誰かへの謝罪
姉に事の経緯を話してから数日経った頃だった。
母からの着信があった。少し震える手で私は通話のボタンを押す。
『お。生きてた』
母の声は明るかった。姉から特段何かを聞いた訳ではないのだろう。もしも聞いているのなら、このトーンが少し下がるはずだ。でも、母の声は暗くなかった。
「生きてるよ。どうしたの」
精一杯の強気。気を緩めたら涙腺のダム決壊が起こってしまいそうで。
『いつ帰ってこれそう?』
ドクンと心臓が大きく脈打った。電話越しに母が帰ってきてほしい理由を述べていたが、全くそれを脳は理解しなかった。
『…どうしたの?』
終始無言であったせいで、母はその「空気」を読み取った。読み取れるはずなんてない、無機質な機械との通話なはずなのに。
「いや、何でも…」
何でもないと言いかけて、私は言葉を詰まらせた。言うなら今かもしれない、今しかないかもしれない。タイミングがなくなるかもしれない。
私は一呼吸おいてから口を開いた。
「あの、さ…」
あと一言、あと一言だ。唇をキュッと噛んで閉じてしまったが、再び私は口を開く。
「怒らないで、聞いてくれる?」
声はカタカタ、体はブルブル震えて、目尻には涙が溜まり始めた。
「仕事…休んでるんだよね。診断ついた」
言った。言った。言った。涙も冷や汗も止まらない。今までで一番早い心拍数。スマホ越しの母は何も言わなかった。
「怒られると思って、言えなかった。そんなことぐらいでって言われると思った」
次から次へと飛び出してくる言葉達。懸念していた、怒られるとか呆れられるとか、あらゆる不安はいつの間にか言葉として外に出た。
「怖かった。言えなかった。自分がとっても情けなくて、惨めに思えて、こんなことにも耐えられないなんて。呆れられたくなかった。失望させたくなかった」
嗚咽混じりの言葉の後、母はしばらく無言だったが、私の名前を呼んでこう言った。
『怒らないよ』
優しい声だった。想像と180度違う返答だった。
『帰っておいで。迎えに行くから』
「…帰って…いいの?」
迷惑をかけたくなかった。こんな精神状態で、毎日のように泣いては、無気力さに襲われている人間が家庭に1人増えるなんて、ただの迷惑だとしか思えない。それでも母は、帰ってきていいと言うのだ。
「ごめん、母さん。情けなくてごめんね」
謝らなくていいと、母の優しい声が耳に飛び込んでくる。ボロボロと涙が零れて止まらない。何度も母に謝罪をして、力が抜けてしまったからか、床に両膝をついてうずくまった。
(ーごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいー)
言葉でも脳内でも、何度も何度も謝った。謝ったところで何も変わらないのに…何に対しての謝罪かも自分でもわからないまま、何度も唱えた。その間も母は、厳しい言葉など一つもかけてこなかった。
こうして私は家族の元で療養することになった。長い長い治療は、まだまだ終わらない。
受け止めてもらえる事が、一番の薬なのかもしれない。




