第91話「名を呼ぶ鐘」
仮面の男は、何事もなかったように歩き出した。
「今の声について説明は?」
レオが尋ねても、男は振り返らない。
「先へ進めば、お分かりになります」
「便利な言葉ですね、それ」
「案内役ですので」
「説明する気がないだけでしょ」
レオが小さく吐き捨てると、すぐ後ろにいたリオンが笑った。
「だんだん遠慮がなくなってきたね」
「誰のせいだと思ってるの」
「俺かな?」
「自覚があるなら黙って歩いて」
「それは難しいかなぁ」
前方を進んでいたオスカーが肩越しに振り返る。
「二人とも静かに。通路が狭いから、何かあっても避けられないよ」
「オスカーがまともなことを言ってる」
「レオ、それどういう意味?」
「そのままの意味」
「後ろを見ながら歩くな」
最後尾のエルマーの声が飛ぶ。
オスカーは素直に前を向いた。
隠し通路は、人一人が通るのがやっとの幅しかない。石壁は湿り、ところどころから冷たい水が染み出している。
しばらく進むと、先頭の仮面の男が足を止めた。
その向こうには、円形の小部屋があった。
壁に扉が四つ。
どれも同じ大きさ、同じ色、同じ装飾。
ただし、それぞれの扉の上には異なる鐘が据えられていた。
一つ目は、ひび割れた鐘。
二つ目は、鎖で縛られた鐘。
三つ目は、翼の生えた鐘。
四つ目は、何の紋様もない鐘。
「また選べってこと?」
リオンが部屋へ入ろうとする。
「待って」
レオが服の裾を掴んだ。
「今度は触ってないよ」
「入ろうとした」
「入るくらいならいいんじゃない?」
「前の罠をもう忘れたの?」
「忘れてはいないけど、立ち止まっていても進まないし」
「それはそうだけど」
レオが返答に詰まる。
「リオン殿下の言うことにも一理あります」
オスカーが部屋の床を観察しながら言った。
「珍しい」
「レオ、今日は俺への扱いが雑じゃない?」
「今日だけじゃないだろ」
エルマーは二人のやり取りを流し、扉の前へ小石を投げた。
何も起きない。
次に、部屋の中央へ小石を転がす。
小石が中心へ到達した瞬間、四つの扉の上にある鐘が一斉に淡く光った。
チリン。
最初に、ひび割れた鐘が鳴る。
続いて、鎖の鐘。
翼の鐘。
最後に、何の紋様もない鐘から、低い音が響いた。
ゴン。
「音が違う」
カイゼルが目を細める。
「最後だけ、これまでの鐘に近いですね」
オスカーが答えた。
レオは銀の鍵を取り出す。
鍵先はしばらく迷うように揺れたあと、何の紋様もない鐘が据えられた扉を指した。
「分かりやすいな」
リオンが言う。
「だからこそ怪しい」
レオは動かなかった。
仮面の男が静かに告げる。
「この場所で鍵が示すのは、正しい扉ではありません」
「またそれ?」
「鍵は、持ち主が最も選びたい道を示します」
全員の視線がレオへ集まった。
「……選びたい道?」
「そうです」
「嫌な予感しかしない」
レオは、四つの扉の上に据えられた鐘を順に見た。
ひび割れた鐘。
鎖に縛られた鐘。
翼の鐘。
そして、何の紋様もない鐘。
「何の紋様もないから、自由に見える」
カイゼルが呟く。
「だが、本当に何もないとは限らない」
「逆に、他の三つは意味が分かりやすすぎるね」
リオンがひび割れた鐘を指す。
「壊れる、捕まる、逃げる。最後は、何も決められていない」
「分からないものを選びたいと思ってるってこと?」
オスカーがレオを見る。
「知らないよ」
レオは顔をしかめた。
「鍵に聞いて」
「その鍵を持っているのはレオだろ」
エルマーの冷静な指摘に、レオは黙り込んだ。
そのとき。
四つの鐘が、同時に小さく震えた。
『名を告げよ』
先ほどと同じ低い声が、部屋中に響く。
レオの表情が固まった。
「……誰の?」
『扉を選ぶ者の名を』
静寂が落ちる。
リオンの笑みが消えた。
オスカーがさりげなくレオの前へ出る。
エルマーは剣の柄に手を置き、カイゼルは仮面の男へ冷たい視線を向けた。
「レオでは駄目ですか」
カイゼルが問う。
『真の名を』
銀の鍵が、レオの手の中で強く震えた。
何の紋様もない鐘が、扉の上でゆっくりと傾く。
まるで答えを待つように。
レオは鍵を握りしめた。
「……性格の悪い試練だな」
返事の代わりに、六度目の鐘が鳴った。




