砂竜アジ・ダハーカ②
砂蜥蜴が荒野に砂煙を残して駆ける。
アジ・ダハーカの進路は道中に残った生々しい戦闘の跡を辿れば見失う事はなかった。
何度目かの戦場跡で掛けられた言葉が耳にこびり付いた砂に混じって剥がれなかった。
「気にすんな。生き残ってる奴は俺たちが運ぶ。そっちは早く行ってくれ」
そう短く言ってくれた若い兵士に、先頭のノエルは頷いただけ。
私にとっての救いは、いつの間に精製したのか、セレナが倒れている兵士と同じ数の小瓶を渡していたことだった。
――アレは多分解毒薬だよね?
前に進むごとに空気が変わる。
乾いた空気に、別の匂いが濃く混じり始めた。
焦げた何かの奥に微かな、毒虫のあの甘ったるい匂い。
「…そろそろね」
手綱を握るセレナが短く言った頃、岩場の谷間を抜けると視界が開けた。
谷の向こうに広がる岩の窪地。
そこに、――いた。
砂竜の最上位種。
砂色と赤褐色が混じった鱗に覆われた巨体。
胴体から三つに分かれた首は中央の太い首と、左右の少しだけ細い首。
首が動いた後にかすかに残る濁紫の暗い光はあの竜の六つの目が放つ光。
三本の首はそれぞれ別の意思を持って動いていた。
中央の首と左の首は何かを探すように地を這い、岩を弾き飛ばし、土を掻き分けていて、右の首だけが時折、別の動きをする。
鋭く動いては、何かを払うように――。
右の首のその先には、人がいた。
戦士たちが――いた。
彼らは決して退いてはいないけれど、退かないだけだった。
数人が地に伏していて、動かない者と動こうとしても動けない者。
立っている戦士たちの足元にはあの毒虫が這い回っている。
戦士の一人が剣を地に突き立てて体を支えていた。
肩から血を流しながら、それでも―。
振り上げた剣が正面の毒虫を叩き割るとまた、地に剣を突き立てて立ち直す。
戦線は崩れていなかった。この岩の窪地に追い込む作戦だったのも一目で分かった。
――ここで食い止めるつもりね。
ただ、見るからに限界が近かった。
「…遅かったか」
レイブさんが小さく呟いた声は、怒りでも悔しさでもなく、ただの感想に近い響きの音だった。
「あら?間に合ったみたいよ?」
セレナが返した。
「これが間に合った内に入るか?」
「まだあんなに立ってるじゃない」
レイブさんが息を吐いた。…深く、長い息だった。
今私のやるべきことは分かってる。
まずは≪アルゴス≫…知りたくない情報ばかりが頭の中を駆け抜けていく。
「セレナ!ソファ!気付いたことは?」
――ほら来た。
彼女の声が短く飛ぶ。
「地脈が捻じれるような音がするんだけど…あそこの一団が守っている封印の崩れの影響かしら?」
「多分そうだ。この辺りにいくつかある火龍の封印だな」
セレナの問いにレイブさんが答える。
アジ・ダハーカの匂いは、戦いを目的としていない匂い。
――何か探してる?
中央と左の首からは強い執着と戸惑いの匂い。
右の首は苛立ちの匂い。
本気で戦ってもいない、邪魔だから払っているだけの、
――この状況への苛立ち。
「中央と左の首は何かを探してる。右の首は…ただの厄介払い」
「アタシと同じよ。それと――」
荒野のあちこちに崩れた塔のようなものが見え、半数は既に崩れ落ちていた。
この窪地にも同じような塔があって、それを守る兵と壊したい竜の動き。
「アレが火龍の封印でしょ?いくつか崩れてるけど…他にもあるみたいね。竜の探し物がアレだとするとここにある塔は最悪壊れてもいいの?」
「良くはねえが何とかなる」
ノエルの問いにレイブさんが簡潔に答える。
「オーケイ。見た感じここで食い止めれば何とかなるんでしょ?ここにある塔が壊れちゃったら竜は次のにいっちゃう。と」
問いに彼が頷く。
「オリバー。レイブ連れてあそこの塔守ってる兵士のとこ行って。一番ヤバそうな奴引き取って。レイブは軍に説明よろしく」
「「分かった」」
「ソファ!」
「――はい!」
「作戦通りよ、いつでも≪ケルベロス≫撃てる状態でここで待機」
私は彼女の鋭い目を真っ直ぐ見つめて頷いた。
「セレナはアタシが取りこぼした雑魚と………」
砂塵を舞い上げる風に紛れて最後の一言がよく聞こえなかった。
――なんて言ったの?
「あら?少しキツくなりそうね」
セレナには聞こえたんだろうか?
二人の間の風が少し穏やかになる。
「軍人には向かねえな、お前は」
レイブさんが小さく、でも少し嬉しそうにノエルに笑いかける。
「あ?うっさい!さっさと行きな!」
――よし。終わったら聞こう。
「じゃ後よろしく!トラヴァス!」
飛び出したノエルの肩にいたトラヴァスが深い暗闇に彼女を包んだ瞬間、闇を裂いて光の軌跡が筋を描いた。
――!?
何アレ?
目の前の光景が信じられない。
戦場を切り裂くひとすじの黄金が一際輝きを放つと兵士の前の毒虫が爆音とともに内側から爆ぜた。
この戦場を手前から順に次々と駆ける光の軌跡と、その後に聞こえる破裂音。
「相変わらず派手だな」
「…レイブ急げ!グズグズしてると後が怖い!」
何かに慌てたように続いて飛び出したのは戦斧から弾かれたレイブさんと、後を追うオリバー。
一瞬で塔を守る兵士の前に着弾した彼らの動きには何一つ無駄がない。
毒虫を踏み潰し、戦線の最も薄い部分に飛び込んでいく。
戦線の一番奥。
剣を地に突き立てて立っていた、肩から血を流して戦っていたあの戦士の元へ。
レイブさんが彼の隣に並び、ただ肩を支えるように一度叩いたのが見えた時、
「援軍だ!!」
レイブさんから発せられた地を震わすような声は、低く、力強く、戦場の兵士の表情を変えた。
声の主に気付いた彼らはゆっくりと目に光が戻り、ずっと張り詰めていたものが一瞬だけ緩んだ。
肩を落として息を切らせていた戦士たちは誰も歓声を上げず、声も上げない。
ただ、武器を握り直す音だけが戦場のあちこちで小さく響いた。
「動けないヤツは倒れてろ!
動けるヤツは俺と来い!」
オリバーが肩から血を流していた戦士を抱え上げると、彼は力なく身を預けた。
見るからに限界だった彼をオリバーはそっと地に降ろした。
「光ってるのはノエルよ。
見惚れてないで私たちも」
セレナがゆったりとした仕草で手を前方に向けると、掌から萌黄色の風を放つ。荒野の地を駆ける風はやがて地を覆い尽くす草原のうねりとなって、倒れた兵士を包み込んだ。
「さっきノエルね、小声で助けてって。
ホント素直じゃないリーダーよね?」
「…それが心地ええから旅に出たんとちゃうの?ウチに言わしたら二人ともどっちもどっちやけどなぁ」
セレナに続いてシェルティも戦場の奥深くへと歩を進める。
通り過ぎる時の意味ありげな笑みは、あの二人こそどっちもどっちで…不思議と笑みが零れた。
――次は、私。
腰のフレイルに目を向ける。
ヤクモの声は聞こえないけれど、今日の核の輝きは赤じゃなくて鳶色―王妃の髪と同じ色…。
言葉よりも嬉しかった。
――やれる。
目を閉じて、より深く。
私の役目はひとつだけ。
≪ケルベロス≫…あの竜の首根っこ。
――掴まえるわよ。




