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私の精霊はまさかのポメラニアン?~新米ハンターと賑やかパーティーが繰り広げる異世界冒険記~  作者: アインス
第4歩 南への旅

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ヘンダイルとベラ

水の都ラグーナ公国の朝は、静かな水音で始まる。


城内に併設された冒険者ギルドは湿気が溜まらないようにと扉が開け放たれ、白い石造りの回廊の下には細い舟が滑り、水面に揺れた光が天井でゆっくりと踊っている。


まだ本調子ではない身体を慣らすため、私はひとりでそこを訪れていた。

火竜の一件から数日。身体の奥にはまだ重さが残っていて、その証拠に歩いただけで少し息が上がっている。


だから今日は無理をしない。

ただ座って、人の流れを眺めるだけ。

そう決めていた。


けれど――


ついさっき掲示板の隅に貼られた一枚の依頼書が、どうしても目に入った。


【救世主求む!】

愛しの君へ婚約を申し出たところ

『先日亡くなられた母君の許可がないと結婚は出来ない』

と、涙ながらに告げられた。


あぁ美しきベラ。

君に涙は似合わない。


願わくば私が虹の橋を渡った母君に

直談判する機会を与えてほしい。

この国の優秀なハンターに助けを乞う。

手段は問わない。

報酬も払えるだけ払おう。


依頼主:

ラグーナ公国

筆頭機械技師 ヘンダイル


…思わず、二度読み返した。

ギルド内の冒険者たちも目にはしているらしく、通り過ぎるたびに苦笑だけを残していく。


けれど、誰ひとり依頼書を剥がさない。

そして、誰ひとり手を伸ばさない。

さっき依頼書を見たパーティーの会話が聞こえてくる。


「また貼ってるよ、あの人」

「知ってるの?」

「有名人だよ。変人で」

「今度は死者相手か…」

「発明は天才でも、恋はどうにもならねぇらしい」

「しょうがないんじゃないか?相手はあのベラだぞ」

「え?あのベラ?」

「あの子が相手じゃ誰だって無理だろ」


そんな会話を耳にしながら誰も手に取らないその紙を見つめて

「……そんなに変かな」

小さく呟いたその時、背後から声をかけられた。


「変だと思われても仕方ありません」

振り返ると、ひとりの男性が立っていた。


仕立ての良い上着。

胸元には細い工具。

指先には油の染み。


きちんとしているのに、どこか噛み合わない。

周囲が変人と呼ぶ理由が少し分かる気がした。

多分この人で間違いない。


「…ひょっとして、ヘンダイルさん?」

「はい」


彼は困ったように微笑みながら

「やはり笑われてますね」


その笑い方が、自嘲ではなくただ本当に仕方がないと思っているように見えて、私は少しだけ胸が詰まった。


「私はまだ笑ってません」


そう言うと、彼は少しだけ目を丸くした。


「では受けてくださるのですか?」

「依頼は受けません」


そう私が首を横に振ると彼は少し肩を落とした。

その落胆が妙に素直で、胸が痛んだ。


「でも……話くらいなら」


しばらく黙り込んだ彼は静かに呟いた。


「それだけでも、ありがたい」


――話を聞くぐらいなら、いいかな。



彼は私が病み上がりなのを知ってか知らずか、水路に停められた小舟に乗るように言い、そっとロープを解くと小舟は水の流れに従って目的地へと誘う。


案内されたのは、水路沿いの小さな酒場だった。


白い壁に青い窓枠、軒先に吊るされた硝子の灯り。

開け放たれた窓から水の匂いが柔らかく流れ込んでくる。


奥にいた女性を見た瞬間、依頼書の意味が分かった気がした。


ベラは、確かに美しかった。


人目を引く華やかさではないけれど、目を離したあとにもう一度見たくなる。


ここで愛される看板娘――

そんな噂の意味が、すぐに分かった。


「こんな時間に来るのはあなたぐらい。それにここのところ毎日来てるわよ、あなた」

「毎日会いたいので」


ベラは呆れたような笑みを浮かべた。


「今日は花束は持ってないのね」

「昨日、一昨日、

 その前の日と断られたので」

「よく覚えてるのね」

「あなたのことは全部覚えています」


あまりにも真顔で恥ずかしいセリフを言うヘンダイルを二度見して私は思わず固まった。


「そういうところよ」

ベラは小さくため息をつきながらも声に嫌悪感はなかった。


挨拶をしながら店内に入り中を見回すと、カウンターの隅に小さな硝子瓶が並んでいた。季節の花を一輪だけ活けるためのものらしい。


そのうちの一つに薄い青の花が挿してあるのを見て尋ねた。


「これ、ヘンダイルさんが?」


「…三日前に」

「勝手に置いていかないでって言ったはずよ」

「捨てられていないので」

「……捨て忘れただけよ」


またため息をつきながらも、彼女の声は冷たくなかった。


彼は真っ直ぐに彼女を見つめていた。

本当にそれ以外のものは見えないみたいに。


「昨日のお話ですが、母君に許しをいただければ、あなたは頷いてくれますか?」

「……だから言ったでしょう」


ベラは彼から目を逸らしながら、

「お母様が許さないわ」


吐き捨てるように言ったその言葉だけが、どこか不自然に聞こえた。

言葉そのものじゃなく、沈黙が妙に長かった。


ふと店の奥から古い香油の匂いが流れてきた。

甘くてほろ苦い花の香り。

その香りの中に別の匂いが混じっていた。


鉄に油、香水。

知らない誰かの残した薄い煙草。

長い時間をかけても消えなかった苦い痛み。


私は二人のやり取りを黙って見ながら無意識に≪アルゴス≫を発動させた。

ヤクモはフレイルの中で眠ったままだけど、何故かこの匂いが気になって仕方なかった。


本来は匂いで索敵する魔法。でもこれは追える気がした。

――人の感情の匂いだ。


匂いの正体は誰かに裏切られた時の、暗く冷えきった匂い。

でも時間と共にそれが薄らいでいく様子が脳裏に描かれた。


雨の日には、店先の濡れた石段を滑らないように直していた。

風の日には、窓の蝶番を黙って調整して帰った。

彼女が寒そうにしていた日は、店の椅子の足元にだけ小さな暖房具を作り置いていった。


どれも言われなければ誰も気づかないことだった。

けれどその全部は彼女のためだけにされていた。


「どうしてあそこまで出来るんですか?」


酒場の外で私が思わず聞くと彼は少しだけ考えて、静かにはっきりと答えた。


「好きだからです」

「それだけ?」

「それだけです」


あまりにも真っ直ぐで何も言い返せなかった。

大げさな言葉ばかりの人だと思っていたけど見ているうちに気づいた。

彼は自分の気持ちを伝えるために何か特別なことをしているわけじゃない。


「好きな人が寒そうなら暖かくしてあげたい。困っていたら直したい。泣いていたら笑ってほしい。私は彼女の笑顔が好きだからです。……理由としては、足りませんか?」


また私は何も言えなかった。

あの店に残っていたのは、誰かに愛を踏みにじられた匂い。

でも彼の優しさに気付いた彼女が癒されていくのも――。

その瞬間、ようやく分かった。


母親が許さないんじゃない。

許せないのはベラ自身。

もう一度誰かを信じることを、彼女自身が恐れている。


潮風がそっと吹いた時、さっき嗅いだ香油の匂いがした。

――ベラがこっちを見ている。


傾きかけた陽が水面を金色に揺らすのを見て、思いついた事があった。

――今の私ならできると思う。

思い出したのは以前セレナが創った龍の花火。


酒場の入り口に立つベラの位置から見えるように、私の隣でまだここを離れたがらないヘンダイルにも見えるように、静かに魔力を落とす。


揺れていた水面がゆっくりと鏡になる。


そこに映ったのは、顔も知らない年老いた女性だった。

ただ、優しく微笑んでいた。

そして次々に水面に小さな景色を浮かばせる。

さっき脳裏に浮かんだ映像を思い返しながら――。


雨の日の石段。

直された窓。

小さな青い花。

冷えた椅子の足元。

何も言わずに置かれた温もり。


誰にも気づかれなかった、些細な優しさばかりだった。


背後でベラが息を呑む気配がする。

――ちゃんと見てて。


水面は話さない。

言葉なんていらない。

これはヘンダイルがずっと真っ直ぐに彼女へ向けていた想い。


「……こんなの、ずるい」


ベラの震える声が聞こえた。


「ずっと……気づかないふりしてたのに」


ヘンダイルは呆然としていた。

何が起きているのか、本当に分かっていない顔のまま。


ベラは涙を拭い、泣き笑いのまま彼を見た。


「お母様の許可なんて……嘘」


その一言に、ヘンダイルの表情が止まる。


「怖かったの」

ベラは俯いたまま言った。

「また信じて、また失うのが」


――もう無理。

でも十分だった。

水面は静かに陽を映して、二人の間を照らす。


「……それでも」


ヘンダイルはゆっくりと彼女へと手を伸ばす。


「それでも私はあなたを大切にしたい」

飾りのない彼らしい真っ直ぐな言葉。

今までより本当に真っ直ぐだった。


「……本当に、ずるい人」

ベラはしばらくその手を見つめ、やがて震える指をそっと重ね、水面を見つめたまま呟いた。


「ねえ……今の、あなたが?」

「……いえ」


ヘンダイルは困ったように首を振った。


「私は何も」

「でも……」

「本当に、何もしていません」


二人は揃って水面を見つめた。


誰があの水鏡を映したのか。

そんなのはどうだっていい。


私はそっと二人から離れて、石橋の上からその光景を見届けていた。

誰にも気づかれないよう、彼の細工が施された石橋の上で、彼女の香油の匂いの元となる青い花の細工を撫でながら。


水の都の陽は何も知らないふりをして少し朱くなり、水面はほんの少しの間重なる二人の姿を映したあとでいつもの揺れに戻っていた。


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