神々の市場
薄群青のヴェールを脱ぎ捨てた夜空に、琥珀色の月が微睡む。幻想の終末市場から戻り、「終末再生の種」を手にしたドラキチは、ギルドでしばしの平穏を楽しんでいた。
「……でさ、あの市場の店主、おまけに『魂の削り節』をつけようとしたんだぜ? 誰が食うんだよ、そんなの」
「もう、ドラキチさんったら!」
ドラキチの軽口にマクラが笑う。笑いながら過ごす日々は、異世界に来た当初の不安を完全に忘れさせてくれるものだった。
しかし、運命という名の脚本家は、往々にして静寂を嫌う。窓の外、星々がダンスを始めた。幾何学的な軌道を描き、夜の帳を切り裂いて一点の光が――まるでランウェイを歩くトップモデルのように――ドラキチの目の前へと降り立つ。光が霧散した後に残ったのは、黄金の羽を纏った、あまりに「高見え」する鳥だった。
「選ばれし契約者よ。君に、神々の市場へのインビテーションを授けよう」
鳥の声は、ヴィンテージのチェロのように深く響く。
「そこは、世界の法則そのものが棚に並ぶ場所。重力の加減から、愛の賞味期限まで。ただし、その対価は君の覚悟……神々に挑む不遜な魂だ」
「世界の法則が、取引される……?」
ドラキチの瞳に、計算高い、それでいて無邪気な火が灯る。
「それって、要するに……宇宙規模の神セール、ってことじゃないか! 中間マージン抜きの産地直送価格で、運命を買い叩けるチャンスだろ?」
「ドラキチさん、ちょっと待って! そのポジティブさは病気です!」
マクラが慌てて声を上げた。
「ドラキチさん、さすがに神々相手は無謀すぎますよ!相手は神様ですよ? 規約を読み上げるだけで数百年かかるような連中なんです!普通の契約とは違うはずです!」
しかし、ドラキチは既にマントを羽織り、不敵な笑みを浮かべていた。
「いや、消費者契約魔法があれば何とかなるよ」
彼は月光を背に、軽やかにステップを踏み出した。
「神様だろうが概念だろうが、不当な契約は認めない。お得を逃して一生後悔するくらいなら、神々の理不尽を『お買い得品』に書き換えてやろうじゃないか」
夜空に、黄金の鳥の戸惑うような鳴き声と、無謀な男の陽気な靴音が、ファンタジックなアンサンブルとなって響き渡った。
●神々の市場への旅立ち
黄金の鳥に導かれ、ドラキチは天空を超えたさらに高次元の空間へと足を踏み入れる。黄金の鳥はただ飛ぶのではない。彼方の地平線を溶かし、現実の裾を純粋な光のタペストリーへと縫い合わせていく。
ドラキチがその裂け目に足を踏み入れると、靴の底が鳴らしたものは石の音ではなく、凝固した宇宙の「うなり」であった。ここは単なる「空の上」ではない。星屑のネビュラとリサイクルされた星光が浮かぶ浮島だ。見上げれば銀河がクリームのように渦巻き、足下では「現実世界」がソファの下に忘れられた小さなビー玉のように霞んでいる。
屋台に並んでいるものは、リンゴでも魔法の剣でもなかった。存在そのものの「ソースコード」だ。
「さあ寄ってらっしゃい!」
三つの目を持ち、文字通り「影」で仕立てたスーツを着た商人が吠える。
「採れたての【重力】だよ! 天井を歩きたいかい? 敵に山を背負わせたいかい? この小瓶一本で、大地はお前の操り人形だ!」
重力の瓶の隣には、【因果律の上書き:うっかり修正版】と記された半透明の輝く巻物が置かれている。過去の過ちを書き換えるというその約束のすぐ横では、【ヴィンテージな時の流れ】を詰めた砂時計が、「週末を百年持続させる保証付き」で鎮座していた。
空気はオゾンの香りと、高価な後悔の匂いがした。ドラキチは深く息を吸い、指先で空中に光る紋章を描いた。
「消費者契約魔法レベル7!」
ピーン!
ホログラフィックなインターフェースが起動し、商品をスキャンする。常人の目には見えない「特約事項」が、彼の視界の中で赤く染まり始めた。
「さて、特典の内容はと……」
ドラキチは揺らめくテキストに目を走らせ、呟いた。彼の顔から血の気が引いていく。
「重力の法則、特別付録:骨密度の完全消失、および五〇パーセントの確率で太陽への漂流。 そして因果律の上書き? 代償:魂の三分の一、および小学一年生の時の全記憶」
影の商人が、あまりにも多すぎる歯を見せてニヤリと笑っている。
「凄まじいな……」
ドラキチは恐怖に震える内心の会計士をなだめ、囁いた。
「あんたたち、法則を売っているんじゃない。宇宙規模の悪徳ローンを組ませようとしているんだ。俺は土産を買いに来たんであって、姿勢のいい幽霊になりに来たわけじゃない」
彼は『時の流れ』の砂時計を見た。警告ラベルにはこうある。
【注意:存在が透ける恐れがあります。まばたき中の使用はお控えください】
「どうやら」
ドラキチは、肩をかすめて飛んでいく流れ星を避けながら、屋台から後ずさりした。
「今持ってる物理法則のままでいくよ。少なくとも、あいつらは俺の魂に利息をつけて取り立てたりはしないからな」




