オロディア① 街道の異変
夜明けとともに森を抜けると、明らかに空気が変わった。
湿り気が消え、風が乾き、踏み出した足の下の土が、ラグーナとは全然違う感触をしていた。
荒れ果てた不毛の地というわけじゃない。
草は生えてるし、木もある。
「精霊がいないってこういう感じなんだね」
私が呟くと、隣のノエルが「そ」と振り返る。
「アタシが言った通りパサパサするでしょ?」
――確かに。
もう一度周囲を見回してみた。
ラグーナの町並みが鮮やかすぎたのか、それとも本当にここの草木が乾いているのか。
全部が少しずつ乾いているようで、色が薄く水気が足りない。
馬車の中ではピエールとファニーが並んで腰を落ち着けていて窓の外をじっと見ていた。
故郷の景色を見るような目つきではなく、もっと遠いものを見ている目だった。
その奥に座るセレナは眠っているのか考えているのか、私には分からない。
いつもは馬車の中で気ままに寛いでいる精霊たちは、森を出る少し前からみんな擬態して出てこなくなった。
――前にシェルティが言ってた、精霊狩り?の影響かな?
そんな考え事をしながら街道を進み出すと、ふとエルクの足が止まる。
「来るよ。ピエール、オリバー」
短いノエルの声。
それに応じた二人が馬車から降りると、気になった私とファニーは馬車の天幕を開けて前方の荒野に目を向けた。
最初は風に揺れる草かと思った。
低い影がいくつも揺れていた。
――違う。
砂煙を上げて、這うような動きをする何か。
――灰色の…狼?
「灰狼だわ。この国では珍しくはない魔物だけど、数が多い」
隣のファニーが不安そうに後ろを振り返る。
「中規模の群れかしらね。面倒だけど、騒ぐほどじゃないわ」
「あの二人に任せときゃいいって」
返って来た答えは予想通りで、手出しするつもりはないらしい。
それは私も同じ。
狼くらいなら何も心配していなかった。
それよりも近づいてきた狼の姿の方が気になった。
毛並みは煤けたように変色していて本来の狼よりひと回り大きく、目が不気味に紅く光ったので聞いてみたら、何かの影響を受けた変異種ね。とセレナが短く言った。
数は…数えるのはやめておいた。
ピエールがグレイブを構えた。
――鉱竜ファフニールの素材を使い、“バルカンの工房”で造られた見ただけでいいと分かる彼の新武器。
群れの先頭がこちらに気付いて向きを変えた頃、彼は駆け出してグレイブを振るった。
――間合いが狂った?
ほんの少しのズレだった。ただそのズレは彼自身が一番よく分かってる。
ここから見える彼の顔がそれを物語っていた。
修正しながら横薙ぎの一閃。
仕留めはした。
ただやっぱり実戦での感覚に馴染んでいないのか、扱いづらそうに二頭目、三頭目と次々修正しながら数を削っていく。
「――すごい!見てよソファ!もうあんなにやっつけちゃった!」
隣ではしゃぐファニーの言葉は大袈裟じゃない。
最初の一振り以外は彼が武器を振るう度に無数の灰狼のうち何体かが空を舞う。
あれだけの群れに囲まれながらも、灰狼の牙どころか爪すらも掠らせない彼の動きは流石だった。
ただ動きながら悩んでいるように見えた。
新しい武器の長さは修正できても、重さに馴染んでいるようには見えなかった。
「ふ~ん…。アンタちょっとは成長してんじゃん」
「ちゃんと見えてるわね。こうやって見るのも勉強になるわよ」
いつの間にか見学していた二人から声を掛けられた。
「ね、それって褒めてる?」
「あら?褒めてるのよ。武器を使いこなすということがどういうことか、見て分かるようになってるでしょ?」
言葉に頷く私を見て、セレナが私の頭をそっと撫でる。
――子供じゃないんだけど…。
「――あっ!」
ファニーの声に反応して彼に視線を戻すと、仕留め損ねた二体の灰狼がオリバーに向かって襲い掛かるところだった。
彼は戦斧“オブリヴィオン”に手を掛けることもなく、手に持った盾を前に出して先頭を受け止めると盾の縁で顎を打って動きを止め、次の一体が飛びかかる前に半歩横へ動いて二体まとめて盾で圧し潰してからピエールに声を掛ける。
「慣れてないな」
短く言った一言は責めているわけじゃなく、ただの事実。
「ああ、分かってる」
ピエールが苦く笑いながら答えてグレイブの柄を握り直した。ゆっくりと重さを確かめるように。
遠巻きに囲んでいた群れが散ったのは、その言葉のあとすぐだった。
――!?
地面が、揺れてる?
ちょうどこちらへ戻ろうとしているピエールの背後に向けて、砂混じりの地面が盛り上がり、鱗に覆われた頭が現れた。
続けてもう一つ。三つ目、四つ目と。
灰狼の騒ぎに引き寄せられたのか、それともアレを追っていたのか、どっちにしても細長い胴体が土から這い出してくる様子は以前の大ミミズみたいで気持ち悪い。
――違うのはヌメヌメしてるか、ゴツゴツしてるかね。
「あら、砂竜ね。数は?」
「十いかないくらい」
静かに問いかけるセレナに答えると、彼女は満足そうに笑みを返した。
「はい次オリバー!」
面倒くさそうにノエルが声を掛けると彼は“オブリヴィオン”を背に担いだ。
構えた瞬間の空気が前と違った。
大ミミズの時とも、影喰いの時とも違う、彼が纏った重い空気。
一体目への一撃は、重すぎた。
砂竜を頭から断ち割った余波で地面までもが大きく抉れて砂が舞い上がった。
ピエールが思わずこちらへ後退した頃、私たちの視界が砂で閉ざされる。
彼が一瞬動きを止めて、こちらの様子を恐る恐る確かめる。
――良くないけど、それはいいから!
背後が少しピリピリするけど、私は決して振り返らない。
彼は諦めたかのように溜め息を吐いてから戦斧オブリヴィオンを構えなおす。
次の一撃は慎重に、出力を絞るように、横薙ぎに軽く…。
――あれでああなるの?
砂竜を仕留めるにはそれで十分だった。
彼の背が語っていた。
本来の力を出せない。歯痒さが背中から滲んでいた。
何を思ったか、こちらに戻っていたピエールが再び駆けた。
砂竜を牽制して横へ流し、意図に気付いたオリバーが仕留める。
もう一度ピエールが砂竜の機動力を削いで、止めはオリバー。
言葉は交わさず、二人の間でいつの間にか役割が決まっていく。
武器への慣れはまだまだ、それでも二人は動いていた。
ピエールは感覚を修正しながら、オリバーは出力を絞りながら。
現れた砂竜が全て片付くのにそれほど時間はかからなかった。
戦闘が終わって、お互いが自分の武器を見ていた。
二人の間に会話はないけど、多分同じ沈黙の種類。
お互いに分かってて、お互いに何も言わない。
私は武器を使った戦闘だと、あの二人と並べない。
あそこに並ぶと邪魔になる。
――修行しなきゃ。
そんな決意を固めていると、背後からノエルの言葉が飛んでいく。
「はいはい!分かったから!散らかしたんなら片付けて早く行くよ!」
――お母さん!?
言われた二人はまた声もなく、お互い肩を叩きあって慣れた手つきで収納袋を手に取った。




