第87話「地下へ続く鐘の音」
倉庫街に吹く風が、ゆっくりと静まっていく。
だが、その場にいる誰一人として、緊張を解いてはいなかった。
カイゼルは黒い布に刺繍された紋章を随行騎士へ預けると、静かにレオへ向き直る。
「話を続けよう」
レオは銀の鍵を見つめたまま尋ねる。
「旧迎賓館へ行けば、この鍵の正体が分かるのか」
「すべてではない」
カイゼルは静かに首を振る。
「だが、書簡に記された『銀の鍵』かどうかは確認できる」
「つまり」
エルマーが続ける。
「旧迎賓館にも、この鍵と関係する何かが残されている」
「ああ」
短い返事だった。
リオンが待ちきれないように笑う。
「じゃあ、早く行こうよ」
「まだ行かない」
カイゼルが即座に返した。
「迎賓館は現在、王家の管理下にある。勝手に立ち入れば騒ぎになる」
「兄上って真面目だよねぇ」
「お前が自由すぎるだけだ」
オスカーが吹き出す。
「この兄弟、本当に面白いな」
「見てる分にはな」
エルマーも苦笑した。
レオは銀の鍵を外套へしまう。
「それで、いつ向かう」
「今夜だ」
全員がカイゼルを見る。
「昼間は人目が多い。夜なら迎賓館の警備も私が調整できる」
「公務を利用するのか」
レオが言うと、カイゼルは小さく頷いた。
「表向きは施設の安全確認」
「裏では?」
「地下の調査だ」
リオンが嬉しそうに笑う。
「夜の探検だね」
「探検じゃない」
レオとエルマーの声が重なった。
オスカーが肩を震わせる。
「そこ息合うんだ」
「否定するところだからな」
エルマーが静かに返す。
その時だった。
一人の随行騎士が駆け寄る。
「殿下」
「どうした」
「拘束した者の持ち物を改めて調べたところ、一人だけ衣服の内側にこちらを隠していました」
差し出されたのは、小さな金属片だった。
円形の表面には、黒い布と同じ紋章が刻まれている。
円の中に、逆さまの塔。
その足元から伸びる、幾本もの鎖。
レオが目を細めた。
「さっきの紋章と同じだな」
「ああ」
カイゼルは金属片を受け取ると、その裏側を確かめた。
そこには、細い線が三本刻まれていた。
「だが、これはただの所属を示す印ではない」
「どういうことだ?」
レオが尋ねる。
「階級章だ」
「階級?」
リオンが横から覗き込む。
「秘密組織の中で、役割を示すために使われていた」
「そこまで分かるのか」
「古い王家の記録に、同じものが残されている」
カイゼルは指先で、裏側の三本線をなぞった。
「古い記録では、刻まれた線の数で役割が分けられている。一線は、地下を守る者。二線は、地下を封じる者。そして――」
そこで言葉を切る。
レオが促す。
「三線は?」
「鍵を持つ者を監視する者」
その場の空気が変わる。
オスカーが、珍しく笑みを消した。
「つまり」
エルマーが静かに言った。
「銀の鍵を手にした時点で、レオは監視対象になった」
誰も否定しなかった。
リオンだけが、ゆっくりとレオを見る。
「兄上」
「分かっている」
カイゼルは短く答えた。
「旧迎賓館へ向かう前に、王城で準備を整える」
「準備?」
「地下へ入るための正式な許可と、必要な資料だ」
レオは銀の鍵を握る。
「時間はあるのか」
「ない」
カイゼルは即答した。
「だから急ぐ」
その時。
遠くから鐘の音が響いた。
一度。
二度。
三度。
誰も言葉を発しない。
レオは静かに空を見上げた。
鐘楼。
地下。
銀の鍵。
それらはもう、偶然ではなかった。
旧迎賓館。
そこには、王都が長い年月隠し続けてきた秘密が眠っている。
そして、その扉を開く鍵は――
今、レオの手の中にあった。




