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ケーキとコーヒーと薬

 小腹が空いて、大手チェーンのケーキセットを頼んだのだが、心は全く満足しなかった。義務的に口にケーキを運んで、次いでコーヒーを啜る。

 スマホの画面に浮かぶ「姉」の文字。連絡しようかどうかを悩んでいたからかもしれないが、味はあまり感じなかった。

 周囲はノイズで溢れていて、話声や店内のBGM、カトラリーの触れる音、色んな音が絶妙に混じりあって不協和音を奏でている。

 手離せなくなったノイズキャンセリング付きのイヤホンをしていても、それが安物だからなのかは分からないが、音は完全に消えてはくれない。

 私の指は震えていた。連絡をすべきか、しないべきか。友人にはすぐに連絡を入れたけれども、身内となると話は別だ。弱いからだとか、情けないだとか言われるんだろうかと恐怖はあったが、それでも理解者が欲しかった。

私は姉にメッセージを送った。


(―姉ちゃん。今、時間ある?―)


 独り身の私と違って、姉は既婚者で子供も3人いる。今は昼を少しすぎたあたりだが、子供たちはもう全員が小学生のため、平日のこの時間は1人で家にいるはずだが、洗濯やら掃除やら、晩飯の支度やらで忙しく、すぐに返事は来ないと思っていたのだが…ヴーヴーと、私のスマホが揺れた。姉からの返信だった。


(ーおー、どうした?大丈夫だよ!―)


 鼓動が早くなった。返さなくては、言わなくては、休んでること、言わないと。フリックする手は震えていた。


(―実は、…仕事、休職してる―)


 たかが一文、されど一文。その一文を送るのに、10分はかかってしまったのだが、その返事は早かった。姉から電話がかかってきた。


「…もしもし?」


 その一言を発しただけで、人前だということも忘れて頬を涙が伝っていった。止まらなくて、止まらなくて、また鼻水も出た。


『あんた今、どこにいるの?実家?』

 姉の声だ。久々に聞いた。


「今、病院の帰り。ケーキセット…頼んでる」


 声までもが震えた。周囲は何だ何だと少しざわついてたが、こちらをちらりと見てからすぐに何事もなかったかのように自分達の会話へと戻っていく。ただ、私にはそんなことを気に留める余裕なんてなかった。


「実家には、…行ってない」


 初診からもう2週間が経っていたのだが、両親には言い出せず、実家にも顔を出していない。何を言われるのか…情けないと怒られるだろうかと考えると、両親には言い出せずにいた。


『ご飯は?食べれてんの?』

「友達が、届けてくれる…」


 口の中がしょっぱい。まだ私の体は、水分を外に出したいようだ。


『うちに来るか?あいつらも喜ぶよ?』

「はは、そっか。でも、この状態の私、見せたくないや」


 力なくではあるものの、私は泣きながら笑っていた。少なくとも姉は味方でいてくれるのだと安堵したから。


「そのうち、母さん達には…言うよ」


 冷めてしまったコーヒーをすすった頃には、口の中のしょっぱさは消えていた。


『何かあったら連絡しておいで、来てもいいから』

「うん、ありがとう」


 姉は少し遠くに住んでいる。頻繁に帰省はせず、お盆の頃と年末年始に長期で帰省してくる。いつもなら楽しみにしている一大行事なのだが、今回の年末年始に関しては全くと言っていい程、楽しめなかった。

 受診を決める前ではあったが、もう上手く笑えなくなっていたからだ。情けない叔母の姿を見せたくなくて、無理をして極力笑顔を貼り付けることに徹底したものの、頭の中は仕事で埋め尽くされていた。


(ー仕事始まる。あれやらなきゃ、あれもやらなきゃ。行きたくない、行きたくない、行きたくない!ー)


 姉家族に対してとても失礼だったと思う。笑顔を作り上げる事が苦痛で、皆がいないところで何度もひっそりと泣いていた。


「母さん、怒るかな…」


 ぼそりと私は呟いた。姉にカミングアウトが出来たのだから、母と父にも告げられる筈だと思いたかったが、なかなか頭は素直にそれを肯定してくれなかった。


『怒らないと思うよ。帰ってこいって言われるだけだって』

「そう、かな」


 大学に行かせてもらった。卒業して2年かけてようやく就職して、やっと親元を離れて迷惑をかけないで済むと思ったのに、私は…なんて情けないんだろう。

『みんなからの連絡も、あんた無視してたでしょ。生きてんのかって父さん心配してたよ』

「連絡するの、億劫で…」


 家族からの連絡がくる度に、自分の不甲斐なさに胸が締め付けられた。楽しそうに遊ぶ甥と姪の動画が送られてきても、実家の愛犬の写真が送られてきても、「帰りたい」と「迷惑をかける」と「仕事が終わらない」がせめぎ合って、結局は既読スルーを徹底していた。


『無事じゃないかもしれないけど、無事で良かったよ』


 「無事」の意味がわかると、その一言がやけに胸に刺さった。私が考えていた事は…やはりするべきではないんだ。


『あ、ごめん、一番下が帰ってくる時間だわ!何かあったら連絡しなよ!』

「あ…うん…聞いてくれてありがとう」


 気がつけば少々長電話をしてしまった。姉は慌てた様子で通話を切っていたが、私の胸のつかえはほんの少し軽くなった。


(ーありがとう、姉ちゃんー)


 改めて姉への感謝を唱えて、私はかばんの中身を漁る。『食後に1錠』と書かれている白い袋を取り出して、シートから薬を取り出した。初めて飲む薬に少しだけ躊躇したが、勢いよく錠剤を2つ口に含んで水で一気に流し込んだ。

 ほぉ…と一息ついたものの、たかだか1回飲んだだけでは、効果なんて現れる訳もなく、私は音楽のボリュームをあげてケーキの最後の一口を頬張った。


ケーキは少し甘かった。

喫茶店とかのカトラリーぶつかる音がうるさく感じる日は、調子が悪い日ですね。

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