オロディア入国前夜
私たちを乗せた馬車を曳くエルクが森の中の水場の畔で足を止めたころ、
ラグーナ公国を出る時のアレで、気を失っていたファニーがぼんやりとした表情を浮かべて目を覚ました。
「あら?ファニーが起きたみたいね。ちょうどいいから一度休憩にしない?」
セレナがそれに気付いて声を掛けると、オリバーが御者席から降りて簡単な野営の準備を始め、その様子を眺めながらファニーが口を開いた。
「ねぇ、ここはどこなの?」
「ここはね、ラグーナとオロディアの国境とも呼べる場所よ」
「森の中みたいだけど…大丈夫なの?」
「“樹人族の森”って言ってね、安心しなさい。まず普通の人は入って来れない場所だから」
問いかけに答えながら、セレナがゆっくりと彼女を馬車から降ろそうとする。
「二人ともすまんな」
「準備してくれる方がありがたいんだから、こっちは気にしなくていいよ」
様子に気付いたピエールが声を掛けてきたが、私たちは本心から気にしていなかった。だって野営の準備は彼らの仕事だもん。
背後のノエルを見れば分かる。
大きな伸びをしながら馬車から降りてきた彼女は、満足気な笑みを浮かべてちょうどいい形の倒木に腰を下ろした。
――ここは“樹人族の森”
かつて彼らが暮らし、普段は活動を止めて眠っているとさっきセレナが言っていた。
精霊が去っていったオロディアでは、その影響を受けやすい彼らは時々眠りにつかないと存在を維持できなくなるらしい。
森全体が活動を止めているわけではなく、何体かの樹人族は起きたまま外からの侵入に備えているそうだ。
私たちが何もされないのは、セレナがいるから。らしい。
「ここ抜けたらオロディアだね~。あそこ水辺以外パサパサしてるから嫌いなんだよねぇ」
そう言いながらノエルが魔物の核に魔力を込めると小さな炎が灯り、続けて幾つかの核を目の前に積み上げて小さな焚き火を作った。
「それ、なんなの?」
「こないだの火竜の核だよ。売りそびれてたし、雰囲気出ていいと思わない?」
そう答える彼女の隣に私とファニーが首を傾げながら腰を下ろした。
「魔物の核って、こんな風に使う物なの?」
「あら、あるものを使うのは基本よ。どう使うかも持ち主次第。ただ雰囲気で使うノエルはどうかと思うわ。だからこうやって使いましょ」
私の問いかけに答えつつ、セレナが焚き火を挟むように鉄杭を地面に打ち込むと、もう一本鉄の横棒を渡してぐらつきがないか手で確かめた。
私とファニーはまだ彼女の意図が読めていない。
こちらを全く気にすることなく彼女が収納袋から取り出したのは、大きな肉の塊…。
それをさっきの横棒で貫くと…。
「お肉焼いちゃう気?」
「そのお肉って…」
「んふ。さっきのマツウシよ」
――いつの間に!!
周囲には肉から溶け出した油が焼けるいい匂いが立ち込め、彼女は愛おしいものを見つめるかのように妖艶な笑みを浮かべて棒をゆっくりと回す。
「小腹が空いてきたとこなんでちょうど良かった」
「野営の準備はあんなもんでいいだろ?」
匂いに誘われるようにピエールとオリバーが火の反対側に腰を下ろした。
その手に皿と小さなナイフを握り、待ちきれない様子の二人が可笑しくて私たちはクスクスと笑いあう。
「好きな焼き加減で削っていいわよ。量はあるから気にしないで好きなだけ食べてね」
そう言うセレナは指先から放つ小さな風の刃をナイフのように使い、そのまま手掴みで口に運んだ。
「そんな魔法の使い方するセレナにだけは使い方がどうとか言われたくないよね」
吐き捨てるように言いながら全く同じ仕草で肉を切り分けるノエルを見て、私たちはまた顔を見合わせて笑った。
肉は…口の中で溶けた。
◇◇◇◇
「こっからどうするか言っとくね」
焚き火を囲みながら切り分けた肉を頬張り、ノエルが説明し始めた。
「とりあえずの目的地はレイブの根城よ。多分着く頃か、合流する頃には何すればいいかは分かってくると思うから、それまではのんびり進もうと思うんだけど、それでいいよね?」
相変わらずの雑な説明にももう慣れた。
「それって、何かする事があるなら向こうから接触してくるまで待ってるって事でいいの?」
私の質問にノエルが肉を咥えながら手を叩く。
「まぁ何も聞かずに出てきたから他に方法はないな。だがピエールよ、国を捨てたとはいえ、お前は戦えるのか?」
「獣や魔物が相手なら問題ないが、万一顔見知りだった場合はどうなるか俺にも分からん。俺が国を出たのはムタレン将軍から逃れるにはああするしかなかったからだしな」
オリバーの問いかけに答えたピエールの言葉は本音だろう。
彼とファニーは国を出たくて出たわけじゃないし、あの時はああするより他に方法がなかったからだ。
「じゃあ、向こうから仕掛けてこない限り、人を相手の戦いは避けましょ?私たちを寄越した時点であのコたちも当然そのつもりのはずだしね」
セレナの言葉には肉を飲み込みながら頷くノエル。
――なんでいつもは五月蠅いのに、こういう時は喋んないの?
「まぁ、それなら納得できるな」
「それでいいのか?」
「当たり前だろう。ウチにはお前たち二人がいるんだ。さっき国を捨てたと言ったのは訂正させてくれ。国を出るしか手段のなかったお前たちがいるのを知ってて、そんな依頼を出すなら俺たちは手を引く。それぐらいは分かった上で巻き込んできてるんだ」
「ねぇ、オリバーさん。それってつまり、アリアさんは私たちを火竜みたいな魔物と戦わせようとしてるんじゃあ…」
「ファニーよ、呼び捨てで構わんぞ?お前が言う通り、俺たちが戦う相手は魔物で間違いないだろう。種族は分からんがな。それに…」
「…それに?」
「俺もピエールもラグーナでは戦いに参加していない。せっかく新調した武器に慣れる意味でも、魔物相手はありがたい」
オリバーの言葉を聞いて静かに頷くピエールの隣で、彼女は少し心配そうに夫を見つめ、諦めたように口を開いた。
「もしあなたが怪我したら私が治してあげるね」
――あれ?
ファニーってそんなこと言うタイプだったっけ?
「いいじゃん、ファニー!回復魔法の練習もしなきゃいけないし、厄介そうなヤツはピエールが担当ね」
「違う!そういう意味じゃなくて…」
「本当は覚えた魔法でピエールを癒してあげたかったんでしょう?妬けるわね」
「だから違うって!それになんでセレナがピエールに妬くのよ…」
ノエルとセレナに揶揄われながら、ピエールの肩に寄り添い顔を赤らめるファニーを見て笑いが零れる。
そのあと、夜明けとともに森を出ると決まり、焚火を囲んだ夜は更けていった。
森の奥から、風が一筋吹いた。
それはラグーナの湿った匂いではなく、乾いた土の匂い。
フレイルの中でヤクモがかすかに動いた。
――東に近づいているから、かな?




