創造の市場 創造の契約書
市場の喧騒が遠のき、スパイスの香りと家畜の鳴き声が混ざり合う路地の突き当たり。ドラキチは、気づけば「物理法則がログアウトしたような空間」に立ち尽くしていた。
空には紫色の月が三つ浮かび、地面はマシュマロのように柔らかい。
案内人が再び現れ、ドラキチに言った。
「この市場の本質を理解するには、自らの本当の願いと向き合わねばなりません」
その瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
目の前に現れたのは、鏡……ではない。自分と同じ、寝癖だらけの頭に安物の革鎧を纏った「影」だった。
「お前の本当の願いは何だ?」
影は低く、まるでお局様に「この書類、ミスあるよね?」と詰め寄られるような威圧感で問いかけてきた。ドラキチは思わず、持っていた激安の「回復薬」を握りしめる。
「俺の願い?それは……異世界で消費者感覚を持って楽しく暮らすことだよ」
ドラキチは、焚き火の向こうに揺れる黒い人影に向かって、できるだけ軽い調子で言った。まるでコンビニで「袋いりません」と言うくらいの気安さで。人生の核心を、レジ袋と同列に扱う男――それがドラキチである。
だが影は、くすりとも笑わなかった。人の形をしているのに、顔の輪郭は闇に溶けている。ただ、そこに「見ている気配」だけがある。
「それだけではないはずだ」
影は静かに首を振った。揺れたのは闇なのに、確かに微笑んだと分かる、不思議な動きだった。
「お前が、お得を追い求める理由は何だ?」
「……は?」
ドラキチは間抜けな声を出した。
心臓が、嫌な値動きをした。ストップ高でもストップ安でもない、中途半端に不穏な上下動。
「異世界に来てからのお前の行動は一貫している。半額の宿、二割引の武器、ポイント還元の回復薬、初回限定無料の呪文スクロール……」
「だ、だって節約は美徳だろ!?」
「ドラゴン討伐よりクーポン集めを優先する勇者は初めて見た」
「勇者じゃない、ただの転生者!」
言い返したものの、声は尻すぼみになった。なぜなら、影の言葉が妙に正確だったからだ。確かにドラキチは、この世界に来てからずっと「お得」で動いていた。
魔王? どうでもいい。世界平和? ポイント付くなら考える。だが三個買うと一個無料の回復ポーション? それは戦争である。
けれど――
なぜ?
問いは、やけに重かった。たかが節約の理由なのに、胸の奥に突き刺さる。ドラキチは黙り込んだ。焚き火の爆ぜる音が、やたら大きく聞こえる。
やがて、記憶がにじみ出した。地球での、灰色の毎日。商品を販売する側の人間だったはずなのに、自分の部署の面子を優先する無能公務員的存在のせいで売ることより「部署の面子」を守る仕事ばかり押し付けられた。どう見ても間違っている書類。どう考えても無意味な会議。誰が見ても失敗なのに、「失敗ではないことにする」作業。できないことをできないと言う代わりに、できない事実を隠す。
そのための資料作り。
そのための残業。
無能を証明するのではなく、無能を覆い隠すことが評価される世界。
(……ああ)
胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
自分が何かを生み出した記憶がない。
「俺が……お得を追い求めるのは……」
声が震えた。焚き火の熱のせいじゃない。
「きっと、誰かに必要とされたいからだ」
言葉が、ぽろりと落ちた。落ちた瞬間、それが本音だと分かった。
「『プラスアルファ』の価値をつけたかったんだ。たとえ基本性能が低くても、特典があれば選ばれるだろ?」
自嘲気味に笑う。
「ポイント五倍とか、送料無料とか、初回限定とか……そういうのがあれば、俺も『買い物かご』に入れてもらえるかもしれない」
影は何も言わない。だから、止まらなかった。
「誰かに『お前がいて良かった』って言われたい。お得な買い物をして、褒められたい。役に立ったって、証明したい」
喉が詰まる。それでも、言った。
「俺は……自分という在庫を、誰かに『お買い得だ』って思ってほしかったんだよ……!」
沈黙。焚き火が、ぱちん、と弾けた。
「――なるほど」
影が、ふっと形を変えた。闇がほどけ、そこから現れたのは、小さな黒いマントを着た、妙に可愛らしい少女だった。手にはなぜか帳簿と羽ペン。
「自己評価がセール品すぎるな」
「誰!?」
「願いを叶える管理精霊。あと、在庫管理も担当している」
「担当範囲が生々しい!」
少女は帳簿をめくり、ふむ、と頷く。
「お前の在庫価値を再計算した結果、重大な見落としがあった」
「え、まさか不良品扱いで返品!?」
「逆だ。プレミア品だ」
「は?」
少女はにやりと笑った。
「異世界でここまでだまし売りを見抜いた男だぞ?」
「……あ」
言われてみれば。ドラゴンより恐れられていた。主に悪徳商人に。
「お前がいるだけで、この世界の経済バランスはめちゃくちゃだ。替えが利かない」
少女は帳簿をぱたんと閉じた。
「つまり――」
焚き火の光の中で、にっこり笑う。
「お前は最初から、定価以上の価値がある」
ドラキチは、ぽかんと口を開けた。そして、ゆっくりと顔を覆った。
「……返品、不可?」
「不可」
「保証は?」
「一生保証」
「……それ、結構重いんだけど」
「安心しろ。送料無料だ」
「そこ重要!?」
情けない笑い声が響いた。けれどその笑いは、どこか少しだけ――軽くなっていた。
ふと気が付くと少女が消え、ドラキチの前に黄金に輝く一冊の本が現れた。
「創造の契約書――あらゆる願いを実現するための力」
●創造の契約書
契約書を手にしたドラキチは、その内容を確認した。
「……マジかよ、これ。全能の神様にでもなった気分だぜ」
【第一条:創造の権能】
本契約を結びし者は、頭の中で「あったらいいな」と思ったアイテムや環境を手軽に実体化できる。
【第二条:安心のデバッグモード】
「失敗したら怖いし……」という貴方に朗報。爆発しようが呪われようがノーリスクな『試作機能』を完備。
【第三条:等価交換(?)の代償】
代償として、使用者の『本当の願いを隠す力』が失われる。
「隠す力が失われる?まあ、別に隠してたつもりもないけど……」
契約を成立させた瞬間、契約書は虹色の火花を散らして弾け、シュワシュワとソーダのような音を立てて彼の手のひらへ吸い込まれていった。血管を駆け巡る魔力。細胞一つ一つが「創造主だぜ!」とサンバを踊りだすような全能感!
「……ふふっ、これでお得な消費者として進歩するぜ……」
●市場の別れ
市場の出口で案内人がボソリと言った。
「一つだけ。その力を使う時、常に自分の『本当の願い』を見失わないように。……それが、この市場から貴方への、最後で最大の忠告です」
「ありがとう。俺はこの力をお得に使わせてもらうよ」
ドラキチは爽やかな笑顔で手を振り、意気揚々と歩き出した。
しかし、彼はまだ気づいていませんでした。この代償が、どれほど残酷で、どれほど「顔に出やすい」ものであるかを。
「よし、まずは手始めに……。最強の、そして究極に美味い、伝説の『黄金のフライドチキン』を創造するぞ!!」
彼が気合を入れた瞬間。彼の頭上に、ネオンサイン並みに輝く「巨大な吹き出し」が出現し、そこには彼の本心がデカデカと映し出されました。
【本音:本当は、フライドチキンよりも、可愛い女の子に『あーん』ってしてほしい】
「…………は?」
ドラキチの目の前には、チキンではなく、なぜか「エプロン姿の美少女ロボ(試作品)」が具現化され始めました。
「ちょっと待て!? 俺の尊厳、今これ全方位に公開されてる!?!? お得どころか大赤字じゃねーか!!!」
ドラキチのファンタジーな冒険は、かつてないほどの羞恥心と共に幕を開けた。
次回予告
創造の市場で力を手に入れたドラキチ。次なる目的地は「幻想の終末市場」。そこでは、世界の終わりを見据えたアイテムが取引されているという――!?




