ラグーナ公国への逃避行~到着~
迫り来る巨体から繰り出された鋭い爪は、風を切る音を残して空を切った。
標的が円を描くようにひらりと受け流し間合いの外へ滑り出たからだ。
グレイブを構えた標的はその巨体の死角から重心の乗った脚を軽く突くと、バランスを崩した巨体の隙を逃さず弧を描いた斬撃はその首筋を音もなくすり抜ける。
そう。音もなく―。
静かに、正確に。
断たれた時間の中では血飛沫すら遅れ、巨体もまたゆっくりと祈りを捧げるように崩れ落ちる。
「――見事だ」
思わず驚嘆の声を上げたのは、巨体を狩った男の元上官。
「あれほどの使い手が側で仕えておったとはな…」
この言葉の主はその元上官が忠節を尽くす王…。
――そう。王様なのよね。
今私たちは王様の家族を護衛しながら、オロディアからラグーナ公国を目指して移動中。
ここはその移動中の馬車の中。
護衛任務は聞いてた。
対象が王妃とお姫様なのも聞いてた。
――なんで王様までいるの?
私と、今巨体を狩った夫は元オロディア国民。色々あったけど今は別の国のギルドに所属している形になっている。いつの間に染み付いたのか慣れた動きで丁寧に巨体を収容しこっちに戻って来る夫ピエールは、この馬車の空気に耐えられずあの巨体―砂竜の姿を見るや一目散に飛び出していった。
――どうせここに戻ることになるのに。
何を企んでいたのか、前にいる近衛師団の馬車に声を掛けてはすぐに戻るように指示を受けて項垂れている様子が目に映った。
――逃げるつもりだったわね。
バツが悪そうに馬車に乗り込んだ夫の表情がそう物語っていた。一度私と目が合ってすぐ逸らしたのを見て決めた事がある。
――全部終わったら覚えてなさい。
沈黙を破ったのは王妃。
「…ピエールさん、だったわね?」
「はっ」
彼が短く答える。
「演舞を見た気分よ。お見事ね」
「身に余るお言葉、ありがたく」
「ピエールよ、お前はもう我が国の軍属ではないのだ。なぜそう畏まる?」
声の主は夫の元上官、近衛師団長のマシータさん。
確かにそれはそうなんだけど、私たちが国を出たのは色々あったからだし、それにあれからまだひと月も経ってない、ごく最近の出来事。
今回の護衛任務は道中にそう危険はない道のり。
だけど私たちにとってはある意味魔物と戦う方が気が楽なくらい、命の危機とは違う精神的な戦いが続いていた。
――まだ半分も進んでないよ。
◇◇◇◇
移動を再開した馬車の中では先程までとは違って、会話が生まれていた。
話題はもちろんさっきのピエールを称賛するもの。
近衛師団長という将軍職からの言葉は私たち夫婦の仲人ということもあり、まだ素直に喜べたんだけど、続けて王妃と王様からも褒め称えられるとか、これって新種の拷問じゃないかな?
「…でピエールよ。そろそろ聞かせてくれぬか?なぜ行き先がラグーナ公国なのだ?」
――きた。
それは私たちが決めたんじゃなくて、いつの間にかソファが決めていたことなので、正直どうしてそうなったのかは私たちにも分からない。
ただ名案だとは思う。
「私の所属するスプライトクインテットとの打ち合わせで決めたことです」
質問に答える夫の声色がさっきまでと違っている。これは彼が覚悟を決めた時の真剣な声。
「――スプライトクインテットとは、その名には聞き覚えがある。確か魔法使いの集団のはずだが、ピエールは魔法は使えなかったはずだろう?詳しく聞かせてくれ」
さすが近衛師団長マシータさん。…いや、この場合はノエルたちが凄いんだろうか?私はまだ出会って間もないけど、彼女たちが規格外の存在だってことぐらい、この短い期間でイヤっていうほど見せられてきたから。
「以前彼の国がオロディアからのものと思われる火竜の襲撃を受けた時、迎撃したのは我々のメンバーのひとりです。そのあとに謁見したラグーナ公王よりこの戦いを終わらせるよう依頼を受けました」
――ちょっと飛躍しすぎじゃない?
でも、間違いとも言い切れないぐらい微妙な…、なんでだろ?ノエルならそう言い切ってしまいそうな気がする。
「…ふむ。戦いを終わらせるとは大きく出たの」
「…良いかピエール殿」
――!?
今陛下が夫をピエール殿って…。
「あえてこう呼ばせてもらうぞ。貴殿は今や他国のギルドに所属するものであり、余とその家族を護衛する任においては指揮官であろうからな」
「陛下!恐れながらそれは…」
マシータさんの抗議を手で制した王はさらに続けた。
「細かい話は良いであろう?いまこの場には他に誰もおらぬ。余が聞きたい事はひとつ」
「はっ。何なりと…」
「先程戦いを終わらせると言った、その真意は?」
「恐れながら…、私はサンドライト王、ラグーナ公王のどちらとも謁見した折に直接耳にした言葉が御座います。どちらも言葉は違えど、その真意は同じ。…両国ともオロディアとの戦いなど望んでおりません」
「…続けられよ」
「サンドライト王はやられる前にやっただけの事、と。それに恐らくオロディアのどなたかとは内密に接触している様子…」
「…ラグーナ公国はどうなのだ?」
「ガブリエル公王からは直接こう伺いました。今回の件でラグーナ公国とサンドライトは同盟を結んだ、と。サンドライトに戦争の意思がないことは既にご承知のはず、であれば同盟国であるラグーナ公国も同じかと」
そこまで話したうえで彼は一度王の様子を伺ってからさらに続けた。
「今他のスプライトクインテットの面々はレイブ殿とともにアジ・ダハーカの討伐に向かっております」
「――なに?」
「そしてオロディアの中央にはサンドライト王率いる精鋭が向かっているとの報告を受けております」
「――!貴殿はそれをどこで?」
今のオロディアにとっては間違いなく内密にしておきたい内部情報だから、王がこう反応するのは当然。
そこに割って入るように王妃が口を開いた。
「国の詳細については、わたくしがお話しましたわ」
「――!」
「この依頼のお話をする折に…恐らくあるがままをお伝えしなければお受けして頂けそうになかったもので…」
…交渉したのってノエルじゃなくてソファって聞いた気がするんだけど?
なんでだろ?ピエールからも薄々そんな感じが滲んできてるけど、いつの間にかみんなノエル化してきてない?
「むう…。仕方あるまい。話の腰を折ってしまった。続けてくれ」
「はっ。中央はサンドライトが、アジ・ダハーカは我らが。どちらも押さえることが出来れば、一体どなたがこの戦争を望まれるのでしょうか?」
「――!!」
「ピエールよ、お前の思いは分かった。我らも戦争などするつもりはないし、中央にサンドライトの連中が入る手引きをしたのも我らだ。しかしアジ・ダハーカは想定外だ。アレをどうにかできると言うのか?」
「閣下。その心配はしておりません」
そう言い切った夫の横顔は美しかった。
内心でどう思っているかをよく知る私だからこそ分かる。
一晩中私の髪を撫でていてくれたことの意味を。
――みんなはやってくれる。
私たちはそれを信じて、私たちにできることをする。
彼が言う戦争を終わらせる為の戦い。
戸惑いの表情を浮かべるマシータさんと表情を崩さない夫ピエールのさらに奥。
つい数日前に通った門が見えてきた。
ラグーナ公国…。
この城のあの部屋に王一家が入ることができれば――。
…この戦いは、終わる。




