第93話「問う鏡」
白い光の奥から響いた鐘は、これまでよりも高く澄んでいた。
チィン――。
その音が消えると、開いた扉の向こうの光がゆっくりと薄れていく。
現れたのは、細長い石造りの部屋だった。
左右の壁には、等間隔に銀色の鏡が並んでいる。
鏡といっても、どれも表面が曇っていて、何も映していない。
「今度は鏡?」
リオンが扉の向こうを覗き込む。
「触らないでよ」
「まだ何もしてないよ」
「しようとしてたでしょ」
「見るくらいならいいかなって」
「前にも同じこと言ってたよね?」
レオが睨むと、リオンは楽しそうに笑った。
「やっぱり、会話の息が合ってきたな」
オスカーが小声で言う。
「要注意だ」
エルマーが即座に返した。
「聞こえてるんだけど」
レオが振り返る。
「聞かせてる」
「エルマー、レオの扱い完璧だね」
「いつものことだろ」
カイゼルは三人のやり取りを横目に、扉の向こうへ視線を向けた。
「先ほどは名を選ばせた。次は何を選ばせるつもりだ?」
「選ぶとは限りません」
仮面の男が答える。
「じゃあ、今度は?」
「映すのです」
「何を?」
「進む者が、他者の目にどう映っているかを」
レオの眉間にしわが寄った。
「帰っていい?」
「入口は閉じたままだ」
エルマーが淡々と告げる。
「知ってる。言ってみただけ」
「先ほど進むと決めたばかりだろ」
「決めたけど、後悔する自由くらいあるでしょ」
「そこは否定しないよ」
オスカーが苦笑する。
仮面の男は部屋の中央へ進み、床に刻まれた円の外側で足を止めた。
「鍵を持つ者は、円の中へ」
「一人で?」
「はい」
「却下だ」
エルマーの返事は早かった。
「同感」
オスカーもレオの隣へ並ぶ。
「この試練は、鍵を持つ者のためのものです」
「だから一人で行かせる理由にはならない」
エルマーは一歩も譲らない。
仮面の男が何かを言うより先に、レオが双子の肩を軽く叩いた。
「大丈夫。たぶん」
「最後の一言が余計だ」
「大丈夫って言い切って罠だったら、恥ずかしいでしょ」
「そこを気にしてる場合?」
オスカーが呆れた顔をする。
レオは銀の鍵を掲げ、円の中へ足を踏み入れた。
その瞬間。
左右に並んだ鏡が一斉に淡く光った。
最初の鏡に、公爵令嬢姿のレティシアが映る。
銀灰色の長い髪。
美しいドレス。
隙のない微笑み。
『完璧な令嬢』
二枚目には、黒髪のレオが映った。
誰かへ手を差し伸べ、次の瞬間には人混みの中へ消えていく。
『名を残さぬ救い手』
三枚目には、私室のソファに沈み込み、菓子を抱えたレティシアが映る。
オスカーが吹き出した。
「そこも映すの?」
「笑うな」
「いや、すごくお嬢らしいなって」
「あとで覚えてて」
「俺も何度も見ている姿だ」
エルマーが真顔で付け加える。
「エルマー、フォローする気ある?」
「事実を述べただけだ」
レオは額を押さえた。
「この試練、今までで一番嫌いかもしれない」
だが、四枚目の鏡が光った瞬間、空気が変わった。
そこに映ったのは、傷だらけで立つレオだった。
周囲には誰もいない。
背後では、何かが燃えている。
『自らを数に入れぬ者』
オスカーの表情から笑みが消えた。
エルマーの目が細くなる。
リオンも黙り込み、カイゼルは静かに鏡を見つめた。
「勝手なことを言わないで」
レオが低く言う。
『他者を救い、自らを置き去りにする』
「置き去りになんてしてない」
『ならば問う』
すべての鏡に亀裂のような光が走る。
『お前が戻らなかったとき、残される者を知っているか』
鏡の中に、四人の姿が映った。
笑わないオスカー。
剣を握りしめるエルマー。
怒りを隠さないリオン。
そして、何も言わずレオを見つめるカイゼル。
レオは息を止めた。
「……反則でしょ」
『映しているだけだ』
「そういうところが性格悪いって言ってるの」
銀の鍵が、手の中で震える。
鏡の中央に、細い文字が浮かび上がった。
『戻る場所を、一つ選べ』
レオは四人を見た。
四人も、レオを見ていた。
「一つ?」
レオの声が低くなる。
「それは無理」
銀の鍵を握り直し、鏡に映る四人を見返す。
「人を一人選べって意味なら、答えは出さない。戻る場所は、人だけじゃない」
レオは、並んだ鏡へ視線を巡らせた。
「家も、街も、レオとして歩く場所も、全部私の戻る場所だから」
八度目の鐘が、部屋を震わせた。




