限界への挑戦

 執務室の机の上に、これまで集めてきた資料が一堂に並べられていた。


 調査団がダンジョンで記録した亀裂の観測データ、聖剣が共鳴した瞬間の詳細な記述。獣王国の長老ガロンから伝えられた、千年周期の伝承の断片。そして、魔導連邦から限定的に共有された、大陸各地の大気中魔力濃度の推移――バラバラに集められてきた情報が、今夜、初めて一つの机の上に揃っていた。


 「これで全部か」


 「ええ。エルナとクロエが、徹夜で解析データをまとめてくれたわ」


 ミーナが最後の書類を机に置きながら答える。傍らには、セリアとエルナ、そしてクロエの姿もあった。カイとガルドは、万が一に備えて扉の外で控えている。


 レインは資料の一枚一枚に目を通しながら、静かに息を整えた。これまで神眼鑑定は、断片的な映像しか結ばせてくれなかった。国家の未来を見通す力では、世界規模の異変の全貌を捉えるには、明らかに力が足りない。だが今夜は違う。仲間たちが命がけで集めてきた情報という土台が、これまでにない厚みを持って揃っている。


 調査団が持ち帰った亀裂の観測データには、通常の十倍を超える魔力濃度の記録と、聖剣が共鳴した瞬間の詳細な描写が残されていた。獣王国の伝承には、千年周期という現象の規律性と、「世界の傷」と呼ばれる場所の存在が語られている。魔導連邦の観測データは、大陸各地の大気の異常を、数値という客観的な形で裏付けていた。それぞれ単独では断片に過ぎなかった情報が、こうして重ね合わされることで、初めて一つの輪郭を描き始めようとしていた。


 「今夜、全力で神眼鑑定を発動させる。世界崩壊現象の全体像を、少しでも掴みたい」


 「無茶はしないでよ」


 エルナが不安げな声で口を挟む。研究者としての本能が、この試みの危うさを直感的に察していた。


 「これまでとは、桁違いの規模の力を使うことになる。あなたの体が、それに耐えられる保証はどこにもないわ」


 「分かっている。それでも、やらねばならない」


 レインの声には、静かな決意があった。世界崩壊現象という脅威が、大陸そのものを飲み込もうとしている今、誰かが、その正体の一端だけでも掴まなければならない。それができるのは、この場にいる誰でもなく、自分しかいないという確信があった。





 部屋の灯りが落とされ、机を囲むように資料が並べられる。


 レインは椅子に深く腰掛け、目を閉じた。神眼鑑定――普段は対象を絞って発動させるその力を、今夜は限界まで解き放つ。カイたちが命がけで持ち帰った亀裂の記憶、獣王国の伝承に刻まれた千年前の記録、魔導連邦の観測データが示す大気の異常――そのすべてを一つに束ね、世界そのものへと意識を向ける。


 こめかみに、鈍い痛みが走った。


 これまで感じたことのない負荷が、レインの神経を駆け巡る。普段は淡く滲む程度の映像が、今夜は洪水のように押し寄せてきた。大陸各地の大気の揺らぎ、地の底で蠢く何か、遠い海の変色――断片という断片が、次々とレインの意識の中に流れ込んでくる。


 視界の中で、無数の映像が重なり合っては消えていく。帝国領内で崩れ落ちるダンジョンの壁、魔導連邦の観測塔で振り切れる計器の針、獣王国の海岸に打ち上げられる異形の魚群――それぞれが、同じ根から伸びた枝のように、一つの巨大な何かへと繋がっているのが、朧げに感じられた。


 「く……っ」


 思わず呻き声が漏れる。エルナが息を呑む音が、遠くに聞こえた気がした。だがレインは、意識を手放すわけにはいかなかった。この痛みの向こうに、何かが見え始めている。


 断片が、少しずつ像を結び始めていた。大陸の中央部――これまで誰も詳しく調べたことのない、地図の上でも空白に近い地域。そこに横たわる、太古の遺跡らしき影が、朧げに浮かび上がってくる。獣王国の伝承にあった「世界の傷」という言葉が、レインの脳裏をかすめた。


 遺跡から、途方もない力の気配が発せられている。それは、これまで観測されてきたすべての異変の、根源であるかのように感じられた。もう少しで、その正体が見える――そう確信した瞬間だった。


 視界の中で、遺跡の輪郭がわずかに鮮明さを増す。それは自然にできた地形ではなく、明らかに何者かの手によって築かれた構造物のように見えた。だが、その表面に刻まれているはずの文字や紋様までは、まだはっきりと像を結ばない。もう一歩、もう一歩だけ深く踏み込めば――そう思った刹那、レインの意識の奥で、何かがぷつりと弾けるような感覚が走った。


 視界が、大きくぶれた。


 「がっ……」


 レインの体が、椅子から崩れ落ちる。鼻からひとすじ、赤い血が流れた。全身から力が抜け、机の脚にすがりつくようにして体を支えようとしたが、それすらも叶わなかった。





 「レイン様!」


 真っ先に駆け寄ったのはミーナだった。倒れ込んだレインの体を支え、その顔の青白さに息を呑む。


 「エルナ、早く!」


 「わ、分かってる!」


 エルナが慌てて駆け寄り、レインの状態を確かめる。呼吸は荒く、額には脂汗が滲んでいた。研究者としての知識を総動員し、脈を測り、瞳孔を確認する。幸い、命に関わるような兆候はない。それでも、あまりに大きな負荷が、レインの体にかかっていたことは明らかだった。


 「無理をしすぎよ。あなたの力にも、限界がある」


 エルナの声は、責めるようでいて、どこか震えていた。研究者として、力の限界というものを誰よりも理解している彼女だからこそ、レインがどれほど危険な領域に踏み込んでいたか、痛いほど分かっていた。魔道具の暴走や、術者の限界を超えた魔力行使がもたらす末路を、これまでの研究生活で何度も目にしてきた。だからこそ、目の前で倒れたレインの姿は、他人事とは思えない恐怖を伴っていた。


 「レイン様、聞こえますか」


 セリアが静かに、しかし切実な声で呼びかける。かつて宮廷で数え切れないほどの緊急事態を目にしてきた彼女は、努めて冷静さを保ちながら、レインの様子を見守っていた。だがその手は、わずかに震えていた。


 クロエもまた、エルナの隣で計測用の魔道具をレインの傍らにかざし、体内の魔力の流れを確認していた。普段は冷静沈着な彼女の表情にも、隠しきれない焦りが浮かんでいる。


 「魔力の流れに、大きな乱れがあるわ。神経系への負荷が、思っていた以上に深刻ね」


 クロエの言葉に、エルナが唇を噛む。研究者として、こうなることをもっと早く警告すべきだったのではないかという後悔が、胸の中で渦を巻いていた。


 朦朧とした意識の中、レインはゆっくりと目を開けた。


 「……見えた」


 かすれた声で、そう呟く。


 「大陸の中央部に……遺跡が。そこから、途方もない力の気配が……」


 「今は喋らないで」


 ミーナが強い口調で遮る。だがレインは、それだけはどうしても伝えなければならないというように、続けた。


 「像は、そこで途切れた。だが、確かに見えた。あそこに、何かがある」


 その言葉を最後に、レインは静かに目を閉じ、意識を手放した。





 運び込まれた寝室で、レインはしばらくの間、眠り続けていた。


 傍らでは、ミーナ、セリア、エルナがそれぞれの持ち場を離れ、代わる代わる看病にあたっていた。カイとガルドは扉の外で警護を続け、リリアも医療の観点から容態を確認しに訪れていた。


 リリアは、レインの脈と呼吸を丁寧に確かめながら、治癒魔法をわずかに施した。魔力の消耗による疲弊は、単純な治癒魔法では完全には癒やせない。それでも、少しでも回復を早める手助けになればと、リリアは静かに祈るような気持ちで手を添え続けた。


 「本当に、無茶な人ね」


 ミーナが呆れたように呟きながらも、その表情には隠しきれない心配が滲んでいた。かつて奴隷市で拾われた日から、ずっと隣で見てきたレインの姿。いつも冷静で、合理的で、そして時折、驚くほど無茶をする。その危うさを、ミーナは誰よりもよく知っていた。


 「エルナ、本当に、大丈夫なの」


 「命に別状はないわ。ただ、精神的な消耗が大きい。神眼鑑定という力そのものが、脳や神経に相応の負荷をかけるものだって、ようやく分かった気がする。今後は、使い方に何らかの制限を設ける必要があるかもしれない」


 エルナは研究者らしい冷静さで分析を語りながらも、その声にはやはり、隠しきれない安堵と心配が入り混じっていた。


 セリアは、眠るレインの顔を静かに見つめていた。


 「レイン様は、いつも私たちのために、自分の限界を顧みずに動いてしまう」


 誰へともなく呟いた言葉には、深い敬意と、同時にわずかな寂しさが滲んでいた。かつて宮廷の政争の中で身を隠していたあの頃、レインが手を差し伸べてくれなければ、今の自分はここにいなかった。その恩を、まだ十分に返せていないという思いが、セリアの胸の奥にずっとあった。


 外交という自分の持ち場で、これまで精一杯尽くしてきたつもりだった。四大国それぞれとの関係構築、帝国からの駐留要求への毅然とした対応――それらはすべて、レインが安心してこの街の未来を見通せるようにするための、セリアなりの支え方だった。それでも今夜、こうして倒れたレインの姿を前にすると、自分の力の及ばなさを、改めて痛感せずにいられなかった。


 三者三様の想いが、静かに眠るレインを囲んでいた。恋愛的な感情として言葉にする者は誰もいなかったが、それぞれの胸の内には、レインへの深い信頼と敬意が、確かに宿っていた。





 夜が明ける頃、レインはようやく目を覚ました。


 「ここは……」


 「商会の寝室よ。丸一日近く、眠っていたのよ」


 ミーナの声に、レインはゆっくりと体を起こす。全身に、これまで感じたことのない重い疲労が残っていた。だが、頭の中には、あの瞬間に見た光景が、はっきりと焼き付いていた。


 視界の隅に、ミーナだけでなく、少し離れた椅子で仮眠を取っていたセリアの姿も見えた。廊下からは、エルナとクロエが交わす議論の声がかすかに聞こえてくる。皆が、丸一日、自分のために時間を割いてくれていたのだと、レインは静かに実感した。


 「大陸中央部の、遺跡……」


 「詳しいことは、体力が戻ってから聞くわ。今は、休んで」


 ミーナの言葉に、レインは素直に頷いた。無理を続けても、何も良いことはない。それは、この数日でミーナ自身に告げた言葉でもあった。


 枕元に置かれた手帳を、レインはそっと引き寄せる。震える手でペンを取り、短い一文だけを書き記した。


 「神眼鑑定、限界を超えて発動。大陸中央部に、遺跡と思しき影を確認。そこに、世界崩壊現象の核心があるのかもしれない。だが、代償は大きかった。一人で見通せる限界を、はっきりと、そして痛みと共に思い知った」


 書き終えたところで、レインは再びペンを止めた。これまで、自分一人の力でどれだけのことを見通し、どれだけのことを成し遂げてきたか――その積み重ねに、いつしか奢りに近い感覚が芽生えていなかったかと、静かに自問する。だが今回、力の限界を身をもって思い知ったことで、改めて実感したことがあった。この街を、この仲間たちを守るためには、自分一人の力だけでは決して足りない。皆の力を、正しく借りることこそが、これから先に進むための唯一の道なのだろう。


 窓の外には、朝の光が静かに差し込み始めていた。カイとガルドの見回りの声、ミーナが淹れてくれる茶の香り、廊下の向こうから聞こえるエルナとクロエの議論の声――いつもと変わらない、この街の朝の気配が、レインの意識を静かに現実へと引き戻していく。


 一人では、見通せない。それでも、皆となら、まだ先が見える。レインはそう静かに思いながら、再び目を閉じ、体を休めることにした。次に目覚めた時、この街の仲間たちと共に、次の一歩を踏み出すために。


 大陸中央部に横たわるという、太古の遺跡。その存在は、まだ誰にも詳細を明かしていない、大いなる謎のままだった。だが、その断片を確かに掴んだという事実こそが、これから先の道筋を照らす、小さくも確かな光になるはずだった。レインは、この重い代償の先に、次に進むべき方向が、少しずつ見え始めていることを感じていた。


 いつか、この街の仲間たちと共に、あの遺跡の正体を確かめに行く日が来るのだろう。その時は、決して一人ではなく、皆の力を借りて――そう静かに心に刻みながら、レインは深い眠りへと、ゆっくりと再び落ちていった。

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