ラグーナ公国への逃避行~出発~
レイブの拠点であてがわれた寝室で、妻のファニーの柔らかな寝息を聞きながら窓の外を眺めていた。
闇が押し返されるように空の色が変わる頃、大きな鳥が舞い降りた。
「あれが“グルー”か…」
誰に言うでもなく呟いていたのは、妻から聞かされていたアリアの精霊。
その証拠に門の辺りからノエルの苛立つ声が聞こえてきた。
話の内容までは聞こえてこないが、なぜか手に取るように分かる気がする。恐らくアリアからの依頼と彼女たちの向かう先は同じに違いない。
出会ってひと月もしない内にここまで馴染むものなのか…最近よくそう思うようになったが、これは悩みではない。
多分妻も同じ気持ちだろう―。
居心地のいいあの場所に帰る為にも、今は自分に与えられた任務をやり切ろう。
「…もう朝…?」
「もうすぐ夜が明ける。準備しろ。
…長い一日が始まる」
寝ぼけた無防備な姿ほど愛おしいものはない。普段であれば抱きしめて柔らかい感触と甘い匂いに包まれる朝のひと時だが、今日はそうはいかない。
門からは音が聞こえなくなった。
彼女たちが向かったのはこの国の大地と暮らしを守る戦い。
アジ・ダハーカという伝説上の竜との戦い。
俺たちが挑むのは王家を繋ぐ戦い。
ここで匿われていた王妃と姫を守り抜くことと―。
ここに辿り着いた時に追われていた近衛師団長の一団。
オロディアでは、各軍ごとに所属を現す旗があり、近衛師団の旗とは別に師団長の旗がある。
あの時ファニーが近衛師団長の旗と告げたのは間違いではないが、彼女の知らない意図がそこにはあった。
退却戦で近衛師団長の旗が上がる時、
――そこには王がいる。
◇◇◇◇
準備を終えた一団が向かう先はラグーナ公国。
先日このオロディアが襲撃を仕掛けた国。
襲撃した側の王族がされた側の国に逃げ込むとはどんな喜劇だろうか。
周囲には砂蜥蜴を駆る近衛師団の見知った顔ぶれ。
小柄な体躯で乗員は二人までだが砂漠や荒野での動きの素早さではこれに敵うものはない。
前を行くのは近衛師団の旗を掲げた馬車。
その後ろを追うのがエルクが曳く我らの馬車。
そうやって目の前の近衛師団と目的地以外の打ち合わせが落ち着いた頃だった。
「息災か?ピエール」
「はっ。マシータ閣下…」
あくまで護衛任務を受けたハンターに対する態度を崩さなかったこれまでとは打って変わって親しげに声を掛けられた。
声の主は近衛師団長マシータ、この国にいた頃のかつての上官。
「畏まる必要などない。国を出た事情は把握しているし、そうせざるを得ない場所へ行かせてしまったのは儂の不徳である。済まなかった」
そう。俺は彼の命を受けてムタレン将軍の元へ軍使という立場で赴き、そこで将軍の謀略にはまり国を出た。
「任務を遂げられなかったのは閣下のせいでは…」
「いや、優秀な人材を死地へ追い込んだのは儂だ。…それも新婚のな」
意味ありげな発言に訝しんでいると背後から人の気配。
「マシータ閣下。ご無沙汰をしております」
「おぉファニーよ。夫と会えたようで何よりだ。苦労を掛けて済まなかった。…少し痩せたか?」
そう言って好々爺の笑みを浮かべる彼は俺たち夫婦を昔から目に掛けてくれていた人物。
妻との出会いの場を設けてくれたのも、一介の兵士を取り立てて更には仲人まで務めてくれた大恩人でもある。
「閣下?確かに心配もしましたし、一時はどうなるかとも思いましたけど、今は主人と共に日々充実しております。ご心配頂かなくても結構です。…それにどちらかと言うと太ってしまって」
そう言って悪戯っぽく笑う妻を満足したように眺めたあと、彼は表情を引き締めた。
「うむ。…では本題に入ろう。ピエールは分かっておると思うが、安全が保障される地までの護衛任務である」
俺は当然頷き、ファニーも同じようにして目を伏せた。
「ファニーよ…。知っておるのか?」
そう念を押すマシータの真意が読めない妻が怪訝な表情を浮かべて尋ねる。
「閣下とともに、王妃と姫を安全な地まで護衛する任務では?」
「…ふむ。国を出た身でありながら妻にも何も話しておらぬとは律儀と言うかなんというか…」
「――??」
「護衛対象はそれだけではない。
王妃、姫、そして王だ」
「――!!」
声を失ったファニーが真意を探るかのように口を開けたままこっちを向いたので、頷いて事実だとだけ告げる。
「ではそろそろ聞かせてくれんか?我々はどこへ向かうのだ?」
「はっ。これより、オロディア・サンドライト間の国境を抜けて向かう先は、ラグーナ公国であります」
「「――!!!」」
今度は聞いていた近衛師団の面々が驚愕の表情を浮かべる。もちろん目の前の近衛師団長マシータも例外ではない。
ただひとり、この場でその話を知っていた妻が口を開いた。
「…事実です」
◇◇◇◇
エルクの速度に合わせて隊列を組んだ一団が荒野を進む。
手綱を握るのは近衛師団長マシータ。
―どうしてこうなった?
馬車内には、隣に妻ファニー。
向かいにはオロディア国の王妃と姫。そして国王。
王一家は当然近衛師団の馬車に乗り込むものと思っていた俺たちは出発前の姫の一言に凍りついた。
「これ、ゆれるからキライ」
近衛師団の馬車は軍用なので乗り心地を犠牲に速度と頑丈さに重点を置いて設計されている為、確かに揺れる。
そこで目をつけられたのはエルクが曳く馬車。
サンドライトの王イツカからエルクを貰い受けた時、豪奢な馬車を趣味が悪いの一言で別に用意させた馬車。それは女性陣…主にセレナだったか、が最優先したのは広い居住空間と乗り心地。
――それがここでこうなるのか。
確かにこの馬車は全くと言っていいほど揺れない。
荷物は全て魔道具の収納袋で運ぶためか、王族のそれ並に広い。
俺はかつて所属していた近衛師団の仕打ちを忘れない。
同席する者を選抜する際に、彼らは我先にと砂蜥蜴に乗り込み一斉に顔を逸らしたあの姿を―。
心地よい空間に安心したのかどうやら眠ったらしい姫の寝息と共に、一団はゆっくりと国境を越えようとしていた。




