湖に帰る灯
掲示板の端に貼られた一枚だけ色の違う依頼書。
報酬は少額。危険度は最低。
内容は
「母を湖まで同行・護衛。要馬車」
――その紙を見つめ、そっと剥がした。
アリアに巻き込まれた騒動の後、“檻”の入り口だけを開けると出て来たハンターたち。
テーブルに戻った私はセレナとノエルに褒められた。
…あれで良かったの?
「…掲示板見てた間に何があったの?」
「ん?アリアがゾンビの呪文唱えただけだよ?」
「ゾンビの呪文?そんなのあるの?」
「ゲッ!あいつらグラスに削った氷入れて酒飲んでるよ」
「ホントだ…。ねぇアリア、あの氷どうすればいい?」
「ちょうど氷が切れそうだったから助かったわ。あのままにしておけば皆が使ってくれそうね」
「いいんだ…天井も揺れてるんだけど、ギルド大丈夫かな?崩れたりしないよね?」
「大丈夫。あれピエールだから」
「…あぁ」
ハンターたちが削り出した氷を貰い、グラスに蒸留酒を入れ飲み直しとばかりに乾杯する私たち。
「ピエールがあれだから、報酬の山分けは今度ね。セレナは当分ここ手伝うみたいだけど、ソファはどうする?なんか依頼あった?」
「それなんだけど、こんな依頼なら私でも受けて大丈夫だよね?」
そう言って剥がした依頼書をテーブルに広げるとノエルが内容を確認する。
「…散歩みたいな依頼だね。いいんじゃない?エルクなら使っていいよ」
「いいの?じゃあアリア。私がこの依頼受けてもいい?」
「了解。助かるわ。受注条件の馬車持ちのハンターって少なくて…」
「ふふっ、良く言うわね。依頼書の色まで変えて。私たちが帰るの待ってたんでしょ?分断させておいて、ソファ狙いなのがバレバレよ?」
「…バレちゃった?あの辺りなら危険もないし、ソファちゃん気付いて~って…」
「いいじゃん人助け。こういう依頼も大事だよ。ソファはエルクの操作の練習になるしさ」
「はい。行ってきます」
グラスを傾けるアリアに軽く一礼し、依頼を受けた。
◇◇◇
目的地はギルドのある街から馬車で半日ほどの村。
依頼主の家は、しっかりと手入れされた花が咲く庭の奥にあった。
「母がね、どうしても“湖”へ行きたいって言うんです。ただ、一人じゃ歩けないのと…普通の馬車の揺れももう耐えられないぐらいで…」
軒下で待っていた依頼主夫婦の妻が母を呼んでくる。と家に入ると奥から出てきた老婆は小柄な体に白い布を羽織って杖をついていた。
「お嬢ちゃんが連れて行ってくれるハンターさんかい?」
「はい。ソファといいます。今日はよろしくお願いします」
「おやおや、礼儀のしっかりした子だね。わたしはマーニャといいます。
若い子に迷惑かけて悪いねえ」
マーニャはそう言って笑うと、手を合わせるようにしながら頭を下げた。
馬車の準備を整えると手綱を握り、マーニャが娘夫婦の助けを受けながら座席の背に腰かける。
静かな出発だった。
道は緩やかに森へと続き、風が草を揺らし、エルクの蹄が乾いた音を刻む。
マーニャが外を眺めながら、ぽつりぽつりと語りはじめた。
「若い頃ね、あそこであの人にプロポーズされたの。優しくて、不器用な人。…ある時仕事に出て行ったきり、帰らなくなってね。それからは一度も行ってないの」
――それって…
手綱を握る手に思わず力が入りエルクが小さく声を漏らす。
その様子を見て、彼女が穏やかに笑う。
「お嬢ちゃんも、
ハンターなんですってね?」
「はい。でも……
私はまだ新人です」
「人を守る仕事ってのは、大変だね。失くすこともあるけど、届けることもできる。
わたしは今日、それをしてもらいに行くんだね」
膝上に出ていたヤクモが小さく囁いた。
「この人あったかいね」
「おやおや、可愛いワンちゃんじゃないか。少し抱いてもいいかい?」
笑顔でそう言う彼女の膝の上にヤクモが優しく飛び乗る。
「これは珍しいねぇ。
精霊さんじゃないか」
「えっ?分かるんですか?」
「昔はよく見たもんだよ。
人が増えて…戦が増えて…。
段々と見なくなって、
…皆忘れちまったんだね」
道の先、森の木々の隙間から湖の光がちらりと見えた。馬車の車輪が小石を踏み、音を立てて進んでいった。
やがて視界が開け、朱い空の色を映した湖が広がった。
水面は静かに、岸辺には一本の大木が立っていた。枝は大きく広がり、淡い光が葉の間からこぼれる。
「……変わってないねぇ」
マーニャは馬車を降り、ゆっくりと歩を進めるので、慌てて手を貸しながら周囲を見守る。
「この木の下でね、
あの人が言ったのよ。
“毎年この日に、
一緒に光を見に来よう”って
…もう少しだから。
付き合ってもらっていいかい?」
もちろん大丈夫ですと告げ、馬車にあった木箱を取り出してそこに彼女を座らせた。
湖面には夕暮れの色が滲み始め、鳥の声が遠のき、代わりに風の音が強くなる。
その風の中で、
最初の光がふわりと現れた。
小さな光の粒が水面から浮かび上がり、やがて無数に増えて、夜の空へと舞い上がる生きた灯。
「……きれい」
声がかすかに震えた。
「この季節の数日だけね。
“宵の灯糸”
って言うんだって。
灯が夜空を縫うように光るから、
そう呼ばれたって。
…あの人が教えてくれたんだよ」
湖のほとりに並んで座る2人。
風が通り抜け、
か細い光が頬を照らす。
大木の枝には無数の光が集まり、やがて木全体が星を宿したように輝いた。
「…今日はあの人に連れてこられた日。
まさか2回目が最後になるとはねぇ」
「そんなこと…また来年も…」
「いいのよ。ちゃんと来られたから」
そう言うと彼女は掌の指輪に語りかけた。
「ねぇ、あなた…
…ちゃんと来たわよ」
その声は、湖面に吸い込まれるように消えていった。
ヤクモが小さく耳を伏せる。
ふと顔を向けるとマーニャは穏やかな笑みのまま、静かに目を閉じていた。
風が、そっと吹いた。
大木に集まった光が一斉に揺れ、木の葉がかすかに鳴る。
その場に膝をつき、そっとマーニャの手を握ると、指先に灯糸のひとつが止まり、かすかに脈を打つように明滅していた。
「……きれいだね、ヤクモ」
「うん。でもおむかえが来たみたい」
光の糸が、静かに風へ乗り、
空へと流れていく。
湖面にも同じ光が映り、
空と湖の境がわからなくなる。
世界がほんの一息だけ息を潜めた。
マーニャの頬を撫でた光がひとつ、ゆっくりと上昇していく。
その光を目で追いながら、胸の奥に生まれる痛みと安らぎの混ざった感覚を抱いた。
「……ありがとうね」
どこからか確かに聞こえた声は、風に溶け遠くで響いた。
湖が薄い霧に包まれるとマーニャの体に外套をかけ、指輪を両手に包むように握らせた。
「…また…会えたんですね」
目を閉じ小さく呟いた。
馬車の荷台に時間がかかりつつも丁寧にマーニャを乗せて、ゆっくりと手綱を引く。
車輪の軋む音だけが、静けさの中に響いた。
村の門前に馬車が戻ると、家の前で娘夫婦が待っていた。
「……マーニャさんは、
湖で、とても穏やかでした」
妻が口元を押さえ、夫が肩を抱く。
やがて、嗚咽まじりに「ありがとうございました」と呟いた。
外套に包まれた彼女の手には、小さな指輪が握られていた。
それを見た妻は、涙の中で微笑んだ。
「母さんの……」
私は馬車の傍で深く頭を下げると再び馬車を走らせた。
風の匂いの中に、まだ灯が残っている気がした。
その夜。
窓から見える空では
灯糸の光が交じり合い、
ゆっくりと流れる。
アリアが報告を受け、微笑んだ。
「…そう。無事に届けたのね」
夜風がカーテンを揺らし、
遠くでかすかな光が瞬いた。
名残を惜しむように二つだけ、
灯糸がゆっくり螺旋を描く。
「きれい、湖のほうからね」
「うん。あの人たち、
やっと会えたんだよ」
静かな夜だった。
光は消えず、風に乗ってどこまでも流れていく。




