第94話「戻る約束」
八度目の鐘が、鏡の部屋を大きく震わせた。
銀色の鏡に走っていた光の亀裂が、中心へ向かって一斉に伸びていく。
「割れる?」
リオンが目を輝かせた。
「嬉しそうに言わないで」
レオが即座に返す。
だが、鏡は砕けなかった。
亀裂は細い光の筋となり、鏡に映った四人の姿を包み込む。
オスカー。
エルマー。
リオン。
カイゼル。
それぞれの像から伸びた光が、レオの持つ銀の鍵へ集まった。
『一つを選ばぬか』
「選ばない」
レオは迷わず答えた。
「勝手に一つに決める必要なんてないでしょ」
『すべてへ戻ることは、容易ではない』
「知ってる」
『一つへ戻るより、多くの責任を負う』
「それも知ってる」
レオは鍵を胸元へ引き寄せた。
「でも、それを決めるのは私だから」
部屋に静寂が落ちる。
オスカーが小さく息を吐いた。
「お嬢らしい答えだね」
「欲張りとも言うな」
エルマーが淡々と付け加える。
「悪かったね」
「否定はしていない」
「褒めてもないでしょ」
「事実を言っただけだ」
いつもの返答に、レオは顔をしかめた。
リオンが隣で楽しそうに笑う。
「レオは、欲しいものを全部持って帰るタイプなんだ」
「人聞きが悪い」
「でも違わないよね?」
「違うと言い切れないのが腹立つ」
「やっぱり息が合ってきたな」
オスカーが呟く。
「今、それ言う?」
「事実だから」
エルマーまで同意し、レオの眉間のしわが深くなった。
そのとき、すべての鏡から声が響いた。
『ならば、約せ』
「約束?」
『戻る場所を持つ者は、自らも戻らねばならない』
鏡の中に、再び傷だらけのレオが映る。
一人で立ち、背後の炎を見つめていた姿。
『他者を置き去りにしないためではない』
鏡像がゆっくりと振り返る。
『己を置き去りにしないために』
レオの表情から、わずかに力が抜けた。
軽口で返す言葉が、すぐには出てこない。
「……約束しなかったら?」
『扉は開かぬ』
「結局、強制じゃない」
『選択である』
「選択肢が一つしかないのを、選択とは言わないでしょ」
「それでも、約束する価値はあると思うよ」
オスカーが穏やかに言った。
エルマーもレオを見る。
「俺たちが止めても、お嬢は行く」
「否定できない」
「なら、戻ることまで予定に入れること」
「予定って」
「お嬢は自分の帰還だけ、いつも計画から抜くからな」
レオは言葉に詰まった。
昔から見てきたエルマーに言われると、反論しづらい。
「俺たちが迎えに行くのもいいけどさ」
オスカーが笑う。
「たまには自分で戻ってきてよ。毎回回収するの、結構大変なんだから」
「そこ?」
「重要だよ」
「見つけたあと、抵抗するしな」
「抵抗してない」
「担がれるのを嫌がる」
「それは抵抗するでしょ」
「意識があるなら歩け」
「歩けないから担がれてるんじゃない」
リオンが堪えきれずに吹き出した。
「レオ、何回担がれたことがあるの?」
「数えなくていい」
「あとで教えて」
「エルマーもオスカーも、絶対に教えないでよ」
双子は答えなかった。
その沈黙だけで、教える気があると分かる。
レオは深いため息をつき、正面の鏡を見た。
「分かった」
銀の鍵を握り直す。
「どこへ行っても、できる限り自分で戻る」
『できる限り、か』
「絶対なんて無責任なことは言わない。でも、最初から自分を置いていくつもりでは動かない」
鏡の中のレオが、わずかに笑った。
「私も、戻る人間の中に入れる」
銀の鍵が強く輝く。
『約束は受け入れられた』
鏡に映っていた傷だらけの姿が消えた。
代わりに現れたのは、扉の前に並ぶ五人の姿だった。
誰一人欠けていない。
左右の鏡が音もなく動き、部屋の奥に一枚の石扉が現れる。
仮面の男が、その前へ進んだ。
「第二の選択は終わりました」
「これで終わり?」
「この部屋は」
「その言い方、まだ続くってことだよね」
「はい」
レオは天井を仰いだ。
リオンが肩を叩く。
「大丈夫。今のところ全員いるよ」
「その慰め、全然安心できない」
石扉がゆっくりと開く。
向こうにあったのは通路ではない。
青白い炎に照らされた、広い地下の書庫だった。
棚の奥で、九度目の鐘が鳴った。




