冥界の市 契約魔法対決
商人が指を鳴らした瞬間、冥界の空気が一変した。
「一括譲渡!」
彼が放った契約書の束が、市場の空を覆い尽くす。するとどうだ、隣の店で売られていた「忘却の霧」が勝手に吸い込まれ、空間そのものが「商人の所有物」へと書き換えられていく。市場の石畳が歪み、ドラキチの足元から「存在の利用料」を請求する鎖が伸びてきた。
「ヒッヒッヒ! この空間の所有権は私が得た! 呼吸するごとに私の靴を舐めるという特約事項に同意してもらうぞ!」
だが、ドラキチは動じない。彼は懐から、真実のインクで満たされた銀のペンを取り出した。
「悪いな。その契約、不利益事実の不告知により……取り消しだ!」
ドラキチが消費者契約魔法を放つと、空を覆っていた商人の契約書に次々と『取り消し』の赤文字が刻印されていく。
「な、何だと!? 私の完璧なスキームが……!」
「おじさんの契約は、文字が小さすぎて読めないんだよ。ルーペでも持ってこいっての!」
ドラキチはさらに畳み掛ける。
「消費者契約魔法! 『誠実義務違反による根本契約の封印』だ!」
ドラキチが商人の足元に一通の書面を叩きつけると、それは光り輝く檻へと変化した。商人がこれまで数多の亡者から巻き上げてきた力の根源――「根本契約」が、ドラキチがオプションで追加した「キャンセル強制発動」の光に飲み込まれていく。
「ギャーーーッ! 私の不労所得が! キャッシュフローが消えていくーーー!!」
絶叫と共に、商人の姿は煙のように薄れ、夜霧の向こうへと逃げ去っていった。
静まり返った市場で、ドラキチはふぅと息を吐き、手元の「無限リサイクル契約書」に改めてサインをした。
「やれやれ、冥界で買い物するのも命がけだな。さて……これでこの『使い古した魔法の杖』、一生新品として使い倒してやるか」
彼が杖を振ると、かつての「中学二年生の時に書いたポエムの記憶」が対価として空へ消えていき、杖はまばゆい輝きを取り戻した。ドラキチの心は、少しだけ軽く、そして財布は一円も減っていない。これぞ、究極の消費者勝利Consumer Victoryであった。
●冥界の市の贈り物
騒乱が収まり、紫色の霧がゆっくりと晴れていく。市場の石畳には、商人が落としていった強欲の残滓が、割れたビー玉のように転がっていた。
「……見事な契約魔法対決だった。あそこまで鮮やかに不当な約款をシュレッダーにかける者を見るのは、数百年ぶりだ」
背後から響いたのは、チェロのように低く、心地よい声。振り返ると、そこには頭部が巨大な「天秤」になった、燕尾服姿の男が立っていた。彼こそがこのカオスな市場を支配する、冥界の管理者である。
「市場の秩序を守ってくれた礼だ。これを君に譲ろう」
管理者の細長い指先から差し出されたのは、革表紙から銀色の燐光が漏れ出す一冊の本。表紙には、見つめるだけで頭が痛くなるような神聖幾何学模様が刻まれている。
冥界の帳簿
効果:過去、現在、そして未来において結ばれるすべての契約履歴を自動的に記録・可視化する。
真価:相手が隠している「特約」や「裏の金利」を事前に察知し、最適解のカウンター契約を導き出す、いわば契約の予知能力を付与する。
「ほう……。これがあれば、もう『初回限定価格だと思ったら、二回目から十倍の値段を請求された』なんて悲劇ともおさらばってわけか」
ドラキチは帳簿を手に取った。ずっしりと重い。それは、これまでこの市で騙され、消えていった者たちの未練と、それを教訓に変える知恵の重みだった。
ページをめくると、先ほど逃げ出した商人が過去に仕掛けた数々の「だまし売り」の記録が、皮肉にも金文字でびっしりと書き込まれていた。ドラキチの唇が、いたずらっ子のように吊り上がる。
「こいつは最高だ。これからは、運命の女神と契約する時だって、しっかり相場を確認して値切ってやれる」
ドラキチは帳簿を懐にしまい、颯爽と歩き出した。
「さて、次はどんな『お得』が俺を待っているかな?」
彼の背中を見送る管理者は、天秤の頭をカラリと鳴らし、微笑んだ。
冥界の夜はまだ長い。しかし、この一冊の帳簿を手にしたドラキチの未来だけは、どんな高利貸しよりも明るく、そして徹底的に消費者優先で輝いていた。
次回予告
冥界の市での冒険を終えたドラキチの次なる目的地は、「星々の市場」。そこでは、宇宙規模の交易が行われ、想像を超えるアイテムが取引されるという――!?




