第89話「鐘の導き」
地下へ続く石階段の途中で、仮面の男は静かに一礼した。
「ようこそ、お待ちしておりました」
その口調には敵意も威圧感もない。
まるで、招待客を迎える執事のようだった。
レオは思わず眉をひそめる。
「……人違いでは?」
「いいえ」
返答に迷いはない。
「銀の鍵を持つ者を、お迎えに参りました」
「やっぱり嫌な予感は当たったか……」
小さく漏らしたレオの独り言に、リオンが肩を震わせた。
「レオって、本当に面倒ごとを引き寄せる才能あるよね」
「褒め言葉じゃないよね?」
「もちろん褒めてない」
「そこは否定するところ」
思わず返すと、オスカーがため息をつく。
「殿下、今はその話じゃありません」
「そうだった」
全然そう思っていなさそうな返事だった。
その間も、仮面の男は一歩も動かない。
敵意はない。
しかし、逃がす気もない。
そんな不思議な圧力があった。
カイゼルが一歩前へ出る。
「案内役か」
「はい」
「地下へ誘導するためだけに現れた?」
「はい」
「私たちを襲うつもりはないと?」
「ここでは」
その一言だけ、わずかに空気が変わった。
エルマーの手が自然と剣の柄へ伸びる。
「"ここでは"……か」
「地下へ入れば保証できません」
仮面の男は淡々と言った。
「皆様の安全は、試練を越えられるかに委ねられます」
「試練?」
リオンの目が輝く。
「やっぱり面白そう」
「喜ぶところではない」
カイゼルが即座に制した。
レオは頭を押さえたくなる。
嫌な予感しかしない。
「質問を一つ」
レオは銀の鍵を見せた。
「これは何なんですか」
仮面の男は鍵を見つめる。
「鍵です」
「それは見れば分かります」
思わず返すと、オスカーが吹き出しそうになるのを堪えた。
仮面の男は少しだけ首を傾げる。
「その鍵は、道を選ぶ鍵です」
「道?」
「鍵に選ばれた者には道を開きます」
「違う者なら?」
「何も起こりません」
地下から冷たい風が吹き抜けた。
その瞬間、レオの手の中の銀の鍵がもう一度淡く光る。
カチリ。
小さな音がした。
鍵の先端が九十度ほど回転し、今度は石階段ではなく、その先の暗闇を指した。
「……動いた」
リオンが嬉しそうに覗き込む。
「やっぱり生きてるみたい」
「触るな」
カイゼルが弟の肩を引く。
「分かってるよ」
そう言いながら、あと数センチで触れそうだった。
オスカーは小さく呟く。
「分かってないですね」
「全くだ」
エルマーも苦笑する。
仮面の男は階段を一段下り、静かに振り返った。
「鐘は、皆様を歓迎しています」
まるで合図を待っていたかのように、
ゴォン――。
四度目の鐘が鳴り響く。
地下全体が低く震え、石壁の隙間に埋め込まれた古い燭台へ、青白い炎が一つ、また一つと灯り始めた。
暗闇だった地下通路が、ゆっくりと姿を現す。
左右の壁一面には、古い紋章と見慣れない文字が刻まれていた。
壁に刻まれた紋様の中央には、レオが持つ銀の鍵とまったく同じ形が彫られている。
「……最初から、ここへ来ることが決まっていたみたいですね」
レオが呟く。
カイゼルは紋章を見つめたまま答えた。
「偶然では済まされないな」
リオンは待ちきれない様子で階段の先を見つめる。
「兄上」
「何だ」
「そろそろ行こう」
「……そうだな」
カイゼルは全員を見回した。
「ここから先は何が起きても不思議ではない。互いに距離を空けるな」
「了解」
オスカーとエルマーが同時に応じる。
レオは銀の鍵を握り直した。
その瞬間だった。
地下のさらに奥から、
ガタン――。
まるで巨大な石扉が開くような音が響いた。
仮面の男の声に、わずかな笑みが混じった。
「どうやら、最初の扉がお待ちです」
レオは思わず天井を仰いだ。
「……まだ入口ですよね?」
「はい」
「まだ入口でこれですか」
リオンは満面の笑みを浮かべる。
「最高じゃない?」
レオだけが、今日何度目か分からないため息をついた。




