異質な部屋
心臓が早鐘を打っていた。初めての病院で、どんな事を聞かれるのだろう、どんな診断がつくのだろう、もしかしたら何も診断なんてつかないのかもなんて事を考えていたら、真冬だというのにじんわりと汗が滲んできた。
受付に「初診なんですけど」と告げると、A4の紙と番号の書かれた小さな紙を渡される。201と書いてあった。 書けたら持ってきてくださいね、と優しい笑顔を向けられたのだが、どこか貼り付けているような、無機質のような、そんな笑顔だった。一言で言えば不気味だった。
待合室の椅子と椅子の間にはパーテーションが置かれていて、受診者の顔はあまり見えないようになっていた。一番窓側の席に人の気配はあるが、それが男性か女性かは分からなかった。
椅子に腰をかけて、紙に必要事項を記載していく。ふと、原因だと思わしき事を想像して、目尻に涙が溜まる。ぎゅっと一度目を瞑ったが、記憶の中の映像は鮮明に瞼の裏に投影された。
(怒られる、失敗する、怒られる)
店内を流れるBGMがかき消してくれたかは分からないが、私は鼻を啜った。震える手でなんとか必要事項を記載して、言われた通りに受付へ紙を持っていった。見れば見るほど作り物の笑顔だと思う。でも、私も今までそうだった。ヘラヘラと笑いながら、怒られないようにとか注意されないようにとか、他人の顔色を伺って過ごしてきた。その結果がこれだ。
「201番の方、診察室2番にお越しください」
若い女性の声でふと我に帰る。受付で貰った紙と番号が一致していて、私は慌てて目元を拭ってから、診察室に入った。部屋の真ん中に円形のテーブルが置かれていて、テーブルの奥に白衣を纏った男性の医者が座っていた。こちらにちらりと目線をやると、「どうぞ座って」と促される。入り口の傍には、助手…なのか看護士なのか、詳しい職名はわからないが、若い女性が立っていて、「荷物はかごに入れていいですよ」と、私の大きなリュックを見てそう言った。言われるがままにリュックを置いて、席に座る。
ドドドドドドド
心臓が今までにないくらいのビートを刻んでいた。先生はと言えば、私が記入した紙をまじまじと眺めているだけで、沈黙が続いていた。
早く、早く、早くここから出たい!
何を聞かれるのかわからず、徐々に緊張が不安に変わって、帰らせてくれと脳味噌が叫び出した。が、一番不安がピークになった時に、医者は口を開いた。
「眠れてるかい?」
その一言だけ。私は首を横に振った。言葉は出なかった。
「何が辛いか、話せるかい?」
辛い?辛い…あぁそうだ、話を聞いてもらわないといけないんだった。帰りたいと願ったけれど、私はここに診察にきたんだった、と、口を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返していると、言葉よりも先に涙が零れた。
「仕事が…辛いです」
ようやく絞り出した声は小さかった。具体的にどうだとか、こういう症状があってとはまだ言えなかった。ただただ、辛いという現実を知って欲しかった。
「帰っても仕事のことばっかり考えて、土日も休まらない。失敗するかも怒られるかも、そう考えたら職場でも涙が出て、朝起きても行きたくないって…」
少し間をおいてから言葉を再び紡ぐと、ずらずらと引き摺り出されるように私の内側が外へ飛び出して行った。涙と鼻水も一緒に。
「…楽に…なりたいって思ってました」
ダムは静かに決壊した。両目からボトボトと落ちる涙は服を濡らして、鼻水もだらんと垂れてきた。私はヒックヒックと嗚咽交じりに泣いていた。言いたいことは全部言えたかなんて事はわからない。ただ内から出てくる言葉を言っただけ。先生はいくつかまた質問をしてきた。色々と診断をするのに項目があるのだろう。全てが終わった頃には、私の涙はようやくこぼれ落ちなくなった。
「鬱病だね。診断書書きますよ」
私の話を無言で聞いていた先生は、書類に何かを殴り書きして、少しの沈黙の後にそう言った。
診断名がついた。不謹慎かもしれないが、診断が何かしらつく事を願っていたのだ。仕事ができないとか、遅いとか、要領が悪いとか、昔のように出来ないとか、何度も何度も自分を責めてきた。やりたいのに思うように出来なくて、ただただ不安が強くなるばかり。努力不足、根性で治る、甘えてるだけだと言い聞かせてきたけれど、私は限界だったんだと、肩の荷が少しばかり降りた気がした。
少し目を腫らした私は診察室を出た。診断書を書いてもらうため、少し待ったが、201番が再び呼ばれた。会計を済まして、診断書を受け取った。ただの紙切れのはずなのに、ずしりと重たい気がした。先ほどまで不気味だった笑顔は、幾分か和らいで見えて、私はありがとうございましたと、受付の女性に頭を下げた。
どこまでリアルを混ぜ込もうかと悩みながら書いています




