砂竜アジ・ダハーカ①
私たちがレイブさんの拠点の外に出たのは、夜と朝のあいだの薄闇の中だった。
空気の冷たさが肌を薄く削いで、風は声を持たずに微かに砂の匂いを運んでくる。
この国に入った時から感じる、乾ききった大地の匂い。
装備を整えて並んだのは四人。
私とノエル、セレナ、そしてオリバー。
ピエール夫妻と王妃たちは別ルートで準備が終わり次第ラグーナ公国に向かう事になっている。
レイブさんが残した兵と近衛師団長が護衛に付くらしい。
――どうするんだろ?
レイブさんを追うって決めたのに、追う先が分からない。
「…ねぇ、レイブさんどっちに行ったか知ってるの?」
私はずっと思っていた疑問を口にした。
「レイブが向かった先は…多分なんかの情報があってそっちに向かったんだろうけど、アタシたちには必要ないね」
「…なんで?追いつかないと…」
「やっぱり…降りてきたわよ」
セレナが髪を結び直しながら上空に顎を向けた。
頭上から風と一緒に降りてきたのは大きな鳥だった。
羽を畳む音が聞こえないぐらいに優雅で、軽くフワリとノエルの肩に音もなく止まった。
――!?
「あら?ソファはまだ知らなかったの?アリアの精霊で“グルー”って言うの」
「知らなくても無理はない。普段はずっと空飛びまわってるからな。あいつがやたらと情報早いのはコイツのおかげだ」
今まで不思議だったアリアの耳の速さの理由が分かった―いや、目か…。
全身を覆う羽は薄闇の中でも淡く光っていて、長い首と細い脚に鋭い嘴。
その首には小さな環が嵌まっていた。
――首環っていうんだっけ?
ノエルがそこから紙を取り出して盛大な舌打ちの音が響く。
「――『使って』だってさ」
吐き捨てるようにそれだけ言うとノエルは苛立ちを込めた深い溜息を吐く。
――えっ?それだけ?
「アリアからの伝言…ってことだよね?」
「今回ばかりはいいんじゃない?あのコらしいわ」
「“弓が欲しがるのは矢”って言いたいわけね?ま、遠慮なく使わせてもらうけど」
そう言って肩にとまったグルーに額を重ねるノエル。
「使う…って、どうやって?」
「ソファ、グルーはな、見たものをそのまま誰かに見せる事ができる。今ノエルはグルーが見てきた光景をグルーの目を通して見てる」
「えっ、そんなことが…」
「ただし共有できるのは特定の相手だけだ。今回はノエルみたいだな」
オリバーが説明してくれて私は理解した。
鳥の目線で空から見た景色を、今ノエルが見せてもらっているということ。
それなら竜とそれを追うレイブの位置は一目で分かる。
分かるけど――。
「ノエル?」
顔色が悪い。
ノエルは口を押さえて開かなかった。
「先回りできそうね。グルーが案内してくれるんでしょう?」
セレナの問いにノエルが口を押さえたまま頷いた。
それを合図にグルーがゆっくりと羽ばたくと遥か高くの上空へ舞い上がる。
「…視界の共有のあとはな。酷い乗り物酔いみたいになるんだ」
ノエルが何も言わずに歩き出す後を追いながら、オリバーがそう教えてくれた。
◇◇◇◇
レイブさんの拠点にあった砂蜥蜴の背に乗って、私たちは岩肌の続く谷間を進んでいた。上空のグルーが時々旋回して進路を確認させてくれる。
最初に異変に気付いたのはセレナだった。
「レイブ!」
続けて異変に気付いたオリバーが砂蜥蜴から飛び降りた。
岩陰に背を預けて座り込んでいた数人の兵士を介抱しているみたい。
レイブさんがこちらに気付くと口の端を歪める形で笑った。
「…はえぇじゃねえか。
ったく…余計な事しやがる」
岩の向こう側にも数人が倒れている気配と、紫煙をあげる見たこともない気持ち悪い虫…。
私はその瞬間に何かが引っかかったから≪アルゴス≫と唱えた。
――匂いを読む。
倒れた彼らの体から、多分この虫との戦闘の血と汗の匂いに混じって、別の何か―。
甘くて、重くて、ねっとりとした匂い。
知らない匂いでも、嗅いだ瞬間に分かった。
――これ、ダメなやつだ!
「セレナ!」
私がそう呼ぶ頃には既にセレナが動いていた。
「ちょっといいかしら?」
そう言ってセレナが倒れた兵士の前に膝をつき、風の刃で上半身を剝き出しにする。
「おいおい!気でも触れたのかよ。ちょっとそこの虫野郎にやられたが傷は浅ぇぞ」
「…浅くないわ」
普段の彼女の声と違い、低くて揺れがない。
「…毒か」
見ていたレイブさんが少し驚いた顔をした。
「そうね。それも神経に回るタイプ。彼が今されるがままだったのがもう感覚が一部おかしくなってる証拠。…本人に自覚がない一番厄介な毒よ」
セレナが両手を傷口の上に翳すと掌から萌黄色の風が傷の周りをゆっくりと包んでいくと、だんだんくすんだ灰緑に色が変わる。
――毒だ。セレナが毒を引き出している。
何度か繰り返した後、セレナの掌の風が萌黄色に戻った。
「これで動く分には支障ないわ。ただ知らずに失った体力までは戻せない。無理はしないでね」
「…助かった。すまねえ」
後ろからレイブさんが小さく頭を下げた。
「レイブ、そこに立てない人を並べてくれないかしら?」
セレナが解けた髪を結わえながら開けた場所を顎で示す。
振り返った先ではすでにオリバーがズルズルと負傷者を集めだしていた。
「ごめん!すぐ手伝う!」
小規模な部隊だったんだろうか?呻き声を上げる人と短く礼を言う人と…それに口の端から泡?
「ソファ!泡吹いてるのは後回し!…レイブもそれでいいね?」
「ああ。俺が看取る」
――看取るって?
ノエルに答えたレイブさんの顔つきが変わった。
盗賊の頭領じゃない。気さくな笑顔はどこにもない、武人の顔だった。
一緒に作業を続けるオリバーの表情も変わらない。
動揺も、怒りも、安堵も、表情がなかった―。
◇◇◇◇
「どんな感じ?」
背後でセレナが治療を続けている最中にノエルがレイブさんに声を掛ける。
「竜の行き先は見当がついてる。向かう途中でコイツらを見つけたんでな。後は見たまんまさ」
「見た感じ戦闘を続けながら移動してるね。脱落した兵士に構う余裕は…ないみたいだね」
「ピエールに聞いたんだが、この虫はあの竜にとっちゃ血みたいなもんらしい…だとするとどうやって傷を負わせたかが気になるがどうだ?」
「アタシたちは傷付けてないよ。魔法だったし、オリバーのバカ力でも鱗剝ぐのが精一杯だったわ」
「どっかに弱点がありそうだな…でなきゃウチの連中がオリバーほどの攻撃を与えたとは考えられねえ」
「だってさ、オリバー?こないだアレとやった感じだとどっかに弱点有りそう?」
「頭と首は固かった。こないだは注意を引く為に首より上しか攻撃してなかったからな…足が切れるか胴体が柔らかいかのどっちかだろう」
「…じゃ、足斬って動き止めてから考えよっか?出て来る毒虫はセレナに任せて、アタシが注意を引きつけるわ。ソファは指示したら≪ケルベロス≫で頭よろしく!」
「向こうにも俺たちの軍がいるはずだ。…毒虫と、砂竜を引き受ければいいか?」
「そうね。やられるんじゃないわよ。終わるまでは回復は自分たちでやってね」
「着くまでに被害が少ない事を祈るしかねえ…か」
「ねぇちょっと!」
「ん?どしたの?」
「多分竜と戦ってる最中に飛び込むんだよね?ここの人みたいに負傷している人たちはどうするの?」
「無視していいよ。っていうか見ちゃダメ」
「――!?でもそれだと…」
「ソファちゃん。言いたい事は分かるし、俺からすればありがてえんだがな、こいつはノエルが正しいんだ」
――?
「竜と差し違えられるなら、俺たちが全滅したとしても被害は少ねえって話だ。仮にアレが中央で暴れれば人の被害は桁違いになるだろ?戦いに参加してるやつ全員でアレを討伐できるならじゅうぶん勘定は合うんだよ」
…分かんないけど、分からなきゃいけない。
多分そうしなきゃいけない戦いなんだ。




