水の都 ラグーナ公国
いくつかの小休止を挟んだ旅路の中、陽が僅かに傾いて色を帯び始めた頃、道の先が突然開け、草原の緑が切れ落ちるように途切れ幅広い川が身をくねらせながら大蛇のように道を塞いでいた。
「うわっ!見てよファニー!」
「え?…わっ!こっち見てピエール!」
「ん?何かいたのか?…なんだあれは?」
「もうすぐ橋も見えるよ~」
身を乗り出しながら川を見て騒ぐ私たちにノエルが答える。
そこに見えてきた橋に目を奪われた。
眼下にはこれが土地の境界!と言わんばかりの堂々たる橋。
向こう側には、濃い影の中に建つ門が見え、日差しの角度のせいで建物の輪郭が少し黒く沈んで見える。
門前には見張り?と紋章?が描かれた旗が風に揺れていた。
「橋の向こう側はなんて国なの?」
「そう言えば言ってなかったわね。向こうはラグーナ公国。旗に描かれているのはこの地の護り神とされている水龍よ」
「なんで龍が護り神なの?」
「あの国は至る所に水路があって舟で移動するの。その水路が氾濫しないのはこの地に眠る水龍が護っているからだそうよ」
私とセレナの会話にファニーも参加する。
「舟?それ乗ってみたい!」
「私も!」
「あ~もう分かったから!」とノエル。
賑やかな会話にエルクが鼻を鳴らし、こちらの気配を察した見張りの兵士が2人、橋の向こうからこちらへ近づいてきた。
「おお?ノエルか?」
「久しぶりだね~」
「こっちはオリバーの旦那だ」
「おう。元気してたか?」
「なんだ?他は新顔か…」
「まぁ通して構わんか…」
「ちゃんと通行料払うよ!ハイ!
色付けとくから書類は任せた!」
「毎度あり~!」
「お~い!通してやってくれ~」
大きな橋の正面にそびえ立つ重厚な門が音を立てて開かれると、目にするもの全てが楽しくて楽しくて…。
「そこのお二人さん?
門が閉まれば口も閉じなよ」
ハッとした表情の私たちは互いに顔を見合わせて堪えきれずに笑い声をあげる。
育った国でもなく生まれた町や村でもない新しい国と新しい町に胸の高鳴りを隠せないまま門をくぐった。
中には広場があり、訪れた人々の馬車や竜車はここで預かるそうだ。
「そんなに気になるなら2人は先に中入ってていいよ。ただ言っとくけど!勝手に先へ進んで迷子になっても探さないからね」
ノエルの言葉に私たちは頷き合い、一足先に駆けていく。
――新しい国、新しい町。
町を舟で移動するとか、早く見たくてたまらない!
◇◇◇◇
高い石造りの建物がぎっしり立ち並び、その間を縫うように光を反射する道、それは水路。澄んだ水が流れる水路には色とりどりの小舟が行き交う。この町の人々は小舟に乗り櫂を操る移動が主流のよう。
すれ違う小舟上の人々が交わす軽快な声。どこを見ても見慣れない風景ばかりで、どこに向かえばいいかも分からない。
「すごい!皆舟で移動してる。これって借りたりできるの?」
「ノエルがさっき『分かった』って言ってたから出来るんじゃない?それよりファニー。どっちへ行ってみる?」
「皆を待った方が良くない?」
「大丈夫大丈夫!はぐれても後で見つけるから!行こっ」
「ちょっと!ノエルにだいぶ影響されてない?」
私の強引さに若干引きながらもファニーは強く断らず、手を引っ張るまま町の探索に付き合ってくれた。
入り口の門からそう離れていない場所にそれはあった。
綺麗に縁取られた円形の水場。中心にはこの国の紋章にもなっている水龍が模られた噴水。水龍から落ちる水が幾筋もの弧を描いて静かな水面に飛沫と波紋を重ねる。龍の高さを考えると大きな水音がするはずなのに全く気にならないほどの人々の喧騒。
理由は目の前の光景。
水龍の噴水を囲うように係留されている十数隻の小舟だ。色とりどりの天幕を張った小舟はどうやら陸で言う露店のようで、広場に集まる人々に様々な呼び込みを行っていた。
小舟の種類も様々で、竈のような物を据えて煙を立てる舟、果物を並べた舟などが互いにぶつからぬよう水面に身を任せている。
観光客だろうか?煙を立てる舟の呼び込みに応えると、舟はゆっくりと客の前まで進み水場の縁に接舷して注文された品を手渡す。
商品を受け取った客は水場の周辺にある木製のベンチに座り楽しそうに会話しながらそれを食べる。
焼き物の香ばしい匂い、煮込みの甘い湯気、酒樽を叩く軽い音が、噴水の水音に溶け込んでいた。笑い声や呼び込みの声が反響し、水面を渡って広場全体に広がっていく。
ここでは水そのものが道であり、広場であり、市場。
石造りの街並みを背景に揺れる小舟と噴き上がる水はこの町が水と共に生きている証。
「何これ?楽しそ~っていうか見てるだけでも楽しいよ」
「あの人たち何食べてるんだろ?お腹すいたね」
「アンタたち!多分ここだろうって思ってたけど、…勝手に先行くなって言わなかったっけ?」
――しまった!!
背後から聞き覚えのある声。
恐る恐る振り返ると、手続きを終えた大人組がやれやれと言った表情を浮かべながら合流した。
「ソファはともかくファニーも新しいもの好きだったのね」
「ごめんなさい!」
セレナの言葉にファニーが頭を下げる。
「気持ちは分かるがな。ここの景色を初めて見たんならこうなるのが普通だろ?」
「確かに絶景だな。活気もあっていい町だ」
オリバーとピエールは2人に注意することもなく暫し風景を見て語り合う。
「話聞いてなかったのかなぁ?」
「ごめんって」
「はぐれたらどうするつもりだったのか言ってみな?」
「≪アルゴス≫あるから何とかなるかなって…」
「精霊をそんなポンポン使うんじゃないの!」
「あら?いいじゃない。扱いに慣れてきたって事でしょ?」
「ソファを甘やかすんじゃないの!」
賑やかなやり取りを交わしつつもノエルが広場を通り過ぎて小道の階段を上がり、広場を見下ろす館に入る。
「ここって?」
「舟屋よ。乗りたかったんじゃないの?」
「ホント!?やっぱノエル大好き~」
「思ったんだが…一番ソファを甘やかしてるのはアイツじゃないか?」
「あら?オリバー、今頃気付いたの?」
「そこ!聞こえてんだからね?」
――え?なんか言ってた?
鋭い視線を何事もなかったかのように笑顔で受け流す2人にブツブツと文句を言いながらノエルが何やら手続きを終えた。
「はいオッケー。行くわよ」
ノエルに従い別の出口から建物を出ると、水場の縁に寄せられた舟は、町で見たものより少し幅広で低く安定した造り。
何故か中心に鉄板が据えられ、それを囲うように床が一段落ち込み、乗り込んだ客は靴を脱がなくても自然に足を下ろして腰を落ち着けられる仕組みになっていた。
「何見てんの?早く乗りなよ」
追い立てられるように乗り込むと船頭の合図で舟が進み出した。
「何?なんで鉄板?」
「さっきの広場あったでしょ?あれのデカい版があんのよ」
「ここの名物だな。舟で食材を買って、ここで好きに食うんだ」
「楽しそう!ね?」
今度はファニーが隣の夫に微笑みかける。
「そうだな。何とも贅沢な話だ」
「お客さ~ん。もうすぐ着きますが、天幕を取ってよろしいですか?」
船頭から声がかかるとノエルが合図を送る。
舟に乗り込んですぐに掛けられた天幕が一気に捲り上げられると見えた光景は圧巻の一言。
水面は磨かれた鏡のように夕焼けを映し、朱と橙の光が静かに揺れる。空の端で陽が沈みかけ雲の縁が火に炙られたように見えた。
「ここはね、潮香の湾処って言うの。海の上のトラットリアね」
「さぁ、そろそろ来るわよ~?」
「「何が?」」
天幕が開いたのが合図だったのか、数隻の小舟が近付いてきた。先頭の舟からは肉が焼ける音が水面を伝って届く。別の舟では香草と油の匂いが漂い、また別の一隻からは甘く煮詰めた果実の香りが夕風に溶けて漂ってくる。
「焼きたてだよ~。今が一番いい火加減だ」
「肉なんてのは邪道だよ、ここで魚食わなくてどうすんだい?」
「火ぃ使うなんてのは素人だ。魚は生が一番」
そんな呼び声を上げてこちらへピタリと寄せてくる船団。舟同士が寄り合うたび、舷側が軽く触れ合い、こつりと乾いた音を立てる。
周囲を見回してみると、同じく客を乗せた舟の周りには露店舟が円を描くように集まっている。
「わっ!ねぇ、これどうすればいいの?」
「好きなモン受け取っていいぞ。後でまとめて舟屋で支払うシステムなんだ」
「あっ、ピエール。このエビ焼いてて」
「なるほど。これは面白いな」
「酒舟まだぁ~??」
湾は巨大な一つの食堂となり、沈みゆく陽を背に、料理と声と笑いが、静かな水の上を行き交っていた。
「ねぇねぇ、空からもなんか来るの?」
品物を受け取りながら食事を始めようとして夕陽と反対側の空を指し尋ねるとノエルが立ち上がり声を上げる。
「どういう事?火竜の大群じゃない!ちょっと!すぐ岸に付けて!」
同じように空の異変に気付いた船頭が慌てて舟を操作するが岸までは距離がある。
「どう見ても友好的な感じはしないわね。もし襲撃だとするならこのままだと間に合わない。一度別れるしかなさそうね」
「…それしかないわね。このままだと被害は避けられないわ。セレナは岸に着いたら救護に回って。ピエールとファニーもセレナの指示に従って離れないで。
ソファはアタシについてきて!ややこしくなるから絶対に炎は禁止。
オリバー!情報収集したら後は任せる。
…それと、先にアタシからね」
――ナニイッテルノ?
指示を出した後で船頭から予備の櫂を受け取りオリバーに手渡すノエル。
「ちょっと!嫌な予感しかしないんだけど?」
「上手いこと着地したらアタシに合流。被害は無視して最優先で敵を追っ払う事。…≪アルゴス≫使いたかったんでしょ?」
オリバーの構えた櫂の上で悪戯っぽい笑みを浮かべながら一気に捲し上げたノエルは、そのひと振りで岸へと飛んで行った。
――!!
「あらぁ?…飛びがイマイチね」
ノエルが飛んだ方を見ながらセレナが呟く。
「むぅ。次で修正するか。アイツは先に進むだろうしな」
そう言って櫂の上に私をセットするオリバー。
「ソファ、やったことは?」
「…あるわけないでしょ?」
「頑張って…ね」
ピエール夫妻の引き攣った顔が突然、消えた。




