第3話 未来視の真価
ロウゲイトは、想像していたよりさらに小さな町だった。
宿が二軒、酒場が一軒、雑貨を扱う商店が三軒ほど。石造りの建物は古く、看板は色褪せており、町の中心を貫く街道には馬車の轍が深く刻まれていた。夕暮れの光の中で見れば、絵になる風景かもしれないが、活気という言葉とは無縁だった。
通りを歩く人間の数も少ない。見かけるのは、疲れた顔の行商人と、土埃を被った冒険者と、俯いて歩く農夫ばかりだ。
俺はクロを宿屋の柱に繋ぎ、町を歩き始めた。
神眼鑑定を静かに流す。これは意識してやることではなく、目を開けていれば自然と視界に情報が重なってくる感覚に近い。慣れるまでは情報量の多さに眩暈がしたが、三年で扱いに慣れた。
古びた宿屋。現在価値、建物としての評価は低い。未来――三年後、街道整備に伴って旅人が増え、この立地で宿を営んでいれば安定した収入が見込める。
雑貨商の棚に並ぶ品々。現在価値、それぞれ並みの相場通り。未来――そのうちの一つ、隅に追いやられた錆びた留め金が目に入った。現在価値、銅貨二枚。未来価値――これは魔導合金の一種だ。精製技術が二年後に確立されれば、金貨換算で相当の値がつく。
俺は店に入り、その留め金を手に取った。
「これ、いくらですか」
店主は眠そうに顔を上げた。「ああ、それか。錆びてて売り物にならんのだが……銅貨一枚でいいよ」
「では」
俺は銅貨を置いた。店主は不思議そうな顔をしたが、何も言わなかった。
これでいい。今は種を拾う時期だ。
*
町の外れに、小さな広場があった。
井戸を中心に、木箱や樽が無造作に積まれている。夕方のその場所には、数人の子どもたちが集まって何やら騒いでいた。
近づいてみると、一人の少年が地面に座り込んでいた。年齢は十歳前後だろうか。ぼろぼろの服を着た、痩せた子どもだ。周囲を囲む子どもたちより頭一つ小さく、その小さな体を縮めるようにして地面を見つめている。
囲んでいる側の子どもが言った。
「孤児のくせに井戸の水使うなよ」
「ここは俺たちの場所だ。失せろ」
少年は何も言わなかった。ただ俯いて、拳を膝の上で握りしめている。
俺は立ち止まり、自然に神眼鑑定を向けた。
少年。年齢、推定十一歳。現在の状態――孤児、栄養不足、軽度の疲弊。適職――
俺は目を細めた。
適職の欄に、通常では見られない情報が展開された。
英雄。
将来の価値――この少年は、七年後にアルディア大陸全土に名が知られる存在になる。その影響力は、国一つを動かすに足りる。覚醒可能性――極めて高い。世界への影響――計測不能域。
俺はしばらくその情報を眺めた。
計測不能域。そう表示されるのは珍しい。これまでの経験で、そこまで振り切れた未来を持つ人間を見たのは、数えるほどしかない。
子どもたちの一人が少年の肩を突いた。少年がよろけて、手をついて地面に転んだ。
「ほら、立てないじゃないか。弱っちいな」
笑い声が上がった。
俺は広場に入っていった。
*
「ちょっと待て」
俺の声に、子どもたちが振り返った。見知らぬ大人の登場に、一瞬だけ怯んだ顔をする。
「何だよ、関係ないだろ」
「関係ある。その子に用がある」
嘘ではない。俺は少年の前に膝をついた。
少年は顔を上げた。薄汚れた顔に、警戒と困惑が混じっている。目の色は濃い灰色だ。
「名前は」
「……カイ」
「カイ、怪我はないか」
「……ない」
「そうか」
俺は立ち上がり、周囲の子どもたちを見た。特に何かを言うつもりはなかった。ただ、静かに目を合わせる。子どもたちは数秒でそれぞれ視線を逸らし、ぼそぼそと何かを言いながら散っていった。
残ったのは、カイと俺だけだ。
少年はまだ警戒した目で俺を見ている。
「飯を食ったか」
「……朝に、パンのかけらを」
「それだけか」
「拾ったから」
俺は懐から携行食の干し肉と固いパンを取り出し、少年の前に置いた。
「食え。毒じゃない」
カイは一瞬だけ迷い、それから素早く手を伸ばした。腹が減っていたのだろう、口に入れる速度は速い。だが飲み込むのは慎重だった。育ちが悪くても、体の使い方は理に適っている。
俺は近くの木箱に腰を下ろし、少年が食べるのを黙って待った。
「……なんで、助けてくれたんだ」
カイが聞いた。食べながら、目だけを上げて。
「用があると言っただろう」
「俺に? 孤児に何の用だ」
「お前は七年後に英雄になる」
少年が固まった。
「……なんだそれ」
「俺は鑑定士だ。お前の未来の価値が見えた」
「嘘だ」
「嘘じゃない。信じろとは言わない。ただ、それが見えたのは事実だ」
カイはしばらく俺を見つめてから、また下を向いた。そしてぼそりと言った。
「英雄なんかになれるわけない。俺はここで一生このまま終わる」
「根拠は?」
「……親もいない。金もない。こんな辺境に生まれて、冒険者にもなれない体だ」
「なぜなれないと思う」
「昨日、冒険者ギルドに行ったら追い返された。孤児には保証人がいないと登録できないって」
俺は少し考えた。
冒険者ギルドの保証人制度は知っている。身元不明の人間が犯罪に使われることを防ぐための規則だが、実際には孤児や流れ者を弾くフィルターとして機能している場合も多い。
「保証人が必要なら、なればいい」
カイが顔を上げた。
「俺が保証人になる」
少年の灰色の目が、大きく開いた。
*
冒険者ギルドは、広場から少し歩いた場所にあった。
ロウゲイトの規模に見合った小さなギルドで、受付には一人の女性が座っているだけだ。壁には依頼書が貼られているが、その数は少なく、ほとんどがDランク以下の簡単な魔物討伐だった。
受付の女性は俺たちを見て、少し眉を上げた。
「登録希望ですか」
「この子の登録を。俺が保証人になる」
「保証人の方の身分証は?」
俺は懐から鑑定士の資格証を取り出した。王国発行のものだが、追放されたとはいえ資格そのものは失効していない。
受付の女性は証書を確認し、それからカイを見た。
「お名前は?」
「カイ……姓はない」
「年齢は?」
「十一……だと思う」
「スキルの確認を取らせていただきます」
ギルドには簡易的な鑑定石が置かれていた。カイが手を当てると、石がわずかに光った。
受付の女性が読み上げる。「体術・初級。身体強化・微。感知・微。……以上です」
平凡な数値だ。今の段階では、Fランクの新人と変わらない。
だが俺には分かっていた。この三つのスキルが、七年後には別物になっている。特に感知。それが覚醒したとき、この少年は大陸でも指折りの戦闘能力を持つことになる。
登録手続きが終わり、ギルドを出たところで、カイが俺の袖を引いた。
「……なんで、こんなことをするんだ」
俺は少し考えてから答えた。
「俺は鑑定士だ。価値あるものを正しく評価する。それが仕事だ」
「俺が、価値あると?」
「見えている」
カイはしばらく俯いた。それから顔を上げ、真っすぐ俺を見た。
「信じていいのか」
「信じなくていい。ただ、生きていてくれ。それだけでいい」
少年は何も言わなかった。だが今度は俯かなかった。
*
宿に戻る途中、町の外れで奇妙なものを見つけた。
街道脇の窪地に、半分土に埋まった木箱が転がっている。蓋が割れ、中身が散乱していた。荷崩れを起こした行商人の荷物が、そのまま放置されているらしかった。
俺は馬を止め、近寄った。
散乱した品の中に、一本の剣があった。刃は錆び、柄の革は腐り、どう見ても廃棄された粗悪品だ。
だが、神眼鑑定が静かに情報を展開した。
錆びた剣。現在価値――銀貨三枚。未来価値――
俺は目を細めた。
進化先、聖剣。
条件――特定の魔素を持つ人物の手によって、特定の場所で使用されること。その条件が揃ったとき、この剣は本来の姿に戻る。
条件を満たす人物の特徴が、情報として流れてきた。それはカイの特徴と、完全に一致していた。
俺は剣を拾い上げた。錆を落とせば、形は悪くない。
荷物に括りつけ、宿への道を歩きながら、俺は静かに息を吐いた。
これが、神眼鑑定というものの本質だ。
剣は剣、草は草、孤児は孤児。今この瞬間の姿だけを見れば、そこには何の価値もない。誰も振り向かない。誰も手を止めない。
だが俺には見える。
その先に何があるかが。
銅貨一枚の留め金が魔導合金の素材であることも、雑草が万能薬の原料であることも、痩せた孤児が英雄の器を持つことも、錆びた廃剣が聖剣へと至る道を内包していることも。
誰かに教わったわけではなく、証明できるわけでもない。ただ見えている。それだけだ。
三年間、その目を「役に立たない」と言われ続けた。
だが役に立たないのではなく、使う場所が間違っていたのだと、今は思う。
*
夜、宿の一室で俺は手帳を開いた。
今日見たものを書き留めていく。留め金の保管場所、採取した草の量、カイの情報、剣の状態と保管方法。
手帳はすでに半分以上が埋まっている。王都を出る前から書き始めた、未来の記録だ。
二年後に魔導合金として価値が出る留め金。
三年後に万能薬の素材と判明する草。
七年後に英雄となる少年。
剣が聖剣へ至る条件と、その時期。
それぞれに、具体的な時期と条件が記されていた。
俺は手帳を閉じ、天井を見た。
今日一日で、少なくとも三つの「価値あるもの」を手に入れた。あるいは、そこに繋がる縁を結んだ。
追放されてから、まだ半月しか経っていない。
それでも、王都でパーティーに加わっていた三年間よりも、今日この一日の方が、自分の力を正しく使えた気がした。
明日、俺はアーレントの中心集落に向かう。
辺境伯の領都。そこに行けば、もう少し大きな商いができる。人も情報も集まる。
そして――神眼鑑定の情報の中に、一つ気になるものがあった。
アーレントの領都で、近日中に奴隷市が立つ。
その市に、商才の欄が「天賦」と表示される人物が一人いる。
狐獣人の少女。名は分からない。だが俺の目には、その少女が十年後に大陸最大の商会を切り盛りしている姿が、はっきりと見えていた。
手帳に一行を書き加えた。
奴隷市を確認すること。
それだけ書いて、俺は手帳を閉じた。
窓の外、ロウゲイトの夜は静かだった。風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
この静けさを、十年後に訪れれば、賑やかな大通りの喧騒に変わっているはずだ。
今見えている荒廃が未来の繁栄の土台であることを、この町の誰も知らない。俺だけが知っている。
それが今の俺の、唯一の、そして最大の武器だった。
目を閉じ、明日に備えて体を休める。
辺境は広い。やるべきことは、山ほどある。
焦る必要はない。ただ、一つずつ正しく積み上げていけばいい。
価値あるものを、正しく評価する。
それだけでいい。




