第90話「音を選ぶ扉」
青白い炎に照らされた通路は、思っていた以上に長かった。
壁には同じ紋章が一定の間隔で刻まれ、その下には大小さまざまな鐘の絵が並んでいる。
先頭を歩く仮面の男は、一度も振り返らない。
「案内役なら、もう少し説明してくれてもいいんじゃない?」
リオンが気軽に声をかける。
「扉までご案内するのが、私の役目です」
「扉の先は?」
「皆様次第です」
「不親切だなあ」
「リオンが楽しそうだから、ちょうどいいんじゃない」
レオが返すと、リオンはにやりと笑った。
「分かってきたね」
「分かりたくない」
その直後、前方のエルマーが手を上げた。
全員の足が止まる。
床を、細い銀色の線が横切っていた。
「踏むな」
エルマーが短く告げる。
オスカーはしゃがみ込み、床すれすれから線を覗いた。
「仕掛けだね。切ると動くか、触れると動くか」
「どちらにしても試さない方がいい」
「じゃあ、飛び越える?」
リオンが一歩下がる。
「リオン」
カイゼルの低い声に、その足が止まった。
「冗談だよ」
「今、助走をつけようとしていましたよね?」
「気のせいじゃない?」
「気のせいで済まさないで」
オスカーとレオの声が重なった。
エルマーは左右の壁へ視線を走らせ、銀の線の真上に刻まれた三つの鐘を見つけた。
「レオ。鍵を」
「はい」
銀の鍵を持ち上げると、先端がゆっくり動く。
左、中央、右。そしてもう一度、中央。
「順番でしょうか」
「左、中央、右、中央」
カイゼルが確認する。
鐘の紋章には、それぞれ小さな突起があった。
「押せということかな」
リオンが楽しそうに片腕を高く伸ばし、壁の鐘へ指先を近づける。
その腕を、レオとオスカーが左右から同時に掴んだ。
「なぜ止めるの?」
「なぜ触っていいと思ったの?」
「そこに押せそうなものがあるから」
「理由になってない」
呆れるレオの横で、オスカーが深くうなずく。
「本当に、二人を放置するのは危険」
「今のはリオンだけでしょ?」
「普段の行いです」
エルマーはやり取りを無視し、剣の鞘で左の突起を押した。
チリン。
澄んだ音が響く。
続けて中央、右、中央。
最後の音が消えた瞬間、銀の線が光り、そのまま石の中へ沈んだ。
「正解みたい」
レオが踏み出そうとする。
だが、肩をエルマーに掴まれた。
「待て」
次の瞬間、銀の線があった場所から細い刃が突き出した。
空を切り、すぐに床へ戻る。
「……正解でも刺しにくるって」
「試練ですので」
仮面の男が当然のように答えた。
「性格の悪い仕掛けだな」
「同感だ」
カイゼルの目はまったく笑っていない。
オスカーはエルマーを見る。
エルマーがわずかに顎を引くと、オスカーは床へ小石を転がした。
銀の線を越えた瞬間、左右の壁から短い矢が飛び、小石の上で交差する。
「二段構え」
「いや」
エルマーは天井を見上げた。
「三段だ」
天井には、大きな鐘の形をした石が埋め込まれていた。
リオンの目が輝く。
「落ちてくる?」
「嬉しそうに言わない」
レオがため息をついた、そのとき。
手の中の銀の鍵が強く震えた。
鍵先は罠の向こうではなく、右側の壁を指している。
近づくと、石壁に細い亀裂が走った。
壁が横へずれ、人一人が通れる狭い通路が現れる。
「正面を突破する必要はない、ということか」
カイゼルが呟く。
仮面の男が初めて振り返った。
「鐘は、正しい音だけを聞くとは限りません」
「どういう意味です?」
「進む者が選ぶのは、正解ではなく道です」
男はそれだけ告げ、隠し通路へ足を踏み入れた。
レオは罠だらけの正面と、狭く暗い脇道を見比べる。
「どちらも嫌なんですけど」
「面白そうな方へ行こう」
リオンが即答する。
「リオンの基準で決めないで」
「でも、鍵はこっちを選んだ」
銀の鍵の光は消えていない。
まるで急かすように、鍵先が小さく揺れている。
オスカーが隠し通路を覗き、エルマーと視線を交わした。
「俺が前に出ます」
「俺は最後尾だ。レオは中央。殿下方も、レオより前へ出ないでください」
「異議は?」
「ない」
答える前に配置を決められ、レオは肩を落とす。
「逃げる選択肢は?」
「入口が閉じている」
カイゼルが後ろを示した。
いつの間にか、石階段へ戻る道は壁で塞がれている。
レオは数秒黙り込み、今日一番深いため息をついた。
「……進むしかない」
その瞬間。
隠し通路の奥で、これまで彼らを導いてきた鐘が、五度目の音を響かせた。
ゴォン――。
青白い炎が一斉に揺れ、壁の奥から低い声が響く。
『最初の選択を、歓迎する』
レオは足を止めた。
「今の、誰ですか」
仮面の男は答えない。
ただ、その仮面の奥で、確かに笑った気配がした。




