第77話「石扉の向こう」
鐘の余韻が、地下空間へ静かに溶けていく。
誰も口を開かなかった。
老人――鐘楼の番人だけが、巨大な石扉を静かに見つめている。
「……開くのですか」
セドラスが低く問う。
番人は首を横に振った。
「開けることはできる」
一拍置いて続ける。
「だが、資格なき者が開けば、この扉は再び閉ざされる」
オスカーが眉をひそめた。
「資格?」
「この場所を造った者たちは、真実を守るため最後の鍵を残した」
老人は石扉へ歩み寄る。
王家の紋章。
その隣にはアウレリア家の紋章。
二つの紋章の中央へ、静かに手を添えた。
「この二つは争うために並んでいるのではない」
「共に守るために刻まれた」
レティシアは思わず息を呑む。
「王家と……アウレリア家が?」
「かつては」
老人は静かに頷いた。
「王国創設の頃、アウレリア家は王家の傍らで、歴史と真実を記録する役目を担っていた」
セドラスの瞳が鋭くなる。
「記録官」
「そうだ」
老人は答えた。
「王が命じても、歴史を書き換えてはならぬ」
「それがアウレリア家の誓いだった」
地下室が静まり返る。
エルマーが小さく呟く。
「だから記録を守ろうとした」
「だから消された」
老人は否定もしなかった。
「……真実に近い」
オスカーは腕を組む。
「つまり」
「歴史を書き換えたい誰かと、書き換えたくないアウレリア家がぶつかった」
「そういうことか」
「その通りだ」
番人は静かに頷いた。
レティシアは石扉を見つめる。
胸が熱い。
苦しいほど懐かしい。
まただ。
『開けて』
少女の声。
『約束だから』
頭の奥に光景が浮かぶ。
白い石畳。
鐘楼。
幼い自分。
金色の髪の少女。
二人で笑っている。
その少女が石扉へ小さな手を伸ばした。
『忘れないで』
レティシアの唇が無意識に動く。
「忘れ……ない」
全員が振り返った。
「お嬢?」
オスカーが驚く。
レティシアは自分でも気付いていなかった。
今、口にした言葉が自分の意思ではなかったことを。
老人だけが静かに目を閉じる。
「思い出したか」
「まだ……少しだけ」
レティシアは胸を押さえた。
「でも、この扉を開けなきゃいけない」
その言葉には迷いがなかった。
老人は一歩下がる。
「ならば、試してみるといい」
「答えは、お前自身が知っている」
レティシアはゆっくり石扉へ近づいた。
王家の紋章。
アウレリア家の紋章。
その中央には、小さな円形の窪みがある。
「鍵穴?」
エルマーが呟く。
セドラスはすぐ地図を広げる。
「いや……」
「この形」
「以前見た紋章と一致する」
オスカーも思い出す。
「地下室の箱」
「封印された手紙」
「全部、同じ印だった」
セドラスは静かに息を吐いた。
「つまり」
「鍵はここにはない」
「すでに、どこかに存在している」
その瞬間。
レティシアの脳裏へ、一つの映像が走った。
小さな銀色の鍵。
古い木箱。
封蝋。
少女の笑顔。
『預けるね』
『あなたなら見つけられる』
レティシアが小さく呟く。
「……鍵」
「鍵を見た」
その言葉に、オスカーが思わず身を乗り出した。
「どこだ!」
レティシアはゆっくり首を振った。
「思い出せない」
「でも」
瞳だけは真っ直ぐ石扉を見据えていた。
「まだ、この王都のどこかにある」
老人は穏やかに微笑む。
「それでいい」
「真実は、お前たちを急がせはしない」
「一歩ずつ辿り着けばいい」
地下に静寂が戻る。
だが、その静寂の中で。
石扉の中央に刻まれた窪みだけが、一瞬、淡く青白く輝いた。
その光は、まるでレティシアへ応えるように静かに瞬いていた。




