盗賊の巣窟 改め…
温泉の匂いが混じった白い霧が足元を這う。
天井の隙間から差し込む夕暮れの色が斜めに差し込んで、漂う湯気を橙色に染めていた。
奥から湯気が絶えずに流れ込み、石の冷たさだけがあの時と変わらない感触で足の裏に伝わってくる。
石の冷たさと湯気の温かさが混在して不思議な温度の層を作り、滝の水音が壁越しに低く響いている。規則的で、途切れない音。
朝でも、夜でもない、その間の時間だけの色。
「まだ寝てんの?早くおいでよ~」
「―!!ごめん!今行く~」
ノエルの声に急かされて湯殿に足を踏み入れる。
途端に温泉の匂いが濃くなる。
木の香りが混ざり合った独特の匂い。
――前とおんなじ匂い。
足の裏の感触が石の冷たさから、湯気を含んでぬるりとした木の感触へ。
そこを踏みしめるたびに微かに軋む。
滝の音が低く、重く。
湯殿の中だけに響く独特な音色を奏でていた。
光を受けた湯面はその部分だけが金色に輝いて、それ以外は白と橙色の霧の中に溶けていた。
――熱い…けど痛くない。
体の芯まで届くような熱さで、足元からゆっくりと全身を沈めると疲れが熱に溶け出していくような感覚があった。
前に来た時もこうだったはずなのに、今日の方が沁みる気がした。
「…おばさん?」
「――誰がっ!?」
「今のはそう言われても…」
「しょうがないわね」
ノエルからの心外な一言に続いて、ファニーやセレナまでもが目を閉じて頷いた。
「言い過ぎだと思うな」
「今日ちょっと熱くない?」
「レイブが急いで用意してくれたのよ」
「そうそう。レイブさん、合流したらすぐに“あいつは絶対風呂って言うからすぐ用意しろ”って命令してたもんね」
「あいつってアタシのこと?」
「あら?違うの?」
…多分それ言ったの私だ。
でも、その後にノエルも同じ事言ってた気がする。
「どうだっていいじゃん。
またここに戻って来れたんだし~」
「…誰かさんそっくりね」
「…誰のコトかな?」
「そ、そんなことより!皆無事で良かった!だよね?それと、今日の食事は期待してろってレイブさんが言ってたよ。何が出るか楽しみね?」
気まずそうなファニーが話題を変えてきた。
…でもそれは気になる。
「もしかしてだけど…砂竜取られなかった?」
「えぇうっ?」
「もちろん、渡したわよ」
「「……」」
「ファニー!!」
「ふぁいっ!?」
「良くやったわ!…けど」
「けど…?」
「アンタ今日寝れないかもね」
「――!?」
…なんのことだかさっぱり。
あぁ~温泉気持ちいい~。
私は今日の晩御飯と…もう一回後でお風呂入ろ~っと。
◇◇◇◇
湯殿を上がった私たちは、レイブさんの客間へと通された。
前と同じ、広くて綺麗な…。
前と違うのは、卓。
なぜか部屋の中央に据えられた大鍋。
分厚い鉄で作られた鍋の直径は私がすっぽりと入るくらいで、底は浅く、中が一目で見渡せる形をしている。
大鍋を乗せているのは金属で組まれた台で、その内側には魔物の核が埋め込まれていてそれぞれが低く赤い光を放っている。
核から生まれた熱が全体に鍋へ伝わる仕組みらしく、炎も煙も出ない。
ただ熱だけがそこにあった。
大鍋を囲うように椅子が並べられ、ノエルとセレナが笑みを浮かべて席に着いた。私とファニーも戸惑いながら席に着くと、隣には小さな一人用の卓。
「おう。待たせたな」
この城の主人、レイブが大皿を持ったピエールとオリバーを引き連れて部屋に入ると、空いた席に座りながら調理を始める。
オリバーが持つ大皿がイヤでも目についた。
薄く大きく削がれた赤みの強い肉には白い筋が美しく入っていた。
…ピエールの皿には野菜とキノコかな?あの柔らかそうな白い塊はなんだろ?
「はい、これソファの。ひとつはファニーに渡してあげて」
隣に座ったノエルから渡された器のひとつを言われるがままにファニーへと手渡す。
「なに?何かの卵?」
器に目を落とすと淡い黄色の液体が満たされていた。
「せいか~い。おっ?始まるよ~」
そう言ったノエルがレイブに目を向けると、視線を動かす途中でセレナが目に入る。
――アレは完全に捕食モードだ。
ああなったセレナには何を聞いても返事は期待できない。
私は期待を込めてレイブに向き合うと、彼が鍋に黒い小瓶を傾けた。
途端に広がる甘い匂い。
続けて別の小瓶を加えると香ばしさが混じり、二種類の匂いが合わさって鍋が独特の香りを放つ。
「秘伝のタレだ。中身は聞くな」
そう言って鍋底に薄く広がったタレが温まり泡が立ち始めた頃、最初に肉を数枚鍋に並べると、ジュッという音とともに香りが一気に広がり、肉の端が縮んで赤から褐色へと色を変える。
「よし。器の卵に絡めて食え」
レイブはそう言って順番に器に肉を入れてくれる。
――これ、多分砂竜の肉だよね?
隣のファニーとどうする?と視線を交わすと、セレナが既にお替わりを要求しているのが目に入った。
――多分大丈夫なやつだ。
ファニーも大きく頷いて――食べた。
「――あ、うまっ!」
甘辛いタレの濃さの中に、強烈な肉の旨味。
卵が全体を柔らかく包んで、強すぎる旨味を打ち消してくれている。
飲み込んだ頃に脂の甘さが後から来た。
「旨いだろ?」
そう言ってレイブが次々と器に肉を入れてくれる。
私は何度も頷きながらそれを口に運ぶ。
――これ最っ高。
次は野菜と白い塊を加えた。
煮汁を吸った青菜が鮮やかな色のまま柔らかくなり、根菜は芯まで甘辛さが染みていた。白い塊は表面だけが煮汁の色に染まって、中は白いままだった。
鍋の中で全部が混ざり合って、煮汁がどんどん深い色になっていく。
…私たちは無言のまま、全てを平らげた。




